本当のところは(3)
終業式の後に二年生最後のホームルームを終え、マイは名残を惜しむ暇もなく教室を出た。向かう先は貴美子のクラスである。その理由は、貴美子が心を決めたからだった。
貴美子のクラスに顔を出したマイは、すぐに彼女と目が合った。鞄を持って戸口へ来た貴美子の表情はすでに硬い。彼女がガチガチに緊張していることを見て取ったマイは励まそうと思って話しかけた。
「キミちゃん、しっかり」
貴美子は頷いただけで口を開くことはしなかった。マイは貴美子の様子に気を配りながら歩き出す。久本が指定してきた場所は、件の特別教室だった。
マイと貴美子は下校する人波に逆らって廊下を進み、やがて別校舎にある特別教室に辿り着いた。その間、一言も発さずにいた貴美子の顔はいよいよ強張っている。だがマイにはどうしようもなかったので、声をかけることはせずに扉を開けた。
教室内にはすでに久本の姿があり、制服姿の彼は窓辺に佇んでいた。久本の姿を目の当たりにすると貴美子の足が止まってしまったので、マイは彼女を抱えるようにして室内に進入する。久本は石像のように固まってしまっている貴美子を一瞥した後、マイの方に顔を傾けてきた。
「準備室を使おうと思ってたんだけど、今日は鍵が開いてなかった」
そう言い終えた後、久本は戸口を指し示す。意味が分からなかったマイは首を傾げた。
「何?」
「あそこで見張ってて」
「はあ?」
「誰か来たらイヤじゃん。ってことで、倉科は出てった出てった」
久本は軽く手を振り、マイに退出を促した。久本の態度にはムッとしたものの、他人の告白に同席するほど野暮ではないマイは大人しく従う。踵を返すと不安そうな貴美子と目が合ったので、マイはガッツポーズをして見せてから特別教室の外に出た。
(大丈夫かなぁ、キミちゃん)
盗み聞きをするつもりはなかったが、友人が心配になったマイは背後を振り返った。しかし廊下からでは教室内は見えない。小声で話しているのか壁が厚いのか、声も漏れ聞こえてこなかった。
マイは初め、ソワソワしながら廊下に佇んでいた。何度も背後を振り返っては扉に背を向けるという動作を繰り返していたのだが、次第に振り返る間隔が長くなってくる。そのうちに待ちくたびれて、廊下を横断したマイは扉を真正面に見据えて壁に背中を預けた。
(長くない?)
そもそも告白とは、どのくらい時間がかかるものなのだろう。未経験者であるマイには予測がつかなかったが、特別教室の扉はまだ開かない。
(もしかして、うまくいって盛り上がっちゃってんのかな)
そんなことを考えて苦笑していたマイはふと、あることに思い至って眉根を寄せた。
(ダメだったら……キミちゃんになんて言おう)
この告白はマイと久本が貴美子を追いつめた結果であり、半ば強制的なものだと言えなくもない。少なくとも『普通の告白』ではないのだから、もしダメだった場合、貴美子のショックがよりいっそう大きくなってしまう可能性もある。そのことに思い当たると、マイの胸は嫌な高鳴りを覚えた。
(うーわー、自分のことじゃないのに緊張するよ)
マイが再びソワソワし始めた次の瞬間、特別教室の扉が開いた。まず姿を現したのは久本であり、その後ろから貴美子が続く。廊下に出てきた貴美子の顔を見た刹那、マイは頬を引きつらせた。彼女の目は真っ赤で、泣いた後であることを如実に物語っていたのだ。
(うわぁ……どうやって慰めよう)
ため息をつきたいのを堪え、マイは無表情に努めて久本を見た。しかし久本は、けろりとしている。
「悪いな、待たせて」
ただ侘びを入れただけで、久本は告白の行方については何も言わなかった。マイは無言で首を振った後、貴美子に向き直る。
「帰ろうか、キミちゃん」
マイはただ、貴美子を早く久本の前から連れ去ってあげたい一心でそう言った。しかし赤い目をしている貴美子はマイから視線を外し、何故か久本を仰ぐ。貴美子の視線を辿ったマイは不可解に首を傾げた。目が合うと、久本はマイの反応を面白がるようにニヤリと笑って見せる。
「こーゆー訳だから。悪いけど、一人で帰ってくれる?」
久本が不敵な笑みを浮かべたまま貴美子の肩を抱く。マイは目を剥き、貴美子は頬を赤らめて顔を伏せた。
「ええーっ!? マジで!?」
しばらくの後、すっかり人気のなくなった校舎にマイの叫びが響き渡った。
久本たちと別れた後、鞄を置きっぱなしだったマイは一人で教室に向かっていた。廊下にはもう生徒の姿もなく、校舎内は静まり返っている。しかし寂しい場所を歩いていても、他人の幸せを分けてもらったマイの気持ちは弾んでいた。
(キミちゃん、良かったねぇ。後で朝香にも教えてあげよう)
浮かれながらフラフラと歩いていたマイは、そこであることを思い出した。もう目前だった教室に慌てて駆け込み、壁にかかっている時計を確認する。時刻はすでに午後一時を回っていた。
(うわぁ……もう始まってるよ)
マイ達のクラスは終業式の後、近くのファミリーレストランで食事会をすることになっていた。そこに同じクラスの朝香と一緒に行く約束をしていたのだが、何も言わずにすっぽかしてしまったことになる。朝香が怒っているだろうなと思いながら、マイは鞄の中にある携帯電話を確認しようとした。そこで初めてユウに気がついたマイはあ然として立ち尽くす。教室内どころか校内から人気がなくなってしまっているというのに、彼は自席で静かに寝入っていた。
(……ありえない。誰も起こしてくれなかったの?)
ユウは年がら年中、眠っている。帰りのホームルームが終わったことに気がつかないほど深い眠りに落ちている時もあり、そういった時は隣の席に座っているマイが声をかけるのだ。しかし今日は、マイが声をかけることをしなかった。それにしても、誰も起こしてあげないとは薄情である。
ユウの隣に座っていられるのも今日が最後だったので、マイは先のことを考えてため息をついた。いつものように起こそうとしたマイは、ユウが動いたので伸ばしかけていた手を止める。机に突っ伏して寝ているのが苦しかったのか、ユウはマイのいる方に顔を傾けてきた。しかしその目は閉じられていて、腕を枕にしている体勢にも変わりがない。なにより、呼吸が規則的なままだった。
(あーあ、気持ち良さそうな顔しちゃって)
教室内は春の柔らかな日差しで暖められている。寝床は硬そうだが陽気は、確かにいい。ユウを起こすのをやめたマイは音を立てないよう気を配りながら自席に腰を落ち着けた。
(こうやって隣の席から見るのも最後かぁ)
マイは進級に対して特別な感情を抱いてはいなかったが、ユウの安らかな寝顔を見ていると少し名残惜しくなってくる。思いがけず寂しい気持ちになってしまったので、マイは腕を伸ばしてユウの体を揺すった。
「ユウ、起きなよ」
安眠妨害をされたユウは顔を歪め、マイの手を跳ね除けた。その後は煩わしいものから遠ざかろうとするように顔を背けられたが、いつものことなのでマイは気にしない。幾度か揺すっているうちに、ユウはようやく腕枕から顔を上げた。
「……なんだよ」
「何だよ、じゃないよ。いつまで学校で寝てるつもり?」
「学校……?」
まだ寝ぼけた顔をしているユウは周囲を見回し、ようやく事態を呑み込んだようだった。ユウののんびりさ加減に呆れたマイは大袈裟にため息をつく。
「三年生になってからが心配だよ。誰か起こしてくれる人、見つけなよ?」
マイが言い聞かせるように言うとユウは妙な表情をした。見咎めたマイは首を傾げたのだがユウはすぐ、真顔に戻る。マイから視線を外して正面を向いたユウは、帰り支度をしながら改めて口火を切った。
「マイは何してたんだ?」
「えっ? あー、うん、ちょっとね。それよりユウ、クラス会は行く?」
「行かない。帰って寝る」
「……最後くらい行こうよ」
一度自宅に帰るつもりだったマイはユウと一緒に教室を出た。人気のない廊下を並んで歩いていると不意に久本から聞いた噂話を思い出したので、何気なく話を切り出してみる。
「ねぇ、ユウ。松丸さんにお返し、あげたんだよね?」
「その話はもう、いい」
拒絶を示したユウの口調はからかわれて不機嫌になっている時ともまた違う、妙な冷たさを帯びていた。そんな反応を初めて目にしたマイは二の句が告げられなくなって、ぽかんと口を開ける。ユウはマイを一瞥したが、それ以上は何も言わなかった。
(何で?)
色々な思いがごちゃ混ぜになったマイの頭には、その一言しか浮かんでこなかった。そうして何となく気まずさを残したまま、マイとユウは無言で家路を辿ったのだった。




