ホワイトデーの動機(2)
往復で二十分ほどかかる近所のスーパーへ買い出しに行ったユウは、マイの言った通りプレーンのヨーグルト一つだけを手に戻って来た。冷蔵庫のクッキー生地もほどよい頃合だったので、マイはさっそくユウに焼き方を伝授する。クッキーをオーブンにかけた後、マイはユウが買ってきたヨーグルトを開封した。
「そのまま食べるのか?」
ユウが不思議そうに尋ねてきたので、マイは卵白の入ったボウルを指し示す。
「クッキーには卵黄しかいらないから。卵白、捨てるのもったいないでしょ?」
ユウはマイの言葉に頷きながらボウルを覗き込んだ。泡立てた卵白に砂糖とヨーグルトを加えて混ぜ合わせれば、作業は終了である。マイがボウルごと冷凍庫にしまうとユウが首をひねりながら疑問を口にした。
「それで、何が出来るんだ?」
「アイス……って言うよりシャーベットかな。食べたい?」
「食べたい」
「じゃ、明日食べにおいでよ。私が持っていってもいいけど」
「明日?」
「凍るの、六時間くらいかかるから」
「……明日、食べに来る」
ユウが渋い表情で納得したのでマイは笑いながら頷いた。クッキーが焼きあがるまで再び時間が空いてしまったので、マイはユウを促してリビングへと移動する。
「そういえばユウ、ご飯食べた? 私、お昼まだなんだけど」
「微妙な時間に食べた」
「小腹、空いてる?」
「微妙。何か作ってくれるなら食べたいかも」
「はいはい」
ユウの微妙な返答にマイは肩を竦め、一人で台所へと戻った。夕食までそれほど間のない時間帯だったので、小さなおむすびを作る。熱い緑茶と一緒にリビングへ運び、マイはユウの隣に腰を下ろしておむすびにかじりついた。
「そういえばユウ、松丸さんから何か言われた?」
マイが話題にのぼらせた松丸とは、ユウのことを好きな女の子のことである。松丸はバレンタインデーにチョコレートを渡したのだが、ユウには彼女の真意がまったく伝わっていなかった。人伝にそのことを聞いたマイは『ユウに気持ちを伝えるにはストレートに告白するしかない』という助言を間接的にしたのだ。マイはその結果が知りたかったのだが、ユウは話が通じていない様子で首を傾げる。
「何かって何?」
「……いや、何も言われてないならいいんじゃない?」
「何だよ、それ」
ユウは不可解そうな表情をしていたが、それ以上の追及はしてこなかった。普通は気になって問い詰める場面だろうに、ユウにとってはどうでもいいことなのかもしれない。そう考えると松丸が不憫に思えて、マイは小さく肩を竦めてから緑茶を飲み干した。その後、片付けをしようと空いた皿に手を伸ばすと、ユウが行動を制してくる。
「俺が持ってくから」
「そう? じゃ、持ってきて」
ユウにリビングの片付けを任せ、マイは台所に移動した。先程焼きあがりを告げる音が鳴ったため、オーブンは沈黙している。扉を開けると加熱されたバターの香りが台所に漂った。
「うん。いい感じ」
クッキーがいい色合いに仕上がっていることを確認したマイは新しい皿を取り出して、そこにクッキングペーパーを敷いた。その上にオーブンから取り出したクッキーを並べていると、リビングからやって来たユウが不思議そうに覗き込んでくる。
「これは何してんの?」
「余分な油を取ってんの」
「へぇ」
「ユウ、食べてみなよ。焼きたてだから美味しいよ」
マイが何気なくクッキーを差し出すと、両手に湯呑みと皿を持っているユウは困った顔をした。マイはニヤリと笑い、ユウの口元にクッキーを近づける。
「はい、あーん?」
「やめろよ。これ置いてから食べればいいだけだろ」
少し不機嫌な顔になって、ユウは流しに食器を置いてからクッキーが盛られた皿に手を伸ばした。行き場がなくなってしまったため、マイは手にしているクッキーを自分の口に放る。
「うん、上出来。美味しいよ、ユウ」
「まあ、こんなもんだろ」
口では普通だと言いつつも、ユウはまんざらでもない様子だった。ちぐはぐなユウの態度に笑いながら、マイは引き出しを開ける。
「持って帰るんでしょ? ラップでいい?」
「五個だけ包んで」
「え? それだけ?」
「うん。残りは、マイに」
「……どういうこと?」
「今日は何月何日?」
唐突に日付を尋ねられたマイは、とっさに壁掛けのカレンダーを振り返った。そして、目にした日付を無感動に読み上げる。
「三月十四日の日曜日……うん?」
「何の日?」
「……ホワイトデー」
ようやく納得がいったマイは途端に忙しない気持ちになった。しかしマイがソワソワしながら顔を傾けても、ユウは真顔のままである。
「チョコ、もらったから。お返し」
ユウがまったく表情を変えることなく言ってのけたので、笑いが堪えられなくなったマイは吹き出した。
「うわー、マメだよ! ユウってリチギだったんだ」
「……マイの方がよっぽど律儀じゃん」
「ええ? 何で?」
「クリスマスにもケーキもらったし」
顔を背けたユウはモゴモゴと、文句まがいの礼を言った。マイはユウの態度に爆笑したが、ふと腑に落ちたことがあったので真顔に戻る。
「それで材料費のことにこだわってたの?」
「お返しする相手におごられるって、意味わかんないじゃん」
「……確かに」
ユウの意見に深く頷きながらも、マイはじわじわと嬉しさが沁みてくるのを感じていた。胸の中が微笑ましい気持ちで一杯になったので、意味もなくユウの背中を叩いてみる。
「やっぱユウのことかなり好きかも」
「……は?」
「せっかくだから一緒に食べよ? 紅茶淹れてくから先行ってて」
ユウは怪訝そうに眉根を寄せていたがマイは特に補足することはせず、クッキーの皿を持たせるとユウを台所から追い出した。マイ自身は紅茶を淹れてから、サランラップを持ってリビングへと戻る。ユウに言われた通り五個だけ取り分けて、それからマイは改めてクッキーの乗った皿に手を伸ばした。
「それにしても、ユウがホワイトデーを覚えてたなんてねー。ビックリだよ」
マイがホワイトデーの話題を蒸し返すとユウは嫌そうな顔をしてそっぽを向いた。無性にユウをからかいたい気分のマイは、拗ねているユウの頬を指でつつく。
「やめろって」
マイの手を邪険に振り払うと、ユウはソファーの上で移動してマイから距離をとった。もう少しユウで遊ぼうと思っていたマイはふと、あることに気がついてテーブルに視線を向ける。
「ユウ、この五個って松丸さんへのお返し?」
ユウは不機嫌そうにしていたが、マイが真顔に戻ったので態度を改めた。ユウが頷いて見せたので、マイは嫌な予感を覚えながら問いを重ねる。
「もしかしてさ、このまま渡そうとか思ってない……よね?」
「……ダメなのか?」
ユウの返答が案の定なものだったので、マイは額に手を当てて首を反らせた。
「あのねぇ……お返しなんでしょ? だったらちゃんとラッピングして渡すこと!」
中身が手作りとはいえ、サランラップのまま渡されたのでは相手も困るだろう。女心が分かっていないという以前に、ユウには一般的な常識が欠けている。今更ながらにそう思ったマイはため息を吐いてから立ち上がった。
「何かないか探してくるから。ちょっと待ってて」
ユウにそう言い残し、マイはリビングを出て二階の自室に向かった。部屋を探っていると使いかけのラッピング用品を発見したので、マイはホッとして息を吐く。
(まったく……ラップのまま渡そうとするなんて何考えてんだか)
もう一度深々と息を吐き、マイはラッピング用品を手に部屋を出た。しかし階段の手前で立ち止まり、マイはしげしげと手にした物を見つめる。
律儀にもバレンタインのお返しをしようと思ったユウは、松丸にまったく気がない訳ではないのかもしれない。松丸の方は本気のようなので、ユウにその気があるのならばカップル誕生である。ホワイトデーのお返しをきっかけにユウが松丸と付き合い出すのかもしれないと思うと、マイは少し複雑な気分になったのだった。




