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Loose Knot  作者: sadaka
中学編
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太陽のにおい(1)

 春眠暁を覚えず、という言葉がある。これは、春の夜はとても眠り心地がいいので朝が来たことにも気付かず、つい寝過ごしてしまうという意味だ。春は陽気がいい。特に昼食が終わった後の五時間目は睡魔との闘いである。何度も経験したことがあるだけに、頬杖をつきながら黒板に目を向けている倉科マイは国語の教諭が滔々と語っている内容に密かな同意を示していた。

 夏は、寝苦しい。朝となく夜となく、とにかく気温が下がらなければなかなか寝付けないものである。今がまさにその状態で、蒸し風呂状態の教室では生徒があちこちで下敷きを団扇代わりにして自分に風を送っていた。昼食が終わった後の五時間目、普段ならクラスの大半が睡魔と闘っている時間帯だが、生徒達の目は眠気ではなく暑さのために半眼になっている。そんな中にあって例に漏れず下敷きで自分を扇いでいたマイは、隣の席で熟睡している小笠原ユウにチラリと視線を傾けた。

 春夏秋冬、朝昼晩。この小笠原ユウという人物はいつでもどこでも眠っている。春は、前述の理由から共感できる。秋は、陽射しが柔らかくて風が涼しいので同感だ。冬は、暖かい布団の中であれば頷ける。だが夏だけは、どうしてこの暑さの中で眠っていられるのか、マイには理解できなかった。

「ユウ」

 授業が終わっても隣人が眠りこけていたため、マイはユウの肩を揺さぶった。教室には冷房がないのでマイも汗だくではあったが、ユウの体は寝汗に濡れている。

「ユウ、起きなよ」

 少し手荒く、マイはユウを左右に揺する。すると鬱陶しいと言わんばかりに、ユウは不機嫌そうに体を起こした。

「なんだよ」

「授業、終わったよ」

 マイが教えてあげるとユウは寝ぼけた様子で目を泳がせた。教室内の様子を確認したユウはまだ帰りのホームルームがあるというのに、すぐさま鞄に手をかける。マイは呆れながらユウのワイシャツの裾を引っ張った。

「ユウ、いいかげん起きなよ」

「ああ、まだか」

 帰りのホームルームが済んでいないことにようやく気付いたようで、ユウは浮かしかけていた腰を再び落ち着けた。椅子の背もたれに体重を預けたユウはそのまま頭を垂れる。前髪が邪魔でマイからは顔が見えなかったが、彼はまた瞼を下ろしてしまったようだった。

 マイとユウの関係は友達未満の『ご近所さん』である。小学三年生の時にユウがマイの家の隣の隣に越してきてから二人の微妙な関係は始まった。以来五年、友達と言うほど話もせず、ただの知り合いと言うほどお互いのことを知らないわけでもなく、マイとユウは気楽に付き合いを続けている。

 その日の帰り道、マイはたまたま一人で歩いていたところ、たまたま一人で歩いていたユウの後ろ姿を発見した。どうせ向かう先は同じなので、マイはまだこちらに気付いていないユウの背中に向かって声をかけてみる。足を止めたユウは気怠げに振り返り、マイが追いつくのを待ってから再び歩き出した。

「ユウは夏休み、何するの?」

 夏休みを三日後に控えていたのでマイの頭は長期休暇をどう過ごすかということでいっぱいだった。ユウは話しかけられたので答えているといった調子で重い口を開く。

「寝る」

 ユウのこの答えは毎年恒例のものだった。彼が寝ると言ったら本当に寝るので、今年の夏も特に外出したりはしないのだろう。

「夜、寝られなくならないの?」

 夏休みの話も盛り上がらなかったので、マイは常々疑問に思っていたことを切り出してみた。ユウは肩にかけていた鞄を面倒そうに下ろし、息を吐く。

「どうでもいいじゃん」

「……そうだね」

 もともと話し込もうというつもりで問いかけたわけではなかったので、話の腰を折られるとマイはすぐに頷いた。わりと、どうでも良かったからだ。ユウもどうでもよさそうに、だらだらと歩く。

「じゃあ、また明日」

 適当に話して適度に沈黙を続けているうちに家へ着いたので、マイは軽く手を振ってユウに別れを告げる。あいさつは返ってこなかったが、ユウは鞄を持っていない方の手をひらひらと振ると、マイの家から一軒先の自宅へと帰って行った。









 子供同士の仲がいいからといって、その両親同士の仲もいいとは限らない。その逆もまた然りで、マイとユウの関係は微妙だが、双方の両親の仲はきわめて良好だった。

「明日?」

 夏休みの初頭、麦茶を汲みにキッチンへと向かったマイはそこで母親に呼び止められて首を傾げていた。彼女達は明日から、旅行へ行くと言うのである。前もって言っておいたはずだと母親は言っていたが、マイには寝耳に水の話だった。

「どこ行くの?」

「伊豆よ、伊豆。二泊三日で行ってくるから、あとのことはよろしくね」

「へ~。行ってらっしゃい」

 マイは自炊をするので、両親が家を空けることは苦でも何でもない。むしろ両親が留守ならば大っぴらに友達を呼べるため好都合である。しかしマイの企ては母親の鶴の一声によってあえなく霧散することとなった。

「ユウちゃんのお世話もよろしくね」

 ユウは家の手伝いなど一切しない。そのユウの両親を旅行に誘うため、すでにマイがすべてを引き受ける約束をしているのだという。

「勝手に決めないでよ」

 横暴な母親の振る舞いにマイは憤慨したが、娘の性質を熟知している彼女は財布から一万円札を取り出した。そしてそれを、これみよがしにマイの前に掲げて見せる。

「三日分の食費とユウちゃんのお世話代。余ったらお小遣いにしていいわよ」

 鼻っ面に一万円札を吊り下げられたマイは馬になったような気分でごくりと喉を鳴らした。ユウの分の食事代も込みとはいえ、うまくやりくりすれば五千円以上が手元に残る。

「……わかった」

 十四歳の苦学生にとって五千円は大金である。金欲に負け、マイは熟慮することなく母親に頷いて見せた。

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