第五話 蛇のため息……
午前11時08分、中華料理店雷飯天、路地裏にて──。
『みんなみんなまわりまわりまわってハッピーになれるハッピーハブ茶』──そんな下手な商品のキャッチコピーを聞いたのは、本日何度目になるだろう。
狙撃ポイントにつき、砂を敷き詰めたポシェットを開く。集中するジト目で狙いをつけ、砂中から取り出した泥団子が、遠距離より投げつけられて次々と男臭いターゲットへとヒットする。
手筈通り、土門美沙の援護射撃が中華料理店横の路地裏に向けて始まった。
突然の雨ならぬ突然の泥団子、護衛対象を囲んでいた敵陣が慌てふためき崩れたところに──2人の影が素速くなだれ込んだ。
細身の影は混乱に乗じ、次々と敵を殴り蹴り制圧していくが、敵の男の一人にその踊る茶色い三つ編みの髪を掴まれた。
いきなり殴り込んできた生意気な女の後ろ髪を容赦なくぐいぐいと引っ張る。だが今掴まれたのは果たして本当は、どちらなのか。
生き物のようにしゅるりと伸び、男の手首に掴んでいたはずの髪が絡みつき返した。
「乙女の髪だぞ、気安く触れるんじゃ──ないっての!!!」
そしてそのまま掴んだ両手首ごと、後方の敵を前方へと浮かせ投げ飛ばす。古林綾女の必殺技【双鞭地浸】が、敵を地に突き刺し決まった。
しかし、敵は丸腰で殴りかかる者ばかりではない。白いコック服の中から取り出されたのはコルトパイソン、ゴロツキに似合わぬ美しい年代物の旧式銃が火を吹いた。
茶髪の乙女の背へと向けて、躊躇いなく引かれたトリガー。古林綾女に向かった凶弾は──
「【三式・菫】!」
もう一人の影、藤色髪の女子高生が味方の背を庇うように構えた。菫の花びらのように鮮やかに広がった水のシールドが、古林へと向かった一発の弾丸を防いだ。
流れるように美しく受け流す。花弁の水流に弾かれた弾丸が、左の建物の壁へとめり込む。
そのような未知の光景を目撃してしまったからか。コック服の男は、一発撃っただけで次弾のトリガーもろくに引かない内にうろたえ出した。そんな宝の持ち腐れをする素人の隙を、優秀な忍びは見逃さない。
優雅に広げていた青い花弁が中央へと集束するように閉じていく。そして鋭く管を伸ばすように、今度は水の槍となり、旧式のリボルバーを構えたまま固まっていたコック服の男の喉元を一瞬に突いた。
「【二式・爽槍】──」
藤林夜翠は忍具、亜水骨を握り締める。前方へと一瞬に放射した水の槍は、銃に劣らぬ忍びの武器にもなる。
新人のレベルを超えた攻撃と防御の二つの術を、器用にも披露した。
「夜翠様、気ぃ使わせたっごめん!」
「それは後でいいから綾女は護衛対象の保護を」
「……っオッケー!」
不注意だった背中の反省は後でいい。古林は、鼻である夜翠の冷静な指示に従い、奥で震えている護衛対象の女の保護へと迅速に動いた。
路地裏にたむろしていた不審な者たちに、泥団子での撹乱と同時に近接での強襲を仕掛けた古林綾女と藤林夜翠。彼女らはそれぞれの印を用いながら、目の前を阻む敵を素速く排除した。
しかし、無秩序な足音が重なり鳴る。応援に駆けつけた新手の敵が、路地裏へとぞろぞろと蓋をするように押し寄せる。
やがてその内の二人が、血走った目の男面を見合わせる。
そして今突然に叫び出しながら、先頭にいた狂気のコックもどきたちが、狭い路地裏を包丁片手に並び駆けてきた。
向かって来る無謀な男どもに対して、夜翠は握る忍具の亜水骨へと体内に宿る力の波を注ぎ、再び構えようとした。
だがその時──暗い路地裏の途中に、さらに濃く重なり合った黒い影。
前のめりに走っていた自分たちを覆ったその謎の暗い影を、コック服の男たちは叫び声を止め、二人して見上げた。
頭上から降って来たのは、豚か豚足か漢服を着た豚か。そんな食材は店に発注した覚えはない。
あんぐりと口を開けた、包丁片手に街をぶらつく料理人もどき共へと、天から降る巨大な質量がぶつかった。
激しい衝撃音と共に、地面にめりこみ土下座する薄汚れたコック服の姿が二人、大人しく黙り並んでいる……。
「ごちそうさま……とは、いかねぇだろうな」
右と左の片手でそれぞれ上から押さえつけていた男の頭からゆっくりと手を離す。そして、今ド派手に登場した恰幅の良い黒衣の男は、太い指先についた塵を、ぱんぱんっと手を鳴らしながら払った。
(クソもちっ……今どうやって上から?)
夜翠は目の前に舞い降りた大きなその背を訝しみ見ながらも──それどころではない。
今突飛な方法で乱入した巨体により乱れた自身の集中をもう一度高めて、狭路に立つ邪魔な置物の横を顰めっ面で歩いていく。
「邪魔よっ通して、敵が見えない」
「おっ、おぅ。こりゃすまねぇ、デブで」
細身の女子高生がするりと、道を開けた太っちょの横を通り抜けた。
そして、敵の数を目視確認した夜翠は得物である亜水骨をしっかりと握りしめ直し構えた。
次々と湧いてくる。調理服を着た白い戦闘員。隣の中華料理店からやって来たのだろう。服に飛び散る油の染みた気合いが入っている。
どうやらカモとは自分たちのことである。このまま路地裏の臭いまな板の上で、入り込んだ鼠を丸ごと調理して食べる気だ。
しかしそんなことは大地は分かっていた。おそらく夜翠も、あの拾い集めた下っぱ売人のスマホに届いた応援要請が〝敵の仕掛けた罠〟であることに気づいていた。
それでも緋ノ小隊の戦力を鑑みれば返り打ちにできると、鼻である藤林夜翠は考え、あえて敵の誘いに乗ったしだいだろう。
包丁やフライパンに小銃やお玉。正気とは思えない武器を構え、お玉で鍋を叩くうるさい音が鳴り響く。
中華料理店【雷飯天】、レビューサイトの評価は星3.1ながら、そいつらはもはや真っ当な料理人の面をしているとは言えない。
虚ろな目をした白いコックもどきたちが、肉壁の蓋をし賑わう街道の光を遮った。やがて、路地裏に閉じ込めた雌鼠とデブ鼠の駆除を開始した────。
夜翠と大地、二人がなだれ込んで来たコックどもの相手をしている間にも、古林が路地裏の奥へと攫われていた対象の保護に向かう。
保護対象であるカモの女が、黒い長髪を暗く垂れ下げ、汚いゴミ箱の前で身を震わせて縮こまっている。
古林は躊躇わない。とにかく、小隊の仲間たちが後ろを気にせず戦いやすくなるように、夜翠の指示通りにカモの女の元へと急ぎ近づいた。
ぺたんと力なく尻をつき怖がる姿。そんな地に座るカモの女の震える肩に、今手を置き、古林ははっきりと声を出し呼び掛ける。
「大丈夫か、私たちは味方だ立てるか!」
「はぁ……ええっ、ええっ……べぇっ……」
動悸がある様子だが言葉は分かる状態だ、女は丁寧に問いかける古林に拙いながらも返事をした。
恐怖で全く動けなくなっているより、その方が助けやすい。一度でも立てれば、後はどうとでもできる。古林は肩に掛けていた手をそのままスライドし、震えながらも言われた通りに立ちあがろうとする女へと差し伸べた。
「よかったよかった! えらいぞ! ってナ!?」
古林の右手を両手で掴んだ女は、まるで沼へと引き込むように、差し伸べられたその優しさにぶらさがり強く力を込めた。
立ち上がろうとして転けてしまったのか。いや、違う。
陰鬱に隠された黒髪のカーテンが開ける。
下方、座る女の至近間近に引き込まれた古林は、そこにおぞましいものを見た。その者のする笑顔は、この世のものとは思えない。
「しぁー……!!」
痩せた頬、澱んだ目元のクマ、艶のない劣化した黒髪。二又に分かれた長い舌をだらんと出し、ぐるぐると焦点の定まらない常軌を逸した眼を見開く。
まるで何者かに寄生されている。いや、何もない空っぽの人間が何かに依存し成りきっている。
そんな人間の尊厳の壊されたような奇妙な冷たさが、古林の間近でタトゥーの刻まれた舌を出しおどけていた。
きつく掴み寄りかかった常軌を逸したカモの女を、古林はそのおぞましさから振り払おうとする。
しかしその時立ちあがろうとした女の汚れた長いスカートの内から這い出て来た蛇が、古林の首に素速く飛びつき巻きついた。
「ぅぐっ!?」
「綾女っ!? 【二式・爽槍】!!」
古林綾女の首を絞め、そのまま噛みつこうとした蛇のもたげた頭を、亜水骨から放射した鋭い水が撃ち抜いた。
背後の異常に気づき古林の元へと駆け寄った夜翠は、カモの女の広げたスカートの内から続々と這い出て飛びかかってきた蛇どもを、次々と水の刃で斬り裂いた。
「このっ!!」
「べろべろしぁーー!! べぇっ……べぇっ……ひぃぃっ!? へひっ、へひっ、ああぁ!! 痛いイィいハいッーーーー!!! んぎゃったふへっ!? やへへッ、たふへへ!!?」
蛇どもを排除した夜翠は水の刃をその怪しげな舌へと刺した。
舌を出し狂い敵意を向けていた女は、一転──舌足らずにも助けを懇願しだした。
まるでさっきとは表と裏。保護対象の舌を浅く刺してしまった夜翠は、亜水骨を向けながらも次の太刀を戸惑った。
口端から血を流し助けを乞う女のその姿は、正気かそれともまだ演じているのか。誰かの印により操られていたのか。小隊の鼻である夜翠の判断が曇りゆく。
敵は誰か、守るべきものは何か、内から欺かれ見失ったそのとき。忍びは本来の力を失う。
そんなことを知っているのは──。
巨体で狭路に立ち塞がり一人でコック服どもを押さえつけていた大地は、後ろで起こった騒ぎに目を向けた。
すると、店裏にあった複数の排気管から一気に何かが吹き出し始めた。
「はぁはぁ……っえ、なんだこれっ!?」
「ガス!? ダクトから!?」
モクモクと充満しだしたガスに、古林と夜翠は忍びの本能で口を塞いだ。
充満する毒の前には、どれだけ優れた忍びがいても個々の戦闘力は意味を成さない。
蛇がため息を吐くだけで鼠は簡単に眠りにつく。
涙を濡らし青く煙る視界。鈍りゆく聴覚。弛緩する身体。敵の数も味方の状況も霧中。全てが藍色に染まっていく。
ひとつ、ふたつ、地に力なく何かが倒れていく音が鳴る。
青く覆われる霧中に最後に残されたのは毒の回りが悪い、大きな鼠。
白いマスクの集団が、霧の中を行進する無機質で冷たい靴音が、集中を欠いた男の脳を揺らす。
(そう、この街はもう、毒が回りきっている──)
やがて大人しく片膝を着いた大きな鼠に、鉄でぶつ音が天に鳴る。
獲物を見つけた蛇は動かない。石のように固まったまま、静かな息を垂れ流す。
午前11時22分、雷飯天横の路地裏で、緋ノ小隊の三名は、意識を失った────。
肥えても最強忍者をお読みいただきありがとうございます。
この小説を楽しめたって方は、是非ともブックマーク登録と評価感想をお願いします。やる気が……出ます!




