第三十三話 玉肌の刹那
整然と並ぶ高層ラックが揺れ動く。梱包され保管されていた物資が、次々と地へと落ちていく。C-7号倉庫は、瞬く間に二人の影が交錯する高速の戦場と化した。
鉄の棚を蹴り宙を舞い続ける二人の忍び。銀光を放つナイフと、青気を纏う雷爪が互いを研ぎ合せている。数えきれないほどの火花が散り、騒がしい金属音が庫内に反響する。
何合も刃と爪を重ね打ち合ったその高速戦闘を制したのは、スピードを僅かに上回った雷獣の気迫であった。
「おせぇッ!!」
雷牙の豪腕が、ナイフを構えた刹那の正中を捉える。上から被せるように勢いを乗せた雷爪は、そのまま防御に差し込まれた刃ごと、彼女を宙から上から床へと叩き落とした。
痺れる一撃ではたき落とされた刹那は、空中で上手く身を翻し姿勢を整えると、猫のようなしなやかさで着地した。
「その程度のスピード、いつでも抜かせる」
「あぁ? 負け惜しみかよ。近頃はソレが流行ってんのか? 俺と当たる奴はどいつもこいつもよォ」
雷牙は敵の言動に不敵に笑いながらも、心の中で舌を打った。
(負け惜しみじゃなけりゃスピードは勝ってる。でもなんだコイツ、なんだこの違和感は……? 冥力は感じる、ということは冥力じゃない。まるで石を相手にしているような……殴りがいがねぇ感じは)
鋭い目つきでじろじろと訝しむ雷牙を、刹那はその宝石のように冷たく精巧な瞳で見据えた。
「お前のような戦いに囚われた俗物には分からない。過ぎたる力が、時に己の身を滅ぼすということを。力に忠実たるそれが、どんなに愚かで無知であったのかを」
「んだと……?」
刹那はそう言い捨てると、不思議なことに構えを解いた。
そのまま、スッと目を閉じる。
戦場の只中で見せたその無防備な敵の姿を、雷牙は最大の挑発と受け取った。
「啓発した気で、ナメてんじゃねぇぞ!!」
雷牙が高所から地の獲物を目掛けて飛び降りた。雷光を発しながら、止まった首を掻っ攫うつもりで強襲した。
だが、今ひらりと襲う爪を避けられ、天からの強襲は失敗に終わった。
雷牙は攻撃を一度躱されたぐらいで、物怖じはしない。そのままシームレスに攻め手を休めず、怒涛の攻撃を仕掛けた。
だが、奇妙なことは彼の目の前に連続し起こった。女忍者はなんと目を閉じたまま、迫り来る雷牙の爪先を躱し続けたのだ。
何故、目を閉じることで彼女は躱し続けることができるのか。何故、彼女のスピードに追いつけないのか。無知な雷牙には分からない、ただ歯を食いしばり攻め続けた。
静かに目を閉じた者、血眼で襲い続ける者。そこには瞼の薄皮一枚だけではない隔絶たる差があることに彼はまだ気づかない。
吠え続ける無知な獣は、もはや彼女には触れることすら叶わない。
その時、再び閉じられていた刹那の目が開いた。冥力の迸る爪を躱し、ガラ空きの背中を彼女は強く蹴り抜いた。
床を激しく転び滑った雷牙は、なんとか受け身を取り体勢を整えた。そして今、睨み振り返ったそこにいたのは──。
「その程度、この身を壊す価値もない。……触れさせない! お前などっ!」
ただならぬ闘気と覚悟に満ちた一人の美しき忍びの姿だった。
誰かに捧げる信念のある者と、信念のない独りよがりの戦闘狂。刹那はもう、その金毛の獣に指一本たりとも触れさせない。
この黒髪に飾った、彼女の心中に鳴り止まない一つの〝鈴の音〟に誓って────。
どれだけ速度を上げても、どれだけ死角を突いても、雷電を帯びた爪先は虚空を焦がし裂くのみ。
目を閉じたまま、木の葉のように揺らめき回避し続ける刹那。雷牙はその違和感の正体を、自身の鋭い感覚で引きずり出した。
(なんで速くなった……? いや、違う。上がったのはスピードじゃねぇ。──そういうことかよっ!)
雷牙はもう一度前へと仕掛けた。だがその途中、全身を巡る冥力の奔流をピタリと止めた。
「!」
刹那の眉が僅かに動く。彼女の心中に鳴り響いていた微かな鈴の音が、途端に聞こえなくなったのだ。
【無怨の鈴】:
かつての高名な僧怨敬が、怪異や災害に苦しむ人々の事を想い作り上げた、身の回りの不幸不吉を知らせる鈴。
刹那はこれを敵の放つ冥力を察知し、己の心中にその鈴の音を鳴らし伝える忍具として昇華し利用している。
だが、冥力を完全に絶たれた攻撃に対しては、この鈴はただの静かな鉄屑に過ぎない。対忍び用の忍具とも言える。
好機。雷牙は無音の踏み込みで一気に刹那へと肉薄した。だが──。
「無駄だ。何をやろうが、お前のやることなど見切っている!」
冥力による防御を捨てた雷牙の繰り出した不遜な足裏を、刹那は鏡合わせの蹴りを放ち、パワーで勝り弾き飛ばした。
「ぅがっ……!」
当然の帰結だった。鈴対策で冥力を絶てば、忍びの身体能力は落ちる。変化した蕾花よりスピードと力のある雷牙であれ、冥力を纏う刹那の重い一撃を易々と受け止めることはできないのだ。
床を背で滑り、獣の身のこなしですぐさま上手く立ち上がる雷牙。今度は逆に、周囲の空気が震えるほどに冥力を跳ね上げた。
(冥力を上げても同じことだ。ダイヤ様に授かったこの鈴の音が聞こえる限り、私は──!)
刹那は柔らかな構えとその余裕を崩さず、またおもむろに目を閉じ、正面から突っ込んでくる金毛の獣を迎え撃とうとする。
愚直な力押し、見え透いた愚策。獣の考えることなど刹那には読めていた。
だが、攻撃を素早く察知し回避のために今身を捩った刹那の耳元で、鈴の音が狂ったように乱反射した。
前へと駆けて押し寄せた冥力の塊。それは突如枝分かれした。
温めていた雷牙の懐から突如飛び出したのは、かつて戦った同じ雷遁使いから奪い取った二つの小回りの利く忍具であった。
雷牙本人の冥力と寸分違わぬものが、ひとつ、ふたつ、みっつ。刹那の心中に反響する鈴の音が触り示すのは、三つ首の獣の猛攻。その巣の中に閉じ込められたような感覚が闇の中の刹那を混沌と支配した。
激しく回転しながら特殊な電磁場を放つ二つの独楽手裏剣が、思わず目を見開いた刹那を襲う。
「……ッ!?」
ひとつ、ふたつブレードを広げ高速回転し喰らいつく独楽遊びを避けた末に、真横から現れた三つ目の冥力反応。幾多の情報が重なり錯綜する視界の中で悟るにも、既に遅し。稲妻の如き右足のソバットが、刹那の脇腹にめり込んだ。
「雷遁──【電磁独楽手裏剣】。こっからは……俺様が〝三人〟になればいい。そういうことだろ、すけべ野郎?」
クロスした手に、賢く帰って来た独楽を受け取り、漲る青い電力をまたチャージする。
狡猾な金毛の獣の攻めは、ただでは終わらない。完全回避の【無怨の鈴】をジャミングする、新たな忍具と雷遁を用いた攻略法を編み出した。
地を這い、空を跳ね、二つの独楽がまるで獣のような動きで倉庫内を猛り駆け回る。
勢いに乗った雷牙がさらに加えて仕掛けたのは、冥力のオンとオフの切り替えをタイミング良く用いた波状攻撃。二つの独楽と己の身を並列し駆使したその狡猾な戦術は、鉄壁の読みを誇った刹那の【無怨の鈴】を思考を乱す毒へと変えさせた。
(コイツ……さっきから独楽と自分の冥力を絶ったり、点けたり……小癪な真似を……ッ!)
こうなったからには鈴から彼女の心中に流れ込む情報は、もはや不協和音の嵐。電光のように明滅する敵の冥力の嘘偽りの反応に惑わされ、機能しないどころか、まさしく思考を染め上げる毒と化している。
舌打ちをした刹那は苦渋の決断と共に、ダイヤから授かった鈴との精神リンクを断絶した。
だが、その一瞬──敵が拘りとプライドを捨て、感覚のレーダーを切り替えたその隙を、虎視眈々と睨んでいた雷牙は見逃さない。
「へっ、カンニングしてみろッ!! 女ァ!!」
「──ッ、三下に、そうそう思い通りにさせるかッ!!」
雷牙が独楽の挟撃と共に肉薄する。鋭い回転蹴りソバットが、再度、先ほどのように刹那の脇腹を捉えるかに見えた。
刹那がそれを紙一重で後ろに跳躍しかわそうとした、そのタイミング──。
「いないいない……【矢摩嵐】!!」
その破壊力のある回転蹴りはフェイント。雷牙は回転する勢いの途中、その片足を地に突き刺し、しっかりと踏ん張った。そして反転した冥力を凝縮した背を、読み通りに動いたターゲットへと向けた。
宙に浮かぶ刹那の視界が青い火花で埋め尽くされる。背から唐突に放たれたのは、ヤマアラシの棘の如き無数の雷の針。回避不能の青い雷電の対空砲火が、斉射され彼女の全身を盛大に貫いた。
凄まじい青の雷光が空を唸らせ支配した。
直撃した背に潜めていた全力の雷、そしてついに捉えて撃ち落とした黒髪の女忍者に、雷牙は勝利を確信した。
だが、雷牙は敵の落ちゆく様を見つめながら、その眉をひそめた。
刺々しく空を裂いた放電現象が収まり、青い雷光が塗り替えられるように、見た事のない妖しげな緑の気に染まっていく。
「傷つけない……誰にも許さない! この体は……ダイヤ様のものっ!! こんな所で砕けないッ!!!」
雷は鳴り止んだ──。静寂の中、ふわりと宙を落ちていく緑の光。やがてそれは地へと、ゆっくりと今足を着けた。
まだ眩く発光を続ける光の下から露わになったその素顔は、人のそれではない。
翠の宝石を敷き詰めたたような硬質で滑らかな、美しき化身の肌。
「へっ……宇宙人なんて、認めねェぞ……!」
それは美しくも決して穏やかな光ではない。青い雷を喰らい増幅した怒りに満ちた緑光が、全てを拒絶している。
玉肌の刹那が、その儚くも硬い、輝ける本性を曝け出した。
宙を伝う雷の咆哮も襲いかかる雷獣の爪も、女忍者のシルエットに沿うその厚い光のベールを穿てない。
「壊すことしか能のないお前とは違う」
緑光を纏った刹那の突きが、爪を立てて天からのしかかる雷牙を返り打ちにする。
手痛いカウンターを貰いたまらず吹き飛ぶ雷牙。背後の高層ラックが積荷と共にドミノ倒しのように崩れ、轟音が静寂を切り裂いた。
刹那は冷静に、光り輝く【玉肌】を維持したまま、先ほどのごたごたに紛れ闇に消えた獣の気配を探る。
「今度は隠れて奇襲か? あるいは私の冥力が切れるのを待っているのか。すべて無駄なことだ。何を仕掛けてこようと、私は揺るがない。お前のような戦いを遊びの道具にする俗物に……私は砕けないッ!!」
刹那は闇に向かい敵への挑発と己の覚悟を発する。例えどこからあの雷獣が出てこようと何を仕掛けて来ようとも、ソレを全てを受け切り、次で確実に仕留める。刹那は油断しない、もうこの身に何も通さないと──誓った。
だが、今再び闇の中をのそりのそり歩き現れた、彼女の正面に見える金色の影は、予想だにしないものを手にしていた。
「正面から来るとはあきらめ……っ、ぁッ!? きっ、貴様!? なにを……何をしているッ!!?」
暗がりに、小さな火が灯っては虚空に捨てられ消えていく。
傷だらけの金髪の男がニヤニヤと下卑た笑みを浮かべている。そして手に持っていた一冊の薄い冊子をその場に止まり、ビリビリと一枚一枚破り出した。
「や、やめろ……それを、それをッ!!」
それは刹那の秘宝。お忍びダイヤモンド【ちったぁ忍びやがれ?】壱の巻、密かに収集していた彼女の敬愛するあのお方の限定本。
彼女の魂とも言える大事なものが、目の前で破かれ焼かれていく。人質にも等しいものであった。
「負けられねェよな。……〝カレシ〟の前でよ?」
燃え上がる紙束の炎を、青い掌で握りつぶしながら雷牙の雰囲気が一変する。
荒々しい野性の冥力が、今焚べられた一冊の供物により喚び覚まされる。
脆くも狼狽える刹那の絶叫が倉庫に響き渡る。それは無法者の彼、いや彼女にとってとても心地良いBGM。
荒ぶる長いその金髪を、溢れて止まない青い電流のシャワーの中なびかせる、可憐かつ最強の刺客。
「藤林蕾花……推参! 俺様から俺様へ、バトンタッチだ!! へっ!」
勝手ながら笑い飛ばし宣言する──選手交代と第二ラウンドの開始を。
藤林蕾花。冥力に長けたもう一人の忍びの姿が、最硬の体を持つ刹那の前に現れ、薄っぺらい宝を喰らい挑戦状を叩きつけた。




