第三十話 ぶっ潰す
夜にざわめく海鳴りが、一歩ごとに近くなる。
潮風に混じる錆と油の匂い。大地は先ほど一本橋で対峙した巨躯の男、白楼の言葉を反芻していた。
(白楼のおっさん……どうやらふざけてはいなかったな。一体、何者なんだ)
懐に忍ばせていた一枚の紙をおもむろに取り出す。折り畳まれたその紙を広げるとそこには、漆黒の文字でこう書き記されていた。
【────を、いつでも殺せる。選べ、死か救済か】
大地は再度目に焼き付けたそれを片手に握りしめ、奥歯をぐっと噛み、懐へとまた納めた。
「さて、行くか……」
独り、闇に霞み沈む港湾倉庫へ向かい足を踏み出そうとした、その時だった。
恰幅の良い一人の男の大きなその肩と背に、壱、弍、参────次々と力強い〝手〟が置かれていく。
「行くぜ」
「よいしょっと」
「おうっ!」
大地は己の背後に忍び寄ったつもりでいる気配へと、仕方なく立ち止まり振り返った。
「……何故ついてきやがった。お前ら……」
するとそこには──藤林雷牙、鶴橋綾子、そして西嶋虎彦までもが、当たり前のような顔をして明かりのない暗い草地に立っていた。
「喧嘩の独り占めは俺様が許さねェ。ははは、面白そうなこと隠してんじゃねーよ!」
雷牙が八重歯を覗かせて不敵に笑う。喧嘩のあるところに、この金髪の男あり。
「喧嘩のつもりじゃないが……はぁ、別件の仕事が舞い込んできた。あぁ安心しろ、お前がサボった対象の警護の代わりは、言いつけ通りに既に呼んである。私は私の仕事を完遂するだけだ。──ま、味方が筒抜けなのは少々心配だがな?」
後ろにきっちりと栗毛を縛り上げてある。鶴橋は赤い眼鏡を指先で上げ、ツルハシ型の得物を背に携えていた。戦闘準備は既に万全のようだ。
それに後ろの守護も目の前にいる誰かさんの要請通りに抜かりはない。鶴橋綾子は珍しくも、自ら最後に小さな冗談を添えて微笑った。
「〝何故〟じゃないわいっ! おどれ、俺の修行を無断でほっぽって、どこへ行くつもりじゃ桃乃木!」
大男の西嶋が鼻息荒く大地へと詰め寄ろうとする。この所、桃乃木大地が忍びの修行の約束を放棄して、連絡にも無視を決め込んでいたのを西嶋は忘れてはいない。
だが、大地は手のひらをそっと前に突き出し、近寄る西嶋のことを制止した。そして。
「……帰れって言ったら?」
一人と三人、その隔たりにまるでミエナイ線を引くかのように突っ立ち放った──大地のその神妙な問いと、真剣な眼差しに、やがて応じた三人の声が重なった。
「「「──ぶっ潰す」」」
問うや否や発されたのは短く、されど容赦のない宣戦布告。耳の内まで響くその気迫に、大地は小さく「はは」と乾いた笑い声を漏らした。
嗅ぎつけて来た理由は様々だ。だが、「潰す」その血の滾る覚悟の思いだけは、この場に立つ四人ともに共通していた。
気付けば、あの一本橋に仁王立ちで構えていた白楼のようなことをしていた。口角を僅かに上げた百地大地は、それ以上何も言わずに並び立つ彼らに背を向けた。
夜の野を、ひとつ、みっつ──四つの影が歩み進んでいく。
緑川市の港湾倉庫、そこに忍び待ち受ける未知の戦いの中へと、彼らは何も知らずに歩み出した。
暗がりの野をしばらく歩いた頃、大地が足を止めずに言った。
「西嶋、お前帰れ」
「にしてもお前ら忍びっちゅうんはいつ寝て、はぁ!? 今になって何を言うちょる!」
前方を進みつづける桃乃木大地の大きな背から、突然聞こえたその冷徹な一言に、西嶋は仰々しく驚き顔を歪めた。
「この喧嘩に意味はねぇ。根っこにあるのは過去の俺、個人の問題だ。お前の守るべき丹波もつこは関与していない。少しでもそのことを思うなら──」
「阿保ぬかすな桃乃木」
西嶋が、くどくどと語りつづけていた大地の言葉を遮った。
「さっきからしてるお前のその〝眼〟……それ見りゃただの一人遊びじゃないことぐらい分かるわ」
たとえ今、背を向けていても分かる。西嶋には、前を見据えて止まらない桃乃木大地のするその眼が物語っている、只事ではない覚悟が。
誰かの為に燻り燃やしている、その男の覚悟を見抜けない訳はない。西嶋虎彦とはそういう男なのである。
「それとも今の俺が、あの氷オカマに嬲られた時みたいに足手纏いに見えよるか? ナァ桃乃木……? お前はそんなぬるい稽古を俺につけよったんか?」
いきなり前へと走り躍り出た西嶋は、素速く振り返る。そして、その聳え立った己の巨体の真ん中に左の拳を『ドン』と打ちつけた。
それを見ていた三人が同じように足を止め、黙った。立ち塞がるように、かつ勇ましく立った西嶋のことを、じっくりと三者三様の眼の鋭さで、睨みながら──。
「んなっ!? 答えい!!」
なおも黙り睨む三人に、じっと立ち構えていた西嶋は思わずたじろいだ表情を見せた。
「ま、賑やかしには良いんじゃないか? ゴリメンゴリメン」
突っ立つ西嶋の右肩側を抜けていく雷牙が茶化すように言えば、
「ふむ。いざという時の壁くらいにはなりそうか? 御利益ってほどでもないが」
左手を抜けた鶴橋がそう淡々と、落ち着いた声色で呟いた。
「ゴリメンご利益ってか……はは。──死んでも文句言うなよ。守ってはやらねぇ」
西嶋の腹を『ぽん』と軽く打ったのは、左の拳。大地は、一瞬だけその大きな忍びに目を合わせた。そして、迷わず黒い両眼は前を向き先へと歩いていく。
「お、おうっ! あたぼぅじゃ!!」
大地の突き放すような信頼の言葉と、腹の真ん中を打った響きに、西嶋は力強く頷いた。
後ろ向きな考えを持った者は最初からこの場にはいなかった。四つの意思が全て、前だけを遠く見据える。
潮風に混ざりただよい始めた妖しげな匂い、無機質に並び立つ建造物のシルエット、謎の霧がさしかかり始めた根城の正体が、近く、近く、見えてきた。
互いに確かめ、触り、灯し合った闘志と冥力。男三人女一人の精鋭忍び衆が、夜に沈み構え待つ港湾倉庫の入り口へと、ついに侵入した──。
夜の港湾倉庫。四人がコンクリートのグレーの地に歩を進めるごとに、妖しげな霧は密度を増した。
そして視界を覆った濃霧の情報に紛れて、海から漂っていた潮の香りが、甘い〝香〟の匂いへと徐々に変貌していることを、大地は途中で察知した。
「……これは、ただの霧じゃないな。この匂い……風と香を用いた幻術か?」
しかし大地が足を止めて冷静にそう呟いた時には、もう──。隣と後ろを歩いていたはずの雷牙たち三人の気配が、どこかへと消失した。
幻覚か正体か、気づけば周囲に立ち並ぶ数多のコンテナ群が、まるで迷路を作るように配置されていた。
広範囲に渡る霧と香の幻術により、敵の根城へと侵入した四人の忍び衆は、巨大な鉄の迷路【コンテナラビリンス】へと分断され誘い込まれてしまった。
大地は、戦闘用にチューニングされた赤見高校の制服のポケットに入れていた砕けた宝石の欠片を、ひとつ、握りしめる──。
何かの確認が済んだのか。そしてまた、前へと向けて進んだ。
重々しく仰々しい鉄の迷路を抜け、道順に沿い構えていた倉庫の中を堂々と突き進む。
1-Bと書かれた倉庫の鉄扉を開けた先には、一人の男が果物を齧り待ち構えていた。
その灰色のモヒカン頭の男は、もたれて座っていた麻袋の山から立ち上がるや否や、口角を歪にも吊り上げた。
「ははははは! ようこそっっ俺の元に、よくぞおいでなすった!! 疼く、焦がれる、痺れるぜぇ!! ぁぁーどうしようか、どうしてくれようか……自分でも驚きだ、憎悪とはこれほど湧き上がるものなのかッ……こんなのッ……今すぐ惨たらしく殺したいほど運命的ってヤツだ!! ナァ、そうなんだろッッ、百鬼ィ……!!!」
Иs、狂狼のリカルドが姿を現した。彼は裂かれた左の頬の傷を、長い舌で下卑た音を立てて舐めとる。
抉るように齧られていた青いリンゴの果実を地に叩き捨て、周りに積まれていた麻袋を、指先から立てた鋭い爪で切り裂いた。
中に詰まっていたクコの実や豆類が、次々と血のように地へと流れ落ちた。
B-1燻蒸庫内、見開きすぎた青い狂気の眼光で、睨みつけたそのゲストを歓迎する。
興奮を超えた謎の殺意を募らせ、あげく滾らせ始めたИsの構成員リカルドに対して、大地は密かにその下げていた拳を握りしめた。
▼
▽
「天狗面……奴は危険。あの風、あの冥力、任務でも見たことのないまるで得体の知れない奴っ……。どうすれば消せる……このままあの男の計略通りに衝突した際、ダイヤ様にもしものことが……いや、ダイヤ様にかぎって負けるはずはない! ……でも、もしもの……ッ!」
暗がりで爪を幾度も噛み、もじもじと体をくねらせ、独り言を繰り返す刹那。そこに突如、急ぎ駆ける足音が近づいた。
耳に敏感にキャッチした刹那は、胸の鼓動を揺さぶるその足音の名を知っている。
「ダイヤ様っ!!(やはりあなた様は、私の壊れるウンメ──)」
刹那が顔を輝かせて振り返る。だが、そこにいたのは──
「あーん? なんだてめぇ。いきなり他人の男にメロついてぇ? ──はっ、気色悪ぃな?」
「イを……なっ……!? 貴様……誰だ!!!」
甘い幻想と焦がれた妄想の魔法が、今、彼女の振り向き睨んだ視界に溶ける。
高層ラックの立ち並ぶ整然としたC-7号倉庫内。そこに現れた見知らぬ金髪の男が一人、醜い顔をし嗤い、ふざけた妄言を吐き切った。
ときめく鼓動が一瞬止まり、耳たぶを赤らめ、怒りのランプがぷつりと点った。刹那の絶叫が、鉄の壁に反響した。
「ご挨拶にはご挨拶……俺の名は、藤林雷牙。今から彼氏に代わってお前をぶっ潰す、進化しつづける超生物だぁぁ!!!」
目にも止まらぬ速さで肉薄し、殺意を込めて切りつけたナイフ。
そんな心地よく鋭いご挨拶に、金髪の男は慣れたように雷を唸らせ返事をする。
手から指から鋭く立てた雷爪が、前のめりに迫った華奢な女の身ごと、ナイフを弾き返した。
彼の名は藤林雷牙。深更、雷鳴と名乗りを上げる今日の彼はいつもより一味違う。
自信堂々と冥力を宿した両手の雷爪を立て、激情のまま切り掛かって来た女忍者のことを、不敵に睨み挑発した。




