第二十四話 トリビュート
日曜日の昼下がり。この日、休日を返上し、誰もいない学校の生徒会室へとわざわざこうして三人が集まったのには理由がある。
彼らの就いている長期任務、その警護対象に新たな動きが見受けられたからだ。
実質的にこの場の忍びたちを取りまとめている鶴橋綾子。彼女の頭を悩ませるそんな一本の動画が、今朝方、全世界へと公開されていた。
「一大事だ……警護対象の町原由璃が〝街原由璃〟の名義で、トリビュートバンドの活動をすることになった……! またもやってくれたようだ……」
鶴橋が机上のノートパソコンを半回転させ、居合わせた二人の男忍者たちに、問題の映像を垂れ流し見せた。
「トリビュート……なんだそりゃ? はっ、再生数もしょぼいじゃねぇか。何が一大事だよ」
苦悩の表情を浮かべる鶴橋に対して、藤林雷牙はそれを一蹴するように軽口を叩いた。
「トリビュート。つまり元となるそのバンドを敬愛や尊敬する意味が含まれる。コピーバンドのようなものだが、公式の後ろ盾がある分それとは一線を画す代物だな」
口を挟んだ大地の説明に、鶴橋は少し驚きつつも頷いた。
「あぁ、そうだ桃乃木? 知っているなら説明の手間が省けたが……」
「おい、でぶっちょ。お前、やけに詳しいな? べらべらウィキペディアみたいに説明しやがって。芸術的なのはその三段腹だけと思っていたぜ? はは」
雷牙がニヤニヤと笑い大地を揶揄う。
そんな安い揶揄いなど気に留めず、大地はノートパソコンに流れる映像を見る。そこには町原由璃の横顔が、暗い演出の中であるが確かに映っている。
カバーする曲はアレンジされているが、大地も知るそのバンドのデビュー曲であった。そして何よりも、その配信元のチャンネルから流れているのは町原由璃の歌声そのものであった。
「【クローズハーツ】は俺もよく聴いていたからな。元はもう解散したが、ちょうど15周年ってことで、公式としてこういった新たな動きを見せたんだろう」
「へぇー。じゃ、公式がやる堂々たるパクリってことか」
雷牙はまだ揶揄い足りないのか、丁寧な説明を聞いてもなお、へらへらとした軽口を続けた。
「トリビュートだ。もっとも解散したバンドのファンたちにとっては、そう思うも自由──賛否両論だろうがな。だが、喜ぶ奴も中にはいる」
「へっ、レコード会社の都合でおしゃれな言い回ししやがって。やってることは墓荒らしと似たようなもんだろそんなの、ははは」
雷牙は確信をついた気で笑った。金髪男は揶揄う口調の調子も上がってきたようだ。
確かにトリビュートバンド、その曖昧な存在を手放しで褒める人は少ないのかもしれない。分家より本家本元が絶対なのは、ある意味忍びの世界にも通ずることだ。
大地は何故かそう、全然似ていない二つの立場のことを、少し重ね合わせてしまっていた。
デビューと言ってもトリビュートバンド。本家には及ばない。これはただ単なるステップアップではなく、むしろ墓地の中へと、歌手を目指す彼女は迷い込んだのかもしれない。
「さっそく厄介なファンがここにも一人いたようだ。丁度こんな感じに賛否両論になる。これはこれで貴重なご意見だ。あとで笑い飛ばしてやらねぇとな」
大地は淡々と皮肉を返す。クールに鼻で笑い、うっすらとした笑みを浮かべながら。
「あーん? てめぇ、また対象の肩持ってんのか? まさかてめ──」
「おいおいっ、さっそく無駄な口論をしてどうするっ」
徐々にトーンアップし始まった二人の忍びの皮肉合戦。口論を繰り広げる二人の間に、思わず鶴橋が割って入り仲裁するも──。
「「口論じゃないが、ぜんぜん」」
「嘘つけっ……! はぁ、とんでもないな……」
席を立ち上がり睨み合っていた金髪と太っちょは、同時に振り向き『口論じゃない』と言い張る。
仲が良いのか悪いのか。口を揃えて返ってきたふざけたその返答に、鶴橋はツッコんだ。
トリビュートバンド名:【クローズハーツ-blue】。街原由璃のデビュー曲はカバー曲。画面の中に流れる彼女の歌声は、とても青く澄んでいた。
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大地が用事があると言い残して去った後の生徒会室は、賑やかさが失せて少し静まり返っていた。
雷牙は欠伸をしながら窓枠に寄りかかる。そしてだるそうに、残った雑務をこなす鶴橋へと問いかけた。
「アイツ、なんであそこまで対象に肩入れしてんだ? バレてねぇとでも思ってんのかね、あのザルなすけべ野郎。ゴリメンともつこにでも感化されたか?」
その皮肉混じりの言葉に、鶴橋はキーボードを打つ手を一瞬止め、眼鏡の奥の瞳を僅かに細めた。
「うーんと……。おそらくそれは、桃乃木大地──百地大地の出自に多少関係があると……私は勝手ながら見ているが……」
「出自だと? あの〝センニンカワズ〟とかいう、アイツが宣伝まがいに口にしてた胡散臭ぇ親のことか?」
「いや。忍びの家系である父親、その千任蛙の異名を持つ忍者のことではなく」
「……なく?」
雷牙が目を細めた。前のめりに鶴橋のことを訝しみ見る。
「……百地大地の母親は、〝はぐれ者〟だ」
鶴橋は一瞬、口に出すのを躊躇ったようだが、静かにされど明確に告げた。
「はぐれ……。はぁ!? ──ってことは、あいつ……。その〝あいのこ〟ってことか?」
雷牙は唸るように『はぁ!?』と声を出し驚いた。そして鶴橋へともう一度確認するように、今、自分の頭の中で結びつけた事実が本当かを問うた。
「推察するに養子でなければ……ということになるな。はぐれ者、つまり冥力を多く持つ元一般人。忍びの世界とは無縁の者だったらしい……と」
純血ではない。はぐれ者の一般人と百地家の忍びとの間に生まれた存在。それは血筋が絶対の忍界において、ありふれてはいない珍しいことだった。
当然そんな情報を知りようがなかった雷牙は顔を顰め、怒鳴った。
「チッ……! なんでそれを今まで黙ってやがった」
「それは……事情がややこしくなると思ってな」
雷牙は舌打ちを響かせ、乱暴に髪を幾度かかき上げた。
鶴橋はいきなり大声を上げた金髪の彼に驚きつつも、冷静にそう答える。個人に深く関わる余計な情報を提示するのはお互いの任務に支障が出ると、今までそこのことを腹の中に飲み黙っていたのだ。
「先に言いやがれ、バカ野郎! これじゃあ俺様が、ただイヤな奴みたいじゃねぇか……。はぁーやってられねぇ」
雷牙はまた大声を吐きながらも、自省するような言葉を言い出していた。
「え……お前、まさか……自分が嫌な奴だという実感がなかったのか?」
「はぁ!? クソおつるがっ!」
鶴橋の発した静かな皮肉の一言も、今は彼の持つ謎の怒りに火をつけるだけだった。
顔をまたいっそうに顰める。機嫌を最悪まで損ねた雷牙は、そう汚い台詞を吐き捨て、進路にあった机を蹴飛ばしながら部屋を去っていった。
「くっ、クソおつる……!? 何故、私が怒鳴られねばならんのか……?? はぁ……」
不名誉なあだ名を頂いてしまった。呆気に取られた鶴橋は、廊下を遠のくいつまでも不機嫌な足音に耳を立てていた。
場違いで能天気にも思える昼の陽気が、窓際から射す。残された鶴橋は、ただ一人深い溜息を吐いた。
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「──では、最後はやはりこの曲……お待たせしましたっ、楽しんで聴いてください。〝ラックラック〟」
午後八時五分、黄羅市、地下型ライブハウスにて──。低い天井にこもる熱気と、わずかな拍手の残響が暗い小箱の中を包んだ。
トリビュートバンド【クローズハーツ-blue】としての街原由璃のファーストライブは、立ち見の観客もまばらな、こじんまりとしたものだった。
それは決して、街原由璃としてのきらびやかで華々しい初舞台とは行かなかったが、不思議と彼女は今という時が充実感に満ちていた。
トリビュートバンドといえど、好きだったバンドの音楽をこうして自分の歌声を通して、世にまた届ける機会をもらえた。
あの時、あの赤いトンネルでただギターを練習し一人かき鳴らしているだけでは、今の自分はきっとない。
前を向いて積極的に活動を始めたからこそ、歌手として、小さな契約だがレコード会社からしてもらうことができた。
たとえどんな形であれ、小さなステージでも、仕事として歌い手の道を進んでいる。
「────はぁっ……今日は遅い中お集まりいただきっ、ありがとうございました! これからも歌っていきますっ、クローズハーツ-blueをよろしくお願いしますっ!」
ギター一本で演奏する精一杯の歌声を響かせた小さなステージが、爽やかで初々しい感謝の言葉と共に終わった。
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ライブ後。機材が散らかる薄暗い廊下を歩く町原の前に、一人のスーツ姿の男が現れた。
「いやぁ、素晴らしい。思い出が蘇るだけでなく、ただのトリビュートとは思えないほど、身に沁みる澄んだ歌声の持ち主だ。……ぜひ、このCDにサインを一つ願えないだろうか」
遭遇した男は恭しく、一枚のCDを差し出した。
「あ、はい! 喜んで!」
初めてのファンからのリクエスト。町原が弾んだ声でそれに応え、男の手からCDを受け取ろうとした。その時だった──。
隣のスタッフルームの扉が勢いよく開き、中から大きな拳が飛び出した。
躊躇なく向かった拳は、真っ直ぐに振り抜かれる。やがて男が咄嗟に防御し向けたCDケースを易々と粉砕し、そのまま男の胸中へと叩き込まれた。
「がはっ……!?」
男の体は吹き飛び、コンクリートの壁に叩きつけられた。割れたプラスチックの破片がキラキラと廊下に舞う。
「ふぇっ!?」
あまりの出来事に町原が驚き、声を失った。そして飛び散る破片の中、彼女の前を塞ぐように現れたのは、警護役として同行していた、同じ赤見高校の桃乃木大地の大きなその姿であった。
彼は鋭い眼光で、壁際にもたれる男を油断せず睨み据えている。
「誰だお前。その誰にでも言えるような薄っぺらい感想……。少なくとも、クローズハーツの古参ファンじゃねぇな?」
すると吹き飛ばされた男は、不気味に肩を揺らして笑い始めた。
「……ふははは。いやいや、失敬。変装は得意のつもりだったが、思わぬ角度からバレてしまったかな」
男がゆっくりと不気味に笑うその顔を上げる。そして、後ろにきっちりと結び縛っていた黒い髪をおもむろに解いた。
「しかしこれは、思いがけない良いサインをもらえたようだ……。ふふふ。そうそう、私はね……強いて言うなれば……」
黒いスーツの袖口から何かが滑り出て、右手に握る。男が喋りながら静かに握ったのは一本の黒い短刀。光さえ吸収するその鋭い漆黒の切先が、横から現れては聳え立つ恰幅の良い男のことを、ゆっくりと指した。
「君のファンなんだ──百鬼ぃ!!」
整えていた黒髪が結びを解かれ、高まる冥力の鼓動と共に乱雑に広がる。変装を解き正体を現したのは、名も知らぬ忍びの者。
歪んだ笑みで舌を出し、黒いナイフを片手に突きつける。狂ったファンが、百地大地の中に潜む百鬼の大也のことを指名した。




