第二十三話 オリジナル
海の公園、小さな赤レンガのトンネルで。いつものように町原由璃は夜にギターをかき鳴らす。
しかし、誰もいない彼女だけの練習スタジオには、トンネルに吹き抜ける浜風の方から、また彼の姿が見えて来た。
彼の名は大也。彼女が夜にギターを鳴らすと、彼は忽然と現れたり現れなかったりする。
幻にも等しい存在のようにも思えたが、こうしてこの赤いトンネルで、町原が彼と幾度か話をしていると彼には妙に人間くさい部分も見え隠れしていた。
彼女は近頃、歌手を目指してアクティブに活動を始めた。それは遊園地のこどもショーでの歌のお姉さんなどという一風変わったことであれど、彼女の中では遠回りながらも、一歩前へと、漠然たるその目標にたいして進み始めていたこともまた事実。
しかし歌手としてやっていくには、こどもショーで舞台の上での度胸をつけ、井の中で注目を集めるだけでなく、やはりなにか彼女町原由璃自身のためのオリジナルの歌が必要だった。
当然、他人の歌を練習や披露するだけでは駄目なことは彼女自身も分かっている。
彼女の練習模様を傍聴していた大也に、そのことをなんの気無しに軽く問われた町原は、
「それは……あるけど」
演奏を止めていたギターを一瞬困りながらも再度構えたが、何を思い立ったのか、町原はポケットに入れていたスマートフォンをいじり始めた。
そしてそばにいる彼へと、イヤホンごとそれを手渡した。
どうやら、生の演奏よりも既に録音したデモテープを彼に聞いてほしいようだ。
少し困り恥じらった彼女の行動を察した大也は、軽く微笑しながらそれらを受け取り、自分の耳におもむろにオレンジのイヤホンをつけた。
赤いトンネルの中で、彼の両耳にだけメロディーは流れる。それは録音状況が完璧とは言えないクリアな音声ではないが、彼女のあの透き通る青い歌声はとてもよく伝わってきた。
スマートフォンに録音されたデモテープの尺は、三分十五秒。
ギターを無意味に手入れしながら、町原は彼が聴き終わるまで、落ち着いていられない様子で黙り待っていた。
そして、大也がオレンジのイヤホンを静かに耳元から外していく。
「どうかな?」なんてありふれた一言も、彼女は挟むことを憚られた。
「一つ聞きたいんだが……これはなんで冬の曲なんだ?」
緊張の作る静寂の中、彼が最初に放った一言は少し意外なものだった。だが、確かに今は春、彼があの曲を聴いてそう思うのも無理はないと、町原は悟った。
「えっと、作ったのが中学一年の冬だったから。それで……」
自身が中学生の頃に作った曲。それが彼女の答えだった。
大也は納得したものの、同時に少し俯き加減で顎に手をやり、やがてまた口を開いた。
「ふぅーん。なんというかアレだな……。ちょっとばかし、今の時期にはコイツは暗いな」
「くっ、くらい……?」
今度はもう少し踏み込んだ、辛辣な意見にも取れる言葉が彼の口から発された。
それを聞いた町原は、衝撃を受けたのか。ギターをさげたまま動揺の表情を浮かべた。
『ほらやっぱりぃ! オリジナルなんてまだないって見栄張らず言えばよかったのに……私何やって──』町原はそんな後悔の念に駆られながらも、ほろ苦い表情でたどたどしく彼へと返答した。
「そ、そうだよね。やっぱり暗く聞こえちゃうよね! あ、あのぉー、これ聞いていいか分からないんだけど…………他の曲とか作った方がいいかな? そのっ! 季節に合った?」
明らかに口調がてんぱっていた。そして、よく分からないことまでをずけずけと、町原は何故か彼に聞いてしまっていた。
『やってしまった……』そんな引き攣った表情を浮かべる町原に、大也はつられたように黒髪をかきながら困った様子で答えた。
「いや、俺が言いたいのは……他の曲っつぅか。ちょっと貸して」
大也はそう言うと、対面の壁際から彼女に歩き近づき、さげていた彼女をギターを受け取る。
すると彼は、ギターの弦に指を当てそれを奏で始めた。
「────こんな感じだったか。とまぁ……まだできることもあるんじゃねぇか? この曲にも。イチから作るより、俺はそっちの方が近道と見たぜ」
口ずさむ歌詞はない、コードもところどころ違う。でも彼の奏でたギターの音色はデモテープのものと違い、町原由璃にはとても明るい調べに聞こえた。
冬の悲しく重厚なあの歌が、雪が溶けたようにとても明るくポップな印象を持っていた。
あの時彼が放った言葉はただの辛辣なものではなく、等身大。そして独りよがりじゃない、一曲に対するもっと柔軟でプロフェッショナルなものを求めていただけだったのかもしれない。
赤いトンネルに吹く向かい風の中、黒髪の王子がいつものように、宵闇に向かいまた歩き出した。
静かにギターを返し、去りゆく黒髪の彼の姿に、町原はそう感じていた。
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青薔薇遊園地での一件から数日が経ち、赤見高校に潜入する忍びたちにもまた元通りの平穏が訪れた──そんなある日。
すっかり彼らのたむろ場になった学校の屋上。太陽光に焼かれたコンクリートの上には、大きな水たまりができていた。それは昨日降った雨ではなく、一人の男が理不尽な鍛錬の中流した汗粒によるものであった。
「ゼェハァ……これが本当に……忍びのトレーニングメニューっちゅうのか……っ!」
敷いたタオルの上に両拳を着けて、震える腕で腕立て伏せをする西嶋虎彦が、歯を食いしばって気合いを絞り出す。
「ってか、なんで……俺の背中に乗ってんじゃ……お前っ!」
さっきから背中がやけに重いのは気のせいではない。ふざけた監督役の女に向けて西嶋は吠えた。
「あーん? 美少女に乗られてるんだ、世界一ご褒美だろうが。不満言ってんじゃねぇぞ、ちゃっちゃとやりやがれ。あとお前汗かきすぎ、罰として腕立て千回追加ナ」
西嶋の広い背中の上で、謎の古書を広げて胡坐をかいているのは、金髪の自称美少女、藤林蕾華だった。彼女はページをめくりながら心底だるそうに言葉を続ける。理不尽な懲罰をしれっと追加しながら──。
「まったく、俺は暇じゃねぇんだぞ。相手がイケメンならまだしも、なんでこんな〝ゴリメン〟の面倒を見なきゃいけねぇんだ。……あーあ、たるい」
「ナメくさりよって誰がゴリっ……ぅびびびばばぁ!?」
監督役への口答えの代償は、背中から脳天を突き抜けるような青い電撃。けったいな金髪の乗客から、下に居る大男へと流された。
さらに、西嶋の追い詰められた状況に拍車をかけるのが、その腹の下に真っ直ぐに立てられた一点の輝きだ。家庭科の授業で使うような鋭い針が、一本だけ、ぎらりと上を向いてコンクリートに立てられている。
少しでも腕の力を抜けば、西嶋の腹は即串刺しになる算段だ。
そんな恐怖と向かい合わせの腕立て伏せを西嶋虎彦は、重しを背負い、電撃の懲罰をくらい続けなければならなかったのだ。
「にしても、敵の忍びがまたさっぱり出てこなくなっちまったナァー。はぁー、つまんねぇの。また遊園地の時みてぇに、骨のある敵は出て来ねぇものかねぇ」
「お前ふざけたことを言っぅびびびばびびぶ──!?」
「うるせぇ。勉強中だぞ、黙って死んでろ」
無慈悲な追撃の雷撃が、不平を封じ西嶋の身を痙攣させる。
藤林蕾華は絶賛、そのじめった椅子の上で本を片手に勉強中である。
「この俺様に今度はナゾナゾたぁ……──気にくわねぇな。へっ」
そして今、おもむろに取り出した一本の針を見つめ、なにやら難しい顔を浮かべていた。
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「おい、いつまでこんなことさせよる! まさか騙してないだろうな桃乃木? 罰ゲームみたいなメニューをいくらこなしても、冥力なんてものちっとも湧いてくる気がしちょらんぞ?」
西嶋虎彦はついに痺れを切らして、放課後、学校の屋上に呼び出した桃乃木大地を直接問い詰めた。ここ数日間、あの殺気まみれの忍びのトレーニングメニューと称されるものをいくらこなしても、冥力という特別な力が湧いた実感が西嶋にはないのだ。
「と言っても、俺は俺のやってきたことしか教えられねぇしな。それで無理なら仕方がない」
西嶋の勢いと熱量に対して、大地はそうなんとも淡々と答えていく。
「アレを……やってきた??」
西嶋は驚きに顔を歪めた。あの殺気に満ちたメニューを本当にこの同級生がこなしていたとでも言うのか、彼は内心疑っていたのだ。
「それは千任蛙の作ったメニューだ。……俺は無駄な嘘をつかない。嘘だと思うのならそれは、──合わなかったっつぅことだろうな」
「せんにんかわず? ぬぬぬ何も嘘とは言っちょらんが……」
西嶋は顎をさすり、困ったように大地を窺った。
「まぁ、そんなに焦るなよ。自分の身を守る程度なら、これを続ければいずれ十分だと思うぜ」
「おい……いつ『自分の身を守りたい』だなんて、俺が言った桃乃木?」
西嶋の口調が突如として真剣なものに変わった。片手に焼きそばパンを貪っていた大地は、その手を止め、目の前に据えられた男の面を見返した。
「違うのか? この前は痛かったろ?」
大地はそう言う。まるで淡々と、睨むその男の面を茶化すように。
「何をぬかしよる!! 俺はいついかなる時も、もつこさんを守れる強い男でありたいのよ! それだというのに……加減してヌルいメニューを渡したと知れば、俺はお前を許さんぞ桃乃木!!」
「……ヌルい? ははは。面白いことを言うな、素人が」
大地の親、千任蛙のメニューをヌルいと評した。息巻く西嶋虎彦、その忍びの血統でない素人の一般人のことを、大地は笑わずにはいられなかった。
「笑っとる場合か! っぅ……素人でも何とでも好きに呼べっ。ダカラッ、だからぁもっとぉ……ぬぬぬ……手っ取り早く強くなる方法はないんか桃乃木??」
「てっとり早く強くなりたい?」
「そうじゃ!! 言うとろうにっ」
「うーん。……一つ、簡単だが死ぬほど痛い方法があるにはある」
怒ったり下手に出たり忙しいそんな西嶋の見せるしつこい熱意に、大地は少し悩んだ素振りを見せた後、真っ直ぐに体を向き直りそう言い放った。
「なんじゃと!? 本当か!! でっ、なっ、なんだそれは……」
前のめりに詰め寄る西嶋。だが、ピタリ──西嶋の鼻先に、太っちょの男の大きな拳が止まった。
「こいつで思いっきし、お前のことをぶん殴る」
目の前に止まった左の拳。ただの拳ではないと、西嶋は鳥肌を立てた己の体に悟る。放つその輪郭以上に大きな大きな冷たい圧に、知らず西嶋の頬に汗が一筋伝った。
しかし、その大男は迷うことなく、いきなり身に纏っていた臙脂色のブレザーを脱ぎ捨てた。
「さっさとやれい、桃乃木!!」
黒いシャツ姿で、帽子のツバを後ろへと回し、どっしりと地に踏ん張り構えた西嶋は、躊躇なくそう言い放った。
「遺書はどうする?」
目の前に腹を括り聳え立つその男に、余計な一言は要らない。
「何をぬかしよる。もつこさんの前でまた無様さらすぐらいなら、死んだ方がマシじゃ──」
やはり彼を突き動かすのは丹波もつこ。彼女自体が彼の全てで原動力。そう言っても過言ではない覚悟を、真剣な眼差しで見せつけている。
「──腹筋を食いしばれ。こいつはあまりヌルくはねぇぞ?」
三歩下がり、やがて振り返った大地は掲げた拳をまた対峙する相手へと見せつけた。
西嶋は大きく深呼吸をし、深く頷く。
何故そこまで身を挺して信じ込めるのか──。大地はかすかに鼻で微笑う。そして、冥力を込めたその唸る拳を、歯を食いしばり構える大きな忍びへと叩き込んだ。
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黒いキャップが大きく舞い落ち、巨体が沈む。腹のド真ん中に決まった一発の拳。
「……やりすぎたか」
構える大男の覚悟と仁王立つ異様な圧に対して、力加減を間違えてしまったのかもしれない。大地は倒れた西嶋のことを見下ろしながら、思わず髪を掻いた。
(危機に、憑依した脱鬼の方が何かリアクションをすると思ったんだがな。──読み違えたか)
大地がぶつぶつと何かを観察するように呟き、やがて一旦その場を立ち去ろうとした。
その時──
大地の太い右の足首を、突然、地を這う手ががっしりと掴んだ。
「……どこ行きよる。随分と手ぬるいパンチやのぉー……さっさと地獄へ案内してくれや……」
大地はもはや苦笑するしかなかった。
足元に転がったまま、手を伸ばし縋り付く。血の気の引いた顔でもなお、ニヤリと笑う男の姿に──。
一切の優しい手加減など、この男はお望みではないらしい。
この不死鳥のようにみっともなくも蘇り立つ姿は、どこかで見たデジャヴ。
桃乃木大地は食後のジュースを買ってくる予定を、後に繰り下げた。




