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第二十一話 嘘と真実

 氷淵の間に、静かな水の滴る音だけが響いていた。砕け散った氷が溶け、床に広がった水たまりに、部屋を飾るクリスタルが青く輝き映っていた。


「もつこ……さん……?」


 金色の髪の姫は、今目覚めた満身創痍の男のことを膝に乗せ、じっと見つめている。


 男がただただ、柔らかな膝枕の上から彼女のことを見つめ返していと、ふと、彼女の作っていた笑顔が、じわりと目の前から消えていったのが分かった。


 そして、いつもより神妙なトーンで彼女は語り出した。


「私ね、好きな人がいたの。その人が両想いだって私に振り向いてくれた時は、本当に嬉しかった。……でも、付き合い始めたその人は、ある日ふと、冷たくなった。まるで、人が変わったように私への興味をなくしたの」


 不穏な独白──。西嶋は、まだ鈍さの残る頭を混乱させながらも、彼女の一言一言に注意深く耳を傾けた。


「中学二年の時も、また別の彼と恋をした。でも……しばらくするとまた、全然別人の彼が、あの時と同じ石みたいに冷たい顔をしていた」


 見上げる彼女の表情が曇っていくのが分かる。それが、とても語りたくない、でも語らずにはいられなかった。彼女にとってそんな、重い事実であることを分からない男ではない。


「そして高校に入って……格好をこんな派手なギャルに変えても……。私は、それを避けたかった。本当は、西嶋くんがああなるのを見るのが怖くて、ずっと嘘をついて遠ざけていたの。でも西嶋くんは……」


 「でも──」詰まらせたその言葉の先は何だったのだろうか。西嶋虎彦には分からない。だが、彼女が今も過去のことで苦しんでいることが彼には痛いほどに分かった。


「うーうん……だからね。西嶋くんも、きっとおかしくなっちゃっただけなの。私を好きになったのは、本当のことじゃなく──」


 今、丹波もつこが振りまいた微笑みは、きっと真実でない。幾度と彼女のことを見てきた西嶋虎彦の中では、もう確信に満ちている。


 言葉途中に遮るように、西嶋の声が響いた。

 彼は力を振り絞り、突然膝の上から起き上がった。そして、今、潤んだ彼女の目をしっかりと見据えた。


「俺は、絶対に、嫌いになんてなりゃしません。この程度の棘に刺されようと、全然痛かありゃしませんッ。だからッ、もつこさんのことを、この先もッ、ぜったい……に……」


 彼女の両肩に乗せていた大きな手が、突然緩み離れていく。


『にっ、西嶋くん!?』


 丹波もつこのことを見つめて放った宣言の途中で、西嶋の限界を超えた活動に体の方が先に耐えきれず……彼はそのまま後ろに倒れ、再び深い意識の闇へと沈んでいった。







 丹波もつこと西嶋虎彦。誰も邪魔をすることのない、そんな二人の時間二人のやり取りを、取り付けた通信機越しに盗み聞きしていた影があった。

 鶴橋綾子と、大也。忍びの二人はクリスタルの物陰で、ある重要なことについて、互いの持っている情報と事実のすり合わせを行っていた。


「……丹波もつこの印は、既に発現している。ということでいいのか、も……ダイヤ?」


 鶴橋が低く問いかける。


「あぁ、不確かなため話さなかったが。──【脱鬼(だっき)】と言えば分かるか?」


「……脱鬼。たしか変化の印と似通うも対をなす……自律型の術系統。珍しい印のことだな?」


 大也は再確認するように問いかけた鶴橋に、静かに頷いた。


「そうだ。そして俺の見立てでは、それは彼女には見えずに増殖する」


「見えずに増殖……? どっ、どういう……」


 一つの情報の確認を済ませたそばから、男の忍びの口から、また新たな情報を告げられた。


「俺もさっきの話を聞いてはじめて辻褄が合ったよ。西嶋と丹波もつこ、接触したそれぞれから感じたあの奇妙な肌を這う冥力。疑って観察していたが──印持ちは二人じゃなくて、一人で二人だったというわけだ」


 さらに、大也は漠然とした難しいことを付け加えて言う。


 自分だけ分かった気になられては堪らない。そう思った鶴橋は、立ち去りそうな素振りを見せた彼を引き止めるように、話を急ぎ続けた。


「印持ちが二人と疑っていた……? 一人で二人?? おいおい随分理解が私の先を行ってるな……って、待て待て! 今もう分かりそうなところだ。えーっと……つまり、自律型でかつ術者本人の冥力不足か何かで外からの認識が困難、そして何かを媒介に増殖して二人分になる印……という所か」


 足を止めた大也は振り返り、鶴橋の説くそのあやふやな説明に頷いた。


「──ア、とすると待てよ? さっきのあの二人のやり取りは、本当に彼女が言うよう……恋……そう呼んで片付けていいのか?」


 情報を考察し浮き彫りになった皮肉な事実に、鶴橋の声が苦く沈む。だが、大地はその仲間の忍びの見せた神妙さを鼻で笑うように答えた。


「恋でも執念でも服従でも好きに呼べばいいさ。もっとも叶うかは知らねぇが、忘れやしないと思うぜ。──あの五度轟沈の馬鹿ならな」


「なんつぅ……」


 鶴橋綾子は溜め息をつき、ついでに繋いで盗み聞いていた通信を静かに切った。


 真実の追求は時として野暮。


 忍びの大也は、警戒と殺気が枯れすっかり空気のぬるくなったこの場を、ゆっくりと歩き去っていった。

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