第十九話 一世一代の髪芝居
ここで固まり暇をしている時間はない。警護対象の丹波もつこたちはおそらく既に先へ進んでいるのだ。すぐに二人の元へと探し戻る必要がある。
男に問われた鶴橋綾子は今ごくりと唾を飲み、世間でも有名な格のある銘柄を答えた。
「──ツバキ」
「じろり……。…………あいやあああ!!!」
「ぬあっ!?」
じろり睨んだ末に、絶叫。突然に大声を発したそれが彼女の嘘に気づいたことへの怒りなのか、単に彼の好みのブランドではなかったのかは定かではない。
男の長い髪が蛇のように床へ伸び、床の隙間から石のブロックを持ち上げ、鶴橋へと向けて投げ飛ばした。
鶴橋は背負うリュックから隠していた愛用の得物である【ツルハシ】を即座に引き抜き、それを迷いなく正面へと振るった。
尖った鉄の嘴が視界に迫った石のブロックの中央を叩いた。やがてブロックは砕き割れ、瓦礫の雨が散り散りに辺りに飛んだ。
「反応はよろし! だがここからよ、【髪縛りの術】!!」
「くっ。やっぱりそれか……!」
さっきのブロック投げは単なる小手調べか。本命である男の黒髪が異常な速度で成長し、生き物のように鶴橋の四肢を絡め取ろうと迫る。
それは木の印を根源とする髪縛りの術。藤林家の分家である古林家も得意とする万能な忍術である。だが、男の使い手は珍しい。
鶴橋はツルハシを振るい、迫りくる毛髪の触手をかわし続けるが、部屋中に広がりつつある髪の檻に逃げ場を削られていく。
「ハテ、先程の意気込みはどこへやら? かように逃げてばかりと申されるかー! しかし分かるぞ、おぬしのその珍妙な得物では我の髪縛りから逃れるのは辛かろうという……なぬっ!?」
堅牢な石や鎧の破砕には向くが、そのツルハシで髪をいなし切るのは難しいというもの。
しかし、武器とする物の相性でも勝ち誇っていた男の表情が、突然、驚愕に歪んだ。
「……髪縛りの術は、他人の毛までは操れない。そうでなきゃ、いまごろ忍者はみんなぼーぼーだ」
勢いよく鶴橋を追い詰めていたどこまでも伸びていた黒髪が、急激にその勢いを失い、男の元へとしゅるしゅると元気を失くし引き返していく。
鶴橋の手には、自らの手で切り落とされた栗色の髪が握られていた。
「ぐぬぬっ、冥力を宿した己の髪をこうもあっさりと犠牲に……! なんとなんと髪縛りの対策を知っておったか……!」
男は悔しげに、栗毛が絡みごわついた自らの黒髪を再び手持ちの櫛で丁寧に解き始める。
「しかしこの程度。解かせばいいだけよ。あぁー……なんと美しい髪をもったいない使い方をする……くぅぅ、この緑八郎、涙で袖を濡らさずに見ておれぬわ!」
「……他人の髪の心配かよ。はぁ、調子狂う……(よりによって髪縛りか)」
変装で結っていた栗毛のツインテールは、右の片方が切られ無惨に失われた。だが、その行動を即座に選んだ鶴橋綾子に、不思議なほど躊躇いはなかった。
冥力を握り込めた自らの髪をデコイとしてばら撒き、いつまでもしつこく襲う黒髪へと付着させた。そうして、長い黒髪の毛先の果てまでを伝う敵の冥力の浸透を、一時的に阻害することに成功したのだ。
アシンメトリーな姿となった女忍者は、髪をセットする無駄な余裕など見せない。
相手は油断ならぬ髪縛りの術の使い手。その恐ろしさを彼女はその身に刻まれるほどよく知っている。
やがて、息を整えた鶴橋綾子は再びツルハシを集中して構えた。
長い黒髪を悠長にかきあげ見得を切る、美髪の忍び緑八郎。その敵の喉元へと、鋭い鉄の嘴を見据えた────。
「これ以上その美しい栗毛が犠牲になるのは忍びない……。では我も、ここで一つお見せしよう。──髪縛りの術、飛結・【黒龍の舞】!!!」
見得を切る緑八郎の叫びと共に、彼の黒髪が猛烈な勢いで天へ逆立ち、ひとりでに編み込まれていく。
それは一本の太い木の樹幹のように立ち、龍の如き猛々しい剛毛となった。さらに毛先には髪鉄と呼ばれる鋭利な忍具が装飾され、それが銀色に輝いた。
緑八郎が頭を徐々に激しく振り回すと、遠心力を十分に乗せた龍の顎が鶴橋へ襲いかかった。
「──っ!!」
一発目の突進を辛うじて反応し横に避けるも、黒龍は即座に腹をしならせて追撃をしてくる。
鶴橋は鞭打つように迫る、美しく編まれた髪の幹を、大縄跳びの要領でタイミングよく飛び越え避けた。
だが黒龍はそのまま時計回りに旋回して勢いを殺さずに増し、またも鶴橋の元へと襲いかかった。
宙に浮かぶその身に逃げ場はない。銀色に煌めく黒龍の顎が、彼女へと容赦なく噛みついた。
間一髪のところで武器のツルハシを間にかませ迎え撃つも、質量・威力の差は明らか。
鉄と鉄が激突し、刹那凄まじい火花が散り、高い金属音が雷鳴の如く打ち鳴った。
鶴橋綾子は黒龍による突進で部屋の向かいの壁まで吹き飛ばされた。
「悪いことは言わぬ、降参せい。この猛る黒龍の舞は、おぬしの微細な冥力と繊細なその髪ではもはや止められぬ。大事になされぃ」
「……いやはや。降参するのは、そっちだ」
激突した石壁からおもむろに立ち上がる鶴橋綾子。彼女が不敵にそう返答した瞬間、龍の先端に飾られた髪鉄にピシリと亀裂が入った。
「なんと!? 緑家に伝わる家宝、髪鉄にヒビが!?」
「火遁──【啄木鳥】」
握るツルハシの嘴刃にある噴射孔から、火炎と煙が吐息をはくように噴出した。
「大事な髪だ。パーマをかけられたくなけりゃ、早めに降参しろ。私には任務がある」
はらり……。硬く覆っていた銀色の鉄の化粧がついに崩れ、無惨に剥がれ鉄片となり床に散る。
露わになったのは、熱で縮れた黒い毛先。みっともなく開き、秩序なく使い古された筆先のようになっていた。
自慢の家宝を壊され、自慢の艶髪を乱された。狼狽える緑八郎へと、鶴橋綾子は白煙を垂らす得物を向け続ける。
美しさを損なった髪縛りの術、飛結・黒龍の舞は、もはや敗れたり。黒く鬱陶しい髪が、ずるずると地を這い悔しそうに引き退がっていく。
鶴橋はトレードマークの赤い眼鏡を片手に掛け直し、その奥に灯る眼光で、鋭く敵を睨み付けた。
⬜︎
【火遁:啄木鳥】
この忍術は、鶴橋綾子が握るツルハシの形状をした一風変わった忍具と、内部に仕込まれた宝石を用いて発動する特殊な術である。
中空構造の柄にセットされた赤いルビーの宝石が、内部に注がれ圧縮された冥力に反応し点火する。
事前に冥力を丹念に含ませたこの特殊宝石は、宝石特有の結晶の方向に沿った劈開を引き起こし、破砕の瞬間に様々な属性を持つエネルギーを生むことが【N研究所】の実験結果により判っている。
先ほど鶴橋綾子が黒龍の舞により吹き飛ばされたあの場面。ルビーが点火し生み出された爆発的な推進力と熱量を一箇所に集中させ、銃弾のごとき速度で打ち込まれた鉄の嘴。そのイチゲキが緑家の家宝である髪鉄を、亀裂と内部からの熱膨張による相乗効果で粉砕したのである。
⬜︎
「断髪まさに断腸の思い……髪を切るのは、いとかなし……。だがしかし緑家次席この緑八郎、誠に惜しむらくは、熱気高鳴る此度の勝負、ここで嘆き打ち切ってしまうことにあり」
浅葱色の着物の袖を涙に濡らす、そんな仕草を見せていた緑八郎は、ふと嘆くことをやめ立ち直った。
そして袖の中へと髪を通し、もぞもぞと何かを探し出した。
「さればまだまだごらんあれ、模造品の髪鉄はここにある。このヤマタノオロチの如き黒龍を、火炎白息を吐くその面妖啄木鳥、赤ゲラ小ゲラげらげらと、アイヤ、捌ききれるものかぁぁ!!」
緑八郎はまた瞬時に髪を結い直し、枝分かさたそれぞれの毛先に忍具である銀の顎を装着した。今度は多頭の龍を形成して鶴橋へと放つ。
対する鶴橋は迷わず正面へと突っ込んだ。
「前へと出る判断よろし。だぁがしかし!」
前へと一気に駆け抜けたものの、取り囲む八つの毛先がしゅるしゅると鶴橋の四肢を絡め取り、彼女のもがく身動きをあれよあれよと縛り封じ込める。
「寺へ駆け込む啄木鳥よ、捕らえたぞ! これでおぬしは」
「そんなに騒ぐと手が滑る、──焦げるぞ」
「なぬっ……?」
「火遁──【木の実隠し】」
鶴橋が呟くと同時、彼女の足元にある亀裂、そのポイントに埋められていた紅の宝石がぎらりと瞬いた。そして今、手から滑り落ちたツルハシの鋭利な嘴に打たれ、劈開し起爆した。
足元で起こった予期せぬ爆発、その火を本能的に恐れたのか、鶴橋の四肢を縛っていた黒髪の拘束が緩み解かれた。
「お手入れの時間だ!」
自由を勝ち取り、再び肉薄する鶴橋綾子。緑八郎は咄嗟に八つ首の黒龍を集わせ防壁を築こうとするが、綾子の手にあるツルハシがカチリと音を立てて変形した。
「なに……! 鶴嘴が、いつの間に枝切り鋏に!?」
機巧が唸り、行手を阻む黒髪を一気にバッサリと切り伏せる。
岩を穿つツルハシから、まさかの枝切り鋏へと様変わり。その変化に自慢の黒龍を三頭切られてしまった緑八郎は驚きを隠せない。
だが、また黒龍は五頭いる。緑八郎は一気呵成のその直進を防ぐべく、五頭を多方向から同時に突くように計算し襲わせようとした。
「雷遁、【白虎眼】!!」
さらに開いた鉄の鋏の喉奥から、姿を覗かせた小さなダイヤモンドの宝石が、注ぐ冥力で反射光を増幅させ眩い白光を前方へと放った。
「ぁうまぶしっ!? ぐぬぬ……!! だが、この程度……!!」
不意打ち気味の忍法に、緑八郎は視界を奪われそうになったが、辛うじて自分の目元を黒髪の簾で覆い、目に届いた白光を減光し目潰しの策を防いだ。
このまま反撃に移れば、リーチの差でこちらの黒龍たちが先に攻撃をすることができる。そう勘定していた緑八郎であったが、目の前に先に伸びてきたのは、彼の頭の片隅にもあった予想外の光景であった。
「なぬっ!? 栗毛が伸びて!? これは……髪縛り! これほどの髪艶の持ち主、やはり同じ使い手であったかァ!! ならばここは、甘んじて受けさせてもらおうっ、鎧結【鱗縛り】!!」
猛進する鶴橋綾子が見せたのは、なんと髪縛りの術。渦巻くように、緑八郎の視界一面に広がった美しき栗毛。ここまで爪ならぬ髪を隠し、先にサプライズを仕掛けたのは彼女の方であった。
先手を打たれ攻めの主導権を取られたとなれば、緑八郎はあえて後手を選んだ。
五頭の黒龍を、はだけた浅葱色の着物の中へと潜らせ、己ね髪を鱗のように体へと巻き付けアーマーを作った。
飛結は敵を打ち砕く攻撃特化の結び、鎧結は矢槍をも通さない防御特化の受けの極意。緑八郎は大見得を切る──。
これで万全、強靭な髪の鎧を纏った上半身を着物より曝け出し、一世一代の勝負に出た。
「いんや……持ってけ泥棒。金遁……【五行閃】!!!」
まるで暴風、だが渦巻き伸びる彼女の栗毛はいつまでも敵を襲わない。
それはまさしく見栄だけのブラフ、叩き込む本命はツルハシ、構え溜めたその鉄の嘴にあり。
柄の空洞へとセットした色鮮やかな宝石が、彼女の注ぐありったけの冥力に呼応し、焼けて砕けていく。
叩き込んだ冥力全開の五行の一打。腹のど真ん中を打った。
光り唸り生み出された歪に揺らぐ冥力の塊が、焦がす黒髪の鱗鎧ごと、敵をはじきとばした。
「あいにく早熟の落ちこぼれでね。髪は伸ばすぐらいしかできないんだ」
鶴橋綾子は静かに息を吐いた。
彼女は木の印を持ちながらも、金属・宝石と機巧を操る【金遁】の特異な使い手。そして、N研究所が開発した忍具【番匠鳥】をその手に握り扱う、新たな忍術の探求者。
「お、お見事な……夢想……髪芝居…………がくっ……」
こぼした墨汁のように、床に髪をはしたなく垂らし、倒れた敵の忍びから届いた敗北の声。
やがて、汗ばむ手に握る番匠鳥を逆さにし、地をコンコンと突いた。鶴橋綾子は、今床に吐き出された無残に砕け散った宝石の破片たちを悲しげに見つめた。
「……って、これじゃ赤字確定だな。はぁ……褒めるより降参してくれよ」
散った髪よりも、砕けた財産の方が重い。
刺客を倒した鶴橋はため息をつきながらも、すぐに表情を引き締める。見失った対象②の丹波もつこを探す任務へと戻った。




