第十八話 東の古城の脱出ゲーム
午後2時15分、若き三人の行楽客が行き着いた舞台は青薔薇遊園地の東に佇むシンボル。古城フロートローズとその周辺の庭を利用した多人数参加型アトラクション【脱出ゲーム・夢幻の扉】の中で──。
西嶋は隣を歩くもつこのため、必死に知恵を絞っていた。正解の扉を選び続け、城の最奥に眠る〝金の宝〟を手に入れる。それが今の彼の全てだった。
そんな二人を、同じグループとして入場した鶴橋綾子が淡々と尾行していたのだが──。
(……えーっと、三つの扉の前に飾られたこの三つのカクテルグラス。中央にあるサンプルのグラスの水をそれぞれに注いだ時に、どれが溢れずにきっちり満杯になるか。ちょっと待て、これはなかなか難易度が上がったな……グラスの形状から推察するに……およそ底から高さの六~七割は入っていても問題なさそうに。……って、しまった!?)
知らず知らずのうちに、鶴橋綾子は部屋内に設置された直感型の謎解きギミックにハマり込んでいた。
そして彼女が考え耽るのを途中でやめ、ハッと我に返った時には、西嶋虎彦と丹波もつこの姿は同じ部屋内から消えていた。
これまでさり気なくぶつぶつと独り言を呟きながら、西嶋たちにヒントを出していた優等生の鶴橋綾子であったが、正解の扉を進む度に段々と難しくなる問題を熟考したあげく、なんと本題の方を見失ってしまうという痛恨のミスを犯した。
しかもこのアトラクションは一方通行。一度選んだ扉は、参加者が腕に巻いた電子バンドの信号が作動し、二度と後戻りはできないズルを防ぐ仕様になっている。
(今、どっちに行った……? 考えろ、鶴橋綾子。西嶋の安直な思考と、丹波もつこの直感なら──①六割のグラス②七割③八割の……選びそうなのは……。ここか!)
選択は一度きり。彼女は迷いを断ち切り、三つ並んだ扉の左端の一つをこじ開けた。
だが、思い切って開けたその先に待っていたのは、警護対象を含む二人の姿ではなかった。
石造りの部屋の中央。浅葱色の着物を纏う見知らぬ一人の人間が、そこで胡座を組み静かに座っていた。
まるで幽霊のように、顔を覆うほどの黒い前髪を垂らしたまま、手にした櫛で艶やかな長髪をゆっくりと解いている。
(いない? 確実にここだと思ったが先に行ったか……? あるいはこのままわざと間違えて脱落した方が合流は早いか? いや、西嶋たちの選んだオプション付きのバンドでは確か二回は誤答が可能だったはずだ。──ひとまず、次の問題の難易度を見てからにしよう)
しばらく立ち止まり訝しんだ鶴橋は、部屋中央に添えられたお題を一瞥し、部屋の奥にある次の扉へと足を向けた。
三つの扉には、それぞれ【死】【苦】【生】と墨で文字が書かれている。
鶴橋にはこの問題は簡単だった。しかし正解の扉は二つ、どちらを選ぶか彼女は少しばかり悩んだ。
その時──。
「待たれぃ!!」
「どわっ!? な、なんだ、急に大声を!」
静寂を切り裂く、歌舞伎役者のような圧のある大音量が鳴り響いた。綾子は思わず忍びらしからぬ声を上げて、後ろへと驚き振り返る。
急に立ち上がり動き出したソレは、顔に黒髪のカーテンをかけたまま、鋭い仕草で鶴橋を指差す。
「おぬしっ……!」
「……っ!」
威圧感のある男の声に身構える鶴橋。背負うリュックへと密かに手を伸ばし、チャックからはみ出た得物の柄を握り──警戒を強める。
「普段……どこのメーカーのシャンプーを使っている?」
「しゃ、しゃんぷ……!?」
そう、両手を優雅に広げて問う長髪男。
張り詰めていた殺気は霧散し、あまりの落差に、鶴橋綾子は呆然と固まった。
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▽
「あーーん? この量を全部注いだら常識的に考えて溢れるに決まっちょるじゃろうが? もつこさん、正解は一番少ないグラスじゃ。ここは男、西嶋虎彦、俺を信じてくださいっ!」
「うーん……中央のやつは半分以上水が入っているし、うん絶対溢れる! あはは、私もそう思うよ西嶋くん」
「もつこさんと意見が合うなら百人力っ、この直感間違いないです!! さぁさぁ行きましょう!! それに……あのように考えるほどドツボに入るものじゃ、わはははは」
「あははそれもそうだねぇー。うん、自分の信じた方を進む方が絶対良いよねっ」
「わははその通りじゃもつこさんっ!! いかにもっ!!」
西嶋ともつこは、やはり、入っている水の量が一番少ないグラスを正解だと踏んだ。
まだ熱心に集中し考えるツインテールの女をよそに、そのグラスが飾られてある左端の扉を進むことに、二人で頷き合い決めた。
そして正解と信じる青い扉を開け、その先にある細い廊下道を二人は共に進んでいく。
だが、浮かれ気分で二人が並び歩いていたその途中。足元の床を踏む感覚が、唐突に消失した。
「にしてもここまで不正解はゼロッ。きっと今日という日は神がっ──へ? ……どわぁぁっ!?」
「きゃっ!」
陽気な雑談が悲鳴へと変わり、二人は足をばたつかせながら落下していく。
「バタン──」誰もいない廊下で、床が元へと閉じる乾いた音が鳴る。
天の光が閉じられ失せた未知の闇の中を、二人の体は尻を下にずるずると滑り落ちていく。
やがて下降する道が切れ、見知らぬ光の中へと加速した体は弾き出された。
勢い余った西嶋は受け身を取ろうとするも失敗。知らない床に顎から落ち、無様に転がった。
対照的に、より遠方へと弾き出されたもつこの体は、落下による衝撃をあまり受けることがなかった。
彼女がぎゅっと絞り閉じていたその瞼を開けると──何者かの腕の中に、自分の身がすっぽりと収まっていた。
「はぁっ、はぁっ、びっくりしたぁ!? ……西嶋くん、あり……へ? だれ?」
西嶋のようなゴツゴツとした大きな手ではない。女のような白肌の手が、もつこのことを支えている。
「君が丹波もつこさんだね。あぁ、写真で見るよりなんと美しいことか。さぁ行こう、さっそくこんなちんけな城じゃない僕の館へ、君を案内しよう」
お姫様抱っこで彼女を抱え上げたのは、細身で短めの白髪の男だった。
白鳥のような白い羽、黒くタイトな脚。それはまるで銀盤の上で踊るフィギュアスケーターのような爽やかな容姿と服装をしていた。
男はもつこから目を離さず、上から柔らかに微笑みかけている。
「やかた? え、あの、その……?」
「おい待てや、ひょろぞう! さっきからもつこさんに勝手にベタベタ何しちょる!!」
顎の痛みをさすりながらも立ち上がった西嶋が、落下した見知らぬ部屋に現れたその痩せ男の肩を、堂々と背後から掴んだ。
だが、痩せ男は振り向きもせず、冷徹な眼差しを肩越しにぎろりと向けた。
「凡人が……薄汚い手で僕に触れるな」
刹那、西嶋の左手に刺すような激痛が走った。
「がぁああ!?」
見れば、男の肩から生じた一本の氷の針が、西嶋の手の甲を深く貫いていた。鮮血が床に散り、西嶋は悶絶しながら崩れ落ちる。
「さぁ行こう、迎えはあちらの扉だ。心配しなくていい。印をまだ持たずとも、僕の家があやふやな君のことを特別に囲って守ってあげよう。……美しく繊細な冥力を持つ君には、その資格がある」
白髪の痩せ男は、抱えていたもつこのことを床に下ろしながらそう言う。
さらに男が指を鳴らすと、ライトアップされた向こう側には一枚のドアがある。男は彼女の手を引き、そこまでエスコートしていく。
だが、そんなことはどうでもいい。もつこは、手を痛そうに押さえる西嶋の元へと、男の手を振り切り急ぎ駆け寄ろうとした。
「えっ、西嶋くん!? ちょっと離して、そんな場合じゃ救急車……を──!」
「うるさいな。黙って僕に従え」
だが、白髪の男は抵抗する彼女の腕を強引に掴み取り、また自分の胸へと物凄い力で引き寄せる。
至近距離で吐き出されるその男の吐息は、凍てつくように白く冷たい。
食うように彼女の面の間近に迫り、豹変した男が冷たい言葉を吐く。圧倒的な圧に、背筋を凍らせた丹波もつこは抗えず、その場に力なく尻餅をついた。
──だが、白髪の男が倒れた彼女に冷たい魔の手を伸ばそうとした、その瞬間。
「……痛ぇな、おどれ。もつこさんが嫌がっとるじゃろうが。……離れろや」
背後から捨て身の体当たりをかましたのは、左手さらに右肩から血を流しながらも、執念で立ち上がった西嶋虎彦だった。
「……なんとも醜い、まるで獣じゃないか。いや恐れを知らぬ獣以下、せっかく忠告で済ませてあげたというのに。ハハハ……カーストの分からない単細胞の馬鹿なのかな、君は?」
後ろへと仰け反りながらも体当たりの衝撃を受け止めた男の掌には、赤く濡れた氷の棘が一本。
白髪の男はやがて、その穢れた血のついた棘を冷酷に握り潰した。
青白く冷たい殺気と、赤く滴る熱い怒りが睨み合う。
華やかな遊園地その東の果てにある古城、そのさらに地下に隠された薄暗い空間が、今次々とスイッチを入れた両者の闘志に呼応するようにライトアップされていく。
ここは閉鎖された【氷淵の間】。埃を被った季節外れの冬のイベントが、今ひっそりと煌びやかな明かりを灯した。
透明なクリスタルが取り囲む青く幻想的な舞台で、白銀の王子と、血を垂らす大きな獣の対峙が始まった。




