第十五話 接触・観察・一大事
屋上での藤林蕾華との喧嘩の末の馬鹿げた交渉をなんとか煙に巻くも、赤見高校で過ごす大地の身にふりかかる厄介はそれだけではなかった。
午前8時15分。校門の前で仁王立ちし大地のことを待ち構えていたのは、キャップを深く被ったごつい大柄の男だ。
西嶋虎彦、屋上でタップダンスを踊り、丹波もつこに五度目の告白をしたあの熱気溢れる時代遅れの男だ。
百地大地は桃乃木大地としてこの学校に潜入してから、屋上にはあまり良い思い出はない。厄介な男が今でも大地のいる場所を嗅ぎつけては、付いて回っているのだ。
「お前、あれだけ告って丹波もつこの連絡先も知らないのかよ?」
「うっ、うるせぇ……!」
しかしあまりの頻度で寄って来るもので、今ではこうして軽口を叩ける仲である。西嶋の扱い方が、なんとなく大地には嫌でも分かってきた。
「いいか桃乃木! もつこさんが他に何を好きなのか、お前が俺の代わりに聞いてこい! これは命令……いや、懇願だ!」
「はあ? 俺が?」
「分かるだろうが! ぬぬぬ……この町、赤見高校のどこにもスケートリンクのスの字もありゃしねぇ! まさにフィギュア不毛の地! お前も思うじゃろ、もつこさんにこんな不幸があっていいものか! と……。銀盤さえありゃ、俺の練習した華麗なトリプルアクセルでッ!! ──もつこさんに喜んでもらえるんじゃろうがァ」
(こいつ、マジか……)
大地はもう既に、この西嶋虎彦という男の見せる執念に対して、呆れという感情を大きく通り越している。
だが、この男をどうにかしなければこれからの任務に少なからず支障が出るというもの。
一回転し、まだ履いていたタップダンスシューズで着地した大きな男に向けて、大地は淡々とつぶやいた。
「……あぁ、もつこの好きなものか。それなら、もう知ってるぞ」
「な、なにぃ!? 吐け! さっさと吐け桃乃木! って何お前もつこさんを呼び捨てにしとる! じゃなくて、さっさと教えるんじゃ! 教えてくれぇ!」
既に昨日の接触やメールのやり取りで、丹波もつこの趣味や情報の一部の把握している。
好きなものを教えることを引き換えにしばらくの自由が手に入るのなら、安いものだ。大地は適当に情報を小出しにしてやった。
「──おう、そうか! なるほど、もつこさんはそれが……わっはは、でかしたぞ桃乃木大地!」
必死にこちらへと詰め寄り、やがて上機嫌になった西嶋。勝手に肩を組んで叩くその男の手をふと覗いた大地は、一瞬ちらりと見えたある小さな違和感に気づいた。
「おい、西嶋」
「なんじゃ? 俺はこれからショッピングの予定で忙しいんじゃ」
「……お前、最近どこか怪我したり刺されたような痛みとか、痒かったり怠かったりするところはねぇか?」
大地の向けた鋭い視線が、笑みを作っていた西嶋の面を射抜く。すると、西嶋は露骨に動揺し出し、やがて白いカッターシャツの右袖を捲り上げた。
「な、何をいっちょる! おい、この肘の傷は違うぞ!? なにも、隠れてタップダンスとトリプルアクセルの練習をしていて、転んでこうなったってわけじゃないぞ!!」
(……それは聞いてねぇが)
確かに隠れた努力の痕と言える傷がある。西嶋という男の持つ執念の大きさはやはり、大地には計算することができないようだ。
大地の肩を誤魔化すように嬉しそうに叩いた西嶋虎彦が、校庭の中から門の外へと駆け出して去っていく。
「調べるものが増えちまったな」
駆ける西嶋の背、その後ろ襟から半透明の小さな何かが顔を覗かせ、また内へとゆっくりと這いながら戻った。
〝どちらか〟に印が既に刻まれている可能性もある。大地はもう少しその経過を観察することにした。
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▽
午後9時37分。浜風のにおいが混じる海の公園。
赤レンガのアーチが連なる、小さなトンネルの静寂の中で、ギターを静かに掻き鳴らすメロディが反響し溶けていく。
演奏が終わりギターピックを持つ手を止める。喜びでも悲しみでも嘆きでもないそんな、物事が一つ終わった区切りの息を、彼女が静かに吐こうとしたその時──。
「クローズハーツの【ラックラック】。──良い曲だな」
どこか聞き覚えのある男の声の鳴る方向へと、セミロングの黒髪が揺れる。
彼女がふとギターをかけたまま左を振り向くと、それには──先日一度見たような誰かがトンネルの壁際にもたれかけていた。
「ダイヤ……くん? ……あぁ、うんっ。……ありがとう」
不意に声をかけた黒髪の美青年に、町原由璃は少し戸惑いながらもはにかんだ。
スタイルの良い男の影が、ギターをかけた町原の元へとゆっくりと歩き近づいて来る。
「好きなのか、音楽?」
「ああー、うん。ちょっと興味があって……その……」
とても漠然とした彼の問いかけに、気まずそうにも彼女は答えた。
「──プロとか?」
また簡潔に一言。だが、白か黒かそんな確信たる答えを要求するような彼の問いかけに、町原は焦りながらも答えていく。
「いや、そこまでは! って、いずれは……活動の延長上でぇ、運良く、みたいな……?」
どんどんと尻すぼみの自信なさげなトーンになる。けれど、希望を捨てきれないそんな彼女の言葉に、黒髪の青年、大地は小さく笑った。
「はははっ。そりゃあ、今のうちから始めておいた方がお得ってやつだな」
「……う、うん! そうだね!」
町原は彼の笑いながら話すその言葉に、うなずき同調した。
「ここにはいつも来てるのか?」
「いつもじゃないけど……家だとなかなか……その迷惑になっちゃうから。たまにここで」
「ふぅーん。ま、どっかの外国の一流歌手でさえ、近所の人にうるさいって言われちゃうご時世だ。──とまぁ、昔、そんなネットニュースを見たぜ?」
「ふふっ、そうなんだ」
なんてことのない他愛もない会話。けれど、町原の緊張は少しずつ解けていった。
そして彼女はおそるおそる、あの立体駐車場で彼と会った日から、ずっと今まで気になっていたことを口にした。
「あの……こんなこと聞いていいのか分からないんだけど。ダイヤくんもその……殴られ屋……だったり?」
「殴られ屋?」
大也は片眉を上げた。だが、一瞬訝しむもすぐにその言葉の意味をどことなく察した。
「その……色んな人と喧嘩をしてポイントを稼いでるって。それで、私もそのポイントを設定されて狙われてるとかなんとかで……」
(アイツ、どんなトンチンカンな設定で忍ぼうとしてんだ……いや案外それも使。はぁ……いや──)
彼女にそんな嘘話を吹き込んだ者の正体に気づいた大地は、内心で呆れた。
だが、すぐに切り替えた悟ったような顔で、不安気に問う町原のことを見つめ直した。
「殴られ屋が手ェ出してちゃ、それもう殴り屋だろ? それ、意味分かんないぜ」
「た、確かに……ごめ」
そんな他人の敷いた無茶な設定を利用する気はないのか、大地は「意味が分からない」とまで言いはっきりと否定した。
町原は、唐突に間違った変なことを聞いてしまった負い目からか彼へとすぐに謝ろうとしたが──。
「ま。またなんか前みたいな奴らに絡まれて困ったら、助けてやるよ」
「え? ……いいの?」
思いがけない一言に、町原は静かに驚き、もう一度彼へとおそるおそる問い返す。
「それが俺の仕事で、生活だってさ。……そしてっ──」
ちょっぴり詩的なことをつぶやくと、近づいて来た彼はやがて、その場に屈み──。
「また聴かせてくれよな」
地の上に閉じていた冷たいギターケースの上に、彼の手元からそっと、小さく折られた何かが置かれた。
背の高い黒髪の影は、迷いのない足取りでトンネルの向こう、元来た道へとゆっくりと歩き引き返していく。
「さようならも言えずに」──町原由璃はギターを肩にかけたまま、その遠のく背中をじっと見送っていた。
やがて、町原はおそるおそるギターケースの上から拾い上げた、その丁寧に折り畳まれたモノを広げていく。
そして、両指で摘んだそれを顔の前へと掲げてみる。
目の前を覆っていたのはイチマイの千円札。
目の前にあるそれが、果たして彼の本心なのか、町原由璃は彼の心を見透かして知る術を持たない。
開いていたその一枚の千円札をゆっくりと視界から下げた時。小さな赤レンガのトンネルの先にはもう、彼の姿はどこにもなかった。
残る薄い紙幣の感触と、トンネルをゆるやかに吹き通る夜風。彼女は何故だかずっとそのイチマイを摘み、握っていた。
「この道を進めば、何か、分かるのかな……?」
トンネルの先に潜む何かを、知る術はまだわずかにある。何も分からない今は、ただ、この乾いた喉の奥にあるような気がする。
息を整えた彼女はまた、肩からさげたギターを構えた────。
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▽
警護対象との数度の接触や観察、そして情報の整理も捗り、百地大地が1年B組の「桃乃木大地」として赤見高校での学校生活にも馴染み始めた、そんな潜入開始から数週間が経ったある昼休みのこと──。
三人の忍びたちが再び集った生徒会室に、何やらよからぬ風の噂が流れてきた。
想定外の新たな情報が、見慣れぬ地図の貼られたホワイトボードの前に立った鶴橋綾子の口から告げられていく。
「一大事だ……。警護対象の町原由璃が、ここ──青薔薇遊園地のこどもショーのバイトに、日曜二時の歌のお姉さん役として……面接で採用されたらしい」
「はぁ? なーにが寂れた遊園地の歌のお姉さん気取りだァ? 日曜二時なんて一番いい時に面倒なことしてくれやがって。たるいな」
真っ先に毒づいたのは、机の上に尻と背を乗っけて寝転んでいた藤林蕾華だった。
その金髪娘の見せた不満げな態度と言葉の後に、同じく初耳の情報を吟味していた大地が淡々と続けた。
「面倒の起源であるお前が言えたことじゃねぇよ」
「あぁーん? お前、やけに対象の肩を持つじゃねぇか。……おい、でぶっちょ、おおん?」
寝ていた姿勢から起き上がった蕾華が挑発的な視線を向けるが、大地は動じない。
「対象は一般人、何をしようが本人の自由だ。できることはただ一つ、忍びやがれ」
大地はまだ印の刻まれていない一般人、町原由璃の自由を尊重する。そんな確固たる考えと線引きが自分の中にあった。
「はははっ! 高潔高潔っ、ごもっともだがヤなこった、俺も自由だ!」
なぜ開き直っているのか。藤林蕾華が自由であろうがなかろうが、町原由璃の自由はこの長期任務においてできるだけ尊重されるべきである。大地の考えは変わらない。
メガネを一時外す。鶴橋はこめかみを押さえながら、溜息を吐き出し、また赤いそのメガネを耳にかけた。
「はぁ……ともかく、対象が何をしようが自由とはいえ……。問題は警護対象の二人が離れて行動するということだ。こちらとしても、戦力をむやみに分散させるのは避けたい気持ちがある」
どうやら桃乃木大地と藤林蕾華にはその主張する意見に温度差がある。そう感じとった鶴橋綾子は、警護の難易度が上がったという事実だけを二人に告げた。
「ふぁーあ……期待しているところ悪いがよォ、どのみちどうせ誰も襲ってきやしねぇよ?」
蕾華が不遜にも大きく欠伸をし、そう投げやりな言葉を続ける。
「あのコンクリ野郎の一件以来、小魚一匹釣れやしねぇじゃねぇか。このところおかげで暇すぎて、俺様は死にそうだぜ?」
「……それが一番いい状態だ。期待などしているか、てか釣ろうとするなっ」
綾子は蕾華のふざけた言動を、呆れながらも厳格な声を用いて正した。
「とまぁ……無駄に呼び寄せるようなことは絶対に推奨しないがッ、常に敵が潜んでいる想定で任務は淡々と遂行してくれ。それで何事もなければ一番の成功だと、私は考えるぞ」
「そうだな。任務中でなくても何が起きるか分からない。俺も親に叩き込まれた基本中の基本だ」
「分かっているじゃないか桃乃木(今日はえらく真面目モードだな?)」
鶴橋と大地の至極真っ当な同意に、蕾華はつまらなそうに鼻を鳴らし、また机の上にふんぞりかえるように寝転がった。
「はっ! 忍びのくせに、いつもそんなに不安がっててどうすんだよ。びびり共がよォ、どっしりと構えやがれっての」
「「それは、──そうとも言う」」
不安を説くメガネと、今日はやけに冷静なでぶっちょ、そしていつものように楽観的な金毛の狂犬。
藤林蕾華の発した言葉に、珍しくも残りの二人は否定せずにうなずいた。
不安がっているばかりでは肝心な時に体は動かない。ある程度の図太さもまた、忍びには必要なスキルなのかもしれない。




