第7話:妊婦はつらいよ
妊娠七ヶ月。
四十五歳の体にとって、それは想像を絶する重労働だった。
常に腰は鉛を仕込まれたように重く、足はパンパンに浮腫んで感覚がない。 夜は寝返りを打つたびに激痛が走り、細切れの睡眠しか取れなかった。
博の体面を守るため、私は「病気療養」という名目で実家に身を寄せていた。 人目を避け、籠の鳥のような生活。
そんな私の唯一の来客は、莉奈だった。
「ママ、おはよー! 今日も暑いね」
週に一度、莉奈は「体調チェック」と称してやってくる。 もちろん、手ぶらではない。
「はいこれ、今日の夕飯の材料。健太がママの肉じゃが食べたいってうるさくってさ」
莉奈がキッチンに置いたのは、大量の食材が入ったスーパーの袋。
「莉奈……。私、今日はちょっと目眩がして、立ってるのも辛いの」
「えー、でも健太、楽しみにしてるんだよ? 妊婦は動いた方が安産になるってネットに書いてあったし、リハビリだと思って作ってよ」
莉奈は私の体調など、これっぽっちも心配していない。 それどころか、私を「便利なデリバリーセンター」か何かだと思っているようだった。
◇
大きなお腹を抱え、台所に立つ。 煮物の湯気が顔に当たり、吐き気がぶり返す。
それでも私は、娘夫婦のために包丁を握り続けた。 そうしなければ、自分の存在意義が消えてしまいそうで怖かったのだ。
「あ、そうだママ。赤ちゃんの名前、もう決めたんだ!」
莉奈はリビングのソファでくつろぎながら、自身のスマホを私に見せてきた。 画面には、キラキラしたベビー服の数々。
「女の子だから『美奈』。私の名前から一文字取ったの。可愛いでしょ?」
「……そうね。可愛いわ」
「健太も超張り切っててさ。もうベビーカー買っちゃった。最新の、十万もするやつ!」
莉奈は楽しそうに笑う。 その光景だけを見れば、幸せなプレママそのものだ。
けれど、その幸せの土台になっているのは、私の苦痛だ。
健太君も、たまに顔を出す。 彼は私と目を合わせようとはしない。 ただ、私のお腹に向かって「元気で産まれてこいよ」と声をかけるだけだ。
そこに「私の体への労わり」は、欠片も存在しなかった。
「あーあ、早く産まれないかな。ママのお腹、もうパンパンじゃん。重そうだね」
莉奈が他人事のように言う。
「……莉奈、産んだ後のことだけど。しばらくは私も育児を手伝うわよね?」
私の問いに、莉奈は当然といった顔で頷いた。
「当たり前じゃん。私、育児なんて自信ないし。夜泣きとか無理だよ。ママがこっちのマンションに来て、全部やってよ。私は『外向きのママ』をやるから」
「……全部?」
「そう。授乳は……あ、私、胸の形崩れるの嫌だから完母は無理。ママ、ミルク作って飲ませてね。あ、でもママからも母乳出るなら、それ飲ませれば安上がりだよね!」
莉奈はケラケラと笑う。
それは、冗談には聞こえなかった。
彼女が欲しがっているのは「可愛い赤ちゃん」というアクセサリーであって、育児という泥臭い現実ではないのだ。
私から「産む権利」を奪い。 次は「育てる義務」だけを押し付ける。
お腹の中の赤ちゃんが、ポコリと動いた。
愛おしいはずの胎動が、この時ばかりは、私を食い荒らす寄生虫の蠢きのように感じられて、私は震えながら鍋を見つめた。
第7話をお読みいただきありがとうございました。
膨らんでいくお腹と、反比例するようにすり減っていく由美の心。 莉奈の「搾取」は、もはや隠そうともしないレベルにまで達していました。
そしてついに、その時がやってきます。 次回、第8話:命懸けの出産。 四十五歳の高齢出産。 壮絶な痛みの末に由美が手にしたのは、希望か、それとも――。




