女性の影
夫に女性が居る―妻は目の前が真っ暗になった。
営業課の同期の峯は、「女性が居る」と告げただけではなく、相手の女性も夫と同時期に会社から居なくなっていることも教えてくれた。
「もしかしたら、二人で失踪したのかもしれない。」と峯は言った。
その言葉の後の事は全く分からない。
話してくれる峯の口は動いていたが、言葉は聞こえなかった。
その女性の名前も教えてくれていたのかどうか……もう妻は時が止まったかのように動けなくなって、耳に何も入って来なかった。
義父の「美月さん、大丈夫か?」と言う声だけが聞こえた瞬間、時が動いた。
「あ……帰る時間ですね。」
「美月さん……。」
「帰らないと……待ってます。待ってくれてますから……陽向が……。」
「そうだな、待ってるな。
峯さん、ありがとうございました。」
「いいえ、お役に立てずに申し訳ありません。
奥さん、大丈夫ですか?」
「……ありがとうございました。」
「いいえ……あの、お気をつけて……。」
「はい、ありがとうございます。」
「では、失礼します。」
お礼を言い帰る為に立ち上がった時、倒れかけた妻を義父が支えた。
支えて貰って初めて妻は「お義父さん……。」とだけ言って泣き崩れた。
義父に支えられながら、会社を後にした。
泣いている姿を何人に見られたのだろうか……そういうことも今の妻には考えが及ばない。
支えて歩いている義父にも、周囲の視線など目に入らなかった。
それから、一言も話さないまま妻は義父と家に帰った。
妻は涙を隠せずに、心配している母と義母の言葉も耳に入らなかった。
そのまま息子を抱いている母から奪うようにして抱いて寝室へ入った。
息子を抱き締めながら妻は泣いた。
「ひーくん……ひーくん……ごめんね……ごめんね。」
乳児の息子を抱きながら、息子に謝り続けた。
妻の何が不満で夫が他の女性に走ったのか、分からない。
何も言ってくれなかった。
不満があったのなら言って欲しかった。
話して欲しかった。
⦅努力したのに……。⦆と妻は思った。
そして、思った。
⦅もう二度とここには帰って来てくれない……。
私とひーくんを……捨てたんだ。
もう……二度と……帰って来てくれない……帰ってくれない。⦆
愛する夫の心を掴んだ女性が居るという事実が大きな壁になって立ちはだかったように妻は感じた。




