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退職

夫が帰らなくなって5日後に会社へ行くことになった。

夫の上司にアポイントを取り、会って頂ける日時が決まった。


義母が家の片づけをし、母が息子を見てくれている間に、義父と二人で夫が勤務していた会社に向かった。

家を出る時に授乳したが、妻は不安だった。

今まで哺乳瓶で授乳したことが無かったからだ。

完全母乳で、「こんなことになるのだったら、ミルクにしてたら……。」と呟いた妻に、二人の母は言った。


「大丈夫よ。まだ、三ヶ月。

 意外にあっさりとミルクを飲んでくれるわよ。」

「お願い……お母さん。」

「任せて! こっちは子育て経験者が二人いるのよ。」

「お願いします。お義母さん……。」


会社に着くと、妻は身体が震えていた。

本人は気付かなったが、身体は小刻みに震えていた。

会社の正面玄関を入った所にある受付で夫の上司に取り次いで貰った。

通された部屋で上司を待った。

ドアが開いて若い課長が入って来た。


「加納さんの奥様とお父様ですね。」

「はい。今日はお時間を頂戴しまして誠にありがとうございます。」

「こちらこそ、ご足労頂き誠にありがとうございます。

 私は課長の木村と申します。

 どうぞ、ソファーにお掛けになって下さい。

 加納さんの退職金などお話致します。」

「ありがとうございます。」

「加納さんの退職金など、こちらの通りです。

 こちらの口座に入金致します。」

「こちらの書類は持ち帰らせて頂いて宜しいでしょうか?」

「はい、お渡しするよう用意致しましたので、どうぞお持ち帰りください。」

「あの……退職理由は何だったのでしょうか?

 夫が帰ってきておりません。

 何があったか私は全く分からないのです。

 自宅での様子は全く変わっておりませんでした。

 会社で……あの……失礼を承知でお聞きしております。

 会社で何かあったのでしょうか?」

「……加納さんは、仕事でも人間関係でも何も問題が無かったように思います。

 私から見れば……ですが……。

 課の他の者にも聞いてみましたが、何も無かったように聞いております。」

「……そうですか……。」

「帰って来られていないということで、警察には届け出られたのですか?」

「はい、行方不明者の届を出しました。」

「そうですか。奥様もお父様もお辛いことと存じます。」


妻は項垂れてしまい、顔を挙げられない。

その姿を案じながら、それまで一言も発していなかった義父が口を開いた。


「申し訳ないのですが……お願いがございます。」

「なんでしょうか?」

「息子の同期の方などに話を直接伺うことは出来ますでしょうか?」

「はい。この後……ということでございますね。」

「はい。お願い出来れば……。」

「お父様の御心分かります。まだ幼いですが、私も人の親ですので……。

 うちの課の者以外でも、営業課に仲良くしていた同期が居ると聞いておりま

 す。」

「そうですか。その方からもお話を伺えれば幸いでございます。」

「分かりました。

 では、先ずは課の者をこちらに呼びますので、暫くお待ち下さい。」

「はい。ありがとうございます。」


課長が出て行って、義父と二人になった。


「お義父さん……ありがとうございます。

 他の方にお話を伺えるように話して下さって……。」

「お礼を言って貰えるようなことをしていないよ。

 出来れば色々な方から海斗のことを教えて頂きたいと思っていたんだ。

 勝手をして済まないね。」

「いいえ、いいえ……。」


会社に一人で行くと言っていた妻だったが、一人でなくて良かったと思った。

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