若い女性
その日は妻の母が出掛けていた。
息子は学童保育から帰って来た。
あの若い女性と一緒に……。
「こっちだよ。トイレ。」
「ありがとう。借りるわ。」
ランドセルをリビングに急いで置いた息子がトイレの前に行くより早く、あの若い女性が出て来ていた。
「あのね、こっちで手を洗って。」
「ありがとう………ねぇ、ひーくん。」
「うん? なぁに?」
「今日は一人なの?」
「うん、今日は一人。
直ぐにママが帰って来るよ。」
「まぁ、そうなの?
それまで一人じゃ寂しいでしょう?」
「う……ううん。でも、僕、もうお兄ちゃんだから……。」
「そうね、ひーくんは、もうすぐにお兄ちゃんになるのよね。」
「ううん、もうお兄ちゃんだよ! 小学生なんだから……。」
「うふふっ……そうね、もう!お兄ちゃんよね。」
「うん!……お姉ちゃん、僕、お兄ちゃんだから寂しくないよ。
ちゃんとお留守番出来るんだよ。」
「そうね、お兄ちゃんですものね!」
「うん!」
「ひーくん、ありがとう。」
「なにが?」
「お手洗いを貸してくれて……ありがとう。」
「ううん、困ってる人を助けるんだ。
ママがね、僕に教えてくれたんだよ。」
「そう…………。」
「ちゃんと、うがいと手洗いもしてるでしょう。」
「偉いわね。
ひーくん、ランドセルは?」
「あっ! リビングに置いたままだっ!
片付けないと………。」
若い女性は息子の後を付いて、リビングに入った。
部屋を見渡している。
リビングに飾られている家族の写真に引き寄せられるように、若い女性は近づいた。
その写真は生まれて間もない息子と妻、そして夫……両家の両親が写っていた。
写真立ての中の人は全て笑顔だった。
じっと写真を見ている若い女性に気付いた息子は、「この赤ちゃん、僕だよ。」と嬉しそうに言った。
それを聞いても若い女性は言葉を返せない。
「お姉ちゃん? どうしたの?」
「……えっ?」
「……怖い……お顔……。」
「……ひーくん、ごめんね。
ちょっと考え込んでしまって……。」
その時だった。
玄関が開いて妻が帰って来た。
妻は玄関にある見知らぬパンプスが1足。
ローファーパンプスが1足あったのだ。
⦅何? 誰か来たの?………陽向!⦆と思うと、大きな声で息子を呼んでいた。
「陽向っ! どこに居るの!」
「ママぁ―――っ! お帰りなさい。」
「陽向っ!」
妻は息子を抱き締めた。
強く強く抱き締めていた。
「ママ、どうしたの?」と聞く息子の声を無視して、妻は息子を抱き上げた。
⦅誰かいる!⦆という恐怖に妻は包まれていた。
そこに、あの若い女性が現れたのだ。
「ひーくんのお母さん、私です。」
「あ………貴女は………。」
「ちょっと用を足したくって、困ってたんですよね。
そしたら、ひーくんが『僕んちのトイレ使っていいよ。』って言ってくれたんで
すよ。
ひーくん、優しいですね。」
「………そ……そうだったんですね。」
「ええ、本当に優しい子。
パパに似たのね。」
「えっ?」
「じゃあ、お邪魔しました。
ひーくん、またね。」
「うん。またね。」
若い女性の後姿は何故だか勝ち誇ったような歩き方をしている―そう妻は感じた。
そして、息子に話して聞かせた。
「ひーくん、助けてあげたのは、とっても偉かったわ。
でもね、ひーくんは子どもなの。
小学生になって、お兄ちゃんになったけど、子どもなの。
だから、だからね………おばあちゃんやママが居ない時に………。
ひーくんのお友達でもね……おうちに居れないで欲しいの。」
「どうして? 僕、いけない子?」
「いけない子じゃないわ!
ただね、ただ……子どもだけだったりして、その時に何かがあっても……。
万が一、怪我をしても助けられないでしょう?
大人が居ないと助けられないでしょう?
だから、お友達でも入れないで!」
「お姉ちゃんは大人だよ。」
「うん、そうね………大人よね。
でも、でもね、おばあちゃんにとって知らない人なのよ。
ママにとっても、ちょっとお話しただけの知らない人なの。
知らない人を、おうちに入れて欲しくないの。
分かるかな?」
「おばあちゃん、ママが居ない時におうちに入れちゃ駄目?」
「そうよ、駄目なの。」
「………分かった。」
「ひーくん、ママ、知らない人の靴が玄関にあったのを見て………
怖かったの……ひーくんが怖い想いをしてたら……って思って……
怖かったの。」
「ママ? 怖かったの?」
「うん、めっちゃ怖かったぁ~~っ。
だから、もうしないでね。」
「うん! 分かった。
ママ?」
「なぁに?」
「もう、怖くない?」
「もう怖くないわ。」
「僕がママを守るからね。」
「ひーくん……ありがとう。
ママの小さなknightね。」
「ないと?」
「ええ、騎士よ。王様を守る騎士。」
「ないとぉ~~っ。」
妻は息子が寝てから、両親に話した。
そして、遅く帰って来た夫に話した。




