恵茉
夫が過ごした5年もの日々。
その日々を支えたのが酪農家の夫婦とその娘だった。
娘は大学の頃の恋人が困難な状態に陥っていると聞いて、矢も楯もたまらずに連絡を取った。
忘れられない男性だった。
結婚した後も忘れられなかった。
両親から酪農家を継ぐことを求められていると思っていた彼女は、大学卒業後に北海道へ帰ることを選んだ。
それは恋人との別れを意味していた。
「俺よりも好きな人が出来たのか?」
「……ううん、違う。」
「じゃあ! なんで?」
「他に好きな人は居ないけど……好きじゃなくなったから……。
ゴメン。別れて……。」
「俺は好きだ!」
「お願い。これっきりにして……。」
それから直ぐに北海道へ帰った。
彼女は養女だった。
親が育てられずに乳児院に居た乳児だった彼女を特別養子縁組で親になってくれたのが、今の両親だった。
だから、親孝行すべきだと思い込んでいた。
北海道へ帰ってから、彼女は周囲が進めた縁談相手と結婚した。
両親は不安がっていた。
「本当にいいのか?」
「うん。」
「この仕事は俺たち夫婦で終わりにするんだぞ。」
「えっ?」
「親はな……我が子が幸せだと思う人生を歩んでくれたら……
それだけで十分な親孝行をして貰えてるんだ。」
「……お父さん……。」
「恵茉……お前が私達の所に来てくれただけで充分なんだよ。
もう充分に親孝行してくれたんだ。」
「お父さん………。」
「あの人で本当にいいのか?
酪農を継がない人生でいいんだぞ。」
「そうよ、今ならまだ間に合うから……。」
「……ううん、継ぎたいの。」
「東京の大学を卒業したのに……。」
「いいの。私が選んだの。
継ぎたいの。お父さんとお母さんの傍に居させて……。」
「恵茉……ありがとう。」
「ありがとう……。」
あれから、彼女は結婚して夫婦で酪農を継いだ。
親夫婦と子夫婦。
4人で酪農をして、段々、彼女の夫が考える酪農と違いが出てきた。
大規模化したい婿と舅との間に入って、彼女は気苦労ばかりの日々だった。
その中で娘の誕生だけが4人を結びつけた。
それでも綻びは大きくなった。
「お願いだから、もう少し優しく言ってあげてよ。」
「優しく言ってる。」
「でも……お父さん……。」
「……なぁ、お前……俺を誰かと比較してないか?」
「……何のこと?」
「お前、忘れられない人が居るんだろう?」
「……何を言うの……。」
「聞いたことがある。
その人だったら違うのか?」
「止めてよ!」
それからは、より一層綻びは大きくなってしまった。
それから彼女は離婚を申し出られてしまった。
家を出る時、彼女の夫は言った。
「これで、お前は自由だな。
元気で……幸せになれよ。
あの子のこと……頼むな。
養育費は必ず入金するから……頼む。」
「面会日……必ず会ってあげて!」
「当然だ! 俺も娘に会いたい……。」
それから1年が経って、あの忘れられない加納海斗と再び縁が繋がった。
彼女が繋げたのだ。
日々を同じ仕事をして過ごした。
同じ家ではなかったけれども、彼女は青春の日々を取り戻した気持ちになっていた。
加納海斗の愛も取り戻した気持ちになっていった。
⦅海斗を支えているのは私だわ。
奥さんじゃない。
この私よ。
娘も懐いてくれてるし……海斗が離婚してくれたら……。
幸せになれるのに……。⦆
そう思うようになった頃、妻が会いに来たのだった。
その日は別れた夫との面会日だった。
娘が喜んでいる。
会いに行くのが正解だったが、直前まで彼女は迷った。
娘の「パパに会える!」という喜びの声が、彼女を迷いから解き放った。
「パパに会えるね。」
「うん……ねぇ、ママ。」
「うん。なぁに?」
「パパと一緒がいい。ずっと一緒がいい。 駄目?」
彼女の心が深い後悔の海に飲み込まれた瞬間だった。
深い後悔の海に飲み込まれたのは、この日が最初ではなかった。
離婚を「パパのお仕事の都合で、パパは遠くへ行くの。」と話した時、娘が夫に抱きついて「パパぁ~、行かないで。お願い。」と泣いた姿を見た瞬間も……深い悔の海に飲み込まれたのだった。
⦅母なのに、女になるところだった。母なのに……。⦆と彼女は思った。
面会を終えて、帰宅した彼女に加納海斗は彼女に告げた。
「東京へ行く。
決着を付けてから家族の元へ帰るよ。
今まで本当にありがとう。」
「……かえる……?」
「うん、帰る。
帰りたかったんだ。ずっと……。」
「……そう……そうなの……。」
「本当にありがとう。
元気で……それから、ご主人に宜しく!」
「もう、ご主人じゃないわ。」
「ご主人に戻って貰った方がいいよ。
子どもの為にも……な。
第一、恵茉さんの為に……。」
「私の為?」
「そう、君の為だよ。
面会を父と娘だけにしていないことに現れてるよ。」
「………そう……なのかしら?」
「そうだよ。
俺は美月の元に帰る。
君は元の鞘に戻れるなら戻った方がいい。」
「………さぁ……どうかしらね。」
「じゃあ、さようなら。」
「もう出るの?」
「うん、善は急げ!だ。
元気で! さようなら。」
「さようなら。」⦅たった一人……心から愛した男性……さようなら。⦆
愛した男性が去った後も、仕事で忙しく過ごしているうちに深く就いたと思っていた心の傷も忘れる時間があるようになった。あまり日を経ることなく……。
あの昔の恋の残り火は消えてしまっていたのだろう。
それなのに、辛いこと嫌なことがある度に「昔の恋に執着」していたのかもしれないと思えるようになった。
そして、彼女の元夫と娘と過ごす時間は増えていった。
酪農を手伝ってくれることも増えていった。
もしかしたら、いつか娘が望む家族の姿に戻れるのかもしれない。




