対面
通された部屋に横たわっている遺体があった。
顔には白い布が掛けられていた。
その遺体に真っ直ぐに進んでいく妻は、宙を浮いて歩いているような感覚だった。
地に足が付いていない、フワフワした足取り。
「顔の損傷が激しくて……お見せするのは……。」
「……はい。」
「身長などの身体的特徴と血液型は一致しています。
ただ、一致しているのは、それだけなんです。
ですので、加納海斗さんと特定できておりません。
そのような理由ですので、身体の特徴を先に御覧下さい。」
「……はい。」
「あの……。」
「お母さんですね。」
「はい。」
「何かご質問ですか?」
「あの……この方……どんな風に亡くなられたんですか?
顔の損傷が激しい……って……どういう…………。」
「税金を払わない者への批判が高じて、直接に害を及ぼしている事件です。
今はネットで同じ意見の者同士が繋がりやすくなっているのかもしれません。
今回の加害者はネットを介して集まった者たちかどうかも定かではありません。
殴る蹴るなどだけではなく、金属バットや角材などを使って死に至らしめていま
す。
それも、顔に集中しています。
もしかしたら……ですけれども、亡くなっても目が開いていて、その目に見られ
ているという恐怖があったのかもしれません。
これは、私の想像です。
想像を警察が言うのは駄目なのですが……あまりに酷い損傷ですので……。」
「そうですか……酷い……損傷………。」
「身体も傷が多いのですが、どうか身元の特定にご協力をお願いします。」
「はい。」
身体に掛けられていたシーツのような白い布を取り払われて、夫と同じ身長の男性の姿が妻と義両親の目に入った。
血の気が無く、傷だらけの身体。
涙を流すまいと妻は決めた。
この男性が夫と決まった訳ではないからだ。
ふと右胸の下部に何かがある。
夫には無い何かが………ある。
「あの、これは黒子ですか?」
「……この傷の所にある黒い…………あぁ、これは黒子ですね。
打撲の跡の…傍にあるこれは黒子です。
少し盛り上がっている黒子です。」
「夫には黒子がありません。胸に黒子はありません。」
「そうですか。では、別人だと思われますか?」
「はい! 夫ではありません。」
「ええ、違いますわ。息子ではありません。」
「美月さん、他にも違う点があるか見ないといけないよ。」
「他にも………。」
「二か所ほど違っていれば海斗ではないと言い切れる。
私はもっと確信を得たい。」
「分かりました。もう少し、確認しても宜しいでしょうか?」
「勿論です。どうぞ、ご確認ください。」
「はい。」
「あの……頭部を見させてください。」
「はい。どうぞ。」
「あ………無いわ。」
「何が?だ!」
「あなた、無いのよ。旋毛が……。」
「旋毛? ここに在るじゃないか。」
「ううん、あの子ね。
小さな旋毛がもう一つ在るのよ。
この旋毛だけじゃないの。」
「じゃあ!」
「海斗じゃないわ!」
「お義父さん! お義母さん! 海斗さんじゃないんですよね。」
「ええ、ええ、そうよ。海斗じゃないわ。」
「海斗じゃない。」
「ご確認頂き、ありがとうございました。」
黒子の有無だけで夫ではないと確定した。
DNA鑑定も行うということだったが、夫の髪の毛など全く残って居ない。
だからDNA鑑定無しで夫ではないと確定するしかなかったのだ。
それでも、黒子の有無で「海斗じゃない!」と嬉しそうに泣いている加納海斗の母親、そして加納海斗の妻に「別人と確実に特定出来てはいないこと」を立ち会った警察官は言えなかった。
涙で顔がグチャグチャになった3人は、顔を見合わせて笑みを浮かべた。
⦅生きている。あの人は生きている! 生きてくれてるんだわ。⦆と……妻は嬉しく安堵した。
だが、夫の行方は分からないままだ。
住民票も移していない夫。
生きてくれているのかさえ分からないまま時間がだけが過ぎていった。




