待つ者
妻は義父から「名刺の人」と会ったことを聞いた。
「名刺の人」村上紘毅は、夫の1歳下で経理課で働いていたそうだ。
夫が退職した1年前に村上紘毅も退職したそうだ。
退職した村上紘毅は父親が経営する会社に戻り、父親の跡を継げるように日々精進していると言っていたそうだ。
村上紘毅の会社は中小企業で、従業員は20名以下だと聞いたそうだ。
同期が村上紘毅の結婚を祝ってくれた時に、夫の退職と失踪を知ったということだった。
「何も進展は無かったよ。」
「そうですか………。」
「彼も何も知らなかった。
ただただ驚いて何があったのか知りたくて来たそうだ……。」
「そうですか……。」
「済まない、美月さん……。
興信所で探して貰って1年……ただ、何も分からないんだ。
住民票も移していない……今、生きているかどうかさえ分からないんだ。」
「お義父さん! もう、もう充分して貰いました。
興信所にお幾ら使われたんですか?」
「美月さん、それはね、親の務めだから……。」
「いいえ、お義父さん、お義母さんの生活のお金です。
もう、これ以上は……。」
「ありがとう……ただね、美月さん。」
「はい。」
「親が子を思う気持ちがあってね、私達がやりたいだけ……やらせて貰えないか?
もう無理だと言う時が来たら、そのままを伝えるからね。」
「お義父さん……。」
「案外、早かったりしてね…………あ…ははは……。」
「分かりました。お義父さん、お義母さんが思われるだけ、なさって下さい。」
「美月ちゃん……ありがとう。」
「ありがとうね……美月さん。
……美月さん、君の身体のこともある。
ご実家に帰っては……どうかな?」
「それは、この家を出るということですか?」
「この家は賃貸だから……契約更改時に出ることも可能だろう?」
「それは、そうですが……。
この家を出たら海斗さんが帰って来た時に家が無いかったら……海斗さん、帰ら
れないじゃないですかっ!」
「……今日明日の話じゃないよ。
契約更改時に、その前に考えてみてはどうかな?
君が倒れたら、困るのは陽向だからね。」
「そうよ、ひーくんの為に、ご実家に二人で……考えてみて頂戴ね。」
「ひ―くんの為……。」
「そうだよ。子どもの為だ。」
「考慮します。」
「うんうん、ゆっくりでいいのよ。」
「はい。」
ある日、息子と帰宅して空き巣が入ったことに気付いた。
家の中に大きな変化は無かったが、あるはずの封筒が無かった。
自治会費を入れていた封筒だった。
今、自治会で班長をしている妻が会員から集めた自治会費だった。
「あれっ? 無い……ここに入れていたのに……あれっ?」
家の中を探しても探しても見つからなかった。
「空き巣?……空き巣が入ったの……?」
「ママ……ママ……まんま。」
「ひーくん、待ってね。
電話したら、ご飯だよ。」
「でんわぁ?」
「そう、電話架けるからね。」
「じぃじ?」
「ううん、違うよ。
ちょっと待ってね。」
慌てて警察に電話を架けた。
そして、両親に電話を架けると、急いで両親が来た。
到着した警察が指紋などの採取と妻への事情聴取を行った。
「最近、この辺りで空き巣が多発しています。」
「自治会の回覧で知っていましたけれども……まさか……。」
「そうですね、まさかって思いますよね。
でも、絶対に入られない家はありません。
……所で防犯カメラはありますか?」
「ありません。」
「そうですか……指紋は残していないでしょう。
逮捕してもお金は戻って来ないと思って下さい。」
「はい。」
「まだ、金額も少なくて良かったと思って下さいね。
何も盗るものが無かったら、冷蔵庫に入ってるケチャップなどを壁に塗り捲る奴もいますから!」
「そうなんですか……。」
「ガラスも割られてない。
ただ、玄関の鍵……ここから入られてますね。」
「玄関の鍵、変えます。」
「理想は2つとも同じ鍵ではなく、別の鍵です。」
「はい。相談します。」
「そうですね。」
それからも妻は夫と暮らした家に住んでいた。
空き巣が入って怖いと思ったが、家には夫との想い出があり、夫が帰って来る家だ。
だから、なかなか家を出る気持ちになれなかった。
そして、夫が帰って来なくなって3年が経った。
待っても夫は帰って来なかった。
妻は息子と二人で実家で暮らすことにした。
両親の家に住むことにしたのだ。
息子は夫が居なくなった時、生後三ヶ月だった。
今は3歳と三ヶ月。
首が座って間もなかった息子が、走り回っている。
その成長を夫は知らない。




