2 おはよう!
「はあ、はあ…。」
少年の足に荒れたコンクリートの冷たさが直に足の裏に伝わる。彼の体には今すぐに止まって休みたいほどの疲労が溜まっているが、体は止まろうとしない。何かから逃げているのか、あるいは何かを求めているのか、それすらも彼には分かっていなかった。ふいに力が抜ける足をなんとか使いながら走り続ける。
少年の頭は大量の疑問符で包み込まれていた。異世界から出てくるまで何が起こっていたのか、何故体に力が上手く入らないのか、自分が何者なのか…。ここが日本で、日本がどういう国で、世界がどんなものなのかも大体分かる。ただ、自分を取り巻く全てが疑問符に包まれている。それがとても気持ち悪い。
「もう…だめだ。」
遂に少年の体も断念して、工場の敷地内の草むらに倒れ込んだ。少年の鼻腔には青い香りが満ちていく。
━…。…さい。━
「んん…。」
━そろそろ起きて下さい。━
少年の耳にかすかな少女の声が響く。
━…まだ起きないんですね。こうなったら奥の手、全力背中叩き!━
「おげっ!」
少年は背中に走る痛みで目が覚めた。
「夢か?変な夢だったな…それにしては妙にリア」
「おい、大丈夫か?」
「うわ誰だお前!?」
追崎とチェイサーは少年の顔を覗き込む。少年は目の前に現れた二つの顔に驚き声を上げた。
━元気そうだな。━
「うわっ、幽霊!?観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見…」
━幽霊じゃねえ魂、待てなんでそんな流暢に般若心経を唱えられる?━
「俺はスタビライザー特殊派遣部隊、追崎コウイチだ。繋界から少年が飛び出してきたのを見たとの通報を受け、探しに来たんだ。とりあえず、名前を教えてもらえるか?」
「分かった。俺の名前は…あれ?名前は…。」
「…何があったのか聞かせてもらえるか?」
少年は正直に分かることを全て話した。異世界にいたときのことをよく覚えていないこと、とにかく走り続けようとしていたこと、自分のことがまったく分からないこと、さっきの彼が見た夢のことも話しておいた。
「…不明瞭な点が多すぎるな。記憶喪失ってやつか?でも頭に傷はないし、酔っていたり薬をやっているようにも見えない。精神的な要因があったらそれは別だが。念の為だが、何も持ってはいないんだよな?」
「何もないよ。ポケットもないし。」
━そうみたいだな。麻薬や危険物も感知できない。所持していた痕跡もなしだ。━
「となると運び屋でしらばっくれてるという訳でもなさそうだな。連絡のとれる家族や友人はいるのか?」
「分からない。少なくとも、今は思い付かないな。」
「んんー…とりあえず、近くのスタビライザーの建物まで行こう。そこでこれからどうするのかを決める。電話するから少し待っててくれ。」
追崎はスマホを片手に少し離れた場所へと歩いていった。
━そう案ずるな。お前は犯罪者ではないのだろう?悪い処遇にはならないだろうから、安心しろ。━
少年は立て続けに起こる様々な出来事に疲れてしまい、ボーッと工場の光を眺めていた。
「(…あれ。光が小さくなっていく。こう、まるで引っ張られていくように…)
…は!?」
少年の気のせいではなかった。後ろには小さな繋界が現れており、体はそこに向かって引っ張られていく。
━コウイチ!繋界が出た!コイツが持ってかれるぞ!━
「なんだって!?」
「ちょ、引っ張られる!助けて!ヘルプ!」
━俺を掴め!━
少年はチェイサーが差し出してきた手を掴むことはできず、体は一気に異世界へと飲み込まれた。そして目の前で繋界は閉じられた。
「最悪だ…!まだ閉じていなかったら交差点の繋界から異世界に入る!もし閉じていたらキーを借りて異世界に入るぞ!」
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「うわ━━━━っ!痛っ!」
引っ張られたときの勢いのまま、少年の体は異世界側の工場の壁に打ち付けられた。
「一体今度はなんなんだ?」
顔を上げると、そこには顔を仮面で覆い、白衣を身につけた怪しげな集団がいた。
「…あ、えーっと、ご機嫌よう?一旦落ち着いて優雅なティーでも…。」
「異世界へ連れ込んだぞ!捕まえろ!」
「やっぱ駄目な奴だった!アフタヌーンティーにしては遅すぎたか!?」
少年に戦闘手段などあるわけもなく、全力で逃走する。立ち並ぶ工場や倉庫を通過していくが、撒くことができない。それどころか、足音がさっきの何倍にも増えていく。
「お前は包囲されている!逃げても無駄だ!」
「大人しく投降しろ!」
「対象、6丁目の倉庫内に侵入!」
先ほどまで裸足で走り疲弊していた少年の体力の限界は早かった。遂に前からも追手が来てしまったので、倉庫の側面に取り付けられている階段を登り、屋上に上がる。しかしそこには、既に追手が待機していた。
「ここまでだ!対象、6丁目の倉庫の屋根で包囲。これから確保に移る!」
仮面をつけた人々が少年ににじり寄っていく。
「大人しく捕まるかよ!」
少年は逃げ場がないことを確信し、このまま捕まるくらいだったらと、反撃してチャンスを生み出すのが最善と判断した。
「敵は…男19、女11の計30。やれるか?」
比較的小柄な人を選び、攻撃を仕掛ける。まさか突撃してくるとは思わなかったのか、驚いているところを狙って顎を殴り飛ばす。
左右から向かってきた2人は手にスタンガンを持っていたので、屈んで回避し、そのまま1人のスタンガンを奪って蹴り飛ばす。そしてそれを使ってもう1人を痺れさせ、腹に蹴りを喰らわす。
少年の予想通り、彼らは少年を殺すことはできない。つまり、銃やナイフなどの致死性の高い武器は使ってこないということなので、恐怖は少なかった。
また1人、また1人と確実に仕留めていく。だが14人目を倒したとき、強い衝撃を受けた。
「ぐぅ…っ!?」
少年が背後を見ると、最初に倒したはずの小柄な人が、テーザー銃を構えていた。全身に力が一切入らない。そのまま倒れ込んだところを少年は確保された。
「対象、確保!」
「拘束具をつけろ!」
「散々コケにしやがって…!」
少年は謎のスプレーを顔に噴射されると、声も出すことができず、視界もぼやけてしまった。睡魔に抗うことはできず、そのまま深い眠りへと落ちていく…
━…あ!やっと戻ってきましたね。━
再び少女の声が少年の耳に響く。震える瞼を開けて起き上がった少年の前には、濃い紺色のドレスを着た、白い長髪に白い肌、青と緑のオッドアイの少女がいた。足はなく、脛あたりから光の粉が出ている。
「ん…あれ、ここは?俺もしかして死んだ?」
彼らを囲む光景はまさに天国。青々と広がる草原と、大空のみが存在している。
「(冗談抜きで、ここで寝ていれば天国に到達できそうだ。)」
━死んでないですよ。ギリギリ。三途の川に片足突っ込んでるくらいなので大丈夫です。━
「大丈夫の意味調べてくれよ!てかまずお前誰!?」
━申し遅れました。私は魂のガイードです。━




