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座布団に腰を掛けた上で、渡瀬亮介は話す。
「今からちょうど一ヶ月前に六甲アイランドで発生した火災事故。それはかなり甚大なモノだったと聞いている。死者こそ出なかったが、負傷者はおよそ20人と言われている。その負傷者の一人が、荷田敏彦だ。彼は溶鉱炉から溶け出した液体状の鉄に触れてしまい、頬に大きな火傷を負ってしまった。それはニュース記事でも読んだ。――俺は、この事故が理由で荷田敏彦という作業員は河島製鉄を退職せざるを得なくなったと考えている」
彼の話に対して、新庄敦司は妙に納得した表情を見せていた。
「ああ、だから荷田さんの職業が不明だったんですね。――そして、顔に火傷を負ったことによってその顔を隠さざるを得なくなったと」
「その通りだ。――恐らくだが、顔を隠す生活を送らざるを得なくなったことによって、彼はタガが外れてしまったようだな」
「タガが外れたって、まさか……」
「そうだ。タガが外れたことによって、荷田敏彦という人物は『無敵の人』となった。そして、彼は火災事故の原因となった河島製鉄に対して復讐しようと目論んだんだ」
「復讐? しかし、被害者は全員未成年の少女ですよ? 彼女たちに何か共通点でもあるのでしょうか?」
新庄敦司の疑問を、渡瀬亮介が振り払っていく。
「――被害者の少女は、全員河島製鉄で働いている作業員の子供だ」
ショッキングな真実に、新庄敦司は少し沈黙してしまった。
少しの間を置いて、彼は話す。
「つ、つまり……被害者の少女たちは、全員河島製鉄で働いている作業員の家族と言いたいんですか!? そんな理由で殺人に手を染めるなんて、それこそ外道の犯行ですよ!」
感情をあらわにする新庄敦司に対して、渡瀬亮介は冷静に答える。
「ああ、確かに外道の犯行だな。――しかし、彼が河島製鉄に対して報復したい気持ちは分かる。火災事故の原因は、彼に対して不満を抱いていた作業員がわざと高炉の温度を上げたことによるものだからな」
「荷田さんに不満を抱いていた作業員って、誰なんでしょうか?」
「――これは俺の憶測でしかないが、恐らく落合翔子の父親だろう。彼女の父親に聞いてみれば、何か分かるんじゃないのか?」
「な、なるほど……。つまり、僕が落合さんの家に向かえばいいと」
「その通りだ。――俺から言えることは以上だ。あとは自分の目で確かめることだな。お前、刑事だろ?」
「そうですね。それじゃあ、僕は落合さんの家へ行ってきます」
「ああ、分かった。――幸運を祈っている」
早く荷田敏彦を逮捕しなければならない。しかし、本当に彼が犯人なんだろうか? そういう疑問を抱きつつ、新庄敦司は落合翔子の自宅へと向かった。
落合翔子の自宅は、芦屋川から少し入り組んだ住宅街の中にあった。――よくある一軒家である。
チャイムを押すと、母親と思しき人物の声がした。
「あの、どちら様でしょうか?」
「僕は兵庫県警捜査一課の新庄敦司という者です。あなたは落合翔子さんの母親で間違いありませんね?」
「はい、そうですけど……」
「実は、娘さんの件で伺いたいことがありまして。――中に入ってもよろしいでしょうか?」
「はい。翔子を殺した犯人に報復が出来るなら、何でも良いですので」
落合翔子の母親がそう言ったところで、新庄敦司は家の中へと入っていった。
「――なるほど。刑事さんは『荷田敏彦』という人物が犯人だとおっしゃると。確かに、荷田敏彦は私の夫の部下ですが……彼の勤務態度に問題はありませんでしたし、彼が夫を恨むようなこともありませんでしたが……」
母親はそう話した。
しかし、新庄敦司は渡瀬亮介の入れ知恵から自分の考えを述べていく。
「しかし、そうは言いますが……仮に、あなたの夫が荷田敏彦さんに対してパワハラをしていたとしたらどうでしょうか?」
「パワハラ……ですか。――分かりました、夫を呼びますので少しお待ちください」
そう言って、彼女は落合翔子の父親を呼び出した。
落合翔子の父親――名前は落合鉄雄と名乗っていた――は、恰幅の良い男性だった。恐らく、彼が製鉄所において作業員の管理をしているのだろう。
落合鉄雄は話す。
「あなたが刑事さんですか。――確かに、私は荷田敏彦から見て上司に当たる人物で、製鉄所における高炉の管理をしていました。しかし、私は常に部下を大事にしている人間。そんな、部下に対してパワハラをするなんてもっての外ですよ」
「それはそうでしょうね。――でも、あなたが引き起こした火災事故によって荷田敏彦さんは顔に大きな火傷を負ってしまった。それは事実ですよね?」
新庄敦司の一撃は、落合鉄雄という人物に対して――痛恨の一撃となった。
「くっ……」
落合鉄雄は、すっかり黙り込んでいる。
そんな彼に対して、新庄敦司は追い打ちをかけた。
「――やはり、あなたは荷田敏彦さんに対してパワハラまがいのことをしていたようですね。言い逃れをしても無駄ですよ」
それから、落合鉄雄はすべてを吐き出した。
「確かに、私は荷田敏彦という人間が気に入りませんでした。彼は勤勉で真面目でしたが、その真面目な性格が私にとって癪に障っていたのは事実です。――それで、火災事故が発生した日に、私は彼を呼び出してある事を告げました。『ウチの製鉄所で一番大きな高炉の責任者になれば、給料を上げてやる』と。もちろん、彼は食いつきましたよ。金に目がないことは知っていましたからね。そして、わざと高炉内の温度を基準値より上げて――高炉が爆発した。爆発した高炉から飛び出るドロドロの鉄は、作業員に大きな火傷を負わす結果となった」
「つまり、あなたがわざと高炉の温度を上げたことによって――荷田敏彦さんは顔に大きな火傷を負ってしまったと。そして、荷田さんは報復のためにあなたの娘さんを殺害した。多分、そうなんだと思います」
新庄敦司がそう言ったところで、落合鉄雄はぐったりと俯いた。
「そうか……。あの時、火災事故を起こしていなければ、翔子は死んでいなかったのか……」
「その通りです。――それで、荷田さんは今どこにいるんでしょうか?」
「そ、そんなこと聞かれても……私は知らないですよ!」
「まあ、そうでしょうね。――今、部下の刑事に頼んで荷田さんを捜査しているところですから」
そう言って、新庄敦司はその話を結んだ。そして、彼は落合翔子の自宅から踵を返し、部下の刑事から連絡された場所へと向かった。




