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ペットボトルでタオルを濡らしてごしごしと拭う。陰部周りが特にひどい。誰も見てはいないのだからこのまま裸で過ごしたいところだが、残念なことにここはＡＶでもＳＦでもなく現実であり、従って気象災害を防ぐには暑くとも着込むしかない。蒸れて臭うアポクリン汗腺に眉を顰めて投げ捨てる。月の半分が憂鬱な性のためだ。覗き込んだ鏡に私の顔を映す。他に映り込むものはそう多くない、平気だ。皮肉なことに髪は出発前よりキューティクルが快復していた。合理的に考えて不衛生だから切るべきか、ああいや、細菌も自身由来のものを除いて《静止》しているからにはアレが来ない限り不要か。絡む心配、も、ないな。車道のド真ん中を歩いたとて何に当たることもあるまい。ユニットバスの方角を向く。高価そうなシャンプーがあったな。使いたい。けれど、水が足りなかった。行って舐めた。華やかな香りに反して喉元で危険なアルカリ味がして、ひどく不味かった。これなら学生当時食べた犬の小便のかかった植え込みの葉の方がまだしもマシだった。犬由来の何かと反応したのか、いつもの軽い吐き気を伴う苦味の後で臼歯が蝋状物質に覆われてキシキシと。思い出して唾液が湧く。精々引き分けるくらいかな。リュックから下着を出して身に着けつつ、ちびた鉛筆の代わりを探して回る。灰色のスポブラを引っ張り出して、ふと、上下が揃うのではないかと逆さに振った。オダギリジョーみたいな男に絡みついている、厚底サンダルとルーズソックスで足元が重そうな割に頭の軽そうな、ドラッグストアの試供品コーナーでメイクを済ませてそうな脳容量の女を狙ってみた。その甲斐あって学生証から自宅を特定、サイズの合う下着を手当たり次第掻き込んだ。そんなことがあったのを思い出し、おっ、果たしてそれはあった。ミント・グリーン。花言葉は美徳。あんな子のどこが、と鼻を鳴らし、前屈みになって指環を避けつつワイヤーを当てがった。ユニクったデザインは気に食わないが、これを着けられる私は、《静止》にあって動ける私は、矢張り偉いのだと誇らしくなる。ぱちん。ストラップを緩め、鏡まで戻り、ポーズ。縁取りの装飾が脇の下で折れ込んでいないか目を凝らす。頭垢と紫外線に傷んだ白髪交じりの黒髪が赤味を帯びて肩を流れる。顎から臍の下まですとん、と起伏なく落ちる身体は、痩身というより身欠きであった。ニアワナイネ。うるさいな。紺のソックス、ココア・カラーのラミー、デニム地の白いワイドパンツ。黒いベルトで高めの位置にウエスト・マーク、ブラウジングさせて、ウインドブレーカーを拾って雨滴を振り落とし、羽織る。疲れてなんていない。頬を張った。
掛け時計を見遣る。十六時五三分。家主が社会人なら、この時間だとまだ退勤前だ。筆記具を全て持ち出している可能性は否定出来ない。すぐに見当たらないなら諦めた方がいい。この生活をして学んだ知恵である。内ポケットからサインペンと地図を幾つも並べて床に広げる。ここから先は運任せだ。風力は読めないし操船技術もない。縦しんば動かせても動力が機能する保証だってない。ガソリン車があれだけノッキングするのだから船だってそうだと見るべきだ。迂闊に動かしてドカン、は何としても避けたい。すると帆船、表面積が小さく重心が低いほどいいので帆さえ不要だろうか。補陀落渡海のようで縁起でもない。しかしウインドサーフィンでなければ何をする間もなく転覆して終わりなのもまた事実だ。帆船。現代だと九分九里が商業船である。この辺りで大きな湖か沼はないか。あまりこれ以上東には行きたくないのだが。くう。お腹が鳴る。これが終わったら食事にしよう。
ハビタブル・ゾーンがどこかの都市域と重なるなんて小説みたいな事態に期待しないことだ。ものに期待してはならない。ないモノに期待してはならない。
タイムライン概念において過去・現在・未来は直列する。予告されて到来するもののリアリティは現実性としてのケルゼンの応報律や、実在性としての熱力学第二法則といった、直観に立脚して在る。概念・推理・判断の推理を欠いた隠秘の認識だ。尤も観測者は悟性の奴僕であるからして、能客観測性のある汎実在性事象に不思議さを承認することそれ自体は悪ではない。善に適うことこそ美徳であり、幸福・自由・道徳揃っての正義であるからには、寧ろ他者の不思議は尊重されて然りだ。各人のウチのルールはソトへ絶対的に優越する。但し、四大オカルトが一であるからには、ムラは不可侵である。科学とは、機械文明に代表されるように、再現可能性である。翻って顧みるにタイムライン概念の根幹たる連続的時間並進対称性は、直観の真であった。邯鄲の夢はその反証の美だ。もし魂が無重力であったのなら、先駆先験の覚悟とア・プリオリな恐怖感情動性とを混同する愚は犯さなかった。ウチなる感情的理解はソトなる時間的事実に優越するがための適者生存。従って、悟性のムラへの侵略者は誤った神、即ち悪であり、感性主義者を名乗る彼ら彼女ら、単一時間系列のイデオロギーを信奉するルイセンコ主義的遺伝的パラダイムに属した人々は、魔女である。連中に美徳はない。不道徳だから正義ではなく、背徳しないから負わない。先生のように、それは偉そうなだけでちっとも偉くない。そして本当に偉い人なら、大人であるならば、内心の自由において魔女狩りを遂げるものである。非実在性事象とも果敢に対峙するものである。そうしてこそ。私は普通でいられる。その場で留まるためには全力で走り続けるより他ない。
因果は転倒し得る。
弱い仮説は示すに容易い。疫学的見地において相関が転倒することは無作為化比較試験や実験計画法においてそう珍しくない。不幸な家庭はそれぞれ異なる理由で不幸である。近年流行りのラボコンでの統計処理において、煙草を喫ったから癌になったと言うことと、癌になり易い遺伝的特質があるから喫煙習慣と紐付いたと言うことには、科学的に等価な実在性が承認される。ではどちらが現実性に大かと問えば、何でもない、ゼンメルワイス論文に対するウィルヒョウの態度がコッホの炭疽菌純粋培養で打倒されたように、疫学的相関は対照実測の観測を以て化学的因果となる。フラビン類縁体補酵素である電子キャリア分子がマトリックスでプロトン濃度勾配を調節してＡＴＰを合成する電子伝達系のアロステリック機構過程においてプロトンが直截的に遊離ないし攻撃されることが推定されるために仮想される炭素陰イオン中間体について、生命活動はこの仮想物質なしに駆動し得ないが不安定で観測不可能でもあるためにバイオミメティック・ケミストリーは当該物質モデルの生体外活性な類縁誘導体合成を要請している。これと同じことだ。父母未生の本来の面目たる生命循環のダイナミズムはいま・ここの私という結果が先立つもの全て整列して在れと望んだために駆動し、人はみな望まれて産まれてくるとするその期待の出発点はまさに私を不可欠とする。より敷衍して、イベントの決定がポテンシャルを分配すると一般化すれば、よってこの世界のこの私において、自由意志は、ない。存在しなかったとか脱落したとかではない。定立し得ない。透明な存在。耳のあるロボット。
形而上学的なものを敢えて名状するのは上り終えた梯子を後生大事に残すことに似ている。整理整頓清掃清潔躾は作業環境管理の第一の筈だろうに。
違います違うよ違いまぁす違う違います間違っています。異口同音。ぴっ、と嬉しそうに手が挙がり鬱鬱鬱が立つ。
発表くぁ、はふ、ありがとうございました。頭いいなぁ、矢っ張り頭のいい人はさっぱり、考えることが違うなあ、って思いました。けれど、認知科学的機能主義的見地ばかりじゃなくて、人間的な視座において、補足が必要だと思います。えー、俺はあんな、ヴァーチャル・リアリティって言うかサイバー・スペースって言うか、高邁な水準じゃ話せないですけど、あれとは別の基準があるってことは知ってます。勿論、取るに足らないことだとお思いなのは承知ですけど、でも、くふっ、大抵の、俺らみたいなそう大層でもない人間なら、求めるのが当たり前に必要なものなんです。露骨に言うことでもないでしょうが。
彼が人差し指を立てて次々に卑猥なジェスチャーをして見せると、教室はくすくす笑いを誘われた。私も笑った。
頑張った人は凄くなります。凄い人は自分が凄いことを知ってます。だから、凄い人は同じだけ凄い人を見て、どれだけ相手が頑張ってきた人なのか認めることが出来ます。それが人間ってものです。んで、仕事に対して労力が、名誉に対して努力があるように、価値には相補する他者を求めるっていう性質があります。俺達普通の人間は助け合わないとテストでいい点取れないですからね、この性質に権利を認めて、この権利使うなら必ず何かと何かとの交換にしましょうね、って大昔の偉い人に取り決めてもらったワケです。これが取引って概念です。だから本質的に取引ってものは互いに自己愛があることを前提にしています。自らのすべての自由の希求ではなく、すべての人様の自由を希求するという普通の人間の善性への信頼で、経済社会は回っているんです。形而上学的な何もかも、例えば何かを好きって言う気持ちがこの世になかったら、その人間は普通なら生きていけないと思います。俺は、へへ、好きですよ、生まれつき凄い、頭いい人のこと。その分俺が遊べるので。それともこうやって褒められるのも駄目ですか。もしそうなら、ちょっと、我儘が過ぎると思います。
どうですか。同じでえす、と声が揃う。うわんうわんうわん。水底のように、響く。同じです同じですオナジデス・オナジデス・オナジデス。我儘。傲慢。鬱陶しい。耳障り。構ってちゃん。うわんうわんちゃぷちゃぷちゃぷちゃぷ。違います違います違います間違っている間違えているお前は違う不道徳だ非科学的な反社会的だおたくだロリコンだ考え直せちゃぷちゃぷちゃぷ。話が長い。つまらない。くだらない。
本棚に溌溌溌が凭れて立っている。玄関から聞こえるのは張張張が長靴の水を棄てている音だろう。確か、運動会が終わった頃、小遣いを貯めて高価な長靴を買ったばかりだと休み時間に言っていたから。瞭瞭瞭が物色していたラックからＣＤを落とし、ケースの蝶番が割れて中身が滑り出た。私はそれがこの暴風の揺れのためであることを知っている。左手の兎のぬいぐるみを引き寄せ、膝に乗せる。じわじわと滲みる。ぬいぐるみが振り仰ぎ、釦の目玉に糸の口、淑淑淑の声、左耳に水音。碑愼摂ちゃん、世の中そう深刻に考えてる人の方が珍しいんだよ。ごぽごぽごぽ。うわんうわん。もっと楽にすればいいのに。やれば出来るしょや、頭いいんだから。普通にしようよ。ねっ。分かる、普通。ふ・つ・う。ベッドの縁。濡れた床。吸って、吸って吐いて吸って、吸って、吸ってオジョウズ吸ってヨク・デキマシタ吸って吸ってダレモ・ホメテクレナイ・ナラ吸って吐い、吸っては。吐いて吸っ、吐いて。吐いた。フツウ・デショ。
で、どうして欲しいんですか、いや逆ギレでは、別にそう捉えて戴いても結構ですけれど、いやいや頭を下げるのが嫌なワケではなくてですね、はい、違います、本当です、それで解決するならそうしますけど、それで、だから、話を聞いて下さい、遮らないで、それでは何も好転しないからこうして、いや私は私が今どうすべきか尋ねているのであって、はあ、話が長い、分かり難い、難しいことは言っていないつもりですけどね、言葉通りの意味です、名指すのはやめてと、話を逸らさないで下さい、回答をして下さい、今は私が話して、いやだからどうして欲しいんですかって、逆ギレじゃないって言っているでしょう、怒ってません、違います、私は話してるだけ、冷静で、だから、っふー、だから、私は何も悪いことをしたつもりがないんです、やれることをやれるだけしてるつもりで、でもそれでは納得いかないとのことですし、それならどうすればご不満の点が解決するかご提案戴いて、今後のため熟考を重ねていくのが建設的だろうと申し上げてい、だーから、最初に言ったでしょう、どうして欲しいんですか、って、初めからそう言え、ごちゃごちゃ、と、って、はあ、もういいですから、で、どうして欲しいんですか、え、ねえ、ちょっと、この、っふー、ふーっ、聞いてますか。無視しないでもらえますか。はっ、何ですか羹に懲りて、って。ちっとも面白くないからやめてくださ、やめてって言ってますよね、五月蠅いからやめてください、やめてっ、面白くないって言っているしょや、本気ですっ、本気で思っています、怒ってませんっ、逆ギレでもないです、はい、議論は出来ます、論理的で合理的です、そもそも始めたのはそっちで、そうです、私が始めた話ではありません、嘘じゃないっ、私は嘘吐きじゃないっ、嘘は吐いていませんっ、話を、私の話を聞い
