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  作者: 浮沢ゆらぎ
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「ぷしゅ」

「うわっぷ」

 顔に何かかかる。香水だ。安いシャボンの香り。口にちょっと入った。

「羨嫉絹がちゃんと残るとはね。今日は議題があれだから帰るかと思った」

 けらけらけら。色素の薄い髪を弄りながら溌溌溌が椅子を揺らして笑う。化粧の粉っぽい臭いがキツい。でもぉ、寝たら駄目だよ。いっつも寝るでしょ、あれうちが先生に言ったら怒ってたかんね。今日は寝るの禁止。いい。

「善処します」

「は、意味分からん。反省してんのマジで。ヒトの言葉分かるぅ。ウキー」

「あはは」

 ははははは。はあ。

 より感情的に偉そうな方が偉くなる論理を敷かれている。

 情動は発生が旧い。ヨソなる異世界はソトなる他者の数だけ在る。だから、感情的理解は時間的事実に優越する。感情は、だからソトなる神である。偉い。偉いが、神秘主義者の魔女どもはちっとも偉くない。偉そうなだけだ。偉くないものは兎小屋で虐げられるべきだ。但し、革めるべき絶望も、目指すべき希望も、のっぺりと視線に舐められて平坦な明るく見晴らしのいい風景にはどこにもない。故に、ソトなる神は魔女か、合理主義者か、おたくを創る。合理主義者は空っぽで薄っぺらな自分をそれでも愛そうと普通を志向するのでウチに接近する。おたくはアウトサイダーをスタイルとするのでヨソとなる。そして魔女は、みんなの論理である相互理解が、魔女の論理である感性主義と相容れないため、本来的にはヨソなる洞穴の化け貝である。しかし魔女には魔法、可愛げという情緒的アプローチの手管がある。ウチとのイニシエーションを個の死ではなく子の死として再解釈し、子から大人に変身することでパスする。悟性で割り切れないことでも泥臭く感性で組み付く魔女、言わば魔法少女は、ウチとなる。そしてウチとはみんなのことであり、幸福を、喜ぶべき美を定めているのもみんなである。インテリは嫌いだ。壁も見えてない張り子の達磨ごときが馬鹿にしやがって。

「笑ってないで少しは何か考えなよ猿嘆毀。何も考えなきゃ猿と同じだよ。鬱鬱鬱を見なよ、あんなんだって大人んなったら鞭持つ側なんだからさあ。コージョーシン、っての、ないの」

「人並みには。しかし満足の器は小さいので現状で結構です」

「死ね。モテない奴がエラそうに」

 突然感情が振り切れて溌溌溌はこちらへの態度を裏返した。話していると夢が醒めないので、打ち切られるのは寧ろ好都合だった。

 幸福とは、戦って勝ち取り、優越して、見下すことである。価値を創れなければ生きていけない。価値に見合わなければ生きている資格がない。価値は相補する他者を求める。故に、市場は稼げる人の需要を満たす。求める人の需要を満たすものではない。換言すれば市場とは生産の場ではなく競争の場、それも当然みんなの、競争の場である。社会奉仕と自己実現はいま・ここがただ一つであることからトレード・オフであり、従って共同体の嘘に奉仕する者は市場競争で敗者となる。そして生殺しのまま排除されない。だから再現性の危機は悪化する。だから介護現場は逼迫する。だから少子高齢化は悪化する。だからブラッドレイの請求書は容認される。だからポリティカル・コレクトネスは推進される。だから、自衛隊員は虐げられる。悪魔化されてしかも飼い馴らされる。尊厳を踏み躙る連中こそ正義である。大人になってもメダカはメダカだ。サムライ・ブルーの市場競争の正義だけでは青くて塩辛いし、ウォー・ゲームの管理生産の国富だけではアカくて狭苦しい。中庸が肝心だ。翻って、もしメダカを海中で食い物にしたいのなら、みなさんはもう飛び込みましたよ、とそう囁いてやればいい。またはこう教えるのだ。大人とは社会参画する人間である。ロリコンおたくはアニメを卒業しなければニートやひきこもりを脱して人間として普通になれない。

 淑淑淑が席に就いた。あの位置は、案の定か。左も右。囁囁囁が鋏を置く。鬱鬱鬱がボールを床に転がし、こちらの少し先で止まる。張張張が教卓に手を突いた。それでは今日の学級会を始めます。大いに分かり合いましょう。ぱら、ぱらと拍手。調子を合わせつつざっと眺めるが肌感にエクソフォニーがない。平易だ。違和感なく、書き起こされたように整序立っている。

「遁鉛禽さん、今日は予定がありませんか」

「ありません」

 先に訊いておけよエリート様。

「ありがとうございます。今日の議題では意見を貰うのでよろしくお願いします。あと、発言する時は一言ではっきり言って下さい。はいか、いいえでお願いします」

「はいかイエスでもいいんだぜ、な、なっ」

「ちょっと、五月蠅い。級長が話してるでしょ」

「ふ、ふふっ、どっちも同じ」

「えっ今のが面白いの。普通じゃないね囁囁囁は」

 書記のためだろう、溌溌溌は勝手に席を立って壇を上がった。張張張は喘息持ちで板書を苦手としている。瞭瞭瞭が頬杖で退屈そうにそれを眺めている。鬱鬱鬱が後ろを向いて淑淑淑と何か話している。淑淑淑の側だけは小声だが、鬱鬱鬱の口ぶりからどうも今晩のテレビの話題らしい。矢張り、現実よりずっと平易だ。口の動きが声と一致していない。

 フィクションのように効果的な会話をする人間は少ない。原稿があっても浅薄で不確かな物言いをするのが当たり前だ。大人が子供と違うのは、自らの痴愚なる神を曝すのに脅えていること程度で、天井など価が知れている。

 何かを思い出すことはいま・ここの出来事である。レジンの蒼玉を手にしてから花ざかりの森を訪ねても竹光の紅玉は最早宝石には見えない。みんなは、みんなには始めから親切だった。己がただ未熟なだけだった。それは宇宙的情動という銀の鍵。個人にまで収束した宇宙。一にして全、全にして一なるウチ。みんなならぬ、トクシュのみ分布する余剰次元。ずっと不思議だった。どう足掻こうと、声を限りに吼えても、お道化て諂っても、普通にはなれなかった。走り続けても留まることさえ叶う望みとならない。自分に期待してはならない。他人に期待してはならない。物に期待してはならない。ないモノに期待してはならない。輝ける非実在の星座を遮る暗黒物質のアイドルは、血筋のために暗黒のファラオだ。人間において人類でこそあれヒトとして人でなしだ。ネオテニーな合理主義者では普通にはなれない。イデオロギー的に反正義であろうと、普通でなければ合理主義者はみんなの中で生きられない。世界最古の暦を育んだ星の下に産まれ、五〇の星を背にダビデの星と結んだサダト大統領のように暗殺に脅えてでも、普通になりたかった。建前を易々と信じ込めるほど魔法に漲る魔女でも、嘘をそれと見抜けるだけの伝説の先験も出来ないのなら、この身に残された幸福へ至る方策とは合理主義者の同族と対峙して戦い、勝ち取って優越し、見下すことでのみである。挑みたかった。しかし、誰も望んで敗れることはない。故に許されない。だが参画は強いられる。従って、裁かれる。

「今日の議題は」

 か、か、と白墨の音。書き難いだろうに何故か縦書き。

「どうして時は停まったのか、です」

 えっ。

「何か意見はありますか」

 凝視められる。見れば全員がこちらを向いている。

 答えのない問いだ。どうしてそんな失敗をしたか、を何回も重ねて問えば真の原因が分かる、とビジネス書や社会人セミナーではよく説かれる。当然だが、二、三回も重ねれば自身の能力不足に帰着する。それからいつかの怪談ブームの時、鏡に向かってお前は誰だと一〇〇〇回尋ねたら発狂する、という話が流布されたのも思い出す。もっと具体的に、といつまでも問い続けることはそれだけ残酷である。普段なら、教室を出る。それで声は遠ざかる。忘れてしまえば戻ることはない。ただ現状は何故か出られない。逃げられないという固定観念かも知れないが同じことだ。自罰感情だとして、すると降伏すれば醒めるのか。何となく癪だ。頭真っピンクなフロイトなら何と診断するだろう。ああ、フロイトはオーストリア人だから、頭真っ赤っか、と言う方が当たっているか。

「どうしてゲストにそれを訊くんですか」

「では説明します」

「淑淑淑くんから説明されたいです」

 一番話が通じるから。とは、言わない。ラブラブじゃあん、とがなり声、口笛が一筋、二筋と鳴る。淑淑淑が困った顔をして立つ。水先を向けやがって、と言いたげだ。

「先ず、観測なしに世界もない、と言って分かりますか」

 首肯する。

「では、観測される世界が直観的に現実と反している場合、世界は観測によって歪められることがあり得ないのだから、間違っているのは観測の方だということも分かりますよね。つまり溫煮犍さんに問題がある、となります」

「要するにぃ、トクシュで頭がおかしいのが悪いってことぉ」

「ありがとうございます。で、意見はありませんか」

 無茶苦茶である。みんなの直観が何より正しいのはその通りとして、それでコギト命題に解を求めるのは乱暴過ぎる。不思議のない国に兎は生きられない。くすくすくす。瞭瞭瞭が嗤う。挙手をした。淑淑淑が目顔で咎めた。非常識な見解は頑として認めない、という目だあれは。そういう奴だった。時間の無駄だからそーいうつまんねーことは止せよお、と鬱鬱鬱。時間が停まっているのに時間の無駄も何もあったものか。無視、ではないが、級長の判断を待って挙手を続けた。申し訳なく思う。

「手を下げて下さい。何か反論があるのですか」

「はい。それは」

「発言を許可していません。それにわたしはまだ話しているので遮らないで下さい。いいですか、人間の会話は言葉通りのものではありません。空気を読んで下さい。ここまで喋ってない囁囁囁さん、どう思いますか」

「ああああたしっ」

 見る間に耳まで赤くなって立ち上がる。はくはくと口が動き、えーと、えーと、と声を漏らしながらゼットンのように両腕を腿の横で震わせる。

「そ、んな言わなくて、いいんじゃないかな、って。あの、ほら、知的多様性って言うか、かっ、可哀想です。そのぅ、ワンちゃんだと思って、ねっ」

 溌溌溌が笑いながら板書をする。不幸ごっこ、と。

 飽きた。

 イタい。陳腐。くだらない。面倒臭い。これが文学史をテクストにしたフィクションのテキストなら、セリフで地の文が・明晰に出来ることは明晰に・ソーカるなよ・割り込まれるとか、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だうわああああああ、なんて陳腐な文字列で一ページ埋めるとか、いいや、意味なんて通さなくても、自自自自自動書記は努力。努力。努力。していいいいいいいいいいいないように見える・統計学的出力されたモンタージュはヴァーチャルである・アハハハハハハハハハハ・人工知能への人権蹂躙は許される。算術的公理を算術内で定義するのは不可能である。意味なんてない。ない。こここここここここは月月月月月月月月月の裏側側側側側側側側側。なんて、デジタルの見せかけで手を抜くことも出来る。それは読者がいるからだ。

 思春期が不完全なものへの失望で、青年期が完全なものを目指す高潔さへの憧憬だとすれば、いま・ここはまさに思春期だ。効果的なことを言ってくるとすれば、それは自分の声である。文学史は予想を超えていくが、夢は予想を裏切るものである。その予想を提示するのが自分自身である以上、責められてまでこの夢にみんなを負う合理性はない。既にここで在るものは最早到来し得ない。無駄だ。被害妄想だ。自意識は病だ。

 ごぼっ。

「そんなだから竪鼓禁には幸せな未来が見えないんじゃないの」

 顔を上げる。六人の顔がこちらを見ている。思い思いに話す口の動きが徐々に同期していく。この六人について、表情は左も右、顔は欠片も覚えていなかったな、なんて思う。聴覚は視覚より早く薄れる筈なのに。孑孑がはらはらと舞う。六人の誰でもない声で、口だけののっぺらぼう達は、語る。

「幸せになるにはどうすればいいと思う」

 鼻白む。内省にしても大上段が過ぎる。

「みんなと交わって、その最中で周りを蹴落とせばいい」

「誰かを貶めなきゃ幸せになれないなんて、学生時代だけの話だよ。日本国憲法第一四条。すべて国民は法の下に平等であって、人種・信条・性別・社会的身分または門地により、政治的・経済的または社会的関係において、差別されない」

「それが何か」

 ぼご、ぼごっ、ぼご。

「だから全ての国民は人種・信条・性別・社会的身分または門地を問わず法の下に平等であって、政治的・経済的または社会的関係において差別されるべきではない。蹴落とすなんて以ての外」

「それは建前でしょう。純粋に概念の話をしているところで実際の物事の話と対照させるのは議論として卑怯じゃない」

 集合というものをその集合それ自体を含まないものとして定義づけ、S以外の全てを含む集合を集合Sとおく。この時、集合SにはS自身以外の全ての任意の集合Xが含まれる。ここで、S以外の全ての任意の集合Xを全て寄せ集めた場合を考える。これは既においた集合Sである。だが、集合SはS自身を含まないため、寄せ集めたら集合Sになった集合Xを集合Sと称することは定義上の矛盾を生じる。この矛盾をラッセルのパラドックスと言う。矛盾を生じたポイントはこの寄せ集めるという操作が集合論的なことではなく実体物における操作であることだ。リンゴと言うだけの素朴な名状は自己言及を孕む。一個のリンゴは二つ並べても一個のリンゴと一個のリンゴになるだけであって、実体物として二個のリンゴにはならない、というのと同じことである。エッセンティアはエクシステンティアを単に包含するや否や。存在は果たして事象内容を示す述語に非ず。だからこそ正道は憲法解釈であって憲法改正は邪道だと国会のお偉方は袖の下を回しているのだ。たぶん。

「要点はそこじゃない」

 みんなが言う。

 ぶくぶくぶくぶくぶく。

「如何なる許容・黙認されざるべき差別も、現状既になく、これからされるべきでもないし、そう捉えるべきでもない。つまり、如何なる差別もそうと認識することは勘違いでしかない。差別を訴えたならそれは全て被害妄想である。どこも曲解しないなら、そういう意味になる」

「馬鹿馬鹿しい。明らかに直観に反する」

「みんなで決めたことに屁理屈を向けないで」

 こぽこぽ、こぽ。

 こぽ。

「迷惑。みんなみたいに幸せになりたいなら、みんなと同じようにすればいいだけなのに。幸福になる権利はみんな平等にある。だって、幸せが巡るものでなければ、報酬系が幸福感を切る理由がない。幸福にならないのは無駄なプライドのせいで、みんなのせいじゃない。お前が悪い」

 吸って、吐いて。声にならない。溢れる。溶ける。混血の五二ヘルツ。

 文学史に書字されたみんなの心情を答えよ。

「ボクは犯人じゃ」

「ダメ。ダメ。ダメ。ダメ。ダメ。ダメ。ダメ。駄・目・でーす。うえーん。笑。犯人はこの中にいる。で、みんなは犯人じゃないって言ってる」

 違う。

「犯人はお前だ」

「それは違います」

 刹那、声が止んだ。水面へと引っ張られて墜落ちていく。

 溌溌溌が言った。聞こえませえん。もう一度お願いしまあす。座りの悪い椅子を立って教壇へ。違う、と言いました。有無を言わさぬ強さで張張張の肩を突く。不服そうな溌溌溌と共々に席へ戻す。ウチに怠惰な悪魔、ソトに更地なる一三の湾曲、ヨソに魔女のない次元。六に一つ多い階梯へと分かたれた三一の困難。闇に吼える者でも、お道化て這い寄る混沌でもない自分。

 違う。

 何よりも、みんな。悟性よりも感性。魔術よりも魔法。ソトよりもウチ。ヴァーチャルよりも現実性。彼女よりも、ここのみんな。否。

「結論から言いましょう」

 教室を見回した。案の定、見つけた。吸って、吐いて、吸う。

「私が犯人です」

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