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ニューエイジは我が国においてもカプラ的崇拝とスピリチュアルに分裂した。後者の何となく気持ちいい方へと流されたご機嫌主義な人々は、好景気とそれに伴う没政治化によって堕落を始める。とんねるずがダウンタウンになり、ウンナン、ナイナイ、爆笑問題とスクールカーストを転がり落ちて、一九八五年の終わりと共に前者のロリコンおたく達による崇拝カルチャーが相対的に浮上、その結果がディルレヴァンガーやネオむぎ茶だ。好奇心は猫を殺す。敗戦国たる我が国はニューエイジ的幸福追求ムーブメントを生産せず、ただ好奇心の赴くままチョコレートのように消費した馬鹿な猫であった。この国は衣食住も両親も治安も経済も揃ったのに幸せの感じ方を未だ知らないルサンチマンへと、陰キャな人格だネクラな性格だとみんなして自己責任論を唱えては面罵し合う病める僻地だ。日航機一二三便に乗れなかった明石家さんまと、ナンペイ事件に居合わせた女子高生は、一体何が違うのか。死と同じく、幸福もまた先駆されるのか。或いは恐怖と同じく、幸福感もまた宇宙的先験の所産か。ならば人間は神か何かから幸せを与えられるだけの存在であって、幸せを生むことは出来ないのではないか。現に、そう、自分が一番幸福だった時を思えばいい。それはいつだったか。大学合格か。就職内定か。いずれ、幸福を相補する不幸な他者を以て規定される価値に過ぎない。戦って勝ち取り、優越して、見下す。恥知らずのエリートのように。自分のような人の手の届かないところでルールを決めている普通の人々のように。そして幸福の価値を決めているのは取りも直さずそんなインテリ達、つまり、みんなだ。
がやがやと無秩序にみんなは話し続ける。日記というエクリチュールを成せるだけのテキストにならなければ私という文学史上のナラティヴにそれはテクストとして失効する。議題は何だろう。ふと思ったとたんに音が止む。振り返りたい、そんな衝動が走る。後部座席にみんながいる。ルームミラーをそっと折り、バックミラーを畳んだ。けらけら、ぺちゃくちゃ。再び喧騒が戻る。
日本語は人類普遍のある拍子に則って認識される特異な言語であり、音節や発語の転換が会話の主導権の転換と必ずしも一致しない。象は鼻が長い、など主格に支配された言語体系はまさにこの特異性へ従属している。ある研究によれば、英語の平均応答時間は二三六ミリ秒である。同じ研究でデンマーク語は四六八ミリ秒、対する日本語は七・二九ミリ秒と報告されているのだから筋金入りのせっかちだ。心性が幼稚な日本語話者ほど話したがりの聞き下手になる。ならばせめて、話し相手を黙らせてしまう悪癖があればこそなお、他人が話している間は黙っていようと思う。いついかなる時も、話を無視したり、遮ったりしてはならない。頷くだけで意見のない馬鹿だと正当に蔑まれようとも、自分がチャーリイ・ゴードンではないとの悪魔的信念を自分自身で思い込んでいれば、己の価値の全てをみんなに掌握されることはない。二項前面放棄。
所期の予定通り進路は東南東を維持した。神明のみにあらず、日本の人畜万物すべて乾を負い巽を抱くの理あり。背脊堅固にして以て至健の天気を負い、心胸虚無にして巽風の呼吸を納む。是れ自然の形状なり。そしてあまりにもあっさりと太平洋横断を達成し、北アメリカ大陸が見えてきたところで慎重にハンドリング、一切の補給なく南南東へ方向転換した。燃料ゲージは壊れたようで満タンから動きがない。動きはすこぶる快調で、車内も体感気温マイナス二〇度前後を保って温暖だった。何故だろう。考えても分からないので何か不思議なことが起こったのだと呑み込んだ。欠伸と腹の虫をいつかのように堪えてアクセルの先に僅かな段差もないかとひたすらの青い平野を見つめる。やがて、突出した輪郭。ラパ・ヌイのモアイ像だと確信した。他は吹き飛んだようで一基しかない。その一基さえ、首から下は高高度から超高速で叩きつけられたようで螺子のようになっていた。掘りの深い顔立ちは寂滅とした太平洋を凝視めて動かぬ蒼鷺。モアイと渾名された先生がいたっけな、なんてことを思い出す。一所懸命な人を嗤わない熱血な性格でみんなに煙たがられていた。私の担任になることは結局なく、最後は北条政子が嫌いな生徒の願書をわざと高校に出さなかったことの生贄にされてどこかの養護学校へ異動になったのだった。北条政子はその翌年に定年退職した。懐かしい。彼女の幻覚と交わした、イースター島に着いたら観光しよう、なんて実現のアテもなかった約束さえ思い出す。独楽の澄むような静謐。
ぼおおおおおおおおおお。怪物が吼える。エアコンの排気音。きゃあきゃあとプールサイドのようにみんなが騒いでいる。台無しである。溜息混じりでハンドルを右に切り、二〇七・五度に進路を修正した。偶然にもその方角は像の背の向きと同じだった。
《静止》時点で日本は日没を迎えていた一方、当然だが地球の裏側では日の出が始まっていた。既に陽の当たっていた範囲はブラジルのサンパウロから北西方向へ凸、パナマを弧の頂点としてアルゼンチンのコルドバを通過する曲線の内部である。潮汐ロックによる当初の気象災害はメキシコからユカタン半島方面へ南下していくだけで避けられたに違いない。恐らくユミルに次いで最も生存者が多かったのはアステカ文明の末裔達である。だが私が経験したように、ハビタブル・ゾーンはその後急激にブレた。福岡市から敦賀市へと東方向に六度、夕焼けの始まったばかりの地域までムスペルの灼熱が侵略するや否や、西方向へ四度、ヘルヘイムの常夜と寒気がいきなり揺り戻しをかけてきた。東西南北に広くインフラもある程度整っていた日本でさえあの短時間で移動するには困難を極める。これがメソアメリカでは全域がムスペルに入るのだから、逃げ場はなく、今頃およそ焼け死んでいる筈だ。
左も右、すると明暗境界線は結局西方向へと二度ズレるのみに留まり、エクアドルとペルーの国境近海をホステ島と大雑把に結んだ線がこれに当たると推定出来る。但し、電離放射線で抉れて南米大陸は一旦ごっそりと消し飛んでいるので、見かけの明るさはリム地帯の厚みと盆地部分の曲率に依存する。具体的にはサンフランシスコから等角航路でイースター島を目指すと終始ヘルヘイムの暗さを体験するが、そこから少しでも東の陸上寄りを走るとリムの遮光が利かずに目が潰れるというのが等高線図と引き合わせて弾き出した試算である。そしてエクアドルとイースター島を結ぶ線上を南西方向へ進むと、ポイント・ネモ周辺海域のどこかの地点で今度はちょうどいい具合に光の届き出す領域が現れる。勿論、この線より少しでも西へ行き過ぎるとリム上部から光の柱が見えてしまうし、かといって東だと海面が半解凍状態にあって沈没のリスクがある。よって、第二のユミルへはこの等角航路で行かなくてはならなかった。アラスカ経由のルートはヘルヘイムこそ安全に渡り切れるが、北米大陸へ近付くというその点において自殺行為である。普通に考える頭があればまず使うワケがない。
小学四年生くらいから私の成績は目に見えて、尤も小学生のテストなんて一〇〇点が当たり前だから理由なく九七点でも目立つというだけなのだが、下がるようになった。こんなことでは産んでやった元が取れないと、母は私を学習塾へ通わせた。成績を戻したいと自ら、言い出して、聞かなかった、という言質を取った、放任主義という教育方針なんてウチにはなかった、と幾重にも母の思い込みが現実性になった末のことだが些細な異同である。どうでもよかった。近隣にある学習塾は落ちこぼれ向けの個人経営の塾か、中学受験向けの進学塾だけだった。九〇点代後半は維持していたので必然後者となった。貴賤も男女もなくただ日暮れまで走り回る日々を後にして、送迎の車つきでただ独り学校と塾と家を往復し、一問だって歯が立たない大量の宿題を抱えながら、頑張っているところをアピールするため二時まで参考書と格闘して気絶するように眠り、毎晩二一時に寝たことにしていたので四時には母に叩き起こされて机にしがみ付いた。母はよく泣いた。何度となく口論になり、何回かは殴った覚えもあるのだが、どうしてそうなったのかは覚えていない。面白いほど学校の成績は下がり、塾での処遇は悪化した。そのうち映るもの全般が嫌になった。特にテレビは、出演している連中のあの笑顔に責められるのが耐え難い苦痛だった。アイドルなんて大嫌いだ。泣けなかった。面倒だから。学校のテストが八〇点を割り込むようになってからは底が抜けた。時計の読み方も、教室での自分の席も、呼吸のやり方も、覚えている筈なのに思い出せなくなるということが増えた。それから彼女が福岡へ引っ越して、何度か学級会があって、三者面談があって、六年生の春になって母はやっと見限った。お母さんが間違ってた。真っ暗な部屋で砂嵐を見つめる表情で、もう頑張らなくていいのよと慈しむように呟き、赤信号なのに停まって、みんなの迷惑だから行こうよと運転席の母を促すとこちらを向いて蔑んだ目で嗤った。翌月から辞めることを講師へ伝えるように命じられてその通りにした。自ら辞めたいと言い出す親不孝は自傷に等しい。母から命じて戴いてよかった。惜しかったのは川の人の財布から抜いたカネで眠気覚ましに嗅いでいたビデオクリーナーくらいのものだ。直にその香りも忘れた。親子が北海道を離れるのはそれから三ヶ月後のことである。見慣れぬ顔が見知らぬ顔になったくらいで私は平静そのものだったのだが、緊張している転校生、と捉えられたようで、何くれと世話を焼く人々に私は囲まれるようになった。この普通を日常にしようと我ながら頑張っていたと思う。残暑が落ち着いてきた頃、給食にサクランボが出た。残飯処理の役目も兎小屋のオツトメもなくなった分、私は給食の時間を余らせていた。それで、サクランボのヘタを舌だけで結べるか、との男子からの提案に何の疑問もなく乗ってしまった。まさかあれほど耳目を惹くとは思っていなかった。その時は二本結ぶのに一〇秒くらいかかった。みんな、早い、凄い、そんなこと出来ない、とへらへら笑いで集まってきたが、一人として挑戦してくる者はなかった。たぶん早さではなく能力として普通ではなかったのだ。褒められたら何も考えずにありがとうと言うのが人間として最低限のマナーだとその場では適当に微笑んで過ごしたが、後に尋ねても何が異常だったのか答えを濁されるばかりだったのでその週末から私は市内の図書館を巡った。悪口雑言の類の俗信だろうと当たりをつけ、そして何週目かで、昭和一桁年の東京日日新聞での栄養剤の販売広告にそれを見つけた。舌の長い者は性根薄弱にしてよく病む。納得した。要するに見下されたのだ。しかも一月近くそうと知らず、善は急げと言うのに、普通に考える頭がなかったために何もしなかった。馬鹿である。
ポストモダンのナラティヴは必然性の絶望ではない。希望の不在こそ更地のパラダイムである。現実の不都合は現実を良くする方法と併せて突き付けられるべきものだ。認識のヴァーチャルたるサイバー・スペースな世界とはリアルのごっこ遊びであり、そのウチとは互いに取り決めた約束事において相互理解は成し得るとした共同幻想なのだから。社会参画ある限り世界変革の術はあることが、在るとだけだが、普通は先験される。だから覚醒ジャンキーは知能を下げてでも麻酔に溺れるか、目醒めて現実を歪曲めようと試みる。それが有効な時代も長く、あった。らしい。けれど、更地はそうではない。革めるべき絶望も、目指すべき希望も、のっぺりと視線に舐められて平坦な明るく見晴らしのいい風景にはどこにもない。故に、普通でなければ馬鹿である。みんなでなければトクシュである。私でなければ。駄目である。陳腐。




