【01】『ウワ、セイジョメンドクサイ』
それはニイトが、魔王城から必死に逃げていた時の事だった――。
「あー、もー、またこれかー……」
アイリスを助けたい→魔王を倒す→なぜか勇者パーティーから魔王の仲間と疑われる→全力で逃げる。
お約束ともいえる前世からのパターンに、ニイトはただ青空に向かって、嘆く事しかできなかった。
(分かっちゃいるけど……)
善意が抑えきれない。そのせいで前世でさんざん嫌な思いをしたどころか、最後は命まで失ったのに、この新たな異世界での人生も、同じ事の繰り返しになってしまっていた。
「クソ……。もう、なんにもしねえぞ……」
転生してきて以来、ロクに食事をしていない事もあって、ニイトは投げやりになる。
だがそんな矢先、少し先のゆるやかな下り坂を勢いよく走ってくる少女が、ステンと転ぶ姿が目に入った。
「うう……」
涙ぐむ少女の声に、ニイトは条件反射で駆け出していた。
「どうした、大丈夫か?」
勇者パーティー以来の現地人とのエンカウント。抱え起こすと、少女はスカートから出た膝を軽く擦りむいているが、大した出血はしていなかった。
「よーし、大丈夫だぞー。痛いの痛いの飛んでいけー!」
そう言っておどけてみせると、少女もニイトの滑稽なリアクションに転んだ痛みも忘れて、ケラケラと笑い出した。
「おやおや、リーザ――。すみません、娘がご迷惑をおかけしました」
坂の向こうから母親らしき女が追いつき、ニイトに丁寧に頭を下げる。その気品あふれる物腰もさる事ながら、巻き髪にドレスという出で立ちに、ニイトは目を見張った。
よく見ると、それはリーザと呼ばれた少女も同様であり、おそらく彼女たちは貴族か何かなのだろう。
「い、いえ、俺はそんな――」
ニイトが恐縮していると、
「なんだ、その男は⁉︎」
と言いながら、護衛の兵を引き連れた、これもまた貴族風の壮年の男が合流してくる。
(――父親か? なんかこれは、ヤバイ流れじゃないのか……⁉︎)
前世の経験から、ニイトは直感でそれを感じ取る。
「ええ、あなた。この方が、転んだリーザを助け起こしてくださったんですよ」
怪訝な顔の父親に、母親がそう言ってフォローを入れてくれるが、
「フン――」
と言うだけで、父親はやはり厳しい顔付きを崩さない。
(いやいやいや、お父さん――。これ絶対、俺に好感持ってませんよね⁉︎)
父親にしてみれば、愛娘に近付く男はすべて事案対象なのだろう。それに加えて、妻もニイトに好感を持っているのが、余計に気に食わないのだろうという事は容易に想像できた。
「じゃ、じゃあ俺は、これで失礼します」
父親が変な気を起こす前に、ここは退散するのが得策と、ニイトが頭を下げた瞬間、
「――おじちゃん。ありがとね」
なんとリーザが背伸びしながら、頬にキスをしてきた。
唖然としながらニイトがリーザを見ると、その目は完全に『恋する少女』のものになっていた。
「あらまあ――」
母親は娘のおしゃまな行為に目を細めるが、ニイトが恐る恐る父親の方を見ると――、その目には爛々とした殺意の光が宿っていた。
(な、なんでこうなるーっ⁉︎)
「お前ら、この男を捕らえろ!」
ニイトの心の叫びと同時に、父親が護衛の兵を怒鳴りつける。兵は鎧を着ており、剣や槍も手にしている。これは捕まれば、ただでは済まなそうだった。
「ほ、ほんと、さーせんっしたーーーっ!」
ニイトはそう言い残すと、迷わず全力で逃走する。勇者パーティーの時もそうだったが、とにかく命を守るためには、情けなくてもそうするしかなかった。
そして息が上がり、これ以上走れなくなってから、ようやく後ろを振り返ると、兵は追ってきていなかったが、その代わりに黒騎士から襲われた。
それをアイリスのおかげで撃退したら、今度は再びリーザの父親の手勢に囲まれてしまった――。
これがニイトがアイリスに説明した、これまでの顛末であった。
「なるほど――。経緯は理解いたしました」
アイリスがそう言って、ほがらかにウンウンと頷く。
だが、
(目が全然、笑ってねー!)
ニイトはアイリスの細い目の中に、鈍い光が宿っている事に、腰が抜けそうになる。
ちなみに今、二人は兵たちに連行された上、牢に入れられている。
アイリスは実力行使で突破する気満々だったが、魔族でない者に危害を加える訳にはいかない――。だからニイトが必死になだめて、ひとまず様子を見る事にしたのだった。
(やれやれ……)
目は笑っていないが、アイリスが話を聞いてくれた事に、ニイトはひとまず安堵する。
だが、アイリスという規格外の聖女の真骨頂は、ここからであった。
「それではまず、そのませた『メスガキ』を『分からせ』なければいけませんね」
アイリスが真顔で魔杖を顕現させる。
「――――⁉︎ ちょ、ちょっと待って、アイリスさん!」
それが冗談でも、ハッタリでもない事を理解しているニイトも、全力でツッコミを入れる。
やはりアイリスはニイトの事になると、文字通り『暴走超特急』になってしまう。これは放っておけば、牢をぶち破った上、本当にリーザに魔法弾の一発でも入れかねなかった。
(ここは一旦、落ち着いてもらわないと――)
ニイトが内心、焦っていると、
「ニイト様は、私とそのメスガキの、どちらの味方なんですか?」
アイリスが、いきなり二者択一を迫ってきた。
「はい……?」
もう唖然とするしかない。
「あれですか? ニイト様は女は二十歳過ぎたら、すべてババア認定のタイプですか?」
頭に血が上ったアイリスは、訳の分からない方向にさらにヒートアップしていく。
「もしかして……、前世で私を助けてくれたのも、私が十歳だったからですか? 真性ロリコンのニイト様には、二十歳の私は、もう用済みなんですかー⁉︎」
もう完全に悲劇のヒロインになりきり、絶叫するアイリス。
突然始まった痴話喧嘩に、牢番も何事かと鉄格子の中を覗き込んできた。
(こ、これは……。アイリスって、想像以上にめんどくさ――)
「もしかして今、私の事、めんどくさい女って思ってます⁉︎」
(――――⁉︎)
心の中を読まれたニイトは、息を詰まらせる。
だが気を取り直し、
(いやいやいや、疑問形で聞いてきた――。ならこれは読心術のスキルじゃない! まだバレていないはず! 落ち着け! 落ち着くんだ、俺!)
と、ここは冷静な判断で、なんとか平静を保ち続けた。
「私、頑張ったんですよ……」
「――――⁉︎」
突然、語気が弱まったアイリスに、ニイトがハッとなる。
「魔法も治癒や防御魔法だけでなく、攻撃魔法も習得しました。もちろん前世の事は忘れていました……。けど一生懸命頑張りました。だからこそあの時、私はすべてを思い出せたと思うんです」
「アイリス……」
「前世だって、あなたに助けてもらった命だから、精一杯頑張って生きたんです! 全部で百年間……。あなたのいない百年間、頑張って生きてきたんです! だから褒めてください。いっぱい、いっぱい褒めてください!」
目に涙を溜めるアイリスに、ニイトは胸が締めつけられる。
ニイトにはほんの少し前の出来事でも、アイリスにとっては、彼の死からすでに百年が経っているのだ。
それは想像もできないほど長い日々だっただろう。そしてなにより『自分の頑張り』を認めてもらいたいという健気な気持ちが、同じ悩みを持っていたニイトの心を深く打った。
「アイリス……。百年も、よく頑張ったね」
言いながら、ニイトはアイリスの頭をなでていた。
「ニイト様……」
百年の想い人に認められた――。アイリスの細い目が、今度は心から微笑んでいた。
まるで前世の、大人と子供に戻ったかの様な二人――。ここで終わればいい話であったが、
(いや待てよ。俺が前世で死んだ時、アイリスは十歳だったから……、それから百年って事は――?)
ニイトのいらん計算が、またもや波乱を巻き起こす。
女の勘とは恐ろしいものだ。アイリスは自分に向けるニイトの眼差しが、一瞬曇った事に目ざとく気付くと、
「ニイト様。もしかして、じゃあもう私の中味は『ババア』じゃないか――、とか思ってます?」
今世ではまだ二十歳だという事をアピールするかの様に、静かに、だがとてつもない『圧』を込めてそう言った。
「え……、あ……」
完全に不意を突かれたニイトも、今度ばかりは冷静ではいられなくなる。
(あ、アイリスって、ほんとに読心術スキル持ってる――⁉︎)
そしてニイトは、またもや細い目の奥から鈍い光を放つアイリスに、ただひたすら戦慄する事になるのだった。