【03】『悪目立ち者の意地』
「これが……、テンプレ世界ってやつか――」
現代日本ではありえない、牧歌的な田園風景を歩きながらニイトはため息をつく。
遠くに見える街並みも、アニメでよくある中世ヨーロッパそのもの――。といっても、中世ヨーロッパがどんなものであるのか、よくは知らないのだが。
ともあれ、魔王城から全速力で逃げてきたのはいいが、完全アウェイの環境にニイトは戸惑っていた。
人目を避けながら、あてもなく何日も進んできたので、いったい今自分がどこにいるのかも分からない。たとえ分かったところで、初めての土地で何ができる訳でもない。
「ああ……、これからどうしようか……」
とりあえず新たな人生のプラン――。人生設計を立てなければならない。
だがこれから生きていくのは、魔王なんかが存在するファンタジー世界だ。
多少はアニメやラノベに親しんできたので、世界観は理解できるが、そのキャラクターになるというのは、まったく別の話だった。
まずは、あらためて装備を確認する。
服装だけは女神の配慮なのか現地人っぽくなっているが、食料や武器などのいわゆる生きるためのツールというものが、まったく装備されていない。
それなら転生特典として、美少年補正でもかかかっていればまだ救われるが、途中にあった川で顔を映してみたら、女神が『諸事情で』と言っていた通り、前世とまったく変わっていないアラサー顔だった。
「まったく、なんなんだよ……」
魔王を瞬殺するなんていう物騒なスキル以外、本当に何もない。しかもこのスキル、本当に魔王以外には効かない。逃げてくる途中、小型の魔物に遭遇した時、「魔王瞬殺!」と連呼しても、ビームどころかホコリひとつ出なかった。
前世でのタナボタは嫉妬で済んだが、この世界ではそれがダイレクトに命の危機に繋がる――。ニイトはその事を、魔物から逃げながら切実に思い知った。
「とにかく目立たない事だ――」
魔王討伐なんていう、最大級の『悪目立ち』をかました反省を胸に、ニイトはそばの草むらに倒れ込む。新たな人生設計が、はからずも立ってしまった。
(でも……)
晴れ渡る空の中に、あのアイリスという女僧侶の姿が浮かんでくる。
(守ってくれてありがとう――、って言えなかったな……)
彼女はニイトを魔王から守ってくれた。そしてニイトもまた、そんな彼女を魔王から守りたいと思ったのだ。
ニイトが異世界に転生したのも、一人の少女を暴漢から守ったからだ。
女神の話では、その後彼女は世界を救う存在になるとの事だったが、その時のニイトには、そんな事はまったく関係なかった。
ただ一人の少女を救いたい――。そんな抑えきれない正義感が、彼を突き動かしたのだ。
アイリスを救いたいと思ったのも、まったく同じ動機だ。
だがアイリスを助けた事で、勇者パーティーから疑われ逃げてしまった。
(また俺は逃げたのか……)
ニイトは前世を振り返る。
普通の事をしても、なぜかそれ以上に評価される幸運体質。そして、その反動からくる嫉妬――。頑張っても、世の中そう簡単には報われないのに、ちょっと頑張ったら報われるというのは、ある意味、嫉妬されても仕方ない部分はあった。
(だけどよ……)
ポテンヒットだって、思いっきりバットを振った。
ごっつぁんゴールだって、そこまで全力で走っていった。
アイリスを救った時だって、怖かったけど勇気を振り絞ってスキルを使った。
「俺だって……、頑張ってたんだよ」
異世界に一人きりの不安もあって、思わず涙がこぼれてくる。
そんなニイトに声をかけてきたのは、救いの女神ではなく――、
「グハハハハッ。どうした、泣いているのか?」
それとは真逆の、まるで悪魔の様な声だった。
「――――⁉︎」
飛び起きると、視界に黒い霧が漂っている。そしてそれが固まると、漆黒の鎧をまとったおぞましい騎士が姿を現した。
「グフフフッ。我は魔王軍四天王の――」
「――――⁉︎ 四天王? ちょ、ちょっと――、ちょっと待ってもらっていいですか⁉︎」
ニイトはお約束のパターンに疑問を抱くと、慌てて黒騎士の言葉を遮る。
「……なんだ?」
名乗りを止められた事に、黒騎士はあからさまに不快な態度を見せるものの、ここはニイトが何を言ってくるのかと、ひとまず様子を窺ってくる。
するとそれを確認したニイトも、意を決して恐る恐る口を開いた。
「あの……、だいたいは分かるんですけど……。でも魔王が死んだのに――、なんでまだ四天王とか残ってるんですか?」
「…………」
ニイトの正論に、黒騎士は返す言葉がない。
だがすぐに、ワナワナとその身を震わせると、
「き、貴様ーっ、ぬけぬけと! いいか、貴様がいきなり魔王様の前に現れて、訳の分からんスキルで魔王様を倒したから――! だから、我らの出番がなくなってしまったのではないか!」
黒騎士は怒りと共に、非常に簡潔に事の顛末を説明してくれた。
(俺が魔王を瞬殺したのって――、あれまだ勇者パーティーが、四天王とか倒す前だったのか!)
ニイトも話の流れを理解すると同時に、
(じゃあまだ残党がワンサカいて……、俺はそいつらの仇って事なのか⁉︎)
自分の立場が、とてつもなくヤバイという、知りたくない事実を知ってしまう。
「では、死ねい!」
すかさず黒騎士が抜刀してくる。その斬撃を紙一重でかわすと、ニイトは草むらの中をゴロゴロと転げ回った。
(おいおい、冗談じゃねえぞ!)
明確に向けられた殺意にニイトは戦慄する。前世も暴漢に刺し殺されはしたが、あれはある意味『もらい事故』だった。
だが今回は違う――。魔王を倒された仇として、ニイト本人が狙われているのだ。
(――どうする⁉︎)
完全に不測の事態だが、とりあえず対応を考える。
まず武器はない。あったところで使った事がない。それなら『にげる』を選択したいところだが、どう見ても逃げきれそうな相手ではなかった。
(これは……、詰んだか?)
だがニイトは諦めない。彼にはまだ最後の望みがあったからだ。
(イチかバチか、やるしかねえ!)
恐怖を抑え込み立ち上がると、まずは対象物を視界にロックオンする。そして両手を前に突き出し――、
「魔王瞬殺!」
声高らかに叫んでみたが――、やはり見事に何も起こらなかった。
「グハハハハッ! なんだそれは⁉︎」
黒騎士がニイトをあざ笑う。十中八九そうじゃないかとは思っていたが、それはあまりにも過酷な現実だった。
「やはり貴様のスキルは、魔王様以外には効かない様だな――」
(こいつ……、見てやがったのか⁉︎)
ニイトは黒騎士の言葉から、逃走中に『魔王瞬殺』を魔物に仕かけて、不発だった様子を見られていた事を悟る。
(じゃあ、こいつはずっと俺のあとを尾けていて……、その上で俺を殺す『最上のタイミング』を狙っていたって事か⁉︎)
魔王の配下という事は、すなわち殺しのプロだ。それが自分の前に姿を現した意味に、ニイトはあらためて死を意識させられた。
(終わった……)
全身の力が抜けていく。黒騎士もそれを感じ取ったのか、
「グハハハハッ! そうだ諦めろ!」
と、勝利を確信して高笑いを上げた。
だが――、
「フッフッフッ。まずはお前を殺して……、その後は、あのいまいましい剣士たちも、一人残らず皆殺しにしてくれるわ!」
「――――⁉︎」
黒騎士の放った余計な一言が、折れかけたニイトの心に再び火をつけた。
剣士たちとは、間違いなくエヴィンたちのパーティーの事だ。そこには当然、ニイトを助けてくれた、あのアイリスも含まれている。
「――けんなよ……」
「ん――?」
「ふざけんな、って言ってんだよ!」
ニイトは力のかぎりに叫んでいた。それは条件反射ともいえる魂の咆哮だった。
「もう俺は逃げねえ!」
そして、ニイトはまた叫ぶ。
彼はこの世界に来て、気付いた事があった。
(俺だって頑張ってたんだ! 誰かのためになりたかったんだ!)
誰かのために頑張れば、嫉妬され続けた人生――。だが悪い事ばかりではなかったはずだと、今なら思える。
(俺だって、きっと誰かを笑顔にできていたはずだ!)
嫉妬から逃げていた時は、それに気付けなかった。
ニイトが暴漢から命を救った少女はその後、世界を救ったという。それならニイトの行いは、少女を通じて世界を笑顔にしたという事だ。
(それなら、たとえ悪目立ちしたって――、嫉妬されたって――、俺も少しは胸を張ったって、いいんじゃねえか⁉︎)
それに気付かせれくれたのは、あのアイリスだ。
彼女がニイトを救ってくれたのは無償の愛だ――。だから今、自分は生きている。
それは計り知れない尊敬に値する。それと自分は同じだけの事をしたのだと、アイリスがいなければ気付けなかった。
「俺はまだ――、アイリスに『ありがとう』って言ってねえんだ!」
口にした瞬間、ニイトは飛び出していた。もちろん武器など何もない。まさに徒手空拳の突撃だった。
だが命のやり取りとは、心意気で勝てるほど甘くはなかった。
「グハッ――!」
黒騎士に迫らんとしたニイトが、握り拳のまま後ろに吹き飛んでいく。
「フン。貴様――、血迷ったか?」
続けて黒騎士から冷笑が浴びせられる。
よく分からないが、衝撃波を食らったらしい。全身の骨が砕けた様な痛みに、ニイトは倒れたまま声も出せずに、ただ空を見上げる事しかできなかった。
(やっぱダメだったか……。だけど――、今度は逃げなかったぜ)
薄れそうになる意識の中、ニイトは満足感に満たされていた。
不意に青空の中に、ニイトが命を救った少女の姿が浮かび上がる――。そういえば暴漢から守った時は必死だったので、よく顔を見ていなかったが、目の細い――、そうまるで糸の様に細い目をした端正な顔立ちの少女だった。
その少女がニイトに向かって、
「ありがとう――」
と言ってきた。
「――どう……いたし……まして」
かすれた声で手を伸ばす。どうやら目もかすんできたらしく、少女の姿がぼやけてきた。
「ニイト様――」
今度はアイリスの様な声が聞こえてくる。ついに幻聴まで聞こえてきたのかとニイトは思ったが、
「ニイト様!」
伸ばした手が握られる感触に、カッと目を見開いた。
「――――⁉︎」
そこにいたのは糸の様に細い目の――、白いシスター服を着た女僧侶――。アイリスだった。
そしてアイリスの姿に少女が重なると、
「君は……」
ニイトは無意識に呟いていた。
「はい――。あなたに命を救っていただいた……、あの女の子です」
アイリスが細い目から、ポロポロと大粒の涙をこぼしている。それが頬に当たるのが、傷付いたニイトにはたまらなく心地良かった。
続けてアイリスが手をかざすと、あたたかい光が発せられた。おそらく治癒魔法なのだろうが、ニイトは全身の痛みが、みるみる減っていくのを感じた。
「百年……。やっとあなたに『ありがとう』が言えました」
(――百年?)
アイリスの言う事が、ニイトにはすぐに理解できない。するとニイトの脳内に、アイリスの心象風景が流れ込んできた。
(こ、これは……⁉︎)
白一色の光の空間――。そこには臨終の時を迎えた、一人の美しい老婆が横たわっていた。