【02】『聖女エスケープ』
オルトリンク王国王宮――。その謁見の間で、玉座を前に四人の男女が膝をついていた。
前列に剣士エヴィン。弓使いロイ。後列に女魔法使いケーラ。そして女僧侶アイリス――。彼らはニイトが異世界転生直後に、魔王とセットで遭遇したパーティーだ。
「剣士エヴィン、そしてその仲間たちよ。此度の魔王討伐、誠に大義であった」
恰幅のいい壮年のラウダ王が、エヴィンたちに声をかける。
「ははっ」
目を伏せたまま一同が頭を下げる。
魔王討伐から数日後の凱旋。まさに晴れの舞台――。だがエヴィンの胸中は複雑だった。
(あの男は、いったい何者だったのだ……)
自分たちが激戦の末にたどり着いた、魔王城の最深部にいきなり現れた男。
彼はエヴィンが魔王に渾身の一撃を加える直前、手を前に突き出し、何か叫んでいた。
その直後に魔王は消えた。斬り裂かれた訳でもなく、本当に蒸発でもしたかの様に消えたのだ。
(あれは私の斬撃によるものだ――)
そう信じたい。だが明らかに手ごたえがなかった。率直に言えば、剣が空を切る感触――。それでも確かに魔王は消えたのだ。
「では剣士エヴィン、前へ――」
執政官の声がかかる。
「…………」
「おい、エヴィン!」
上の空のエヴィンに、隣のロイが小声でささやきかける。
「えっ?」
「何やってんだ。早く前に出ろ!」
「ああ……」
ロイに促され、エヴィンがようやく前に進む。
「どうしたんだろうね、エヴィン」
パーティーのリーダーのおかしな様子に、後列のケーラがたわわな胸を揺らしながら、渋い顔になる。
「まったく、魔王を倒してから、ずっとああだ」
ロイも弓兵らしからぬ、長いメカクレの前髪を払いながら、首をかしげる。
「もしかして、まだ『あの男』の事を気にしてるんじゃないかしら?」
「――あのニイトってやつの事か?」
「ええ」
「でもあいつは――、あの場から逃げたじゃないか」
「そうなのよね……。でもそれ以外、考えられないわ」
二人の声をひそめた会話を聞きながら、ケーラの隣にいるアイリスもまた、エヴィンと同じくその胸をざわつかせていた。
(ニイト様……)
アイリスは思い出す――。魔王が消滅した、あの瞬間の出来事を。
『魔王――、瞬殺!』
他の者たちは聞き取れなかった様だが、アイリスにはニイトの声が確かに届いていた。
そして彼女もまたスキルを駆使する者として、魔王の消滅がニイトのスキルによるものだという事を、肌で感じていた。
だから思わず口にした――。魔王を討ち取った『勇者』だと。
だがそれに対するニイトの反応は意外なものだった。
「えっ……? いやいやいや違います。俺じゃありません」
ニイトは全力で後ずさると、これもまた全力で魔王討伐を否定してきたのだ。
「しかし、今のはあなたのスキルでは――?」
「いや違います! きっと気のせいです!」
追いすがるアイリスが言っても、ニイトは聞く耳を持たなかった。
「おい、アイリス。本当か?」
「でもそんなスキル……、今まで見た事も聞いた事もないわ」
アイリスの発言に、ロイとケーラも近付いてきた。ことにケーラは魔法使いとして、ニイトのスキルに疑問まで呈してきた。
「そ、そうです、そうです! そこのお姉さんの言う通りですよ!」
ニイトはこれ幸いとばかりに、ケーラの意見に乗っかった。
彼にしてみれば、
(こんなタナボタみたいな、ごっつあんゴール――。絶対にロクな事ねえ!)
という前世からの教訓によるものだが、それがかえって怪しさを増幅させてしまった。
「ところで、お前――。いったいどこから現れたんだ?」
「はい?」
ロイの厳しい口調に、ニイトは声を詰まらせる。
まさか、「異性界から転生してきました」などと言って通る訳がない。
「もしかして魔王の仲間――⁉︎」
さらにケーラが、穏やかではない事を言ってきた。いやここはそう考えるのが妥当だと、当のニイトでさえ思った。
すると、
「なにっ⁉︎」
と、これまで呆然と立ち尽くしていたエヴィンも剣を構え直し、ニイトへと振り向いた。
「待って、みんな! この人は――」
アイリスがニイトをかばうべく、必死の形相で訴えた。訴えたのだが――、
「ほ、ほんと皆さん、さーせんっしたーーーっ!」
なんとニイトは、次の瞬間、その場から一目散に逃走してしまったのだ。だが逃走でもしなければ命の危険もあったのだから、懸命な判断といえない事もなかった。
そして魔王討伐は剣士エヴィンによるものという事になり、
「剣士エヴィン――。そなたの魔王討伐の栄誉をたたえ、勇者の称号を授ける」
ラウダ王の声に、歓声が湧き上がった。
続いてエヴィンが勇者の証の剣を受け取る。だがその顔は心から微笑んではいなかった。
「勇者エヴィン様、バンザーイ!」
続く馬車による凱旋パレードでも、沿道からエヴィンに向け、次々と称賛の声がかかる。
ロイもケーラも勇者パーティーの一員として、人々に笑顔で手を振っていた。
「聖女アイリス様、バンザーイ!」
アイリスにもエヴィンと同じくらいの、いやそれ以上の声がかけられる。
なぜならアイリスは、オルトリンクの司教の家に生まれ、幼少より強大な魔法力を発揮し、かつ愛らしい容姿もあって『聖女』と呼ばれる国民のアイドルなのであった。
それが勇者と共に魔王討伐を成し遂げたという事で、人々は歓喜しているのだが――、当のアイリスはというと、パレードが始まっても馬車の広い荷台の最後方で、遠い目をしながらずっと何か考え込んでいた。
「ちょっとアイリス――。アンタも少しは手を振っておやりよ」
姉貴分のケーラが見かねて声をかけるが、
「ええ。でもちょっと今、探知魔法を使っているので――」
「え……?」
無意識にアイリスがとんでもない事を言ってきた事に、ケーラは目を丸くする。
「ちょっとアンタ、探知魔法っていったい誰をサーチしてるんだい? ――もしかして、あのニイトって男かい⁉︎」
「――――! ! !」
思い当たるフシのあるケーラの指摘に、アイリスがしまったという顔になる。
「そうなんだね?」
「あの、その、ええっと……」
ケーラの追求にしどろもどろになった事で、アイリスの探知魔法の相手が、ニイトだという事が確定してしまう。
事実、アイリスはニイトが魔王城から逃走する際、その首の後ろに、素早く探知魔法の目印をつけておいたのだった。
「おいおい……」
アイリスもまたニイトという存在を『こじらせ』てしまっている事に、ロイが苦笑する。
だが同じくニイトの存在を『こじらせ』てしまっているエヴィンは、それでは済まなかった。
「アイリス――。どういう事だ⁉︎」
荷台の最前方から、エヴィンが迫ってくる。
「ちょっと、エヴィン。こんなところで、およしよ」
ただならぬ雰囲気にケーラがたしなめるが、
「私が――、偽りの『勇者』だと言いたいのか?」
エヴィンは血相を変えると、ついに核心に踏み込んでしまった。
「よせ、エヴィン」
ロイも、エヴィンとアイリスの間に割って入る。今は凱旋パレードの真っ最中だ。衆目の前で勇者パーティーが、仲間割れする姿など見せる訳にはいかない。
(やれやれ……)
ロイとケーラが顔を見合わせる。アイリスは魔王を討伐したのが、ニイトであると主張したが、ロイとケーラがそれを否定したため、魔王に最後の一太刀を浴びせたエヴィンが、勇者であるという事で、話は落ち着いたはずだった。
「エヴィン――。あなたが偽りの勇者だなんて、私は思っていません」
アイリスの言葉に、ロイとケーラが胸を撫で下ろす。パーティーの中で、もっとも勇敢に戦ってきたのはエヴィンだ。仮に魔王を討伐していなくても、勇者と呼ばれる資格は十分にある。アイリスもそれを理解している上での、本心からの返答だった。
「なら、どうして――⁉︎」
私の気持ちに応えてくれない――。思わずそう言ってしまいそうになる気持ちを、エヴィンは寸前で抑え込んだ。
古来、勇者と聖女が結ばれるケースは多い。エヴィンもアイリスとのそんな未来を確信していた――。あのニイトという男が現れるまでは。
いったいアイリスがなんと答えるか、一同が固唾を呑むが、
「あっ、ちょっとごめんなさい――」
と、アイリスは何かを感じ取ると、はるか後方に向き直ってしまい、一同は揃ってポカーンとなってしまった。
「どうしたんだい、アイリス?」
気を取り直して、問いかけるケーラに、
「追手が――。魔王軍の残党です」
アイリスは細い目のまま厳しい目つきで、突然物騒な事を言い出した。
「――あのニイトって男が狙われてるのか?」
いち早くロイが事態を理解する。魔王城は制圧したが、いくらかの討ち漏らしはあったからだ。
「はい――。じゃあ私、行きます!」
「い、行きますって、ちょっとアイリス。今、パレードの最中だよ⁉︎」
今にも馬車を飛び降りようとするアイリスの肩を、ケーラが慌てて掴む。
「大丈夫です。私、足には自信がありますから。北の国境程度ならすぐに着きます!」
「いや、そういう事を言ってるんじゃなくて――」
ドヤ顔のアイリスに、ケーラが戸惑っている隙に、
「では!」
と、アイリスは花で飾られた馬車を、颯爽と飛び降りてしまう。
沿道の人々も、一瞬なにが起こったのか分からず呆然とするが、舞い散る花びらに飾られた聖女の姿は、まるで一枚の絵画の様であった。
「アイリスーっ!」
エヴィンも思わず馬車を飛び降りようとするが、そこはロイがしっかりとブロックする。聖女に続いて勇者までパレードを抜けてしまっては、収拾のつかない騒ぎになってしまう。
「とりゃりゃりゃりゃーっ!」
純白のシスター服の長いスカートをまくって、アイリスがパレードの道を逆走する。そのスピードは本人が言っていた通り、可憐な容姿に見合わぬ凄まじいものだった。
目指すはオルトリンクの北部国境――。ニイトのいる場所であった。
「行っちゃったね……」
「ああ……。エヴィン、しっかりしろ。いいな」
アイリスの背中が見えなくなると、ケーラは妹分の暴走っぷりに呆れ返り、ロイはエヴィンを励ましながら、その肩をしっかりと抱いた。
(勇者は……、私なんだ!)
そして屈折していくエヴィンの心――。それは次第にニイトへの敵愾心へと変わっていくのであった。
その時、アイリスはすでに王都の城門を抜け、探知魔法のレンジを拡大しながら、北に向けて文字通り爆走していた。
(急がなきゃ――! ニイト様……、私はあなたに伝えなければならない事があるんです!)
魔王軍残党からの刺客。そして勇者パーティーから向けられる愛憎――。ニイトの魔王瞬殺という偉業は、こうしてまた本人の意図せぬところで、大きな波乱を巻き起こしていく事になるのだった。