【01】『魔王瞬殺』
「ジャンジャジャーン! 転生タイムでっす!」
「はあ?」
やけに能天気な女のコールに、男は顔を歪める。
続けて、あたりをクルクルと見回すと、
(いったい、ここはどこだ……?)
白一色の光の空間――。それはまるで、何かのテーマパークのアトラクションに迷い込んだかの様だった。
「はい。じゃあ転生しましょっか」
(いや待て、転生――⁉︎ そうか! 俺は死んだのか⁉︎)
女の再度の転生コールに、ようやく男は思い出す――。自分が暴漢に刺され、死んだのだという事実に。
そう、それはかけもちのバイトの帰り道、朝日を浴びながら家路についていた時の事だった。
「うーん、もー。あなた、とても勇敢でしたねー」
背中に翼を付けた女が言う様に、彼は登校中の小学生の女の子が暴漢から刺されようとする瞬間、無我夢中でその場に飛び込んでいった――。いったのだが、
(またやっちまったか――)
男は頭を抱えてしまう。
(俺の人生、いつもこうだ)
彼が三十歳を前に、なぜバイト暮らしをしていたのかというと、それは天性の『悪目立ち』体質のせいだった。
普通の事をしても、なぜかそれ以上に評価される――。それは彼の人生をずっと苦しめ続けてきた。
学生時代も、野球をやればポテンヒットの勝利打点量産。サッカーをやればごっつあんゴールで決勝点の山を築いた。落とし物を拾えば、それが盗難事件の手がかりで、警察から感謝状。泣いている女の子に思わず声をかければ、それが学園のマドンナで一瞬で惚れられてしまう始末だった。
社会人になってもそれは続き、なんとなく面接の日程が合った一流企業に即採用され、仕事も彼がたまたま動いたタイミングで、あらゆる契約が決まっていった。
幸運体質――といえない事もないが、それが『悪目立ち』してしまうのなら、かえって不幸であった。
そのすべてが善意の行動であろうとも、たとえ本人が陰で努力していようとも――、称賛というものは、もれなく嫉妬の対象となるのだ。それがラッキーと見えればなおさらだ。
世の中、出る杭は秒で打ちたくなるものなのである。彼はそんな嫉妬に苦しんできた。いやむしろ申し訳ないとさえ思い続けてきた。
だから彼は三十を前に、ついには企業を辞めて、アルバイトの道を選んだ。技能職さえ選ばなければ目立たないだろうという判断だった。
ちなみにご近所さんには、ニートをしていると身分まで偽った。そこまでしないと不安だったのだ。
(それなのに――)
また善意が抑えきれなかった。運命は彼にまた称賛の舞台を用意してしまったのだ。
(いや待てよ。刺されて死んだのなら、俺は今までの人生の幸運を、払い戻ししたんじゃないのか?)
ラッキーの連続の末に、暴漢に刺し殺される――。確かに、これでプラマイゼロになったと考える事もできる。
「では、あなたの『功績』に報いるために……『転生ギフト』を授ける事にいたしましょう」
「――――⁉︎ 待て⁉︎ 功績ってなんだ⁉︎」
女の声に、思わず問い返す。今、確かに『功績』と言った。
「んー、あなたには分からなかったでしょうが、実はあなたが助けた女の子は、将来あなたのいた世界を救う英雄となる存在だったのでっす!」
「はあ?」
女のドヤ顔に、男は顔を歪める。
「詳細は禁則事項なので言えませんが、たまーにこうやって世界線にズレが生じちゃうんですよねー。いやー、今回の事は私の管轄世界の大、大、大ピンチでした。ほんと助かっちゃいましたー」
「管轄世界……? じゃあお前、まさか⁉︎」
「はーい、女神様でっす!」
「マジか……」
翼が生えてるし、衣装もそれっぽかったから、薄々そうじゃないかとは思っていた。
(これは、まるでアニメの世界だ……)
それでいて今、自分が転生しようとしている現実に男は絶句した。
だがそう考えれば、この白一色の空間も納得できる。彼にも多少の知識はあるので、異世界転生というキーワードもすんなり理解できた。
「で、あなたへの転生ギフトですが――、『魔王瞬殺』スキルでっす!」
「はあ⁉︎」
「魔王を一瞬で、ブチ殺せるスキルでっす!」
「いやいや内容じゃねえ! なんでそんな物騒なスキルなんだ⁉︎」
訳が分からない。それに魔王なんて、まさにファンタジーそのものだ。
「私の権能で差し上げられる最強のギフトですから……」
「いや、空を飛べるとか。傷を治せるとか――、もうちょっと穏便なのもあっただろ⁉︎」
「いえ、それでは私の気が済みませーん」
「いやいやいや、俺が希望してんだろ⁉︎ どうにかしてくれよ!」
「そう言われましても、もう設定してしまいましたし、『諸事情』と『仕込み』もありますから……」
「設定? なに、世界ってそんなシステムになってんの⁉︎ それに『諸事情』と『仕込み』って何よ⁉︎」
「じゃあもう時間もないので、とりあえずもらっといてくださーい」
「いや、そんなお中元でも渡すノリで言わないで!」
「ではでは、最高の見せ場を用意しときましたから、ドドーンと魔王を瞬殺してきちゃってくださーい!」
「えっ、何言ってんの⁉︎ あっ、なんか俺の体が透けてきた⁉︎」
本当に異世界転生が始まったらしい。あまりの急展開に、頭の整理が追いつかなかった。
「ちなみに今回の功績は、あなたのいた世界では後世、伝説となりますからねー。新しい世界でも頑張ってくださーい!」
(クソッ、死ぬ時さえ悪目立ちかよ!)
体と時空が歪む感覚の中、女神のエールに男は心で舌打ちした。
そして次の瞬間、目の前に――、見た事もないおぞましい存在がいた。
「――――⁉︎ な、なんだよこれ……⁉︎」
さっきの光の世界とは真逆の、まさに暗黒そのもの。それ自体が魔王である事は、事前説明があったのですぐに理解できた。
「な、なんだ、お前は⁉︎」
背後から声がかかる。振り返ると、西洋風の鎧をまとった端正な顔立ちの剣士がいた。
(どうやら俺は――)
本当にどこかの異世界の魔王の前に、いきなり送り込まれたらしい。周囲を見回すと、弓を持った男、魔法使いの様な杖を持った女、そして純白のシスター服をまとった女がいた。
(これって、あれか? 勇者パーティーってやつか?)
RPGやアニメで定番のやつだ。しかも状況からして、やはり魔王討伐のクライマックスらしい。
「ケーラ!」
「分かってるよ、ロイ!」
次の瞬間、かけ声と共に、弓使いと魔法使いが同時に、矢と魔法弾を放つ。
だが黒いカーテンの様にそびえる魔王には、そのどちらも効かなかった。
矢も魔法弾も、まるでミサイルの様だった。おそらくこの最終決戦までに、この技で多くの魔物たちを倒してきたに違いない。
なのにそれをまともに食らっても、微動だにしないという事は、
(これは本当に……魔王だ!)
などと感心してはいられない。弓使いと魔法使いは、男を援護しようとしてくれたのだ。
なぜなら今、魔王に一番近いのは、まさに彼なのだから。
「まずい!」
剣士が声を上げる。暗黒の中に、赤く光るおぞましい目と口が浮き上がったからだ。
当然、最前列にいる男が真っ先にその視界に捉えられる。そして息つく暇もなく、口から禍々しい光線が放たれた。
(これは――、ダメなやつだ!)
男は死を覚悟する。転生直後にまた即死など、シャレにもならないと考える余裕さえなかった。
だが今度の運命は、彼を見放さなかった。
「円環防御!」
澄んだ声と共に、光の魔法陣が男を包む――。それが魔王の放った光線をギリギリのところで弾き返した。
「な、なんだ⁉︎」
驚いた後、振り返るとシスター服の女が両手を前に突き出していた。これは彼女の力が男を守ってくれたに違いなかった。
「さあ、早く逃げて!」
女が呼びかけてくる。目と目が合うと、女は雷にでも撃たれた様にビクッと震えたが、今はそれどころではなかった。
(逃げる?)
逃げれば今度は彼女が標的になる。
(そんな事ができるか!)
自分を助けてくれた恩人を置き去りにするなど、彼にできる事ではなかった。
同時に男は時空が歪む感覚の中で、女神に言われた事を思い出す。
『えー、スキル『魔王瞬殺』の使い方ですが、あなたが魔王を視界に捉えて、「魔王瞬殺!」と唱えれば完了でっす!』
本当にそんな簡単な事で、魔王が倒せるのか。
(だけど今は――、やるしかねえ!)
自分を救ってくれた者を救うため――。そして抑えきれない正義感に突き動かされ、男は再び魔王に向かって振り返る。
(でけえ……!)
どれほど大きいか計り知れない。まさに一面の暗黒の塊だ。だがその分、視界にロックオンするのは容易だった。
そして男がシスター服の女と同じ様に、両手を前に突き出す。
「とおりゃーーーっ!」
同時に剣士も飛び上がり、気合いと共に魔王に一閃を加えようとした。
「魔王――、瞬殺!」
男が叫んだ瞬間――、魔王の体が一瞬で雲散霧消した。
「「「――――⁉︎」」」
それは誰もが信じられない光景だった。
「ほ、本当に……やったのか?」
男も女神の転生ギフトが本物だった事に、ただただ驚く。
そして魔王がいなくなったおかげで、今、自分がいるのが西洋風の古城の中だという事にようやく気付いた。
「魔王を……倒してくださったのですね」
古びた石畳を鳴らしながら近付いてくるシスター服の女の声に、男は振り返る。
(…………!)
率直な感想は――『怖い』だった。
容姿は金髪ロングでナイスバディ。さっきは必死だったのか目を見開いていたが、今微笑みかけてくるその目は、線の様に細い。だが奇跡のバランスで、素朴で整った顔立ちにマッチしていた。
そんなどこから見ても美女が――、アワアワと挙動不審に震えながら口元をゆるませて、まるで獲物でも見つけたかの様ににじり寄ってくるのだ。これはこれで魔王とはまた違った恐怖だった。
さっきも目が合った瞬間、雷に打たれた様に震えていたが、もちろん初対面のはずだ。なのに彼女の態度は、何かいわくありげな感じだった。
「わ、私は僧侶アイリス。どうかあなたのお名前をお教えください」
(名前?)
男は動揺する。そういえば時空が歪む時、女神がスキルの使い方の他に、
『えー、『諸事情』であなたの姿形はそのままで転生させますが、前世への干渉を避けるため個人情報は抹消しますので、名前とかは適当につけておいてくださいねー』
と、やけにそこだけ当世風のコンプライアンスを訴えていたからだ。
だから男は自分の名前が思い出せない。なので名前を聞かれても困ってしまった。
「えーっとー、俺はただの……『ニート』です」
思わず前世の癖で言ってしまった。こんな異世界にニートなんて定義がある訳ないのにだ。
「まあ、ニイト様ですか。素敵なお名前ですね」
「はい?」
なんか都合よく勘違いしてくれた。とはいえ、なんだか複雑な心境でもある。
(これはあまり長居しない方がいいな――)
と思っていると、
「では魔王を討ち取りし、『勇者』ニイト様――。あらためて私たちを助けてくださって、ありがとうございます」
「えっ……?」
絡みつく様なアイリスの微笑みに男は、いやニイトは呆然とする。
これが勇者ニイト誕生の瞬間――。そして魔王のいない世界を生きる、彼の試練の始まりだった。