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ほっこり食堂  作者: sqwin9
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EP07【冬五郎の願いとねこサン】

 春光がほっこり食堂を訪れてから7日が過ぎた。

冬五郎は今日も変わらず休憩時間にあの招き猫を眺めている。

「バカげたことを」

こぼれる本音に様々な意味が入り混じる。

冬五郎は春光がフレンチを出したいと言ったことと跡を継ぎたいと言ったこと、この食堂を開店してからの家族の姿などを代わる代わる思い出していた。

フレンチと跡継ぎの件については、春光の思うことだ、よくないことを思ったわけではなかろうと思う。が、このほっこり食堂は冬五郎の最後の夢なのだ、この食堂の在り方を変えることには強い抵抗がある。メニューが変わるということ、増えるということは決して簡単なことではないのだ。

余りものを作らない、地元商店街内で全ての仕入れを賄い、商店街全体での廃棄品を減少させることも、冬五郎の目指す形だった。住みよく庶民的な町、だが商店街はよく整備され備品も美しく管理整頓されている。飲食に関わる店舗は特に清掃も景観も協力し合って注意していた。

また、この富士ノ山商店街では、同類の店舗間で常に情報を共有しメニュー開発に勤しんでいた。冬五郎はシェフの経験もあったため、特にこのあたりでは他店舗の相談にのり新メニューのアドバイスを欠かさなかった。自身の自慢の天津飯とて、この商店街にふさわしい味というポイントを堅く守って仕上げたものだ。

確かに、そのことが思わぬ後悔も生んだ。子供達が大好きだった天津飯はシェフ時代のような豪華さがなくなり、自分を慕い続けた春光をがっかりさせもした。だから春光は家を出たのだろう、跡を継ぐとずっと言い続けていたのに、と冬五郎は残念な思いを仕方がないとそう理解していた。それでも冬五郎は、いつかまた春光が戻ってくるかも知れないと、うっすらと浮かび上がる希望も捨て切れずにいたのだが。

 初めての家族、息子、冬五郎にとっても春光の存在は大きかった。

『お父さんの天津飯が一番好き。お父さんみたいになるって約束するよ!』

柔らかな頬をめいいっぱい膨らませ、瞳をくるくるさせて笑顔で話す春光のあどけない姿。

『お父さんって神様みたい! 真っ白なお料理の神様みたい!』

新品のコックコートを運んでくる春光、古いものは自分のために残してほしいと言う。

新しいものをやると言っても、

『お父さんのがいいの!』

春光はぎゅっと体全体でコックコートを覆い守ろうとした。

幼い頃の春光のどの言葉も姿も、冬五郎にとっては心の支えだった。春光の寝顔しか見ることができない日々が続いても、その寝顔を見る度に自分の店を持ってみせる、この子へ残せるような店を作ってみせる、と励まされた。

 それにしても。

春光の話を最後まで聞かず撥ねつけたのはいかがなものか、我ながら大人げない、もっとじっくり話し合うべきではなかったか、今はそう後悔している。

「お前さんはどう思う?」

答えてくれるはずもない招き猫に訊く。

春光が家を出る時に置き去りにされた、だが、春光と出かけた最後の思い出の、春光が自分のことを願ってくれたこの招き猫。

冬五郎は、春光が家を出てからこの招き猫を店へ移した。冬五郎の先輩でもある金太郎からは、

「急に信心深くなったのかトウゴ? 欲かくのもほどほどにしろってんだ」

などと笑われたが、なにも商売繁盛を願って置いたのではない。

左手をあげた招き猫は人を招くというが。

そういえばあの縁日の夜、まだ幼かった春光に幸運を招くと大雑把に伝えたはずが、偶然か、春光は、自分のために人のご縁を願ってくれた。

『お父さんのことを沢山の人達が守ってくれますように』

あの日の出来事を忘れたことはない。

おもちゃなど強請ることのなかった春光が、手伝おうとした冬五郎を拒み、必死になって輪を投げて招き猫を手に入れた。そうして執着した招き猫に、自分のことを願ってくれたのだ。あれほど心が無防備に解けていくような心地になったことはなかった。あの時冬五郎は、初めて感じた尊い幸福感に、子をもつ親としての喜びと決意に震えたのだった。

そして、あの年、シェフ就任が決定した年は自身の人生の節目の一つでもあった。幼い手で大事そうにこの招き猫を抱き持ち帰ったあの日から、リビングに飾ってからも毎日なにかを願っていたという春光。

「お父さんのことを、って聞こえてたわ」

深夜、ホテルから帰宅し、千春からそう聞かされてはどんな疲れも癒された冬五郎。冬五郎は、シェフを勤め上げたら絶対に子供達と過ごせる食堂をもつと、日増しに夢への決意を強くしていった。


 ほっこり食堂開店5年目、春光が出ていった年から招き猫をここへ移した冬五郎、それまでの人生願掛けなどしたこともなかったが、

「頼むぜ。春光のことを守ってやってくれ」

家で過ごす時間より長くいるこの食堂へ春光が大切にしていた招き猫を飾り、春光が自分のことを願ってくれたように、冬五郎は家を出てしまった春光のことを毎日願うようになった。

「お前さんに頼んだだろう、あの子が。俺はしっかり助けてもらった。ありがとよ。今度はさ、どうか俺と同じようにあの子のことを助けてやってくれ。俺は見知らぬ土地で見知らぬ人達にほんとよくしてもらったんだ。頼むよ、あの子にも、いい人達と巡り合って助けてもらえるようにさ、お前さん、どうか見守ってやってくれよ」

柄にもないと思いつつ。

春光の幼い姿、自分のことを願ってくれたあの姿が、これまでの人生を支えてくれたんだと心の奥底から感じている冬五郎は、招き猫に願をかけていた。


 そんな神棚の隣の招き猫は、大事に思われている割にはすっかり埃をかぶっている。それもそのはず、あの日から一度も拭くなと冬五郎が千春に言いつけていた、この左手をあげた招き猫には、小さな春光の手形が、うっすらと滲んでいるからだった。

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