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ほっこり食堂  作者: sqwin9
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EP05【すれ違う想い】

 平成20年、ほっこり食堂は10周年。次男夏樹は23歳にして都会の中心部で流行りの洋食店の店長を努めている。時折店に来ては試作品を置いていき、父の様子を伺いつつアドバイスを聞きに来る。三男秋実も19歳、高校を卒業して憧れのカメラマンになるため奮闘している。息子達も巣立ち、店も10年目を迎えて安定。冬五郎と千春は53歳だがいたって健康、まだまだ精気も体力も衰えてはいない。

 そんなある日、最後の客を見送った千春が、店先で大声をあげている。少々驚き冬五郎がキッチンから覗くと、そこには少し痩せた長男春光の姿があった。痩せてはいるが疲労感というのではなく、しっかりした姿勢で立つ姿は無駄なものが削ぎ落とされた風だった。内心その姿にほっとした冬五郎。春光も25歳、来年には自分達が結婚した歳だなどと千春と話していた矢先だった。

家を出てからこの5年間、相変わらず味気のないハガキが届くばかり、届くだけでもありがたいなどと言う千春も、影ではひっそり寂しがっていた。夫婦にとって初めての子供だったが、あまりにも手がかからずそれが逆に心配なほど、無垢でひたむき、幼い頃から素直で思いやりにあふれる子、周りは羨ましがったが、我儘が許される幼い内にもっと甘えさせたやりたかった、そんなことも話していたところだった。

『元気そうだ、よかった』

心の中でそうつぶやく冬五郎。出てはいかず、そっとまたキッチンの奥へ下がる。

「春ちゃん、なにか食べる?」

千春はさっさと片付けをしながら春光を一番奥の席へ案内して尋ねた。

ここなら会話が、キッチンの冬五郎へも届くだろうと。

「おふくろ、悪いね。あ、いや、飯はいいんだ。食ってきたから」

「あら、そう? じゃ、お酒でものむ? 母さん達もそんなに片付け残ってないし、ねぇお父さん、お酒いかがかしら?」

千春はいつになく大きな声で冬五郎へ声をかけた、春光が来たとは告げずに。

千春にはキッチンの奥へ下がった冬五郎の姿が見えていた。

「おういいぞ」

「いやまって!」

冬五郎と春光が同時に答えた。

「おふくろ、今日は大事な話をしたくて来たんだ。オヤジにもちゃんと話したくて」

「そう? わかったわ、ちょっと待ってて」

千春は店内の小さな暖簾をくぐり、冬五郎へ声をかける。

「なんだよ、何年も顔を出さねぇと思えば急にやってきて大事な話って」

冬五郎は少しぶっきらぼうに言いながら出て来る、が、責めるという風でもない。

春光はかしこまり、一息ついて言った。

「実はね、俺、跡を継ぎたいんだ」

春光は一旦区切り、深呼吸をした。

「何年もかかったけど、やっと決心がついたんだ。だから、それを頼みに来たんだ。ずっとちっちゃい頃からオヤジみたいにって思ってたけど諦めもしたり。酷いこと言ったりしたこと、後悔したり。よくわかってなかった、いろんなことをね。でも、どうしてもオヤジの跡継ぐことは諦めきれなくて。やっぱり俺、どうしてもオヤジの跡を継ぎたいんだって、そう思って話をしたくて来たんだ」

「春ちゃん、うちは食堂なのよ?」

高校卒業と同時にフレンチの道へ進んだ息子、千春にはフレンチと食堂というものが遠すぎて思わず尋ねてしまった。

「わかってる。俺色々と考えみたんだ。夏樹の店も流行ってる通り現代って洋食が強い、でも和食のテイストも必要なんだ、だから夏樹もオヤジにアドバイスもらってる。だからね、俺が学んだ料理、フレンチと和食をコラボさせた料理を出せたら、もっともっとこの店が流行るんじゃないかと思ったんだ。気軽に食べられる庶民的な、それでいてちょっと洒落てて美味しくて、アットホームな雰囲気でフレンチも食べられる」

「今更なんだ」

春光の話をさえぎって冬五郎が言った。

「バカ言うんじゃない。うちは食堂だ、繁盛だとかなんだとか、うちは十分なんだ、今のままで十分なんだよ」

冬五郎は静かに低い声音で言った。

決して怒ってるのではない、ただ意地もある。10週年を迎えやっと落ち着いてきたこの食堂を変えることなどできない、そう答えた。この食堂には、冬五郎の様々な想いがある、最後の夢の形だからだ。

「自分だけでうまくいかないからって、うちの食堂を変えようなんて思うんじゃない」

そう言って冬五郎は席を立ち、キッチンへ行ってしまった。

「お父さん」

千春には冬五郎の言うことが痛いほど理解できる。

息子は可愛いが、可愛さだけで庇い立てはできない。でも、春光だって簡単な想いでここへ来たわけじゃないはずだ、そう思い、

「ごめんね、春ちゃん」

自然に侘びた。

「そうだよね。ごめん。悪かったよ」

春光には少々の覚悟があった。

父冬五郎は温和な人だが頑固でもあった。そうすんなり自分の意見など、たやすく許してくれるはずもない、そんな想像もしていたからだ。春光はすっと立ち上がり、居心地悪く急いで店を出ようとした。

「待って春ちゃん!」

千春は慌てて春光を引き止める。

「ねぇ、春ちゃん、聞いて、お母さんにも聞いて欲しいことがあるの」

続けて千春は言った。

「あのね、お父さんはね、シェフの頃忙しすぎてあなた達と過ごせないこと凄く悲しんでいたのよ。若い頃は最高の味を求めた。それは調理を勉強した春ちゃんにもわかるでしょ? でもね、あなた達が誕生日の時に嬉しそうにお父さんの天津飯を食べるのを、お父さんはね、あの人は心底喜んでたの」

「わかってるよ、そんなこと。俺らだって嬉しかったんだから」

「あの人ね、後片付けしながらいつも、いつもこんなことを言ってたわ。いつか自分の店をもちたいって。あなた達がいつでも出入りできて、あなた達が喜ぶ姿をみながらあなた達が喜ぶ天津飯を作って食べさせてあげたいって。それが、最後の夢なんだって」

春光は、鼓動が速まるのを感じた。

顎がだらしなく力を失って唇が開いてゆく、母の顔がかすみ、その声がまるで現実じゃないように思える。

「春ちゃん、いつでも来ていいのよ、またきっと来てね」

頷くと春光は歩き出した。

母の言葉に返事ができたかどうかも覚えていない、家族の元を離れたあの日と同じ、春光はまた振り返ることができないまま、背中に母の姿を感じながら店を去った。

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