降伏
レイフの部屋は、高級マンションの最上階
いわゆるペントハウスだった。
手馴れた様子でオートロックを解除し、彼女を案内するマックスは
クリスティーナが物問いたげなのに気づいたのだろう。
笑いながら言い訳をした。
「レイフは出張も多いからね。
留守の部屋の管理をしたりで、鍵を渡されているのさ」
マックスに、全幅の信頼を寄せているんだろう。
クリスティーナも彼に微笑んだ。
「じゃあ・・・レイフを頼んだよ」
ペントハウスのドアの前で彼女にそう告げるマックスを
クリスティーナは慌てて引き止めた。
「え?一緒に来てはくださらないの?」
不安げなクリスティーナにマックスが苦笑する。
「俺が一緒に行ったら、レイフに殺されてしまうよ」
そして彼女にウインクをして付け加える。
「愛しの奥方と、二人きりになりたいだろうからね」
真っ赤になったクリスティーナに安心させるように微笑むと
「レイフを頼んだよ」と言い置いて
マックスはエレベーターに乗り込んで行ってしまった。
あれ以来、まったく音沙汰もないのに
本当に自分に逢いたいと、思っていてくれてるのだろうか。
もし、レイフに嘲笑されたら、それこそ立ち直れない。
自分もこのまま帰ってしまおうか・・・
今のクリスティーナは、勝気で生意気な伯爵令嬢ではなかった。
人生で初めての恋が、彼女を気弱にしていた。
が、安全な世界に逃げ帰ろうとドアノブに手を掛けたとき
彼女は持ち前の勝気さが蘇って来るのを感じた。
「このまま帰ってしまったら、なんのためにここに来たのか
分からないじゃない。
レイフの真意を確かめるためにも、私は彼に会うべきなんだわ」
レイフのペントハウスは、本来ならば持ち主の性格そのままに
整然と片付いているのだろう。
それが今は、脱ぎ捨てられた服や飲み残しが入ったままのビールの缶が
そこここに雑然と置かれ、マックスの言葉が嘘ではなかったことを証明していた。
どちらかというと生活感のない部屋に、それらがアクセントとなってはいたが。
リビング、客間と覗いていったクリスティーナが
一瞬躊躇った後、寝室と思われる部屋のドアをそっと開いた。
朝だというのに、真っ暗な寝室。
厚手のカーテンの隙間から差し込む光で、レイフがまだベットにいることが分かった。
足跡をさせないように、いや、息さえ殺してベットへと近づいていく。
あれほど逢いたかった相手を目にして
クリスティーナの胸は高鳴った。
眠っている彼の横顔は、二人が初めて結ばれた日の朝を思い出させた。
だが、あの日と違い、レイフは寝顔でさえ顔をしかめていた。
「クリスティーナ・・・」
苦しげに自分の名前を呼ばれ、ビックリして彼の顔を見たクリスティーナだったが
どうやら寝言だったらしい。
彼はどんな夢を見ているんだろうか。
名前を呼んだということは、自分の夢を見ているんだろう。
私が原因ならば、その苦しみを取り除いてあげたい。
クリスティーナはベットの端にそっと腰掛けると
優しく彼の頬を撫でながら、その名を呼んだ。
「・・・・・・レイフ。私は、ここよ」
クリスティーナの声に、レイフの瞼が僅かに動いた。
ゆっくりと開いた紺碧の瞳に、クリスティーナの顔が映る。
「・・・・・夢なら醒めないでくれ」
「夢・・・じゃ、ないわ」
そう言った瞬間、クリスティーナはレイフの腕の中にいた。
「レイフ!痛いわ・・・少し、腕の力を緩めて」
息もできないほど強く抱きしめられ、クリスティーナがレイフに抗議した。
本当は、抱きしめられたことに安堵とこの上もない幸福を感じていたのだが。
彼女の言葉に、逆に腕に力を込めて抱きしめ直しながらレイフが呟いた。
「嫌だ。緩めたら、蝶はまた手の届かないところへ飛んで行ってしまうんだろう?」
「蝶?私が?」
「ああ・・美しくて、決して手の届かない蝶だよ、君は。
・・・・・無理に捕まえようとすれば、その美しい羽を傷つけてしまう」
彼の腕の中でもがきながら、ようやく顔を出し、彼と目を合わせる。
「貴方が思っているほど、私は弱くはないわ。私は・・・」
続けようとした言葉は、レイフの唇に飲み込まれてしまった。
瞼に、頬に、喉にと彼の唇が辿っていき
そしてまた唇へ戻ると、貪るような口付けが続いた。
息もできないほどの口付けを受けながら
彼の肩に置いていた手を下へと伸ばしたクリスティーナは
シーツに覆われた彼の体が、それ以外なにも身に着けていないことに
遅まきながら気がついて頬を赤らめた。
そんな彼女を見て、その日初めてレイフが笑った。
「私の裸など、もう何度も見ているだろう?」
その言葉に、ますます顔を赤くする彼女に
愛しそうにキスをすると、レイフが器用に彼女のブラウスのボタンを外し始めた。
「レイフ!」
「不公平だと思わないかい?君だけ服を着ているなんて」
彼を止めようとする彼女の手を封じると
懇願するように、レイフは彼女の瞳を覗き込んだ。
「もう1秒だって待てない。いや、待ちたくない。
でも、君が嫌だと言うのなら・・・・・」
ずるいわ。
そんな目で見つめながら言われたら、ノーなんて言葉
言えるはずがない。
降伏の印に、首を振ると
クリスティーナはそっと目を閉じた。




