逃走
私は、なんてバカだったんだろう。
夫にとって、私はただの復讐の道具。
優しくしてくれたのだって、ただの気紛れ・・・ううん
私を彼に夢中にさせて、心の中で笑っていたのかもしれない。
クリスティーナは目の前の光景をそれ以上見ていられずに
パッと踵を返すと、自分を呼ぶマックスの声も無視して
今来たエレベーターへと走った。
早くここから離れなくちゃ。
今の彼女には、それ以外のことは考えられなかった。
「クリスティーナ!」
マックスの声に弾かれたように顔を上げたレイフが見たのは
責めるような親友の視線と、走り去る妻の後姿だった。
なぜ、彼女がここに・・・・・
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
レイフの本能が、早く彼女を追いかけろと告げていた。
「レイフ?」
レイフの首に腕を回していたライサを押しやると――なぜ最初から
そうしなかったのか、彼は猛烈に後悔していたのだが――親友に向かって
口早に指示を出していた。
「この後の今日の予定は全てキャンセルしてくれ。それから・・・」
チラッとライサを見てからマックスに視線を戻す。
「彼女はお帰りになるそうだ。丁重にお送りするように」
「了解しました、社長。他に御用は?」
マックスのヤツ、かなり怒ってるな。
親友が自分に対して敬語を使う時の雲行きがかなり怪しいことは
今までの経験上十分承知している。
レイフは心の中で溜息をついたが、今はそんなことに構っている余裕はない。
「そうだな・・・妻の機嫌が直るように、祈っててくれ」
マックスは部屋に入ってきて初めて笑顔を見せた。
少し皮肉な笑顔ではあったが、笑顔には違いない。
「それには、かなりの幸運が必要になりそうですね、社長」
ああ・・・そうだろうな。
レイフは妻を追うべく、オフィスを後にした。
どうしよう・・・運転手には適当な時間を見計らって迎えにくるように言ってあった。
連絡を取れば来てくれるだろうけど・・・
レイフのオフィスを飛び出したクリスティーナは
途方に暮れていた。
正真正銘のお嬢様である彼女に、自力で家に帰ることなど
考えることもできなかったのだ。
それに・・・家に帰れば夫が追ってくるのは目に見えていた。
今、会いたくない人物がいるとすれば、それは夫に他ならなかった。
友達のところにでも行こうか、彼女が考えながら歩いていると
通りかかった車が停まり、スッと開いた窓から怪訝そうなエドワードの顔が現れた。
「こんなところで、どうしたんだい、クリスティーナ?」
「エドワード!ああ、よかった。お願い、私を車に乗せてくださらない?」
「それはもちろん構わないが・・・」
後ろから聞こえる自分を呼ぶ声には振り向きもせずに
クリスティーナはエドワードの横に乗り込むと、彼の運転手に告げた。
「お願い、早く車を出して!」
クリスティーナの様子に、何かを感じ取ったのだろう。
エドワードも運転手に向かって静かに命じた。
「彼女の言う通りにしてくれないか、ハワード?」
「畏まりました」
レイフが追いつく前に、クリスティーナとエドワードを乗せた車は
静かにその場を走り去って行った。呆然と佇むレイフを残して。




