第五話 童心
福島編
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係がありません。
ここから"みちのく"。
那須から福島県へと入れば、辿り着くのは白河の地。奥州三古関が一つである、白河関で有名な場所である。平安時代ごろに人の往来を取り締まっていた、交通の要所。
「…というか、平安時代も同じ地域区分だったんだな」
よく、広告やコマーシャルで使われる"みちのく"の名は、平安時代まで使われていた呼称『陸奥』に由来する。
800年ほど経っても地域区分が変わっていないことを、欣秀は素直に面白いがり、ちょっぴり嬉しさも覚える。
「何百年経っても、無意識に続く文化もあるんだな…。」
何気なしに、佐倉のことが思い出される。
「少し、おセンチになってしまったかな。」
そこから、東―。海へ向かい、いくつもの山を越えていく。
山間部は、恐らく今季最後となる雪の予報。ロケットⅢでアイスバーンなど攻められる筈もないので、欣秀は追われるように大移動する。
海風を感じられるあたりで出くわすのは、勿来の地。こちらにもまた、奥州三古関の勿来の関がある。
"来"る"勿"かれ―。太古の東北の地は、未開の地。危険であるから、来ることを禁ずると云われた―など、その名の由来にはいろいろな説があるが。
いずれにせよ、奥州三古関のうち、二つもが福島県の南端にあるのである。
東北地方の第一歩目である県とするには、納得できる理由であろう。
「小野町の千本桜は、遠くて拝めなかったけど…。海のほうに出たら、桜がチラホラあるな。」
再び内地から海に出て来て、桜も拝み、晴れやかな気分の欣秀。―しかし。
「これから東北、か…。」
サイフの中身を見る。
「ちょっと、考えなくっちゃなあ。」
第五話
童心
「磐城クーン! この畳持ってってー!」
「はぁーい!」
「あーちがうちがうそっちじゃない! それ〝ダメ畳〟だから! ホラ、濡れてるでしょ!」
「あー…すみません!」
ぶかぶかの作業着に、ヘルメット。皮手袋にゴーグル…と、今日の欣秀は道着姿ではなかった。
「う~疲れたぁ! よし、あとは俺がリフトで持ってっちゃうから! 磐城クン先休んでていーよー!」
「ありがとうございます! お先にいただきます!」
海に隣接した工業地帯。その灰色の建築群の一つである中間ゴミ処理施設にて、欣秀は絶賛アルバイト中だった。積み上げられた陶器やガラス、建材プレートといった廃棄物の山々に、唸るユンボたちの騒音…。旅人が訪れる場としては不似合いな場で、欣秀は汗を流す。
~二日ほど前~
「ここは漁港なのか……お、水揚げしてる。」
勿来から、海沿いに北上してほどなく着くのが、小名浜。
この港町は、貿易港と漁港、両面の性質をもった港湾都市であるほか、広大な敷地を有した水族館があったり、最近になって大型の商業施設が建てられたりしたなど、今後賑わいが活発になっていくであろう海の町である。
「食いてーー…。」
そこの埠頭で立ちぼうけしていた欣秀は、なにも水揚げされる魚たちに涎を垂らすために居たわけではない。
「なんだいニイちゃん! じっと見ちゃって! 欲しいのかい!」
中年の漁師に声を掛けられる。
「あ、いえすみません! そんなことないです!」
鮮魚をいただいても、扱いに困る。調理技術もないし、道具も足りるかどうか。
「それよりも、何かこの辺りで、短期バイトとか募集してないですかね?」
漁船に乗らせていただく…とまではいかなくとも、市場での簡単な作業など。体力仕事を引き受けられないだろうか、というのが欣秀の目論見であった。
東京から離れるにつれ、だんだんと田舎を通る時間が多くなる。仕事がありそうな土地で、少しでも路銀を稼ぎたかったのだ。
「ははーんさては金のねぇバイク乗りってところだなー? そうだなぁ~ここらじゃあ募集はないけど…。そうだ、知り合いに聞いてやるよ!」
「ありがとうございます!」
~~~
そんな流れで、漁師の知人であるゴミ処理施設の管理人に話を通していただき、現在に至るというわけである。
一応、曲がりなりにもそれなりの資金を用意して旅に出たため、決してもう一歩も進めないほど貧乏…という訳ではなかったが。これも何かの縁。稼げる機会があるなら稼いでおこうと、一週間だけ従事させていただくことになった。
「…とはいっても、けっこう疲れるなぁ…!」
この施設での役割は、家屋の解体屋などから運ばれてくるガレキやゴミを受け入れ、それを分別して最終処分場に送り出す…というものである。ダンプやゴミ収集車から無造作にバラまかれたごちゃ混ぜのゴミの山を、一つ一つ手作業で廃棄プラスチックや古紙、木材、鉄、ダンボールなどに分けていく…という作業は、なかなかに骨が折れる。
おまけに同じ紙に見えてもプラスチックを挟んでいたり、一見ダンボールに見える箱も紙でできていたり。鉄とアルミニウム、真鍮の見分けはしづらかったりと―。今日で二日目だが、欣秀は何度も分別を間違え、注意を受けていた。
「めんどくさいなぁ。あんなの、全部焼却しちゃえばいいのに。」
もちろん、全てのゴミを焼却処理することはできる。が、その処理費は高い。故に最終処分場に出す際は、出来る限り分別して焼却の量を減らしたいところなのだ。ゴミ収集屋が家庭に向けて「分別してください」と口酸っぱく言うのも、このしわ寄せである。
アルバイトが終わり、ガレキの粉じんをかぶって白みがかったロケットⅢを軽くはたくと、欣秀は工業道路を通り、沿岸都市の中心部へ。大型の商業施設周辺には、観光用の桟橋や鮮魚市場、飲食店が点在し、買い物客や釣り人が多く見受けられる。
辿り着いた当初こそ、面白い物がないか、と施設を巡ってみたものの。
「海鮮丼………うう、バカ高いぃ…!」
かえって資金がなくなりそうな誘惑が多かったので、あまり近寄らないようにしていた。
そこから更に海沿い走ると、船着き場を経て、岩壁を貫くトンネルへ。それを抜けると、海に面した穏やかな公園が姿を現す。海から丘に沿ってなだらかに芝生と樹木が植えられ、てっぺんに展望塔『いわきマリンタワー』がそびえ立つ、三崎公園である。
その公園の最下段、海に面した広場で夕飯を食べるのが、欣秀の小名浜における日課となっていた。裕福でない旅人であり、仕事終わりの作業員でもある欣秀にとって必要なのは、活気あふれる市場より、のんびりと夕陽を眺められる野宿地であった。
波打ち際に向かって段を刻む足場に腰掛け、欣秀はあらかじめ買っておいたコンビニ飯に手をつけ始める。…さすがに肉体労働をした後に、いつもの納豆飯と味噌汁だけでは物足りなかった。
「…このあたりは、ほんと人工物が多いなぁ…。」
目の前には漁船が連なったいくつもの埠頭や波止場が広がっており、その先には埋め立て地へとアクセスする海上大橋『小名浜マリンブリッジ』が堂々と佇んでいる。ガラス張りが眩しい水族館『アクアマリンふくしま』も同時に眺められ、陽が沈むにつれ漁火や照明でライトアップされるそれらは、活気づいていく港湾を象徴しているようであった。
「九十九里とは、真逆の雰囲気だな…あっちはあっちで良かったけど。」
気温が上がり、気兼ねなく外で食事ができるようになったのは、欣秀にとって嬉しいこと。遠足で食べる弁当が旨いのは、〝外気中に何らかの調味料が含まれているから〟と、子供時代に本気で仮説を立てていたほど、欣秀は空の下で食事を摂るのが好きだった。
弁当を食べきり、「堪能した」と欣秀は手を合わせる。併せて買っておいたお茶を飲み余韻に浸っていると、背後から小さな影が駆け寄ってくる。
「旅のお兄ちゃーん!」
「おー来たか!」
声の主は、ユウトと名乗る小さな男児。今年小学二年生になったばかりという、瑞々しいチビっ子であった。
一昨日、欣秀がここでテントを張っているところをユウトは目撃。「ここで寝てることは、内緒にしてくれるかな。」との欣秀の懇願に、「うん、いいよ! その代わりいろいろお話して!」と快諾してくれたことから、二人の交流は始まった。
「今日は学校どうだったよー?」
「…んとね、楽しかったよ。ボクね、クラスみんなのみよじとなまえ、覚えたんだ!」
「おーすげーなー。私なんか、退職するまで知らない名前の同僚いたよぉ。」
「あとね、漢字いっぱい習ったよ! 海って漢字が好き!」
「お、海かぁ。まさにこの景色にぴったしだね。
流水と、髪を結う女性の象形でなあ…。フフ、なかなか色っぽいと思うよ。」
「うーん、よくわかんない!」
「そうか。」
「ねぇお兄ちゃん、今日も漢字、教えて?」
「いいとも。う~ん今日は何にすっかなぁ…。」
ユウトの両親は共働き。小学校から帰ったあと、この公園で日が暮れるまで遊ぶのは、ユウトの日課だった。その帰宅時間まで、欣秀はユウトに漢字を教える…というのが、いつの間にか二人の取り決めとなっていた。
「おし、じゃあ海ときたから…、魚にしようか。」
「サカナ! うん、教えて!」
欣秀の隣に座り込んだユウトは、肩掛けバッグからノートと鉛筆を取り出す。欣秀がそれでお手本の漢字を書いてやると、ユウトは「おお」と感嘆しながら、それを真似て書き始める。
「書き順、気を付けてね~。ここの十字は縦線からだからね。」
「うん!」
はじめはたどたどしく、ゆっくりと鉛筆を動かすユウト。はじめ象形文字のようだったそれは、5分と経たず、すぐに読むに値する漢字となっていった。
(最近の子供ってのは…飲み込むのが早えなぁ)
「ねぇ、ユウト君はさ、どうしてそんなに漢字を知りたいの?」
「んー…。んとね、僕ね、幼稚園のときからお父さんの本、たくさん読んだの。だけど読めない字、多すぎてね。お父さんやお母さんに読んでもらってたんだけど、お父さんもお母さんも、帰ってくるの遅いから、あんまり読めなくて…。」
「へーすごいなぁ。ユウト君はもう本を読んでるのかぁ。……私はもう、本の類はあんまり読みたくないよ。」
欣秀の前職は、とある雑誌の編集だった。読むこと書くことに関して、特に不足ない欣秀にとって詰まる場面は少ない仕事であったが。外注スタッフの綿密なスケジュール調整や、寄稿された素人の文の校正、こなせる人ほど増やされる仕事量、なにより人間関係が苦痛…と、思い起こすには苦い記憶である。
「えー、本、楽しいよ?」
「あはは。私、勉強嫌いだからさ。」
ページ一枚が〝魚〟いっぱいになると、ユウトは「覚えた!」と満足げにノートを掲げる。
「早いなぁ。魚好きなの?」
「うん、好き! お母さんとお父さんにね、アクアマリン、よく連れてってもらうの! マイワシがぶわーっといっぱい泳いでるの、見るの好き!」
「ほーほー、そうかそうか。」
漢字や魚の名前を、どんどん覚えていくユウト。きっと将来は、良い学者になるんじゃないか…と、欣秀はまるで我が子のように期待を寄せてしまう。
「アクアマリンはね、お父さんがお母さんにコクハクしたところなんだって!」
「ほー…そりゃロマンチックな。」
水族館の外壁は、ドームを横方向に伸ばしたような角のない形となっており、その全てがガラスで組み立てられている。昼は青空が映し出されて青く光り、夜はライトアップの光を反射して海をキラキラと輝かせる。男女が連れ立って訪れたい…というのは、わかる場所であった。
「お兄ちゃんも水族館、よく行くの?」
「ん? まぁ嫌いじゃあないかな。東京の方じゃあ、海の方にあるのなんて、『えのすい』ぐらいしか行ったことないけど…。」
「じゃあ、お兄ちゃんももうすぐ、ケッコン、できるね!」
「は?」
「女のひとと、行ってるんでしょ?」
「…。
お……おうよ…もうすぐ結婚、できるかな……? ハハハ。」
「僕もね、ミキちゃんとこの前いったんだけどね、まだ子供だからケッコンできないや。」
「……ミキちゃんってのは?」
「最近、なかよくなった子なんだ!」
「……へーーー………。」
〝一人で行く水族館も楽しい〟とか、もはや言えない。
(最近の子供ってのは、呑み込むのが早えなぁ!)
「うし、もう暗くなってきた。そろそろ帰んなさい。」
「うん! またあしたねー!」
「なんかあったら、大声で叫ぶんだぞ!」
「うん!」
家まで送ってやるべきかとも思ったが、こんな黒ずくめの衣装の男が小学生男児を連れていたら、絶対に警察沙汰になる。〝まぁ、家はすぐそこだから、大丈夫か〟と信じることにしていた。
ユウトが見えなくなるまで手を振った後、欣秀はテントを人目を凌げる場所に組み立て、1日の活動を終える。
―翌日―
「磐城クーン! このフレコン縛っといてー!」
「はい! ……あれ? くっそー。」
「あはは、磐城クンほんと不器用だなぁ! こうして紐をもう一回まわして、ギュッと縛るのよ!」
「なるほど…ごめんなさい!」
どうにも欣秀の適正は、悪いようだった。アルバイトの立場であるうえ、ゴミの分類で人手が多いにこしたことはないので、怒鳴られることはなかったが。
(私ってこんなに不器用だったのか…)
と、新たな事実に欣秀は凹む。
「…それにしても、プライバシー管理とかかないんですかね…。」
「ハハ、まぁ案外そういうもんよ。」
この日の受け入れは幼稚園解体で生まれたゴミらしく、持ち込まれる物には園児たちが工作した有象無象のほか、運営に携わる膨大な書類があった。そしてあろうことかその書類の山の中には、園児たちの住所などが記載されたものが、当然のように紛れ込んでいる。
(大丈夫なのかよ、ニッポン…)
ちょうどユウトと交流していることもあり、他人事に思えない。人の負の面が詰まった場所で、現実は案外ヤバイもんなのだな…と痛感する。
「お、この人、ウチの近くに住んどる! 今度遊びに行っちゃおっかな~。」
「やってることがゲスいですよ、先輩。」
ボロボロの書類を手に取り、先輩作業員が冗談めかす。
「アハハ! だってさー! 見てよこの保護者さんの名前! セイコさんだって!
ぜってーかわいいよ~!」
「わけがわからんですよ…。」
「まぁまぁそう言わずにさ~。ね! 磐城クンだったら、どの名前が好み?」
欣秀は肩を回され、紙を見せつけられる。
「そうですね……アキナさん、とか。」
「ほう…シブいな。」
「セイコさんて、なんか清楚なイメージ。こっちのほうが、なんか人間味ありません?」
「そっかな~、俺はコッチのが明るい感じで好きだけどな~。
ま、いずれにしろ、"ユミ"には敵わんけどな!」
「? なんでです?」
「だって俺の彼女の名前だし。」
「……先輩、彼女とか居たんですね…。」
「お? 磐城クンはいないカンジ?」
いたずらっぽく笑われ、欣秀の顔がのぞき込まれる。
「そっか~~旅の身だもんね~[r] うらやましかろう? グフフフ。」
「別に…。それに私、ミユキ派ですし…。」
「写真見る? 写真見る? ちょうどこの前、アクアマリン行ってさ…。」
「くっ…! どいつも、こいつもォオーー!!」
差し出されたスマホは、破砕機に方へと投げ捨てられた。
「俺のスマートフォンがーーーー!!!」
~~
「よし、"波"の字、おぼえた!」
「"波"のつくりの皮はね…。皮を手で剥ぎ取るようすからきててね…。」
いつもどおりユウトの隣に座り、欣秀は投げやりに解説する。
「お兄ちゃん、今日なんだか元気ないね。」
「そんなことない…。
あ、そうだ。」
欣秀はバッグを漁り、中から折り紙セットを渡す。
「ほい、これお土産!…つってももう使わないか、こんなもん。」
「わーありがとう!」
ゴミ処理場には、未使用の製品がそのまま持ち込まれることも多い。欣秀はゴミの山にクレヨンや折り紙が埋まっているのを発見し、比較的汚れていない物を持ち帰ってきていた。
「折り紙なんか、小学生になっても遊ぶ?」
「うん! 僕たまに遊ぶよ!」
ユウトは梱包を開けて折り紙を一枚取り出すと、慣れた手つきで鶴を折ってみせる。
「おーすげぇ。」
「お兄ちゃんもなんか、作ってみて!」
「ん? 私かぁ。そうだなぁ…。」
欣秀もまた折り紙を一枚取り出し、三角形に折って、二つの角を持ち上げるように更に折る。
「…チューリップ?」
「おうよ。」
「えーなんかカッコ悪い~!」
「そんなことないよ! ホラ、ここの折りを深くしてやれば…。猫…に見えなくもないだろ?」
「アハハハ! ヘンだよー!」
「…。」
(マジで私は不器用なんだな………ハッだからモテないのか!?)
欣秀が衝撃の事実に揺れていると、近場の草むらがガサガサと鳴る。見ると、一匹の野良猫がのそりと這い出てくる。
「おっ本物の猫だ。」
「あーっライちゃんだー!」
ユウトは猫の方へ駆け出していくと、猫をひょいと抱え上げる。猫は逃げようとしたようだが、その動きは恐ろしく緩慢で、難なく捕まえられてしまう。
「ライちゃん?」
「うん! 最近仲良くなったんだー!」
(たらしだなぁユウト君は…)
ライちゃんは抵抗することを止め、しかめっ面でされるがままにしている。
「ぶっさいくな猫だなぁ~」
「え~かわいいよ!」
〝ライちゃん〟の目はネコ目とは程遠いほど丸く、垂れており、毛はボサボサと伸び放題で、そのせいか野良猫のくせに丸々と肥えているように見える。
二人して撫でまわしたりしてその毛並みを堪能した後、ユウトはライちゃんを下ろしてやる。ブスーっとした顔でこちらを一瞥したあと、何処へと走り去ってしまった。
「あーそうだ、明日は私、この時間公園にいないと思うから。」
「えっ!? もう出かけちゃうの?」
「いや、流石に風呂に入りたくてね…。」
ただでさえシャワーを浴びない生活に、ゴミ処理の仕事が重なったとあれば、風呂に入らない訳にはいかない。明日は仕事終わりに、銭湯へ行ってしまおうと思っていた。
「まぁ、まだ仕事の日は残ってるし。明後日にはまた会えるよ。」
「うん! じゃあまたあさってね!」
―明後日―
「うーん、なかなか外れないなぁ、このネジ…。」
ゴミの分別は、時として製品を解体しなくてはいけないときもある。キッチンなんかはステンレスやプラスチック、木材等を組み合わせて作られているので、それらを取り外して分別しないといけない。
欣秀はインパクトドライバーを使ってボルトを外し解体しようとするが、ネジ山がなめてしまいなかなか外せない。
「アハハ、磐城クン、なんてことはないよ。こんなのはこーやって―」
離れてるようにと言った先輩作業員は、バールを振りかざしてキッチンに叩きつける。たちまち組まれていた木板が破壊され、瞬く間にステンレスやプラスチック部品が飛び出していった。
「すげぇ…。」
「ハハ、所詮ゴミだからさ。多少暴力的でいいよ。ネジとか細かい部品は、付いたままでも大丈夫だから。ストレス発散に、ガツッとやっちゃいなよ!」
言われてバールを手渡される欣秀だったが、物を乱暴に破壊する…という経験したことのない作業に、なかなか力を入れられない。
(やっぱり私は、甘ちゃんってことですかね…)
それでもなんとかバールを振るう欣秀の額に、汗が流れ始めてげんなりする。
(うう、風呂入って来たばっかなんだけどな…)
昨日訪れたのは、近場にある湯本温泉郷。その名のとおり旅館や日帰り温泉のほか、いくつか足湯もある温泉の町である。効能は確かなようで、競走馬も時折それにあやかりにくるというのだから、驚きである。
古くは、石炭の採掘場でもあったとのことで、その文化と歴史を伝える博物館もあったりした。湯冷めしないよう早々に退散してしまったが、付近には欣秀が耳にしたこともある日本のハワイ『スパリゾートハワイアンズ』なる施設もあるとのことで。
「東京からも近いし…そのうち、普通に遊びに来てもいいかもな~。」
その前にこの旅が、ちゃんと終わればいいけども。
そんな不安を振り払うように、欣秀はひたすら廃材にバールを打ち込む。
結局、解体するのに大分時間がかかってしまった。
「こんなんじゃ、強くなるどころじゃグボボボボボボ」
先輩作業員が、掃除に使うエアコンプレッサーを欣秀の顔面に向けて遊ぶ。とんでもない風圧が、顔を歪ませた。
「ハハハ! 今、落ち込んでただろ~ほ~ら笑顔笑顔~!」
「窒息しますわ!」
欣秀は拳を握る。
「おっと暴力はダメだぞ磐城クン。
この捨てられたピコピコハンマーを使って、遊ぼうじゃないか~」
先輩作業員はハンマーを渡し、同様に拳を構える。
「ホイッ、叩いてかぶってジャンケンポン!」
グー。
「おっと負けた! だが悪いな~ ヘルメットはすでにかぶってるんだ~。
ってぐぼぉおお~~~~!?」
欣秀はその顔面を、真横一文字に振り抜いてやった。
~~
この日はゴミの受け入れが少なく早めに解散となったこともあり、欣秀は三崎公園を軽く散策する。
「もうけっこう咲いてるなぁ…。」
園内に植えられた約200本のソメイヨシノが、薄紅色の花弁を揺らして春の訪れを告げている。埼玉で見た河津桜もいいが、やはり桜といえばソメイヨシノ。ようやくバイクに乗りやすい季節になってきた…。と、目を細ませ笑う。
園内を見回してみると、駐車場のほか遊具や軽食売り場なども設置されていることが確認できる。
(こりゃあ、たしかに放課後遊ぶにはうってつけかもな…)
「今日は、解体の〝解〟の字でも教えてやるかな…何に使うかわからんけど。」
もう、ユウトが居たりして。と仄かに思い、その姿も探しながら散策していると。遊具から離れた草陰に近い場所に、何人かの子供が集まっているのが見えた。
「お、ほんとに居たよ。」
近づいて見てみると、その中の一人がユウトであることに気付く。
友達と、どんな風に遊んでいるんだろうか―と、欣秀は少しだけ近づいて観察しようとしたが、どうも様子がおかしい。
「…?」
ユウトを含め4人の子供たちは、輪を作って話している…というようすではなく、ユウト一人と三人が対面しているような位置関係だった。ユウトは両腕を広げ大の字になり、なにやら喚いている。
「ダメだよ~、ライちゃんイジめちゃ、かわいそうだよ~!」
「おまえ誰だよー! そこどけよ!」
「こいつなんかウザいよー、ダイちゃん、倒しちゃってよ!」
ダイちゃんと呼ばれた少々恰幅のいい男児が、ユウトの頭を殴り付ける。とっさにユウトは両手でそれをガードしたが、圧に負けてコテンと転んでしまった。
「むむ、これは見過ごせないな!」
何があったのかはわからないが、子供とはいえ暴力沙汰を黙認するわけにはいかない。
欣秀は駆け出し、「ちょっと! ストップ! ストップ~! 止めなさい君たち~!」と、警察官のような演技をしながら子供たちに近づく。そのまま喧嘩の収拾をつけようと思ったが、ユウトを囲んでいた3人はそそくさと逃げ出してしまった。
「あっこら! ったく~。」
追いかけてやりたかったが、散り散りに分かれたそれを追うのはムダだと諦める。
「ユウト君、大丈夫? ケガないかい?」
「うん…。」
差し出された欣秀の手を取り、ユウトは立ち上がる。見た感じ傷はなさそうだった。
「一体、なにがあったのよ?」
「…あいつらが、ライちゃんイジめてたの。」
見ると、ライちゃんがユウトの後ろで顔をクシャっと歪ませ、怯え切っている。
「ライちゃんね、早く走れないんだ。だからそれを面白がって、棒で叩いたり、銃で撃たれてたりしてたの。だから止めてってお願いしたんだ。でも…。」
「な、なるほど…。」
銃というのは、エアガンの類だろう。童心というのは残酷なもので、命に対する慈しみというのが希薄である。今回のような〝遊び〟が横行してしまうのも、言いたくはないが日常茶飯事のようなものだ。
「どうしよう…あいつら、また来たら、またライちゃんイジめられちゃうよ。」
「あいつらは、同じ学校の子じゃないのかい? 先生に言ってもらうとか…。」
「違う。今日初めて見たヤツら。」
「そうかぁ…。」
〝安心しろ。またイジめてたら、私が助けてやる〟と言ってやりたいところだったが、アルバイトの都合上それが叶わない…というかそもそも旅の身であって、ずっとここにいる訳ではないのだから、無責任なことは言えない。
ううむと悩んでいると、ユウトが何かを決意したように、欣秀を見上げる。
「…どした?」
「…あのね、お願いがあるんだけどね。いいかな。」
「おう。聞くだけ聞いてみるよ。」
「お兄ちゃん、シュギョウ、してるんだよね。強いんだよね。だったら、ユウトにも何か、教えて。ユウト強くなれば、あいつら追い返せるから。」
「ああ…なるほど…ねぇ…。」
想定外の懇願に、欣秀はたじろぐ。ユウトの瞳には、〝ライちゃんを守りたい〟という強い意志が映っている。しかしまん丸いその瞳は、まだ純真無垢な小学二年生で。そのギャップに、戸惑う。
「そう…だなぁ……。」
さきほど目の当たりにしたとおり、子供というのは残酷なものである。力がないとはいえ、武術の片鱗を教え込んだりするのは、どうなのだろうか。それがまた別の悲劇を、生み出してしまうかもしれない―。
「お願い! ゼッタイ、悪いことには使わないから!」
「んん~…。」
ユウトの心配を解消する方法が、他に見当たらないのも事実である。
「わかった。一つだけ、教えるよ。」
〝護身術を教える〟と考えればいい…と、欣秀は技をレクチャーすることにした。
「ありがとう~!」
ユウトを連れ立って、欣秀は草地が平らになった立ちやすい位置に移動する。
「ね! どんな技教えてくれるの~?」
「んー……突き、かな。」
護身術といいつつも、欣秀が教えるのは攻撃の一手だった。
よく小学校の催しでやるような、警察官が教える護身術は、掴んできた腕をさらに掴んでの関節技などが多い…が、ぶっちゃけそんなまどろっこしいことをするぐらいなら、顔面を一発殴ってやった方が早い…というのが、師匠の考え方である。攻めこそが最大の護身術なのである。
とはいえ、欣秀は馬鹿正直に正拳突きを教えるつもりはなかった。
「いいか、よく漫画なんかでは敵のパンチを受け止めて、関節技を決める…なんて真似をしてるものが多いけど、実際そんなことはほぼできない。いつ敵のパンチが飛んでくるかわからないし、そもそも一発目が防がれたら、すかさずもう片方の手で二発目を打ってくるだろう?」
「うん…そうだね。ワン、ツーって、ボクシングの人たちもパンチしてるもん。」
「そう。だから肝心なのは、受け止めようとかそんな弱気にならずに、こっちから攻めていくこと。そのうえで、敵が打ってきたパンチを防ぐこと。」
「そんな、二つのこといっぺんにできるの?」
「できる。」
欣秀は右前の半身になって構えると、右拳を真っ直ぐ前方に叩きつける…わけではなく、ヒジをやや曲げ、握り込んだ小指の外側を打ち付けるように、目の前の宙を殴った。空手の上段受けと、上段突きの中間のような形である。
「こうやって敵の顔面を打ち付けながら、ヒジで敵の肩をさえぎる。そうすれば敵は拳を出しにくいから、反撃のパンチをしにくいだろう? これを私らは、〝突き受け〟っていってる。」
「おー! つきうけ!」
欣秀に促され、ユウトは拳を突き出し始めた。真っすぐではなく、やや腕が曲がる形に。漢字同様飲み込みが早いのか、その形はすぐにサマになり始める。
「うん。なかなかよくなってきた。」
「本当!? …でもさ、もし相手が先に殴ってきたら、どうするの?」
「敵が殴ってくる前に、殴ってやるのがベスト。殺気を察知して先手をとる。これを先の先という。」
「…なんか難しそうだよ。」
「まあ安心して、これは敵に先手をとられても、まぁまぁ対応できる技だから。ちょっと兄ちゃんの顔、殴ってみ?」
欣秀はしゃがみ、ユウトの前に顔を突き出す。ユウトは躊躇うように、なよっとしたパンチを繰り出してくる。優しい子である。
欣秀は突き受けを下から振り上げる形で打ち込み、ユウトのパンチを跳ね上げながら、その拳をユウトの鼻先に、ヒジをユウトの肩前に押し付ける。
「ホレ、こうすれば、ワンもツーもどっちも防げるだろ?」
「そっかぁ! パンチを受けながらパンチすればいーんだね!」
(…やはり物分かりがいいな。将来は良い戦士に…いやいや)
今度は欣秀がユウトにパンチを突き出し、それを跳ね上げるようにユウトは突き受けを行なう。
「勢いが足りない。そんなんじゃ跳ね上げらんないぞ。もっとキレをよくして!」
「うん!」
だんだんとユウトの拳には力が込められていき、跳ね除けられる欣秀の腕も、そこそこ痛くなってくる。
だからか、ついついその指導にも熱が入ってしまった。
(師匠も、こんな気持ちだったんだろか)
ユウトの武者修行は、日没まで続いた。
―翌日――
バイト明け、欣秀は引き続きユウトの修行に付き合う。
「お兄ちゃん! 見てみて!」
ユウトは一歩踏み出し、突き受けを繰り出す。踏み込んだ足に躊躇いはなく、振り上がる拳の勢いもまぁまぁ。なかなかに良い突きだった。
「おお、いいカンジじゃん!」
「エヘヘ、あの後も、少しだけ練習続けてたんだー!」
ユウトは得意げに、突き受けを何度も繰り返す。
「それが決まったあとに、さらに一本突きを打てれば、いいダメージが与えられるな。」
欣秀は右足を前に投げ出しつつ、右の突き受けをする。そして右足が踏み込まれると同時に、腰を捻って今度は左の拳を突き出した。――中国武術における基本的な突き、冲捶である。
拳が空を切る音に、ユウトは目を輝かせる。
「すごーい! …ユウトもやる!」
と、自らも突き受けのあとに左拳を突き出すユウトだったが。動きはカクカクとしており、繋ぎはスムーズではない。
「う、うーんいやこれはまぁ…ちょっと難しいかな。」
中国武術における突きは、蹴りだす足…この場合は体を押し出す左足の力を、ロスなく関節を通して伝達し、拳に伝え発散する…という淀みない力の流れ、〝勁〟という技術を使う。これを用いることで、腕の力に頼らず、ハムストリングスという強大な筋肉の力を、敵に叩き込むことができるのだ。
これを会得するにあたっては、蹴りだす足と突き出す拳のタイミング、腰の捻り…などなど。慣れが必要な動作が多い。
こればっかりはすぐには教えられない、と欣秀は判断する。事実、欣秀自身もまだまだ練習中だった。
「とにかく。突き受けのあとに、腹のあたりを一発パンチしとけばいいってことよ。」
ひとまずここは〝反撃を受ける前に、トドメをささないと〟というアドバイスに留めておいて、欣秀は指導を続ける。ユウトの集中力は途切れることがなく、夕暮れの時刻となるまで、休み抜きで特訓は継続された。
「そういえば今日は、来なかったね。イジメっ子ら。」
「うん…ライちゃんイジめられなくて、よかった。」
「…そうだね…。」
武術なんてものは、本当は使わないに越したことはない。それでいくら勝利を収めたとしても、その結果誰かの恨みを買うことがほとんどなのだ。無暗やたらに他者を傷つけるのは、己の人生をそのぶん修羅にしているといってもいい。
欣秀自身、伝授するのに身が入ってしまっていたが、ユウトが意外にも武術の呑み込みがいいこと。そして興味を抱いていることが、その心境を複雑なものにさせていた。
「…あのさユウト君。私、最初に言ったとおり、アルバイトは1週間だから…明日にはここを出てくんだけど…。」
「えー!? もうそんなに経つんだぁ……。もう、パンチ教えてもらえないね。」
「あはは、だいじょぶ。ユウト君の突き受けは、もう十分通用するレベルだよ。」
「ほんとー!? やった!!」
「…なぁユウト君、一つ、約束してくれないかな。」
「いいよー、何ー?」
「えっと、始めにも言ったことだけどさ、無暗やたらに、他の子を殴ったりしないでね。…そんだけ。」
「わかった! だいじょーぶだよ! そんなことしたら、アイツらと一緒だもん! カッコ悪いもん!」
「…そっかそっか。ゴメン、私の杞憂だったね。」
カッコいいカッコ悪いを分別できるなら、大丈夫だろう。と、欣秀は不思議と納得する。
「お兄ちゃん、教えてくれてありがとーね! 僕、絶対ライちゃんのこと守るよ!」
弾けるような笑顔で礼を言われると、欣秀は急に寂しく思えてきてしまう。思わず、その頭をぐしゃぐしゃと撫でるのであった。
―翌日―
「本当に、役に立たない身を働かせていただいて、ありがとうございました!」
「あっはは、こう言っちゃなんだけど、ほんとーに磐城クンはこの仕事、向いてなかったねぇ。」
「ぐぅ…すみません。」
「いーっていーって。助かったのは事実なんだからさ。それに、誰にだって向き不向きはあるよ。
…なんっていうのかな。パズルのピースがパチリとハマる場所が、どいつにだってあると思うんだわ。そういうのを、旅をして探して頂戴よ。」
「…! なんというか…そんな深いこと言う方でしたっけ!」
「どーゆう意味だよそれ~! あ、そーそー忘れるとこだった。ホイ、これ。」
先輩が、欣秀に何かを握らせる。
「…これは?」
「サバイバルナイフっていうんだっけ? けっこうまだ使えそうなのに、一体どうやってゴミの中に紛れ込んだんだか…。
処理に困るしさ、キャンプとかで使えるだろ? 持ってっちゃいなよ!」
手渡されたナイフを鞘から抜いてみると、確かに刃こぼれが少なく、柄も綻びがない。しっかりとした造りのものだった。
「…! ありがとうございます!」
「ハハ、じゃー気を付けてなー!」
給与の受け渡しと挨拶のぶん、欣秀は早めに上がらせてもらえる。
(よかった…ユウト君と少し、話す時間があるな)
完全に暗くなる前には、次の町に入っておきたい。もう一晩三崎公園で寝てもよかったが、長居すると別れが辛くなりそうだった。コンビニに立ち寄り、ユウトと食べようと袋入りのアイスを二つ買ってから、欣秀は最後の海岸線を走る。
「この海ともお別れだなぁ。」
波止場があるおかげで、近場には高い波が打ち付けてこない穏やかな港。ロケットⅢの音が大きくて微かしか聞こえないが、あたりにはウミネコの鳴き声がこだましている。鮮魚市場のそばを横切ると、潮風と生魚のそれが混ざった、香ばしい香りが鼻をつく。
「ちょっと長居するだけで、愛着が湧いちゃうもんだな…。
いかんいかん、居付くのはダメ。武蔵先生もそう書いてた…。」
公園に辿り着き、ロケットⅢを停める。今日もまた、いつもより早い時間だが…ユウトがいるかもしれないと、アイスをぶら下げ欣秀は歩き出す。
(…そーいえば、イジメっ子たちを見たのもこんな時間だったっけ……)
胸騒ぎがして件の遊具がある広場に行くと、嫌な予感は当たった。
ユウトが、この前の三人組と相対している。
「ユウト…!」
一瞬、駆け寄ろうとした欣秀だったが、踏みとどまる。
(見守らなくちゃ…!)
欣秀はもう、今日限りでここからいなくなるのだ。今日助けたとて、もう二度はない。ユウトがこの場を自力で切り抜けなければ、ここ二日間の練習が意味を成さない。
「あっちいってよ!」
「またオマエかよー! ヒーローぶっててウザいんだって!」
「ノラネコはクジョじないといけないって、ママ言ってたぞ!」
「そんなことしたらかわいそうだもん!」
ユウトはこの前と同じく、うずくまるライちゃんの前に立ってその身をかばっている。しかし前日と違い、その姿は勇気を纏っていて、仁王立ちのような様相だった。
「ダイちゃん、やっちゃってよ!」
ずっと黙っていたダイちゃんなる男児が、またユウトににじみ寄る。
(あのダイちゃんって小太りの子が、さながら用心棒なのか…)
3対1とはいえ、ダイちゃんさえ倒せれば、勝機はあるかもしれない。欣秀は祈る気持ちで、息を殺しながら二人を見つめる。
「…。」
ユウトより頭一つほど背の高いダイちゃんは、むすっとユウトを睨みつける。ユウトは気圧されず、それを見返す。ユウトは両拳を上げ、ファイティングポーズをとっている。
その一拍の後、ダイちゃんは急にその拳をユウトに振りかぶった。
(ヤバい、奇襲だ!)
殺気を読むとか、そういうことはユウトにはまだ無理である。唐突な攻撃に、ユウトが対処できるか―。と、欣秀が顔を青くした刹那。
ユウトは右拳を振り上げ、ダイちゃんの拳を跳ね上げると同時に、そのゲンコツをダイちゃんの顔面に叩きつけた。偶然にも、ユウトは敵が攻撃を仕掛けつつもその先手をとる、後の先をやってみせたのである。
思わずガッツポーズをとる欣秀。
「よっしゃ!」
まさか自分よりチビの子供が、顔面を殴ってくるとは思うまい。何が起きたのかわからないダイちゃんは、鼻をおさえながらのけぞる。言いつけどおり、ユウトはヒジでダイちゃんの二撃目が来ないよう拳の進路を塞いでいたが、反撃の心配はもはやないようである。
(よし…あとは軽く腹パンでもかましてやれば、戦意は喪失するだろ…!)
子供同士のケンカである。そこまで致命的なダメージは負うまい、と欣秀は心の中で鼓舞をする。それに応えるように、ユウトは左の拳を振りかぶり――。
「えっ」
ダイちゃんの顔面を、もう一度殴った。フルスイングで。
乾いた音が響き、ダイちゃんは倒れ込んで数秒うずくまったのち、その恰幅には似合わない泣き声を上げ始める。
「ヤバイ、目を押さえてるけど…!」
前回とは真逆の心配で、欣秀はすかさず駆け寄る。
ダイちゃん側の残り二人は欣秀の姿を確認すると、〝欣秀はユウトの味方〟というイメージが残っているのか、ダイちゃんを置いて駆け出していってしまう。
構わず、欣秀はダイちゃんの傍に駆け寄り、「ちょっと見せてごらん」と、目元を押さえるダイちゃんの手をつかみ、負傷具合を確認する。…幸い、眼球は無事で、目の周りが腫れ始めているだけだった。
「…っ!」
ダイちゃんは欣秀を振り払うと、同様に逃げて行ってしま。う
「あっちょっと!」
まぁ、医者に連れていくほどのものではないだろう。と欣秀は判断し、その姿を見送る。その背中に、「お兄ちゃん、ボク、勝ったよ!」という快活とした声が投げかけられた。
欣秀は、どういった顔をして振り返ればいいのか、わからない。
「…お、おう。そうだね。よくやったよ。」
とりあえず笑顔で接してやろう、と欣秀はユウトに向き直るが、子供ながらに作り笑いだということを感じたのだろうか。
「…お兄ちゃん、どうしたの?」
「いや? えっと…。」
子供の喧嘩だから、多少のヤンチャはしょうがない。そう頭に言い聞かせる欣秀だったが、曲がりなりにも、自分の教え子であるユウトがそれをしたという事実に、質問をせずにはいられなかった。
「ユウト君…、あのさ。どうして顔、あんなに強く叩いたんだい? お腹を叩くだけでも、十分だったのに…。」
事前にユウトのパンチを手の平で受けていた欣秀は、なかなか威力があることを知っていた。みぞおちにそれが当たるだけでも、無力化には十分だと思っていた。
「それは……。」
ユウトもいけないことをした、と思っているのか、口をつぐんでしまう。
「それは?」
「……痛そうだったから。」
「え?」
「顔をパンチした方が、痛そうだったから!」
「…。」
幼いながらも的を得た言葉に、欣秀は絶句する。
痛いところ。即ち急所を狙うというのは、武術を志す者にとって当然の戦法である。より多くのダメージを与え、敵を倒し、殺傷するのが、手っ取り早い勝利への道なのだから。
しかしそれは…、当たり前だが、他者を傷つける行為である。最悪の場合、その人を死に至らしめる―…つまり、〝そいつが死んでも構わない〟という考え方だ。
それを幼い子供が持ってしまっているのが、どうしても欣秀には耐え難かった―。
「でも…でもね! 顔を叩くのは、とっても危険なことなんだよ? 指が目に入ったら、あの子、目が見えなくなっちゃってたかもしれないんだよ!?」
そんなことをしたら、業を背負って生きることになるのは必至。欣秀はユウトに、そんな生き方はしてほしくなかった。
「無我夢中だったんだろうけど、もう少しだけ考えて――」
「だって! そうしないと! アイツらきっとまた来るもん!」
出逢ってから初めて、ユウトが欣秀の声を遮る。
「痛いことになるってわかんないと、アイツらまた来るもん! ライちゃんのことイジめるもん! 顔をパンチしなくちゃ、ライちゃんのこと守れなかったもん!」
その語気に呆気に取られていた欣秀は、ユウトの目に光るものが浮かぶのに気付く。
「痛いことするのいけないって、わかるもん。でもアイツらやめないもん。何回言っても、やめなかったもん…! だから…! だからね……っ! ぐす…!」
よく見てみると、ユウトの腕に僅かながら擦り傷や、点のアザがあるのが確認できる。もしかしたら欣秀が見つける前から、ユウトの戦いは始まっていたのかもしれない。〝ライちゃんをイジめるのはやめろ〟と、棒やエアガンの攻撃を一身に受けながら。
「うっ…ううっ……! お兄ぢゃん、ごめんなさぁい…!」
ユウトはもう涙腺を抑えられず、ポロポロと大粒の涙を流し始める。欣秀はたまらなくなり、片膝をついてその頭を優しく撫でる。
「……いいよ、いい…! ごめんね、ユウト君は正しかったよ。…よく頑張ったよ…。」
ユウトは優しい子だった。最後の最後まで、他者を傷つけることを躊躇っていたのだ。
欣秀はその事実に安堵しつつも、そんな優しくて強い子ですら、場合によっては他者を傷つけなくてはいけない―。恨みを買わねばいけないというこの世の中の仕組みに、どうしようもなく嫌気がさした。
~~
「お兄ちゃん、いろいろとありがとうね。」
溶け始めているアイスを舐めながら、欣秀とユウトは夕暮れに染まる海を眺める。
「いや、こっちこそ話し相手ができて、よかったよ。ありがとうね。」
泣いた目の腫れは残っているが、もうユウトは優しげな笑顔を取り戻している。
「ユウト君、君は良い奴だ。これからいろいろと大変なこと、あるかもしれないけど。私は君の味方だからね。」
「うん! …ありがと。」
今日の喧嘩がキッカケで、親を巻き込んだ面倒な事態に発展しないといいが。
まぁ子供の喧嘩なんてよくあることだから、大丈夫だろう。と、欣秀は半ば開き直る。
「あ…じゃあお兄ちゃん、ライム、教えて?」
「LIME…ああ、あのメッセンジャーアプリか。いいよ。」
どうにもスマホは割れそうで心許ない欣秀は、ポケットに二つ折り携帯しか入れていない。なので、バックパックからタブレットを取り出して、ユウトと連絡先を交換した。
「…なんというか。小学生でも、こういうのやるのね。」
「うん! 帰ってからもミキちゃんたちとお話できるんだよ!」
「ミキちゃん…〝たち〟……?」
「たいへんなとき、お兄ちゃんに電話するね!」
「あはは。ユウトくんなぁ。俺はそんな、ウルトラな巨人とか、マスクドなライダーみたいなヒーローじゃないんだぞ?」
「ううん。お兄ちゃんはヒーローだよ!」
「がんばったのは、ユウト君じゃないか。」
「でも、助けてくれたもん。お母さんにも相談できなくて、どうにもできなかったとき―
お兄ちゃんだけは、助けてくれたもん。」
「…。」
夕陽を浴びる、生傷を刻んだユウトの顔は。子供の純真さに加えて、戦士のような誇り高さもちょっぴり帯びていて。
そんな顔でヒーローだなんて言われた欣秀は、気恥ずかし気に頭を掻く。
(多分…。今のウジウジと悩む私よりは、君の方がよっぽど強いよ、ユウト)
しかし、だからこそ。
「…そうね。んじゃ、次会う時までには。もっとヒーローらしくなってなくっちゃねえ。」
私も、強くならなければ。欣秀は静かに誓う。
「また、会えるよね!」
「おう!」
ロケットⅢに火がくべられる。
赤く染まり、静まりかえろうとする公園に、聞き慣れた重低音が響き渡る。
「ヒーローね…。」
ヘルメットをかぶり、欣秀は苦笑する。
「また来てね! 絶対だよー!!」
子どもの声というのは、どうしてこうも胸に堪えるのだろう。
童心というのは、恐ろしいほど残酷だが。びっくりするほど、真っ直ぐだ。
欣秀はヘルメットのシールドを下ろして、情けない顔を隠す。
そして、格好だけでも、と。指を振って、颯爽と小さな勇者に、別れを告げた。
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