第四話 殺生できぬ甘ったれ
栃木編
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係がありません。
「願わくば、この一枚…。」
栃木県大田原市の道の駅『那須与一の郷』の裏手には、『那須神社』が鎮座している。
源平合戦における屋島の戦いで、扇を射落とした那須与一が、その神業の刹那に祈りを捧げた神社である。
200、いや300mはあろうかという杉に囲まれた真っ直ぐな参道の、やや入口寄り。その砂利の上に、欣秀は立膝座りでうずくまっていた。膝に肘を付け腕を固定し、息を殺して手の揺れを抑えつけている。その手は、望遠レンズが装着されたミラーレス。
(上手く…撮れてくれよぉっ)
シャッターを切った際に角度がブレないよう、指先の腹ではなく第一関節でボタンを押下する。カシャリという音の後、液晶には、杉並木を抜けていった先にある石鳥居と、それにしなだれかかるようにして咲き誇る、一本桜が映し出された。
まだ満開と呼ぶには早いが、画面の大半を覆い尽くすのに不足ない開花量。薄紅色の花びらは、曇り空であるためかその色を一層薄めており、白い波となって画面の中でチラチラと輝いている。
その様子を見て、欣秀は満足そうに笑った。
第四話
殺生できぬ甘ったれ
道の駅の駐車場に戻って那須与一像を眺めていると、寒風が欣秀を撫でる。たまらず、その身を「うう」と震わせる。アンダーウエアを着ているとはいえ、その上に纏っているのはただの道着と羽織のみ。桜が見ごろとなり始める季節の曇り日は、まだまだ体に堪える冬の終わり目だった。
「頑張れ、欣秀、頑張れ…この日のために、いっつも窓全開、パンツ一丁布団一枚で寝てたじゃないか…。」
地味な修行のおかげで身が震えこそするものの、活動に支障はない体。だが、やはり心的に辛いところは常人と変わらない。今日はあまり、バイクで距離は稼げないか…と思考を巡らせていると、道の駅で買い物を済ませたおばさんが声をかけてくれる。
「あらあらお兄さん旅の方? 大丈夫? 今日は妙に冷え込んでますからねぇ~可哀そうに。」
「いえいえ、鍛えてますから! この程度、なんの…その……ふぁ、ふぁ……、はっくしょん!」
気恥ずかし気に鼻水をすする。
「あら大変そうねぇ~。そーだ! ここの近くに、温泉施設あるわよ! まだ開いてるかわかんないけど…。」
地図を見てみると、確かに付近には健康センターらしきものがあることを確認する。寒気のする体を、暖かい湯に浸すのは確かに効果的だろう…とうなずく欣秀だったが。
(金、かかるんだよなぁ…)
無論全く体を洗わずに旅を続けていては、迷惑になること必至なので、欣秀は銭湯を利用して体の汚れを落としている。が、毎日入っていては入湯料がかさむので、入るのは三、四日に一度と決めていた。
そのルールに則って言うと、銭湯に入ったのは一昨日。今日は入湯日ではなかった。しかし、ひとたび耳に入れてしまったが最後。こんな日は、温泉に浸かって一息つきたい気分になる。
せっかくルールを破るのだから、もっと入り甲斐のあるところがいい。
「あの、その銭湯も魅力的なんですけど、この辺りに名湯とかってないんですか。」
「うーん名湯ねぇ…。あ、ちょっと離れちゃうけど、那須温泉は聞いたことあるんじゃないかしら! 私もよく、お友達誘って遊びに行くのよ、あの温泉街。」
「あ~那須!」
那須高原といえば、栃木県北部にある、山麓地帯に広がった自然豊かな観光地帯。ちょうど栃木の次は福島県に入る予定であったので、ルート的にも都合のいい場所である。
〝有名な温泉地に来たのから、入らにゃ損。これは休息じゃなく、勉強なのだ、勉強勉強…〟体のいい建前を頭の中で組み立て、善は急げとばかりに、欣秀はせっせと身支度を整え始める。
「ありがとうございます! そこ行ってみますね!」
ご褒美があるとわかれば、ライディング中の寒さも耐えられる。ロケットⅢと共に、寒風のなか北上を始めた。
~~
県道や国道をまたぎつつ、那須塩原を過ぎて温泉街を目指す。はじめこそ住宅地や店舗群、その合間にいくつかの田んぼが並ぶ田舎にありがちな景色であったが、街から離れ、那須疎水に沿う『りんどうライン』に合流した後は、青々と広がる草原に佇むいくつかの畜舎、そしてそれらの奥にそびえ立つ那須岳の陰…と、高原らしい光景に目を楽しませられる。肌寒くはあるが、路面良し、渋滞なしという好環境の中を、相変わらずの60キロのんびり巡行でロケットⅢは駆けてゆく。
県道17号・那須街道に合流すると、道の両脇は広大な笹原と、その上に乱立する幾つもの木で覆われ始める。季節でないから、その全てはことごとく枯れ木で、曇り空と相まって少々寂しい雰囲気が漂っている。
とはいえ那須街道といえば、那須観光のメインストリートといえる場所で、ところどころに地元の木や石を使う工房やアトリエ、蕎麦やパン、菓子屋らが軒を連ねているので、心細さを感じるほどではなかった。
美味そうなメニューを連ねた看板に何度も目を奪われつつも、いやいやと首を振り、誘惑を断ち切りながら欣秀は進む。ほぼ直線の街道は緩やかに標高を上げていき、やがて傾斜の強まる、二つのU字コーナーに差しかかる。それを走り抜けると、「温泉」の二文字を掲げた看板がいくつも姿を現し始める。欣秀が目的としていた、那須温泉街である。
「えぇっと、確か殺生石ってとこの近くだったよな…。」
殺生石とは、火山性ガスの噴出地にある溶岩、ひいてはその地帯の総称である。欣秀が目当てとする『鹿の湯』は、そのそばに位置していた。
殺生石の観光用駐車場にロケットⅢを停めると、ガスの影響で草木が生えず、灰色の岩石がゴロゴロと一面に転がっている異様な地帯…通称『賽の河原』が欣秀の眼前に広がる。
殺生石の名こそ知っていたが、それを見たこともないし委細も知らない欣秀。現実離れした光景に、冒険心がそそられてしまうが。
「いや、まずはひとっ風呂浴びよう!」
耐え忍んでこそいられるが、体はとうに冷え切っている。感覚が失われつつある指先を目覚めさせるためにも、欣秀は殺生石から駐車場を挟んで反対側、坂の下に見える温泉へと足を運んだ。
かの俳聖・松尾芭蕉もその身を浸したという、那須温泉。ちょうど殺生石の辺りが温泉街の坂の頂点となっており、そこから少しばかり坂を下りれば、「湯本温泉源」と刻まれた石柱が目に入る。その源泉に一番近い位置にあるのが、鹿の湯だ。
その歴史は長く、発端は約千三百年前にも及ぶという。源泉から坂の下へと流れていく湯川にまたがった建物の外壁は、ほとんどが黒ずんだ木板で覆われていた。
「流石に古そうな建物だな…。」
ぼやきながら暖簾をくぐった欣秀であったが、内装はしっかりリノベーションされているようで小綺麗であり、少々拍子抜けさせられる。
「すみません、おっきい荷物なんですが…。」
「ああ、だったら、そこの廊下にでも立てかけておいてください。見ておきますんで。」
欣秀は番頭の女性から入湯券を買うと、湯川を越える渡り廊下を歩き、対岸の浴室へと歩き出す。
「お姉さん、そっち男湯ですよー!」
「じ、自分男ですから!」
肩まで伸びた髪と、なよっとした顔とで、変な恥をかく。
帯を解いて道着を脱ぎ、湯煙漂う浴室へと踊り出る。浴室は簡素なもので、長方形の空間に、一辺1・5mほどの正方形の湯舟が、六つ並べられているだけという形。露天風呂のような、気の利いたものはない。
だが床や壁は見た限り石と木で組まれており、見上げれば逞しそうな梁が天井を支えている。千年前に開湯した場所らしく、古き良き日本の温泉風景が、ここには詰まっていた。
シャワーなどもないので、欣秀は打ち水のように流れ落ちている水流とかぶり湯で、頭と髪を洗う。六つの浴槽はそれぞれの湯温を保っているらしく、欣秀は試しにと一番熱い湯舟に足を突っ込んでみたが…。
「あっつ!! イタタタ痛い!?」
48度の湯は、その軟弱な皮膚には早すぎた。足を浴槽の底まで着けることもままならないまま、無様に欣秀は飛び出てしまう。平然と入っている壮年のおじ様に笑われたところで、大人しく欣秀は4段階下、42度のお湯に浸かる。
「はぁあああああ~~~~………! 生き返るぜぇ…!」
数日洗えていなかった汚れが落ちる、洗浄感。冷え切って硬くなった体がたちまち弛緩していく、開放感。旅の生傷にヒリヒリと沁みるその感覚さえ、心地いい。温泉に浸かるその瞬間は、旅人にとって極上のひと時である。
硫黄を含んだ、白濁色の肌触りがいい湯は、すぐさま身体の芯まで熱を通すのではなく、ゆっくりと、皮膚を優しく包み込むような柔らかい感覚で、欣秀の心と体を揺り籠のように揺らし始める。
だらしなく口を開け、恍惚とした表情を浮かべる。もうすぐ寝てしまうんじゃないか…と目が細まってきたあたりで、施設の係員が浴室に入ってくるのが見えた。係員は、隅に置いてある細長い木の板を手に持つと、それを浴槽に突っ込んで湯をかき回し始める。
(ああ…あれが〝湯もみ〟ってやつか…)
同じく名湯・草津温泉の催しとして有名な、湯もみ。浴槽内の温度を均一にする・熱すぎる温度を下げる、といった目的がある。草津以外でもそれが見れた、ということで、ちょっとラッキーと思ったのだが。
「………。」
欣秀はその長い棒を見て、思い出してしまった。
~~~
〝お兄さん……躊躇ったねぇ?〟
〝アンタそう易々と人の命奪えるぐらい、強いのかい?〟
~~~
「……弱いですよ。」
お湯を叩きつけるよう、欣秀は手で顔をピシャリと叩く。そして目を抑えたまま、上を仰いで呟いた。
埼玉ではチンピラまがいの集団に、茨城では槍使いの梶井に、欣秀は成す術もなく倒されてしまった。いくら武術を学んでいるとはいえ、欣秀は弱い。それは紛うことなき事実であった。
「もっと強く…ならんと…。」
しかし、どうやったらなれるのだろうか。このまま武術を練習しながら旅を続けるだけで、強くなれるのだろうか。…それだったら、師匠の下で練習していたほうが、実になったのではないだろうか。
〝躊躇いなんかあるうちは…。一生、弱いままだよ〟
(だって、しょうがないじゃないか。あの感覚は…、生身の人を殴る、あの感覚は…、どうにも……)
それを振り払える、振り払うべき時とは、いったい何時なのだろうか。
「母の意見と那須野のお湯は♪ ドッコイッショ~♪ 千にひとつも♪ 無駄じゃないよ♪」
陽気な歌声が聞こえてきたおかげで、欣秀の意識は現実へと戻ってくる。どうやら先ほどの48度湯舟に浸かっていたパワフルじい様が、湯もみ唄を歌っているようだ。うろ覚えなのか時折「あれあれ、えっと」と詰まっているが、その様子が和やかである。
(母の意見は…か)
鹿の湯は、短熱浴を推奨する温泉。だらだらと長いこと浸かっていては、かえって体に悪いかもしれない。
名残惜しさを感じつつも、欣秀は浴槽から這い出た。
~~
「〝先ず太刀をとつては、いづれにしてなりとも、敵をきるといふ心也。若し敵のきる太刀を受くる、はる、あたる、ねばる、さはるなどいふ事あれども、みな敵をきる縁なりと心得べし……何事もきる縁と思ふこと肝要也〟………かぁ。」
火照った体を冷やし髪を乾かすため、欣秀は渡り廊下のベンチに座り込んでいる。手に持っているのは、東京で働いていた頃からの愛読書・宮本武蔵の五輪書であった。
「…やっぱ、常にぶった斬るつもりでいないと、よくないんだろうなぁ…。」
欣秀が剣術―居合道を学び始めたのは、16歳、学徒である頃。始めて数年はサークルに来てくれていた八段師範に色々と教えてもらっていたが、卒業して就職するにあたり、教えを乞う相手はいなくなってしまった。
そんな折に見つけ出した剣術の〝先生〟が、宮本武蔵であった。精神論でなく、具体的な心持ちや技法が記されている五輪書は、一人きりである欣秀に多くの知見を与えてくれる。
(でも…でも私は……)
「あーやめやめ! 難しい顔すんな! 笑顔笑顔…。」
欣秀は自らの手で、顔をぐにゃぐにゃとほぐしまくる。
「…そうだ! 殺生石!」
温みを帯びた身体で、建物を出る。昼に近くなったからか気温は少し上がり、涼しいが寒くはない、ちょうどいい肌触りが心地よい。
下りて来た坂を上がり、賽の河原へと足を踏み入れる。駐車場からでも覗けたが、いざ入り込んでみると、その異様さはより際立って見える。緑が生い茂っている山であるにも拘わらず、前方数百mの一帯だけは、草一本生えていない。代わりにあるのは真っ白に変色したいかつい岩たちで、その合間を縫うように、遊歩道が設置されている。
道中には数えるのも億劫になるほどの大量の地蔵…通称『千体地蔵』が置いてあり、まさしくあの世―賽の河原の名に相応しい光景であった。
「おっかないとこ…。」
進めば進むほど、この世に帰ってこられなくなる気がする…そんな気配と、立ち込める硫化水素の匂いに囲まれながら、欣秀は最奥まで辿り着く。殺生石は、そこにあった。
「意外とちっちゃいな…。」
下からずっと続いてきた、温泉街の坂の行き止まり。那須温泉の源ともいえるその場所は、より砂や石の白色化が険しく、白黒で情のない、無機質の極致といった様相を呈している。そこにゴロゴロと転がる岩の一つに注連縄が巻かれており、その傍に「史跡 殺生石」と彫られた木柱が立てられていた。注連縄と木柱がなければ、それだと気付けないほど周りの岩と遜色はない。
欣秀はそれにカメラを向けシャッター音を鳴らしたあと、辺りを見回す。
「あれ、てっきり、解説板か何かがあると思ったんだけど…。」
殺生石の由来について知りたいのだが、付近には教えてくれそうなものはない。
「いけね。見逃してきてしまったか…。」
まぁ、せっかく上ってきたのだから、ここから温泉街を見下ろしてゆっくり…と、ベンチへ腰を下ろそうとした矢先。欣秀の視界が、僅かに霞む。
「…?」
目をこすっても、視界に変化はない。そこで、先ほどよりも温泉特有の匂いが強まっていることに気付く。
「マジか…。」
腰を上げ、欣秀はそそくさと遊歩道を戻り始める。源泉近くということで、火山ガスがあることはなんとなくわかっていた欣秀であったが、ここまで強烈だとは思わなかった。今時、人間が死ぬほどのガスが充満する場所に、遊歩道が渡されているとは思えないが。大事をとって、欣秀は足を早める。
「変な病気にかかったら嫌だしなぁ……っとと!?」
駐車場まで50mほどのところで、何かの拍子で遊歩道に転がっていた小ぶりの岩につまづく。欣秀はなんとかバランスをとり、転倒を免れる。岩は蹴られた衝撃でゴロゴロと転がり、遊歩道からゴトリと落ちた。
「あっぶない…。今、絆創膏ヤバいのに…。」
毎日風呂に入れるわけでなく、テント設営で手を汚す日々。ちょっとした切り傷を放っておけば、そこから色々と良くない細菌が侵入してしまう。絆創膏や消毒液といった類を、ファーストエイドキットとしてまとめ持ち歩いているのだが、どうもチンピラにボコボコにされたり、馬に引き摺られたり、槍でぶっ叩かれたりしたおかげで、その減りは激しい。
一体どんな岩につまづかされたのか…と、何気ない好奇心で転がっていった岩を欣秀は覗いてみる。すると岩と岩の合間、暗がりの中で、何か紐のようなものが踊り狂っているのを見つける。
「うっ…マジか…。」
はじめこそゴミか何かが風で揺れているのかと思ったが、その認識はすぐに改まる。そこに居たのは、その身をくねらせ複雑怪奇な動きで暴れまわる、小ぶりなシマヘビだった。
(気持ち悪いぃい~~!)
欣秀はヘビやクモ、ゴキブリといった害虫・害獣の類は苦手である。黒いラインが描かれたその身はうねうねとうねり、視覚を通して欣秀の嫌悪感を爆発させる。
「え、エンガチョ、エンガチョ…。」
すぐにその場を後に先を急ごうとする欣秀であったが、視線を外す刹那、そのヘビが岩に挟まれて動けず、暴れていることに気付く。
(バカなヘビだな…)
とそのまま歩を進めようとした欣秀であったが、
(いや…待てよ、挟んでる岩って、私がさっき蹴っちゃった岩じゃあ…)
嫌々ながらも、立ち止まってもう一度ヘビを押さえ込む岩を観察してみる。
「うぅ~ん……。」
不意に蹴った岩の形など、覚えていない。だがどう考えても落ちてきた岩に挟まっているヘビのようすを見ると、自分がその状態に追いやったようにしか思えてならない。
「あ、あんたが悪いんだぞ…あんたが、もっと勘の良い奴だったら……。」
言いながら、〝こんなこと自分が言われたら、ムカつくよなぁ〟と、欣秀は考えて。
「うう……。」
さすがに悪いことをしたと、岩を撤去してやることに。手でどかすと、自由になったヘビがすぐさま噛みついてくるかもしれない…と予想できたので、刀の入った革ケースの先っちょで、岩を押し出してやるようにする。
「暴れんな……よっと。」
槍の要領で突いてやると、岩はゴロゴロと向こうに転がっていく。
(これでヨシ…)
欣秀が一息つこうとした瞬間、自由になったヘビは、あろうことが欣秀の方へ、俊敏に這い寄ってくる。
「~~~~!」
叫び声すら出せず、絶句して尻もちをつく欣秀。その喉元に、ヘビは食らいつく――わけではなく、遊歩道そばの岩の上へと這い上がった。
(こ、この恩知らずぅ…! 逃げなきゃ…!)
ヘビは背筋を立て、頭を上げている。いつでも噛みついてきそうな態勢である。
下手に刺激すれば、かえって危険である。泣きそうになりながら、いつ走り出そうかと欣秀が逡巡していると、ヘビはクイッとその頭を下げ、それから岩陰にまた這っていってしまった。
「……?」
よくわからない行為に、呆気にとられる欣秀。ひとまずはヘビが消え安全になったことを実感し、立ち上がってため息をつく。
「まるでお辞儀のようだったけど…。」
「ほほお…"盲蛇石"で蛇と話すとは…貴殿、タダモノではないな!」
一息つく間もなく、やたら張りのいい声が、欣秀に浴びせられる。
「……は?」
振り返ると、メガネにショートヘアの…マジメな女学生といった、高校生ほどの女子が遊歩道に立っていた。
「そしてその出で立ち…貴殿、もしや修験僧・安珍の生まれ変わりでは―!?」
芝居めいた口調と仕草で、なにやら語り出す女子。
「お嬢さん、なに言ってるんだい?」
「とぼけてもムダだッ! 清姫伝説ゆかりの地・白河辺りの”蛇”の地だ。怪異に出逢えたとておかしくは、うぁ―ウヘぇッ、ゴホゴホ!」
立ち込めるガスをまともに吸ったのか、女学生はせき込む。
「ひとまずお嬢さん、お話はあとで聞くから…ここ、退散しません?」
~~
「成程なるほど…旅の方でありましたか。これは失礼。」
駐車場まで避難したところで、ベンチに座る。
女学生は腰を90度に曲げ、申し訳なさそうに謝罪してくる。口調は妙に清々しいが。
「いや、前も似たようなことあったから。大丈夫だよ…。」
「似たようなこと?」
「いや、なんでもない…。」
こんな格好をしているから、いろいろと言われる。自分で始めたことだが、欣秀は弁明が面倒になってくる。
「しかし、この時代にも修行に励む者がいるとは…。フフ。私と、志を共にする同志なのかもしれないな。」
メガネをクイッと上げながら、女学生はまた訳の分からないことを話し始める。
「はぁ…。」
「オホンッ!」
わざとらしく咳払いがされる。
「………。」
「………。」
「…ウォッホン!」
「………。」
「………いや、なんか聞き給えよ。」
「えっ、いや、ごめん…。なんだこの人、って思って…。」
「思うな! 志って? とか、聞け!」
「志って?」
「ウォオオッホン!」
盛大な咳ばらいをすると、背筋をピンと立て、女学生はこれでもかと胸を張って言う。
「私の名前は工藤泰葉! 17歳! 那須の高校で、伝承研究会の会長をしている者だッ!」
「冷えてきたな…雪が降るかもしれない。さっさと福島に入ってしまうか…。」
「聞けよッ! おい、ヘルメットかぶるな! 聞け!」
女学生に掴まれ、欣秀はズルズルと戻される。
「もういっかいいくぞ。」
「私の名前は工藤泰葉! 17歳! 那須の高校で、伝承研究会の会長をしている者だッ!」
「はぁ…。」
「なんか質問!」
「15歳の間違いじゃない?」
「私は中二病じゃない! べつのこと!」
欣秀は面倒なものに捕まってしまったと、心底残念そうにため息をつく。
「…伝承研究会って?」
「ああ!」
胸に手を当て、演説が如く工藤は続ける。
「現代には、科学で証明できないことが多々ある! そういった所謂都市伝説は、多くの者が解明しようと、日々奮闘しているが…。
私たちは、古来より伝わる、伝承、伝説―即ち、太古の都市伝説に着目、調査している!
"所詮、昔の人が考えた御伽噺だから、考えるだけムダ"…と、思われがちだが! きっと、その解明もまた、昏い現代の謎を解く鍵となる! 邪悪な気から、未来を守る手段であるのだッ!」
「はあ…。」
最後のほうは、誇張しすぎだなと思いつつも。所謂オカルト研究会みたいなものか。と、欣秀は納得する。
「そいで、今日はこちらに何の調査で来たんです?」
「よくぞ聞いてくれた! 今まさに体験しただろうが、この殺生石まわり。もう、人体に有毒なほどのガスは出ないだろう…ということで観光地化したのだが。
どうも最近、ミョ~に、ガスが溜まる日が散見される。…これはきっと、いや確実に! かの玉藻御前の封印が、解き放たれる予兆!」
拳を握りしめ、本当に危機に瀕しているといわんばかりの顔で、工藤は話す。が、欣秀にはいまいちピンとこなかった。
「たま…たま、ご、ごぜん? あいや…その、たまもなんちゃら?ってのは、なんなんです?」
「ムッ! 磐城殿…。殺生石の伝説を知らずに観光されていたのか!?
ハッハッハまったくおかしな方だ! アッハッハッハ!」
「………。」
欣秀の眉間に皴が寄る。
「承知した! では僭越ながら、ワタシ泰葉が、ご教示しんぜようッ!」
〝八百年ほど前のこと。当時、中国やインドで美しい女性に化けて悪行を重ねていた妖狐『白面金毛九尾の狐』が、日本にも渡来してきた。
狐は『玉藻の前』と名乗って朝廷に仕え、鳥羽上皇はその美貌と博識に感銘を受けて寵愛を与えることになる。しかし鳥羽上皇は次第に病に伏せり始め、いよいよもって玉藻の前の悪だくみが深刻化しようというその時。当時の陰陽師・阿部泰成に〝上皇の病の原因はお前だ〟と正体を見破られ、二人の武士によって玉藻の前はここ、那須野が原まで追い詰められ、退治された。
殺められた玉藻の前は毒石へと変化し、周囲に毒気を放ち始め、近づく人や獣を殺し続けた。それを聞いた泉渓寺の源翁和尚がこの地を訪れ、石に向かって大乗経を上げ続けると、石は三つに割れて日本各地に飛び散り、そのうち一つがここに残った―。〟
「今でこそ薄くなってはいるが、昔の火山性ガスはとても強力で! それこそ、近づいた獣が死んでしまうことから、生あるものを殺める石、即ち殺生石と、人々は名付けたというわけだ!」
「へ~~なるほどねぇ。」
熱のこもった工藤の語り口調に、思わず聞き入ってしまった欣秀。図らずも、感嘆のため息をついてしまう。
「…なんか、かわいそうだねぇ。九尾のキツネさん。」
「ウンっ!? それはどういった意味だッ!!」
工藤がずずいと欣秀の顔を覗き込んでくる。
信心深いオカルトマニアに、こんなことを言っちゃマズかったかと思うが、欣秀はポツポツと訳を話し始める。
「いや、たしかに悪さをした狐なんだろうけどさ…侍に退治されて、石になったと思ったらそれもぶっ壊されて…今でも世間を呪い続けてガスを出してる…って、なんだか不憫だなって。上皇様の具合が悪くなったのだって、もしかして卵かけご飯のせいじゃないのかも。」
「玉藻の前な。いやしかし、彼女はその瘴気で! 罪のない生き物の命をたくさん奪ったのだ!
誅されて、当然だろう! 害のある生物は、磐城殿だって殺めるだろう?」
「いや、私はそういうの見かけたら、触れるのも恐くて殺せないタイプ。」
「うん……。見た目に違って、小心者なんだな…貴殿。」
「………そんな目で見んな。」
どこか残念そうな、可哀そうな目を工藤は送っている。
「いや、待って。私だって蚊は殺せる。ヤツらは許せん。」
「おお! 蚊! 見直したぞッ!! な~んだやっぱり殺ればできるんじゃないか!」
「ん~いやでも、私はパチンッって一撃で仕留めるよ? 卵がゆみたいに、ボッコボコに痛ぶったりしない。」
「それは、玉藻の前の妖力が強すぎるからだなぁ!」
「じゃあもう一気にスゴイ法力で、ブァーって一瞬で木端微塵にしちゃえばよかったじゃん! ドカーンて! ズドドドドーって!」
「そんな兵器みたいな音が、平安時代に鳴るわけないだろッ!
ああもう、磐城殿! 貴殿はどちらの味方だというののだ!! 悪者に同情して、少々甘いのでは!」
張り上げられた工藤の声に、欣秀は「ごめんごめん」と笑いながら謝る。
しかしその胸中には、"甘い"という言葉がまた刺さった。
「…でもさ、やっぱり生き物が痛がってるのって…見ていていいものじゃなくない?」
「時と場合によるなッ!」
ハキハキとした即答に、〝そりゃそうか〟と欣秀は苦笑いする。そういう発言をはっきりできないところが、甘いということなのだろうか、と。
「…っとと、ゴメン! 調査するんだったよね。邪魔しちゃったわ。」
「いや! 本日はガスの濃度が予想以上に濃そうだから、帰投する! 他の会員と、ミーティングをせねば…!」
「他の会員…いや、友達…いるんだよね?」
「いるわッ!」
「じゃあ、お別れだね。お話聞かせてくれて、ありがとう。勉強になったよ。」
欣秀はバックパックを抱え、荷造りを始める。
「磐城殿よ。最後に私からも、お聞きしてよろしいか。」
「ん、なんでしょ。」
「悪を討ち倒すためではないのなら、いったいなぜ貴殿は、強くなろうとしているのだ?」
「……。」
そんな、無垢なほど不思議そうな顔で、聞かないでくれ。と欣秀は思う。
自分でも、馬鹿みたいで、どこか矛盾しているのだ、とわかっているのだから。
「さぁね。わかんない。」
「なんだそれは…。」
「でも。」
立ち上がった欣秀は、遠く、殺生石を見つめる。
(…あんたみたいに、躊躇いなく殺せれば。強いのかもしれないけど…)
「この旅で、その答えがみつかるといいな、と思ってる。自分だけの答え。自分だけの強さがさ。」
それは武術を志す者にとって、全くもって邪魔な、甘っちょろい感情。それをどうすれば拭い去れるのかは、まだ見当つかないが。
「旅の中で、己だけの答えを見つける――…! くぅう! カッコいいぞ! 磐城殿! 応援してるからな!」
「そりゃどうも。」
こうしてカッコいいと言ってくれる人間がいるのだから、やってみる価値はあるだろう。
この旅を続けていれば、いつかなにかが見える筈。欣秀はそう、信じる。
信じて、進むしかない。
見たことのないものを見つけることこそ、旅の醍醐味であるのだから。
ノベルゲーム風にしたものを作ってみました↓
https://freegame-mugen.jp/adventure/game_12432.html




