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風来譚  作者: ふちのべいわき
第一章
4/18

閑話 九十九里にて

千葉編


※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係がありません。

「海だーーーーーー!!!」


挿絵(By みてみん)


 細くなったその瞳には、果てしなく広がる塩水の塊が映る。それはザアザアと音を立て、波をくねらせ打ち付け、白銀に輝き続ける。


「いやーー…ついに出てきたな。」

 九十九里浜。

 別に、欣秀は海を初めて見た訳ではない。東京湾の埠頭から、鎌倉の砂浜から、いろいろなところで海は見てきた。が、この旅を始めてから海を臨むのは、初めてのことだった。

 埼玉の内地から這い出てきたその爽快感と、まだまだ短いながらも前へと進めている達成感で、その身を震わせる。

 何枚か写真を撮りながら、心臓の鼓動が落ち着かせたあたりで、海から視線を外し辺りを見てみる。あるのは、砂で作られたなだらかな丘陵と、そこに少しだけ息づいている青い草、海に向かって突き立てられているようにもみえる、いくつかの電柱のみだった。

「人は…いないね。」

 まだ寒気がする季節である。海開きの時期ともなれば露天なんかも出るのかもしれないが、今あるのは砂と海と空の色と、波と風の音だけであった。


第三話より

  笑えれば


 駐車場に戻ってから、欣秀はタブレットを開く。

「こっから北に進めば茨城だけど…。何も考えないで走ったら、あっという間に着いちゃいそうだな。」

 沿岸道路は直線的。〝海沿いに進む〟という行為は、この世で最も簡単なルートなのではないかと思うほど、単調なものである。そういう道は、脳を働かせずにダラダラと惰性で流してしまいがちであるから、欣秀はもったいないことだと考えていた。

「まぁ…飯屋でも探しながら、のんびり散歩してみるかぁ。」

 付近にあった道の駅ならぬ海の駅にロケットⅢを停め、欣秀は徒歩モードに移る。駅にあった資料によると、辺りの海は平坦で遠浅であり、そこからイワシが多く獲れるそう。それを干鰯や〆粕といった肥料にして各地へ売り込み、発展してきたのが九十九里という町なのだそうだ。


 家が建ち、人が今でも住んでいる以上は、どんなに小さな村落でも、各々の歴史を持っているということ。それはその土地の地形や環境と密接に関わっているため、歴史を知るということは、その土地を知るのに効率のいい手段である。

 そういう知識を、大事にしていきたい。そんな想いを、欣秀は義務感のように念頭に置いていた。何もせずに漫然と走り過ぎていては、何も学べない。何も身に付かない。〝強くなる〟という旅の意義に、反してしまうからだ。


 …が、どんな場所にも歴史があるとはいえ、どんな場所にもわかりやすい見どころがあるかと言われれば、話は別であった。

「のどかなとこだなぁ…。」

 イワシ漁の町はほとんどが家屋で構成されていて、パッと見おもしろそうなところは…あまりない。

「こんな散歩も悪くはないけど…。」

 知らない町を練り歩くだけでも、楽しいことは楽しいが。実りになりそうな発見をなかなか見つけられない欣秀は、しだいに焦りを募らせ始める。砂浜で髪を揺らしてくれた海風も、今はその塩気で髪をベタつかせている。

 

 また海沿いにでも出てみるか。と、作田川の河口を横切ったあたりで沿岸を目指す道に足を向けたところ、一つの看板が欣秀の目に留まる。

「乗馬クラブか…。」

 雑貨屋や魚屋、定食屋の並びに比べれば、目新しい視覚情報。歴史…とは関係ないので少々躊躇う欣秀ではあったが。

 何もないよりは、と看板に誘われることに。ほどなくして、『MOONLIGHT STABLES』との看板が見えてきた。

 アスファルトの道路から一転、土が敷かれ馬場が整備された敷地に、アメリカ西部感漂うレストランや厩舎が立ち並んでいる。情緒ある木造建築に惹かれ立ち入ってみる欣秀だったが、軽く見まわしてみて、施設に人影がないことに気付く。

「休みかな…?」

 本日は相変わらずの平日だし、そういうところもあるだろう。仕方ないと欣秀が踵を返したその時。奥の厩舎の陰から、蹄が鳴る音が聞こえてきた。見れば、遠くから芦毛の馬が騎手に促され、だだだ、だだだと軽快な三拍子を鳴らしこちらに向かってきている。

「おお、馬だ馬だ!」


 跨っているのは、髪を金に染めた小柄な女性。スタッフよろしくカウボーイハットをかぶり、服装も建物と同じようにアメリカナイズドされている。

「ああいうの、カウガールっていうんだっけ? なかなかカッコいいなー。」

 そのカウガールは欣秀にある程度近づくと、肩にかけていた輪付きのロープをグルグルと振り回し始めた。

「あっ西部劇でよく見るやつだ! パフォーマンスの練習かな? 一体なにを捕まえるんだろう…!」

 目を輝かせてその様子を見守る欣秀だったが、馬の首は真っ直ぐ欣秀の方向を向き、その距離をどんどん縮めてくる。そしてカウガールは、

「馬ドロボウ! 待ちなさーーい!!」

 と、あらぬ言葉を鬼気迫る顔で叫び出す。

「あ…、捕まえられるの、私かぁ…。ははははは」

 とっさに馬の進路上から欣秀は逃げ出したが、直後に放られた投げ縄は欣秀の体をスポリと捉え、一気に締め付けられる。

 さらに馬の脚力に引っ張られ、バランスを崩した欣秀は、成す術なく地面に倒れ込み、埃を巻き上げながら引き摺られた。

「うぎゃああああ!!?」

「フフン、アタシのクラブに忍び込もうだなんて百年―お、わわわっ!?」

 欣秀の体重は約55㎏。それにバックパック約15㎏その他諸々が加わり、その総重量は、騎手が腕で引っ張れるものでは到底ない。

「ぶへぇーーー!!!」

 カウガールは倒れ込んだ欣秀に引っ張られ、無様に落馬する。泡を吹いた二人が倒れ込んだ馬場には、主人を見失った馬の足音だけが、ただただ響いていた。


~~


「ごめんなぁ~~~いぃ~~~~!!!」

 欣秀の眼の前には、凄絶に泣きじゃくるカウガールがいる。叩きつけてから意識を取り戻したばかりの頭に、その泣き声がガンガンと響いた。

「大丈夫、大丈夫だから! お願いだから、泣き止んでください。お願いします。」

 欣秀は耳を押さえながら、彼女に懇願する。

「ご、ごめんなさい…でも、アタシ……ううぅう~~!」

 背格好からして、大学生ぐらいだろうか。20歳は超えている歳だろうに、金髪をグシャグシャにして声を上げて泣くその様子は、子供にしか思えなかった。

 軽い脳震盪から先に目を覚まし、投げ縄から抜け出てカウガールに大事がないかを確認してから、付近の長椅子に寝かせておく…と看病をしたのも、欣秀であった。

「まさかっ…! まさか、お客さんのことドロボウだと思うなんて…あぁああ~~~!!」

「殺人的な超音波だな…。ちょ、ほんと落ち着いて、ね?」

「あぅ、うっ、ごめんなさい…! ウゥゥゥゥ」

 カウガールは両手で自らの口を思いっきり塞ぎ、金切声を押し殺す。

「さっきも言ったけど、私そんなに泥棒っぽかったかなぁ? 昼間っから、メチャクチャ堂々と入ってきたつもりなんだけど…。」

「だ、だってぇ、黒ずくめだったから…。」

「う。」

 それを言われると、少しは欣秀も責任を感じてしまう。ぶっちゃけて言ってしまえば、真っ黒な道着を着て闊歩するなど、不審者と見なされても文句は言えない。

「いや、まぁ…いいよ。お互いケガはなかったし(頭は痛いけど…)、こうしてお茶もいただいてしまっている訳だし…。」

「ごめんなさい、これぐらいしか用意できなくて…今日はクラブ、お休みなんです。」

 客向けのレストランもあるようだが、彼女が用意できたのはコーヒーと茶菓子ぐらいだった。それでもひもじい生活をしている欣秀にとっては、ありがたいものである。茶菓子の梱包やカップの取っ手が、涙で濡れているのが気になりはしたが。

「休みなのにここにいるんだ?」

「はい! お客さんは来なくても、馬さんはお腹を空かせますから…今日みたいに、ニンジャさんみたいなお客さんがが来るかもしれないし…。」

「忍者?」「あ…。」

 カウガールは口を滑らせてしまったとばかりに目を見開き、やがてそこにすぐ水分が溜まり始める。

「ごめんなさいごめんなさい私、お客さんになんてことを言ってっ…! ううう」

「失礼なんかじゃない! 失礼なんかじゃないから! いやむしろ誉め言葉かな! うん! だから泣く必要はないからね!?」

「あ……そうなんですか? ぐすっ、じゃあ、ほんとに忍者さん…? スゴイ、初めて見ました…カッコいいですね…。でも忍者さんにしては、バカみたいに簡単に捕まってましたね…。」

「うん…。いやまぁ忍者ではないんだけども。」

 遠目に見たら黒ずくめの不審者だった欣秀の恰好は、近くで見ると忍者に見えて仕方がなかったらしい。たしかに袴ではなくズボンを穿いているその様は、どちらかといえば忍者かもしれない。

 褒められているのか貶されているのか。複雑な感情を抱く欣秀であったが、自分が旅人であることと、修行のため道着を着ていることを説明した。


「へ~~! 旅人さんなんですか! カッコいいですね~! しかもそんなヘンなカッコで! スゴイ~~!」

 先ほどまでの泣きっ面はどこへやら。カウガールは目を輝かせ、笑っている。

 言葉選びは微妙な彼女ではあるが、女子にカッコいいと言われ、欣秀も悪い気分でない。

「はは、変な恰好ね…。それなら言わせてもらうけど、君のその恰好は?」

 ブラウスにノースリーブのジャケット、ジーンズの先にはチャップスにジョッパーブーツ…。彼女の衣装は、まさしくカウガールのそれであった。

「あっこれですか!? エヘヘ、カッコいいでしょう! アタシがコーディネートしたんですよー! アタシ、ちっちゃい頃に『ローンジンジャー』を観てから、カウガールになりたくって! 高校を出てからここで働いて、馬術とか投げ縄とか、たくさん練習して、カッコいいオンナになれるように頑張ってるんです!」

「へーー。まぁ、たしかに投げ縄のウデ〝は〟なかなかだった。」

「あー……。そ、そうなんです。頑張って練習したのに、良い線までは言ってるって思うのに。アタシ、いつも肝心なとこでヘマばっかりやっちゃって…。相棒のルミちゃんとも息が合わないし…アタシ、カッコわるいですよね…。こんな格好、似合わない…ですよね…うっうっ。」

「あーいやいやいやいや! 似合う似合う! ホント! マジでモノホンのカウガールに会ったって感動してたところだからさ! 止めなくていいよ! あと泣かなくてもいいよ!」

 欣秀はなんとか気分をおだてようと、身振り手振りでそのカウボーイコーディネートを褒め称える。一体どちらが客なのか。

「ほんとですか…!? ありがとうございます。」

「うん…。それにまぁ、形から入るって気分は、わからなくはないしね。」

「えっじゃあ旅人さんのその着物も、なにかドラマやアニメから!? くろうに剣心ですか? それともラパン三世の…!」

「いや、違う、違うけどもさ。」

 別にこの格好をしていなくても、武術の練習はできる。それでも、こうして不審者として捕獲されるリスクを冒してまで欣秀が着るのは、気合を入れるためだけ…といっても、過言ではなかった。

 不思議なもので、こうして練習着に身を包んでいると、練習時のように心が引き締まり、〝自分は修行のために旅をしているのだ〟と、いつも実感できるのである。

 研鑽のための正装を忘れない。そんなカウガールの姿勢は、欣秀にとって同調できるものだった。何より、

「それに、そういう恰好の方が、カッコいいしね。」

「あ! そうです! そうですよね! カッコよくありたいんですよ! 私も!」

 カッコつけたい者同士というシンパシーを、互いに強烈に感じ合っていた。


「いいですね~。旅人。カッコいい響きだなぁ…!」

「君も、馬に乗って旅してみればいいじゃない。」

「あはは、いいですね。でも、旅人さんみたいに徒歩でいく方の気合には、負けちゃいますよ。」

「え、あいや、徒歩ってわけでは」

 そういえば今は、ロケットⅢを引き連れていない。バックパックを背負う、徒歩旅の者と勘違いされてしまっているようである。訂正する暇なく、カウガールは熱弁し始めてしまう。

「最近はクルマとかバイクで旅してるなんて人ばっかですけどぉー! あんなの機械に頼ってるだけですよね!」

「えっ」

「旅人さんみたいに、自分の足で大地を踏みしめていくほうが、絶対カッコいいです!!」

「そ………。」

 事実を話した方がいいのだろうが。だが果たしてそれを言って、誰か得をするのだろうか。彼女の興奮は冷めてしまうし、何より―。

「…そうだね……。」

 カッコいいと言われるのが気持ちの良い欣秀は、真実を隠蔽することに決める。

「特に私が気に食わないの、バイクです! ここのお客さんでも多いんですけど、ドカドカドカドカうるさ~い音喚き散らして、馬たちがかわいそうったらありゃしない!」

「し、静かなバイクだって、あるさ…?」

「うーん、どうでしょうかね~。大体のバイク乗りって、速かったり大きかったりするバイクに乗って、強くなった気でいる人ばっかなんじゃないでしょうかっ!」

「ちょ、ちょっと!」

「? どうしたんですか? 急にいたたまれない顔になって…。」

 バカでかいバイクに乗っていい気になっている欣秀にとっては、耳が痛すぎるコメントである。

「いや…、えっと…だね。…言葉は! 選んだ方がいいと思うよ!(俺が傷つくから)

 ホラ、なにかの拍子にバイク乗りのお客さんが聞いたら、怒っちゃうと思うから!」

 あ! それよりさ! さっきよくバイク乗りも来るって言ってたけど…この辺り、走って気持ちいい景色とかがあったりするのかな?」

これ以上精神的ダメージを受けるわけにはいかない。欣秀はなんとか話題を逸らすことにする。

「うーん…どうでしょう。馬場の外の砂浜は、キ〇タクがMV撮るのに使ったって聞きましたけど…。特に景色が綺麗な場所っていうのは…。ああ、アレじゃないですかね。ここの近くに、元バイクレーサーの方がやってるっていうレストランがあるらしいですよ。それ目当てに来るんじゃないでしょうか。」

「へぇ…元レーサーが。面白そうだなぁ…。」

「旅人さんも、バイク好きなんですか?」

「えっ!? いやホラ、だだだってレーサーだよ! どんな人なのかな~って。気になるじゃない?」

「えへへ。まぁそうですよね。アタシもよくそこ行くんですが、あのオーナーさんは特別ですよ。イイ人だと思います。ちょうどお昼時ですし、行ってみてくださいよ!」

 カウガールはスマホを使い、そのレストランの位置を教えてくれる。『テーナーニレストラン』、というらしい。

「ありがとう! ちょっくら行ってみるよ!」

 欣秀は荷物をまとめ、乗馬クラブに背を向ける。

「ほんとーに、今日はごめんなさいでした! 営業してるとき、また遊びに来てください! 私、サービスしちゃいます!」

 一体どんなサービスなんだろうか…。想像は捗るが、もう二度と訪れないであろう旅の身であることが恨めしい。

 暫くしたらまた来る。と、とりあえず手を振り、欣秀は敷地から出ていく。

「あれ? そっち逆方向ですよ? レストランはあっち―」

「ちょっと海の駅でイワシでも食べようと思ってさ! アハハハ!」


~~


 海の駅まで戻った欣秀は、デカくてうるさいロケットⅢのエンジンをかけて走り出す。

 先ほどの乗馬クラブよりやや東に進み、県道から脇道に逸れると、件のレストランは姿を現す。

「門は…開いてるな。」

 駐車場からは、これまたアメリカにありそうな景色が見える。風通しの良さそうなそこそこ広めの敷地に、カマボコ型の屋根を持つ建物が二つ、L字に並んでいる。その間によく整備されたフワフワの芝生が敷かれていて、欣秀はすぐに直感した。

「やはり元レーサーってことは……金持ちなんだな!」

 一体どんな人物なんだろうか。レーサーというからには、やはりプライドは持っているよな。だったら、気難しい人物かもしれない。文字どおりつまみ出されるかも。ドレスコードがもしかしてあるんじゃあ…。

 と、…偏見の妄想を抱きながら、欣秀は二つの建物のうち、「OPEN」という板が提げられたほうの玄関に立ってみる。すると、中から微かに声が聞こえてきた。

「…この辺だったらザトウイチですよ…」「私はダテマサムネしか…」

(な、なんの話をしているんだ…?)

 入ってみればそれもわかる。欣秀は意を決して、「ええい」とドアを勢いよく開けた。

(さぁ、どんな人物なんだ元レーサー…!)


 …その人物は、玄関から入ってすぐの、カウンター越しに立っていた。体躯は大きく、丸く…。顔の彫りは深く、その肌は黒く……え、丸く、黒く?

「が…、外国人……?」

「「さ、サムライだーーー!」」

 その小太りの男性と、客席にいた女性もまた欣秀を同時に凝視し、互いに驚嘆の声を上げた。


~~


「イヤ~、ゴメンナサイネ! オキャクサンと、サムライのハナシちょーどしてたものデ!」

「いえいえ…それよりも驚きました。元レーサーの方が、外国人の方だったとは…。」

 4人用丸テーブルの客席に案内され、小太りの外国人…あらためオーナーから、水とメニューを手渡される欣秀。予算を超える金額に渋い面をしつつ、ハンバーグステーキを注文した。

 先ほど一緒に叫んでいた30代ほどの女性は、

「〝いらっしゃいませー〟じゃなくて、〝サムライー!?〟って…! ハハ…! 店長の接客スキルパないっすね…! アハハハ…!」

と、テーブルに顔を突っ伏して抱腹している。

(九十九里は…ヤバい人しかいないんだろうか……)

 二階建てに見えた建物の内部は、上部は木の梁が通っている吹き抜けの開放的な空間であった。小さめの体育館ほどの広さに、いくつかの丸テーブルとイスが用意されており、隅には酒樽なんかが置かれたバーカウンター。壁には、アメリカ西部と思われる写真のポスターが貼ってある。

 そして、その一角に鎮座していた一台のバイクがあったからこそ、欣秀はこの黒人が元レーサーであると確信できたのである。


「あれって…NSRですよね? レーサーの…。」

「Oh! そうデス! よくわかりましたネ!」

 ホンダ・NSR。往年のホンダが誇るフラッグシップ的フルカウルレーサーであり、バイク歴がそこそこある人なら誰もが知っている、名車である。そんなお高いバイクが、数々の革ツナギやトロフィーと共に飾り立ててあるのだから、疑う必要など皆無であった。

「店長ってばさ、昔バイクに乗って木刀持って、〝サムライダー!〟って走ってたんですって! くく…完全にイカれてますよね!? 絶対ウソでしょ!」

 顔を突っ伏していた女性が、くつくつと笑いながら話してくる。

「ホントですヨー! ボクだけじゃない! ダッテ昔はハヤってたでしょ! 木刀もってバイク乗るのー!」

「80年代かよ! そんで、なんて叫んでたんでしたっけ?」

「ダテマサムネー!」

「アハハハ! ワケわかんないっ!」

 女性は思い出したように、また腹を抱え始めてしまう。

「うーんアメリカではダテマサムネってハヤってましたけどネェ。」

 女性の言うとおり嘘か本当かわからない発言に目を白黒させながら、欣秀は疑問を投げかけてみる。

「えっと、アメリカ生まれの方なんですか?」

「ハイ、そうデス。アメリカのインディアナ州生まれ。申し遅れましタ。ボク、サロン・A・ペレドといいマス。」

「へぇ~。じゃあ、アメリカでスカウトされて、日本に?」

「そんなカンジですネ。インディアナってなーんにもないトコロなんですガ、サーキットだけはありましタ。そこでカートに乗って遊んでタラ、ホンダの方にスカウトされましてー!」

 その後数々の戦績も残せたが、〝レーサーなんてケガをしたらオワリだ〟と悟り、ホテルで料理の修行をして、レストランを開く運びになったのだという。

 丸めの体格によく似合う柔和な笑顔で話すペレド氏は、欣秀が抱いていたイカつい元レーサーのイメージとは全く異なっている。が、こうして別の職で生きていけているあたり、思慮深い人間なのだろう。


「ちなみに、そちらの女性の方は―」

「あー私!? 私はただの客です今日来たばっかりのー! 奥さんとかじゃないんでご安心をー!」

 バッと顔を上げた女性は、ショートカットに似合う快活な笑みで自己紹介をしてくれる。何を安心すればいいのだろう。

「それよりも、私からも聞いていいですか? いいですか!? あなたのその恰好…、あなた! ズバリ何者なんです!?」

「ああ…えっと」

 旅とは初対面の連続。当たり前のことなのだが、何度も同じ質問をされるものである。だから欣秀は、だいぶかいつまんだ答えを選んでみる。

「修行です。」

「えー! 修行! 修行!?」

「サムライ? ヤッパリ、ダテマサムネなんですカ!?」

「いえ…というかサムライ=マサムネなんですね…」

 忍者の次は侍か、と欣秀は頭に手を当てる。

 …さすがにそろそろ慣れてくるが。

「あーわかった! 座頭市! 座頭の市のコスプレでしょー!」

「いやいや、ちゃんと目は開いてます!」

「え~~そうなんですか? 座頭市の舞台すぐそこだから、てっきりそうだと思ったのに~。私今日、その石碑見てきたんですよー! や~やっぱ平日休みは人がいなくていーですよねー! お兄さんは徒歩ですか? バックパッカーで修行の旅?」

「いえ、私はバイクです。」

 今度ははっきりと真実を伝えることができ、心なしか胸を撫でおろす。

「オーバイクなんですカ! そのカッコウで! じゃ、ホントーにアレですネ! サムライダァー!! ですネ!」

「いえ、ですから侍というわけでは…!」

「サムライダーの旅! かっくいー! 今日は、どこから来たんですか?」

「え? えっと今日は…朝、九十九里から……ここの…」

「…山武市はずれまで?」

「はい。」

「短ッ!」

 女性に前のめりでツッコまれる。たしかに地図上で見れば…微々たる距離だ。


「カブにでも乗ってるんですか…? カブ主侍?」

「ああいや! 違いますよ? 旅に出たのは東京からで、昨日は九十九里で寝たからであって…。」

「だとしてもッ! だとしてもですよ? もうお昼の時間で、たったのその距離!? さっき起きたばかりでもないでしょーに! なにしてたんですか?」

「えぇーっと………、散歩…? ですかね…。」

 改めてこうもツッコまれてしまうと、欣秀自身、何していたんだろうという気分になってしまう。何もない道を歩き続けて、泣き虫カウガールに捕まっただけだ。

「散歩! うーん、私も千葉に引っ越してそんなに経ってないからわかんないですけど……。この辺、散歩するほどのもんありますかねぇ? 元マサムネの店長。」

「イヤ~、ウーン……。チョトワカンナイですねェ…。」

「散歩が好きなんですか? なんにもないところを、そんな重たそうな荷物背負って…。ドM侍…。」

「違います。」

 好き。と、欣秀はすぐ答えられなかった。たしかに歩くのは好きだが、午前中の活動を振り返ってみると…、そこまで楽しかった覚えはない。

「うーん…。なんでしょう。私、一応全国を回る予定なんですけど、あっという間に走り去っちゃうのも、もったいないかなぁ……なんて。」

 返事を絞り出してみるものの、女性とペレド氏の組まれた腕は解かれそうにない。

「なるほど…もったいない!か…。う~ん、でもなんでしょ、それもそれで…なんなんでしょね? 店長。」

 …この女性は、本当に今日初めて来店したのだろうか。恐ろしいほど店長に話を振る。

「ンー、ボクだったラ、セッカクバイクがあるんだったラ、もっとバイクに乗った方がモッタイナクない思いますネー。」

「あー! そう! そうですよそれ! せっかく乗り物があるんだから、それに乗ってもっといろんなところに行った方が、もったいなくないと思う! 私も、もしセグウェイがあったら乗りまくるもん! …うん。あいや、やっぱそんな乗らんかも。」

「なるほど…。」

 一理あると思えた。が、欣秀は素直に飲み込めない。

(たしかに、面白そうなところだけを目指して移動しまくった方が、面白い…とは思う……。でもそれって、なんだか〝旅行〟みたいで…。)

「…なんといいますか、変な話、本当に修行の旅を目指してますので。何もなさそうなところで、何かを発見するのも修行なのかな…、なんて。」

「ほほーう? それで、九十九里では何か、発見できたんですかー?」

「そ、それは…!」

 カウガールに捕まえられた、なんて話は混乱を招くだけなので、したくない。だとすると、九十九里で〝発見した〟ものは、特に何もなかった。

「ふふん、図星みたいですねぇ。」

「ハハ、ズボシズボシ。ニボシ。」

 微笑み合う二人に、欣秀はぐうの音も出ない。


「なんていいますかさ、そう、難しく気構えなくていーんじゃないですかね。と、私は思うんですがねぇ。ホテルだかテントだかわかりませんけど、バイクで全国を旅する。しかも…、フフッ、そんな恰好で! その時点で、十分辛い修行の旅じゃないですか。それ以上、"なにかしなくちゃ"って自分を追い込んでも、疲れるだけですよきっと! ドMならいいけd「ドMではないです。」

「ウン、旅、楽しいコトデス。ガマン、よくないですヨー!」

 顎に手を当て論ずる女性に続いて、ペレド氏も口を開く。

「ワタシもよく、お休みの日には遠くへ走ったりしますガ…、バイク乗りながら、ダンダン変わる景色見るダケでも、楽しいデスヨ。ここから房総へ行くまでダッテ楽しーんだから、日本全国バイクで走れバ、その景色はスゴク楽しいゼッタイ!」

 あなたのやり方は、かえってバイクの良さ、旅の良さを捨てているのではないか。と、暗に問いかけられているようであった。旅に出て初めて自らのスタイルに意見されたので、欣秀の頭に思考の渦が巻き起こる。

「そう…なんですかね。」

「ソウですよ! ソウダ、そのNSRまたがってみていーですよ! またがって風、感じてください!」

「えっいえ! 悪いですよ…。。」

「イーカライーカラ!」

 まとめる前の思考はたちまちかき消され、言われるがままNSRに跨がされる欣秀。250㏄のレーサーは、ロケットⅢと比べるとゾウとチーターほどの体格差を感じる。

「グリップ! ニギッテニギッテ! ダイジョーブ女性よりはガンジョーですよ!」

「あ、はい……なに言ってんですか。」

 グリップを握り、足をバックステップにかける。レーシングスタンドで固定されているので、両足を載せても車体が倒れることはない。欣秀の体は、自然と前傾姿勢に落ち着いた。

「おお…これはなかなか…。」

「感じますか!? スピードヲ!」

 ロケットⅢのようなゆったりとまたがるポジションのバイクでは、絶対に味わえない攻めの姿勢。ましてや競技用に調整されたそれは、市販のスポーツバイクより格段に尖ったポジションセッティングだった。

 欣秀は前傾姿勢からさらに顎をタンクに近づけ、グッと上目遣いでスクリーン越しの景色を見る。すると、レストランの内壁が見えるだけの筈なのに、横から後ろへと瞬く間に流れていく、風が垣間見えた気がした。


「…こういう興奮は、久しぶりかもですね…!」

「デショウ、バイクは楽しいモノなんです!」

「お兄さん、そのまま叫んじゃってください! ウオーって! ウオー!」「ウオーー!」

「う、うおおー!」

 二人が叫びだすので、欣秀も思わず叫ぶ。それに続くように、二人が煽る。

「サムライだー!」「さ、侍だー!」

「ダテマサムネー!」「ダテマサムネー!!」

「ワシノアイバハキョウボウデスー!」「き、凶暴です!」

「オンナニマタガッテモハヤイゾー!」「女に…跨った…時も…!?」

「サロンさんこんにちはー! 旅人さん、アタシも来てみ―……」

「「「あ。」」」

 ちょうど欣秀がセクハラ発言をした時、レストランのドアが開かれる。そこに立っていたのは、先ほどのカウガールであった。


~~


「信じられません…旅人さんが、とんでもない変態ライダーさんだったなんて…こわい……世の中怖すぎる……ううううう」

「うんうん、恐いよねぇ。大丈夫! 変態なのはこの男達だけだから! お姉さんが守ってあげるから、泣かないでいいよぉ~。」

 また今にも泣きだしそうなカウガールを、初対面の女性が甲斐甲斐しく慰めている。欣秀は、注文していたハンバーグステーキにナイフを通しながら、眉をひそめている。1,000円超えの贅沢品であるのに、喉の通りが悪い。

「HAHAHA、ゴメンなさいネ、アベちゃん。このサムライさん、今ナヤミゴトを持ってたみたいでしテー。」

「悩み…?」

「なんでも、バイクでぴゅーっと旅するのに罪悪感を感じるんだってー。変だよねー。」

「え…それってもしかして、アタシがさっき徒歩がカッコいいとか言ったから…! そんなの真に受けちゃうほど、ピュアな人だったなんて…っ! ううっ。」

「いえいえ、そういう訳じゃないですから。」

「あの…旅人さん、気にしなくていいですからね? アタシ、旅人さんがバイク乗りだとしても、カッコいい部類だと認識しておきますから。卑猥な発言をしながら走り回るのは、勘弁してほしいですが…。」

「いやだから…もういいや。」

 アベという名だったカウガールは、まるで残念な人を慈しむように、優し気に声をかけてくる。その様に、何を思ったのか慰めていた女性も拍手しだす。

「エラい! ほら侍さん、バイクに乗っててもカッコいいですってよ! よかったですね!」

「カイケツカイケツ、ナゾハスベテトケター!」

「………ああもう、…そうですね。」

 欣秀の中では考えがまとまっていないというのに、瞬く間に問題が解決となる運びになってしまう。そのごり押しで、無茶苦茶で、秩序のない流れに、観念して苦笑してしまう。


「ヘヘ、オサムライさん、笑顔になったようデよかったデス。」

「まぁ…そうですね、ハンバーグも美味しいですし。」

「それと、バイクの楽しさを思い出したからですね! 私たちのおかげっ!」

「いやぁ…まぁ…そうかもですね…。」

「謙遜そんな♪ なーんか、ムスーっというか、グヘーっというか。そんな顔してたからね~侍さん。」

「そ、そうですか…? うーん…、一人でいる時間が多いので、笑顔でいる必要もないかと思いまして…。」

「たしかに旅人さん、乗馬クラブでも眉間にしわを作ってました。カッコつけてるみたいに。」

(それはあんたの超音波が凶悪だからだよ…!)

「笑顔のほうがゼッタイいいですヨー! ヨノナカ、大変なコトたくさーんありマスガ。だからコソ、笑顔じゃないと! 自分も暗くなっちゃうデスヨ~!」

「うんうんそうそう! 自分に厳しく、修行するのもいいけどさ。まずは楽しまないと! 視野が狭まって、かえって修行にならないよー? 案外、楽しく物事に当たっている時のほうが、成長する人っているし!」

 もっともだと言わんばかりに、ペレド氏と女性はドヤ顔をする。

「ボクモ、新しくゲストハウス作ったけど、ソレ管理するスタッフいないコト忘れてマシタ。お金ヤバイ! でも笑えるからダイジョウブ~!」

 入る時に見えたもう一棟の建物は、どうやら新築のゲストハウスだったらしい。

「あはは! 店長! それはいくらなんでもバカだって! とことん落ち込め!」

「あの、乗馬クラブのお客さんに、紹介してみましょうか? 力になれるかわかりませんが…。」

「おー! いいね! 若いのに気が利くねぇアベちゃん! 今度、そっちにも遊びに行くからね!」

「…! ええ、ぜひお願いします!」


~~


 この旅を始めてから、初めて頂いた意見。楽しんでいいんだという肯定の言葉。欣秀の胸につっかえていた何かが、嚥下したハンバーグと共にすっと外れる。

 欣秀はカトラリーを置き、会計の準備を始める。

「…なんか、ありがとうございます。私、ちょっくら銚子まで、一気に走ってみようと思います。」

「うんうん! イっちゃいなさい! 小説だって、退屈なページは飛ばしていーんだから!

 他人のスタイルなんて気にしない! 自分が楽しめるやり方が正解よ!」

「オサムライさんはチャント、動かないNSRじゃなくて、動くバイク、モッテル。それブイブイいわせないの、モッタイナイデス!」


 見送りに出てくれたペレド氏たちに、ロケットⅢの巨躯を目にされて「こんな立派と思わなかった! なおさらもっと使わなきゃダメじゃん!」と散々説教されたあと、欣秀は愛馬に跨る。

「旅人さん、跨った姿カッコいい、ですよ!」

「ふふ、ありがと。」

 先程まで冷たかったカウガールも、見直してくれたのかサムズアップをして見送ってくれる。

 女性はいたずらっぽく笑み。

「アベちゃんの乗馬姿と、どっちがサマになるんだろーな~。」

「それはもちろん、アタシのほうがカッコいいです!」

「アハハ、アベちゃんサイコー。旅人さんのおかげで、いい子と知り合えちゃった! ありがとね、旅人さん!」

「日本一周してきたら、マタ来てくださいネ!」

「…ええ。 では!」

 ロケットⅢのエンジン音に負けないぐらいの声で〝また来ます〟と叫び、欣秀は脇道から抜けて、海沿いの産業道路へと抜け出る。ペレド氏たちの姿は、角を曲がれば一瞬で見えなくなってしまった。


「楽しんで…か。」

 走り始めると、自分の顔が綻んでいることに欣秀は気付く。

 産業道路は海に最も近い道ではあるが、防波堤を兼ねた森や少しばかりの民家があるおかげで、海は見えない。景色としては、何もない直線路。だが、それが今の欣秀には好都合だった。

「何もなさそうだな…。だったら!」

 一気に突っ切っちまおう! そんな啖呵をロケットⅢに浴びせて、欣秀は一気にスロットルを開ける。

 三気筒の駆動音はたちまち高音へと移行し、急激な加速度が欣秀の上体を反らせる。風が道着の隙間から肌に差し込み、景色はだんだんと横に伸び、後ろへと線になって消えていく。

 どこかに何かがあるかもなど、いちいち考え、て立ち止まっていては、得られない快感。それを、欣秀は全身で享受する。修行の旅とはいえ、旅の楽しさを、バイクの楽しさを、かなぐり捨てる必要なんてない。

 自分が楽しめる道こそが、成長の道なんだ。


「姉さん。この旅、悪くなさそうだよ。」

 笑えれば、大丈夫。そう語ったとある元レーサーの呆れるほどの笑みが、欣秀の頭にこびりついて離れなかった。




挿絵(By みてみん)

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