第十八話 相棒よ
山形編
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係がありません。
「…というわけで、今日はもう、これを食う!!」
山形県。遊佐から、酒田へ。
県境を越え、いつものとおり心機一転。どんな景色を見てやろうかと、心踊らせていたのも束の間。
秋田にお別れをする時分より空は泣き始め、あっという間にアスファルトはずっしりと黒くなる。
あまりまだ見れていない日本海を見ながらドライブでも…と画策していた欣秀だったが、雨を凌げる場を探すので手一杯である。
なんとか観光業が栄えていそうな酒田港に到着したはいいものの、そういうタイミングでちょうどよく雨は上がる。
天気に文句を垂れるのも虚しい欣秀は、そこにある海鮮丼屋で、贅沢という形で不満をぶつけるしかなかった。
「まぁでも、この税込1,100円でこれだけ盛ってるなら、案外得したかもなぁ。」
肥えていない舌でできうる限り海の幸を味わって、欣秀は返却口に食器を渡す。
「ご馳走様です! おいしかったぁ〜」
「ありがとうございます。次は、数量限定の特製丼を食べてくださいよ! 同じ値段だけど、それよりボリューミーなんですよ〜! …今日は売り切れちゃいましたけどね。」
「…あはは…そうですか……そのうちまたきます。」
うまくいかない日とは、こういうものである。
「ああもう、今日はもうこれで終わる!」
ちょうどよく近くに緑地があるのが、せめてもの救いか。陽が落ちるにはまだ早いが、欣秀は新井田川の河口付近でテントを張る。
「まぁこの程度なら洪水とかだいじょうぶだろう…」
途中、地中の石を当ててしまったのか、ペグが折れ曲がる。もはや苦笑いを浮かべながら、欣秀は路肩と足、木槌を使い、テコの原理でそれを曲げ戻す。
「戻すといえば……。」
テントを設営したのち、欣秀はケースから本差を取り出す。座り込んだ膝の上に載せ、観察。
「…やっぱりイっちゃってるなぁ。」
ハバキが歪み、柄の縁にヒビが入っている。
「……あんだけぶっ叩いてればなぁ……むしろよくもったほうだよ。」
たとえ真剣同様に拵えたものでも、使い方によっては刀は簡単に壊れる。土産物ほどではないにしろ、練習刀として生まれた欣秀の刀には、着実に疲労が溜まっていた。
そこへ、先日秋田でのナマハゲ騒動。無茶な使い方をしたのがトドメとなり、ついにエラーを起こした。
「とりあえず柄をとってみようか…? 目釘、どうやって取ろう…。」
柄巻きを剥いてみようかと奮闘する欣秀の視界が、不意に赤い光で染まる。
「? なに…」
「お兄さーん、そこで何してるんですかー?」
目の前には、巡回中の白黒車。即ちパトカーが停まっていた。
「お……」
視界が、回転灯で何度も赤く染まる欣秀。頭の中は、真っ白になる。
(やっ……ちまった………)
「お兄さん、何してる方ですかー?」
「え……と………一応…? …旅人…してます……。」
第十八話
相棒よ
「なんで今まで尋ねられなかったか、不思議ですよ。」
「……なんででしょうね。」
欣秀は、警察署の取調室にいた。
油断していた。と言うと犯罪者のようだが、まぁ実際犯罪だ。
当たり前である。人を殺傷しかねないものを持ち歩いていたら、それはもうお縄になる。日本刀は一応美術品扱い。登録証などがあり、厳重に収納されていれば話は別だが。
今回の欣秀は、明らかすぎた。
「私も武道やってるからね、どこでも鍛錬したい気持ちはすっごくわかる。でもね、やっぱり道場に行くとかって正当な理由がない場合は、銃刀法違反になっちゃうんだ。ごめんね。」
警察官の男性は、驚くほど親身に話してくれる。
だが欣秀はまだ若く、言ってしまえばこんなことで捕まるぐらいにはヤンチャだ。寄り添ってくれる警官とは裏腹に、ムッとした心で
(同情してるように、演技してるのか……?)
なんて邪推する。簡単には懐柔などされんぞと、意地を張る。
両の刀から柄が取られ、刃と茎に磁石を当てられたりして、金属であることが検証される。
相棒を汚されているようで、欣秀はますます不機嫌になる。
「もし、誰かが練習してる磐城くんを見て通報した場合、刀を持った人に対しては30人ぐらい警官がワッと押し寄せてきちゃうんだよ。
そうしたら磐城くんがかわいそうなんだ。ただ稽古してただけなのにさ。だから、変な話だけど、今回はこれで幸運だと思ってほしい。」
「それはまぁ…そうですね……。」
欣秀は思い浮かべる。通報なんてされたら、真っ先に親族へ連絡される。姉はさておき、父親に伝わったらと思うと。肝がとてつもなく冷える。
ここにきて欣秀は、本当に手心を加えてもらっているということに、ようやく気付く。
「正直言うとさ、世知辛い時代だよね。野宿もそうだけどさ、人の目がほんとに厳しい。最近は。
この前なんか、”銃持ってる人がいる!”って通報があったから駆け付けたら、エアガンで遊んでる中学生だったりさ…。」
「…通報があったら、行かなくちゃいけませんもんね……。」
「そうそう。公務員ってのも、大変なのよ。」
眉間に皺を寄せ苦笑する様子は、心底から世知辛いと思っているようである。
「…磐城くんはさ。武道の修行をしたり。旅に出て自分を磨こうとしたり。ほんと、すごいと思うよ。羨ましいまである。
でもさやっぱり。時代に合わせてさ、やり方を変えなくちゃいけないんだね。」
「……ごめんなさい。」
欣秀に反抗的な顔色はもうなく、こちらもまた心底から“迷惑をかけてしまい、申し訳ない”という面持ちだった。
それを見た警官はふっと笑い。
「よし! じゃあとりあえずこの刀は、ご実家に送るなりして。それから、堂々と旅を続けて頂戴ね。」
愛刀との別れを覚悟していた欣秀は、俯いていた顔を上げる。
「……え、取り上げないんですか?」
「そんなことしないよ。」
「罰金とか…?」
「ないない。磐城くん、反抗せず、きちんとパトカーについて来てくれたし。話を聴いてみたら、今時めずらしい真っ直ぐな子だしさ。
警察って、事実だけじゃなくて。ちゃんと心象も慮って、判断するんだよ。」
「でも、もし私が刀を送らなかったら…!」
「信じてるから。ただ、特別。内緒ね。」
…嗚呼。青少年にありがちな、警官というだけで反抗心を燃やす、謎の病に罹っていた欣秀は。
人もまた、実際に会って話して、心を触れ合わないと解らないものなのだと。自分の考えを改め。
「ついでにじゃあ、カツ丼もー!」
「あー今の時代、それできないんだよねー。」
〜〜
「…と、感動的に終わったはいいものの。」
一晩明けると、人は気が変わるものである。テントを畳みつつ、欣秀は刀ケースを何度も見やって、ため息をつく。
「とりあえず修理はどのみち必要だから、鍛冶屋さんに連絡はするとして……はぁ。」
野宿地に居ても仕方がないので、そばにある観光地・『山居倉庫』へ赴く。
酒田の地は、古くから米の有力産地であり、最上川を通す流通も行ないやすい、米の要所だった。関ヶ原合戦後、家康の重臣・酒井氏がそれを管理。豪商の河村瑞賢が西廻り航路を開発すると、それはますます発展した。
自然と米を備蓄する場も必要となり、山居倉庫はその最たるものである。
ずらりと立ち並ぶ、二重屋根で背の高い三角倉庫。その裏側は黒一色となっており、並行して西日や強風から米を守る、ケヤキ並木が連なっている。
建物の中には、地元の素材を使った箪笥や衝立、机などの工芸品が展示されている。江戸時代、ここは、佐渡と三国に並ぶ、三大船箪笥の産地でもあった。
「秋田では、森に海に、夕陽に鳥海山に…と、自然ばっかだったけど。」
山形に着いて初めて眺めたのは、人工物ばかり。自然が主体となっている地方と、人が栄えた町の境界線を。欣秀は踏み越えたのかもしれない。
「それから、かの『おしん』の舞台としても有名…と。」
口減らしのために、わずか7歳の女の子が奉公へ出される物語。それを黒く続く壁を見ながら思い浮かべる欣秀は、また「はぁ」とため息をつく。
「だめだ。気分が沈んでしまって、しょうがない。」
〜〜
日本海沿いに延びる国道112号は、加茂水族館のあたりで内陸へとそれる。そのまま辿っていくと、程なくして鶴岡市の中心地へ到達する。
庄内平野の中心地。酒田と同じく古来より米づくりで栄え、戦国の世は上杉や最上、江戸時代には酒井が統治し、戊辰戦争も経た歴史ある地。
「…ここなら、賑わってそうだな。」
どうにもまだ梅雨っぽいのか、曇天は明けないまま。そのうえ寒々とした場所にいては、昨日の件が脳裏によぎるだけ。欣秀はできる限り人気のある場所をと、わかりやすい観光地である鶴ヶ岡城まわりをぶらつく。
天守はないものの、しっかりと整備された堀と、それにそう歩道は歩きやすく。植栽も豊富で、公園として利用するのに心地が良さそうである。ひととおり堀沿いに歩き、いざ入場してみるかというところで。欣秀は交差点の向こう、違う丁目に、立派な瓦が並べられた塀を見つける。
「あっちの建物も面白そうだな…?」
庄内藩校『致道館』。そばには、入場無料の看板が。
「無料は大好きなのよね。どれ、お邪魔しよう…。」
最低限のセキュリティなのか、受付で住所を求められる。欣秀は姉・絵俐の住所を記帳して。こぢんまりとした堀を渡り、表御門をくぐる。
敷地内もまた小さくまとまっていて、最低限の石畳の周りを、うるさすぎない程度の草木が包んでいる。
言ってしまえば地味な景観だが、整然と組み上げられている柱、梁、漆喰に瓦からなるThe日本といった建物が、その地味な景色を、伝統的で見応えのあるものにしている。
「なになに…? 元々は駅前にあったが、政教一致の考えに基づいて鶴ヶ岡城へと移された…ああ、学校ね。」
建物の中へお邪魔すると、たしかに中には広めにとられた、簡素な畳の空間が並んでいる。そこにかつての学徒たちが座っていた様が、容易に想像できる。
「学校かぁ……あんまり得意じゃない場かもなぁ…。」
高専時代は。役に立つから、と周りに言われるがまま始めた、興味のない電気工学を欣秀は勉強していた。
試験の対策だけでも万全とはいえないのに、毎週期限があるレポートにも追われる日々。
そんな苦労を経て、たしかに社会を生きていく忍耐力はついたかもしれないが。果たして自分は、あの時学んだことを活かせているのだろうか。電気はおろか、理系にも就職していない。それどころか今は、無職だ。
あの時学んだ日々は、今日の悩みを解決する答に、なってはくれない。
「…もっと、こういう時に。役に立つことを学びたかったな…。」
「何を学びたいんですか?」
呟いた独り言に、予想外の答え。欣秀はギョッとして背後を振り返る。背後には、長髪の男性が、同じく着物を着て立っていた。
客商売の店員がするように、手は前で組み、顔は目が細まるほどにこやかである。
「あ…どうも。お邪魔してます。」
すぐに、この施設で働いている人なのだと気づく欣秀。それなら着物も説明がつく。
「何かお困りですか? …あ! わかりました撮影ですね? 見たところコスプレのよう…ここで撮影をご所望でしたら、ぜひお手伝いしますよ。料金は8,000円でございます。」
「いえ、コスプレじゃ…っていやいやいやいやたっか! ケタ間違えてません?」
何もおかしいことなどないという顔で、男はにこやかなままとんでもない要求をしてきた。それを今度は哀れみの表情に変え、
「え…じゃあそれ、普段着なんですか? 趣味…というにはボロッボロですね…。」
「ボロッボロとか言わないで。」
「浮浪者の方ですか?」
「ちが…くもないですけど! 旅してます! 旅人!」
「旅の方! あーじゃあお金はあるんですね!」
「……ないと言っていいけどさ…。」
じゃあ浮浪者なんじゃね?と欣秀は己に失望する。
そんな様子などお構いなしに、男はまた快活に続ける。
「旅! いいですね! 自分探しの旅ですか? 何か悩みがあるんでしょう! ここ、由緒ある学びの場で、相談にのって差し上げましょうか? 相談料は10万…
「いい! いい! 結構です! どうしちゃったんですかあなたは! ここの方ですよね?」
「はいそうです。なので、来館者さまのために手助けをして差し上げようかと…。」
「手助けという名の悪質商法なんですよ……!」
男は悪びれるそぶりもせず、手をひらひらと振る。
「えーだってそうしたらお金にならないじゃないですかー。ここ、無料ですし。」
「入館料設ければいいでしょう…。それか、きちんとガイドしてとればいいでしょうに…。」
「入館料はお偉いさんが無料に決めちゃったし…。ガイドって、なんかフツーじゃないですか? うん。
私、鶴岡教会さんを見たときにピーンと来たんですよねぇ。迷える子羊とやらを助けたら、少しは羊毛を採れるんじゃないかって。」
「羊毛どころか、毛皮を剥ぎ取る所業ですよ。」
「んもー。おどげでないですねぇ。わかりました! じゃあこの…これ! この致道館で採れた石! これをいちまんえんでー!
「ああもうくどいですね! もうガイドしてください! ガイド! ガイドの内容がおもしろかったら、300円ぐらいは出してやりますよ。」
欣秀は欣秀で、べつの方向にケチである。
「ふむ………わかりました。まぁ、いいでしょう。」
もはや男は、金ならなんでもよくなっていた。
〜〜
「致道館。ここ、警察や小学校といった変遷はありましたが、戦火にも遭わず、きちんと現存している貴重な場所なんですよ。」
「え、よくありがちな、“焼失”とかしてないんですか?」
「そう! つまりあなたが今あるいているこの廊下は! かつての侍さん達も歩いた場所なんですよ!」
「それはけっこうレアですね…。」
日本には数多く歴史的な建築物が点在しているが、ほとんどは倒壊したのち、再建されたものがほとんど。ここは城といった目立つものではないとはいえ、史跡としてかなり貴重なものである。
「でしょう!? なんだかお布施したい気分に
「続けてください。」
男は広間に展示された歴史的遺物などを紹介しつつ、続ける。
「創立したのは、9代藩主の酒井忠徳氏。当時は士道が乱れ、華美なものが好まれたり、横暴な輩も多かったとか。それで、それを刷新するために教育機関を作り上げたわけですね。」
「なるほど。いつの時代も腐敗はあるわけだ。」
「その後、藩の政務と学道を両立する場として、城の近くへ移転。教育方針も、画一的な指導ではなく、個人個人の能力に応じた、個別指導を重んじるように固められていきました。」
「…驚きですね。そんな時代から、適材適所で教えられる場があったなんて。」
「そうでしょう? 私たちの考える“昔”っていったら、誰もが誰も皆と同じようになりたがる、したがる、軍隊みたいなイメージですからね〜。」
欣秀はまた、嫌々に興味のないことを勉強していた学生時代を思い出す。もし、自分がこんな学校に入れていたら。自分がどういうものに秀でていて、どういう人生を目指したらいいのか。教えてくれる人がいたのだろうか。
「…ちょっと羨ましいですね。」
「それから、明治6年に廃校となるまでの70年間。徂徠学を基本に、たくさんの優秀な学徒さんたちを排出されました。」
「徂徠学?」
「萩生徂徠さんという方が創り出した、革新的な学道です。後世の注釈にとらわれず、孔子の教えを直接研究しよう…って感じですかね。」
「なんだかよくわからんです。」
「まぁ学風として、人を型に当てはめず、その人本来の心や、感情を尊重しましょう。って感じですかねー。」
「人を型にはめず…。」
欣秀の脳裏に、父親の姿が映る。
「…本当に、当時にしては革新的な指導法だったんですね。」
「ええ。特徴的だったみたいですよ。最終的には、“庄内学”とも呼ばれるようになったとか。」
今の世の中ですら、個々を尊重して学習させよう、というのは、口にするほど容易ではない。もちろん、当時も新しい指導をするにあたり、問題はいくつも浮上したのだろうが。
今こうしてこの話を聞けているのは、先生方が信じる指導法を、諦めずに貫いてきたからなのだ。
「そうやって古い考えに囚われなかったからこそ、先の人々は時代の変化にも対応できた。
明治維新ののち、侍が要らなくなった時代。藩士たちは刀を捨て、鍬を持ち。ここら一帯を開拓して、日本最北限の絹産地として発展したんですよ。」
「刀を捨てて……それは…辛かったでしょうね。」
奇しくも同じ状況に直面している欣秀は、顔をしかめる。
「そうでしょうか? たしかに侍の世の終わりは、彼らにとって悲嘆的なものだったでしょうが…。」
男は縁側に腰を下ろし、植栽を眺め始める。
「不幸ではなかったと思いますよ。彼らは、彼らがしたいことができた。刀では守れない主君を、家族を、そして生まれ育ったこの土地を。時代に則した方法で、守ることができたんです。」
また、時代。か。
警察官とのやり取りがフラッシュバックする。
「でも…それでも、大事なものを守るために。戦う力は必要なんじゃないですか?」
いつの間にか、自分が問われているかのように、欣秀は返す。
「まぁそうですけど…今日を見てみてくださいよ。そこら辺を歩いている主婦が。おじいさんが。刀を持っていないからって、襲われますか?」
「それは……そうですけど。でも、いざって時は。万が一ってときは、ありますよね?」
「その万が一の時のために、誰も彼もが剣だの銃だのを所持していたら…。安心な社会って言えます?」
「………。」
自分でも、よく気づいていた。欣秀は自分自身で、矛盾を作ってしまっている。大事なものを守るためだと言いながら、刀を持つことで周囲に緊迫を与えてしまっている。
「ま、言いたいことはわかりますよ。世の中に理不尽は絶えず。社会通念が通用しない相手だっています。腕っぷしが強いほうが正義なんでしょう。強いに越したことはありません。」
強ければ正義。そうなのだろうか。
例えば、岩手。あそこで倒してしまった人々は、確実に悪といえるのだろうか。欣秀は、あの地に伏せている人影たちを思い出してしまい、咄嗟に拳を握る。
先ほどまで力も必要と説いていたくせに、いざ勝てば官軍なのかと言われると、嫌悪感を覚える。
(矛盾だらけじゃないか…私は……)
「現代のシリアルキラーも、もしかしたら戦あふれる時代では、英雄だったのかもしれませんね。この時代に生まれたのは、悲劇かもしれません。
でも。時代は変わったんです。簡単に人は殺められるけれど、そんなことはしちゃいけない。ルールを作って、守って。話し合って、和解して。何百年もかけて、我々はゆっくりと、でも確実に前へと進んできたんじゃあないですか。
そんななかで刀を求めるなんて、ナンセンスだと思いませんか?」
「…!」
いつの間にか刀ケースを見られていることに気付き、欣秀は狼狽える。
「戦うのが得意な方々には申し訳ないですが。私は好きですよ。この時代。少なくとも私みたいなもやしっ子には、生きやすいです。」
強さを求めていたはずなのに。
それを振りかざすことに、意味などない。
そう突きつけられた気がして、欣秀はわずかに動悸が激しくなる。
「単純な暴力じゃなくて、愛とか友情とか、よくわからない、ほんわかしたものが勝り通る世の中………。
…そして! 何よりもお金! お金こそが今や! 暴力です! 絶対的な力! さぁさぁなんかいい感じに悩みを聞いてあげましたから、お金をくださいお金お金」
シリアスな言葉を続けるかと思いきや、振り向いた男の顔は、貪欲に塗れていた。
「…いや! 認めませんよ私は! 悩みを聞いてもらったなんて! 決して解決なんかしてないですし! たしかにちょっと流されかけたけど、最後に台無しだし!」
「くそぅ! なんかそれっぽい雰囲気になってたのにぃ! じゃあガイド代! ガイド代さんびゃくー
「払う必要ないですよ、旅のお方。」
先ほど、入り口で受付をしてくれた年配の女性が、いつの間にか男の後ろ襟をひっつかんでいた。
「まったくあなたはまたお金お金って…カネゴンになっちゃいますよ。」
「でもほら! 施設維持にお金は必要ですしぃ…。」
「街が維持してくれてるから、入館料をいただかなくて済んでるんです! どうせあなたのは、またギャンブルか何かで擦ったんでしょう!?」
捕まった猫のように、男はショボンとしている。欣秀はただ呆気に取られていた。
「うう…わかりましたぁ…。あ、じゃあせめて、旅人さんにオススメの観光地を、教えさせてくださぃい…。ホラ、私のお悩み相談、最後までやらないと今後に活かせないかもなのでぇ……。」
懇願する男の襟を、女性がようやく離す。
「何に活かすつもりなんだか…。まぁいいです。ご迷惑をおかけしたお詫びに、ちゃんと観光案内してさしあげて。」
「いえいえ、迷惑なんて…。」
一応、ためになるガイドはしてもらった訳なので。
かえって申し訳なくなる欣秀であった。
〜〜
市街地を離れ、1時間余り後。
欣秀の目の前には、ガイコツがあった。
偽物ではない。骸骨と言ったが、よく目を凝らすと骨は丸見えになっておらず、薄い皮が依然として張られている。れっきとした本物だ。
『湯殿山総本寺 大日坊瀧水寺』
月山・湯殿山一帯を越える国道112号から、県道351へ入り、いかにも村民が使うという趣の道へ。
山の中腹にそびえ立つ寺で拝観料を納めると、由緒の説明がされたのち、かの高僧・真如海上人が佇む部屋に通していただける。
目の前に確かに座してはいるものの、言葉を交わすことはできない。彼は200年以上も前に、即身仏となっていた。
「海上人様は、鶴岡に生まれたのち純真な心を失わぬまま育ち続け、弱肉強食の世の中を憂いて、湯殿山大権現を信仰されました。」
先ほどからガイドしてくれている僧侶が、その彼のかつての修行について解説する。
「そして20代の頃より即身仏を志され、仏国楽土を築かんと尽力されました。やがて木食行を始められ、はじめは米や大豆、小豆。次に栗、蕎麦、きび…最後には塩と水のみの食事を続けられ、96歳の身で土中に入定、即身仏となられました。」
死後、内臓が取り出され、人工的な防腐処理が施されるミイラとは違い、即身仏は、自らの意思で体から脂肪や水分を落として、虫の湧かない、朽ちぬ体を己の意志でやり遂げてみせる。
「なん…て……こと…。」
圧巻だった。
初めて目にする、保存された人間の骸。視覚的にも、無論その衝撃は計り知れないものだが。
何より、己の意志で、覚悟で、食物を断ち、ただ孤独に、昏い土の中で絶えるというその行為に。欣秀はただただ、心を揺さぶられるばかりだった。
(考えたこともない…ただの自殺なんかとは違う…。命を賭して、そこまで何かを追い求めていたなんて)
しかも、自らの欲のためではない。人々を、この世の中を、少しでもより善くしたい。そんな想いと、この行為に意味があるのだという絶対的な自信をもって。この人は、この偉業を成し遂げたのだ。
「…同じ人間とは…思えないや……。」
自分がひどく小さく思え、つい欣秀は俯きがちになる。
正直、仏神の類を信じている人間ではなかったが、さすがにこの姿の前では、心が平伏してしまう。
欣秀はもう一度顔を上げる。興味本位ではなく、今度は畏敬の念をもって、その姿を目に焼き付けておきたかった。
すると目に映るその骨の顔は、どこか微笑んでいるように見えた。
その後、さまざまな仏が祀られた回廊を通り、見学は終了となる。祀られた仏像たちの前には、賽銭箱が。ここは寺としては珍しく、霊を祓うだけでなく祈願もできる場ということで、かつては春日局も、息子の竹千代を将軍にしてくれと願った。
欣秀もまた蝋燭を一本購入し、灯りをつけて祈願する。通常、霊を呼ぶからと咎められる寺で手を叩く行為も、ここでは許される。
海上人だけではない。ここは明治時代の神仏分離の流れに必死に抗った寺であり、宮司になることを拒んだ僧侶は殺められ、寺院にも火が放たれた。
たとえ命を賭しても、己が信念を曲げない覚悟。その崇高な魂たちに、欣秀は思いの丈を告げる。
(貴方達が成した偉業の前では…私のこの気持ちなど、矮小なものなのでしょうか)
先人達が創り上げた、この平和な時代に。刀を持つことなど、あのガイドのいうとおりナンセンスなのではないだろうか。先を生きた人々が積み重ねたものは、敬意を表して享受すべきだと、青森でも学んだ。それに真っ向から反抗するのは、カッコ悪いことなのではないだろうか。
かといって、短いながらも自分が貫いてきた、この強さを求める道も。間違っているとは思いたくない。
寺院を出て正門を下りると、道沿いには紫陽花が咲いている。雨に咲く花が、青空の下で輝いている。世の中は、あべこべなことで満ちているようである。
〜〜
翌日。
欣秀は、今度は1,015段の石段を登っていた。『宝珠山 立石寺』である。
登山道入り口で300円を支払った際、受付に「荷物をお預かりしましょうか」と尋ねられたが、欣秀はキッパリと断っていた。
(こちとらこれをずっと背負って歩いてんだ…なめんなよ!)
足を運ぶたび、腰にバックパックの馴染みある重みがのしかかる。ヒップベルトには、もちろん刀ケースが差し込まれていた。
『閑さや 岩にしみ入る 蝉の声』
松尾芭蕉の句で有名な立石寺だが、有名になったからには閑さなどたちまちなくなる。芭蕉と曽良たちが来た夕刻と違い真っ昼間というのもあって、山道は観光客の声で溢れている。
はじめこそ傾斜は緩やかで、緑が頭上を覆っていることもあり快適なのだが、上の句をしたためた短冊が埋まっているという“せみ塚”を越えたあたりから、石段は急勾配になる。
「キツくなってきた」と呟き始める観光者たちを縫うように、欣秀はすっさすっさと石段を登っていく。喧騒からなるべく早く遠ざかりたいというのもあるが、頭の中がぐるぐると思案しているおかげで、疲労感覚が麻痺していた。
(街中をあてもなく歩き続けるよりは…。全然この程度、許容範囲内だ…。ずっと、こいつらと旅をしてきたんだから)
奥の院までの石段は修行者の参道と呼ばれ、一段一段と登るたびに、煩悩が消えていくと伝わっている。しかし欣秀には効果がないようだ。
(一緒に、苦労を共にして、ボロボロになって、いろんな景色を見て…支えてきてくれた、大切な仲間たち)
バックパックも、カメラも、刀も。シュラフからペグ、バッテリーに至るまで、全ては欣秀が自分で選んで購入し、旅支度に詰めたもの。
言葉こそ発しないが、それらはそれぞれ役割があり、それぞれの場面で欣秀を助けてくれた。旅の相棒といっても過言ではない仲間たちである。
(そんな仲間を、見捨てろだなんて……)
仁王門を抜けると、草の笠がなくなり、太陽が一挙に背中を炙り出す。その熱と急を増す階段のおかげで、欣秀はさすがに息が上がってくる。だが、足は止まらない。
その胸中では、かつて刀を発注したときの記憶が蘇っていた。
“へぇ。旅のお供にですか。今のご時世、何言われるかわかったもんじゃないですが…”
“馬鹿なお願いだとはわかっています。でも、どうしても自己を研鑽するために、必要なんです”
“あはは。まぁ、私はただ鍛えるだけですから。何に使おうと、口出しはしませんよ。
―でも、言わせてもらえるなら。華美な拵えが欲しがられる中で、0から始めたいから何も要らないとは……。個人的には、強くなるための旅。応援させていただきますよ。
頑張ってくださいね”
(あの人の想いものせているこれを、手放したくはない…!)
いつの間にか、欣秀は石段を登り切り、奥の院へと到着していた。顔につたう汗に目を細めながら振り返ると、雲が走る雄大な山脈が見える。
そこからさらに崖に近い五大堂から眺めれば、ふもとに流れる立谷川と、それに沿って並ぶ民家や土産店、少し離れた位置にある田んぼなども一望でき、脚を疲れさせ登ってきた人々を労ってくれる。
欣秀ももちろん、その眺望に感嘆とするのだが。
「……なんか、案外簡単に登ってしまったな…。」
決して楽しくないことを悩みながら足を運んできたこともあり、どこかその心は煮え切っていなかった。
写真を数枚撮り、欣秀はさっさと下山する。
〜〜
登山道入り口から出て、日枝神社近くの茶屋に寄り、コーラをがぶ飲みする欣秀。今の時代に珍しい、ビン入りだ。しかも蓋は自販機に付属しているオープナーで開けるレアタイプ。
「あら、すごい荷物で行ってらっしゃったな〜と思ったら、もう帰ってきたんですねぇ。」
茶屋のおばさんが、暇を持て余してか話しかけてくる。
「フッ…まぁなかなか骨はありましたが。私にとっちゃあ朝飯前ですね。」
中学生のような体力自慢で、欣秀は応じる。
「あらそうなんだ。じゃあせっかくだから、裏立石寺にも行ってみたらぁ?」
「…“裏”?」
「うん。垂水遺跡って言うんだけどねぇ。けっこう山深いところにあって、獣道を通らないと辿り着けない場所よぉ。お猿さんにひっ掻かれたって人もいるし、気をつけないとだけど。」
タブレットを開きマップを見てみると、確かに山中に、そのような史跡が確認できる。道からは離れた地を示しており、車両では到底行けなさそうだ。
「どうやって行けるんですか!?」
危ないと言われると行きたくなる。中学生並みの冒険野郎精神をもつ欣秀は、迷わず喰らいつく。
案内された方向へ山肌沿いに進んでいくと、やがて墓地に差しかかる。
“行き止まりに見えるけど、その脇に道があってね…”
行き止まりの管理小屋の脇に、確かに獣道が伸びている。舗装などもちろんされていないし、ひどく細く、そして先は草木に埋もれている。
「……っし、行ってみますか。」
少しの不安は覚えつつも、欣秀は足を踏み出す。
樹木が立ち並ぶ中を、人が通ったであろう土の道が続いている。進んでいると、ところどころ歴史を語るような看板も見かけられ、間違った道ではないことが辛うじてわかる。
さらに進むと打ち捨てられた廃墟もあり、道であることは確信できるのだが、不気味さも増してくる。
道は、やがて道というより、森の中の地形を無理矢理人が踏み越えていった軌跡のようになり、幅はさらに細まっていく。木の傘は厚さを増し、暗がりが目立つようになってくる。立石寺とは真逆で、耳に入るのは虫の音と草木のざわめき、たまに野生生物と思しき声のみ。
通り道がぬかるみ始め、倒木も目立ってくる。欣秀は足を滑らせないよう一歩一歩に神経を使い、ところどころで頭を下げて倒木をくぐり、小さな沢は飛び越える。
「ほんとに……これは……。」
体の消耗が激しい。なるほど。ここに来て初めて欣秀は、舗装路の有り難みに気付く。石段で立石寺を整えた先人たちが、いかに立派だったか。
誰かが何かをしたのであろう、木々が切り倒された広場に出る。続く道が、見当たらない。
「あれ、迷ったか……? ! いや」
目を凝らすと、木々の間に僅かに道のようなものが続いているのが見える。
(まずいな…道と、本当の意味での獣道との区別がつかなくなってきてる……)
進むべき道が道に見えなくなってくると、もし道を間違えてしまっても、「荒れているがこれも道なのだろう」と、行くべきでない方向に突き進んでしまう恐れがある。そして違和感に気づいた頃には手遅れ、遭難だ。
アドレナリンだけでなく、不安でも心拍数が上がってくる欣秀。それを振り切るように、歩みを続ける。時に両足を揃えられない、滑落しそうなほど細い道を通り抜けるたび、汗が一層に噴き出す。そしてそれに誘われてか、小蝿が顔に集まってくる。それを闇雲に手で叩き、振り払いながら、欣秀はさらに歩を早める。
不安だからこそ、動きたくなってしまう。だんだんと、冷静さを欠き始めていた。
(この道で合ってるはず…合ってるはずだ……マップは圏外で使えない…自分を信じろ…大丈夫なハズだ……。………!)
歩き始めて20分ほど。欣秀はまた、前方に広場を見つける。それだけでもひと安心だが、その目にはさらに胸を撫でおろすものが映っていた。
「人だ……!」
はたまた何に使われたのか、直径50メートルほどに切り開かれた草地の上に、人が二人立っている。草の陰が厚く、もはや日暮れ時のように暗いため仔細はわからないが、服装からして若い男女のようだ。
「よかった…道を尋ねてみよう。」
彼らもまた道に迷った可能性もあるが、それでも一人よりはマシである。欣秀は嬉々として足を早め、草木の影から身を出そうとする。…ところで、それを制した。
「……あれは…。」
兄妹かカップルか。こんなところに来る男女はそんなものだろうが、いずれにせよその様子はどこか違和感を覚える。
互いの距離が開いており、そして向かい合っている。近づいてわかったが女性のほうはどこか険しい表情をしており、こころなしか男性を睨んでいるようにみえる。男性のほうは、背中越しにしか見えないためわからない。何も問題はないかのように、普通に突っ立ってはいるようだが。
「…痴話喧嘩…かなぁ?」
身を潜めて、欣秀は聞き耳を立てる。盗み聞きなど行儀がよくないことわかっているが、だからといって引き返すわけにも、出ていくわけにもいかない。加えて、
(…もっとも、興味津々なのもあるけどね)
ご存知のとおり、欣秀も聖人君子ではない。
ちょうど木々のざわめきが収まり、女性が話しているようすが聞こえてくる。
「もう……耐えられない……。」
(ふむふむやっぱり修羅場のようですな……?)
長い髪に隠れて顔は見えにくいが、女性の拳はひしひしと震えて見える。欣秀は、さらに耳を澄ます。
どうして独り身の男というものは、こうも他人の修羅場が大好物なのだろうか。
「あれだけ言ったじゃない……! どうしてわかってくれないの………!」
(ふむ…どうやらだいぶ深刻なようですな…)
一体なにがあの女性を震わせているのだろう。それを聞き逃す手はないと、欣秀はもはや姿が見えるか見えまいかというところまで、身を乗り出す。
そして待ちかねた怒りの矛先を、女性は言い放つ。
「やめてって言ったじゃない! デート先をアニメの聖地で選ばないでって‼︎」
(ふむふむふむふむ…ふむ……なる……ほど……)
てっきり女癖が悪いとか、金遣いが荒いとか、そういった言葉を聞いて「自分はそんなことないぜ」と心の中でマウントをとろうとしていた欣秀だったが。予想外の答えに、口を開ける。
「いっつもいっつも、どこかに出かけるたび、ここは誰と誰が戦った場所だの、あいつとこいつが出逢った場所だの、なになにちゃんが食べた料理だの………!」
「ああ。どれもこれも、感慨深いものだったろ?」
対する男性は危機感がわかっていないのか、むしろ胸を張るように応対する。
(ふむ…男のほうはどうやらバカみたいだな……)
「君のことは大好きだから、地獄のような徹夜アニメ鑑賞会にも耐えられたよ……! でも、外で遊ぶ日ぐらいは、3次元に集中してよ……!」
「ふっ、前にも言ったろ。僕はね。リアルもアニメも、どちらにも敬意を払っているのさ。」
「意味がわかんないって! 挙げ句の果てに、今日も! 県外まで旅行に来て、こんな田舎まで来て! ああ、さすがに今日はだいじょぶなんだろうな〜〜〜と思ってたら! さっきの駅で嬉々として看板撮ってる!
もしやと思って調べてみたら、案の定おもひでぽろぽろぉおおおおおお!!!」
「ああ。印象的な名作だよね。現代では考えられないような、昭和日本の人々の心情や文化を精巧に描き出しつつ、歳を経るにつれて迷いがちな人生を、忘れ去ってきた在りし日を通して見つめ直していくー」
(ふむふむ…観たことないアニメだな。今度レンタルしてみるか…)
「そのクソ長コメントも聞き飽きた‼︎」
これはこれで興味深い内容だ。最近の男女は、こういったことで大喧嘩するのか。と、欣秀は謎に感心する。
食いいって見ていると、女性がショルダーバッグをなにやら弄り始める。
(なんかこう…あれかな。展開的に、思い出の品を突き出して、これ返す! 別れましょう‼︎的な…ふむふむ)
引き出された女性の右手には、鋭利なキッチンナイフが握られていた。
(ふむ取り出したるは、鈍く光る思い出のキッチンナイフ……ふむふむぅ⁉︎)
「そんなに3次元が嫌ならさぁ…こんな世界にいなくていいよね? 一緒に消えちゃおう? そうすればさぁ、きっと好きな世界で、二人で暮らしていけるって。ね?」
(と、突然のヤンデレ‼︎)
なるほど。それがこんな人気のない山奥に、男女二人でいる理由か。欣秀は音を立てて広場に出て、なお呆けたように突っ立っている男の前に立つ。
「そんなもんしまってください! 死んでも2次元にはいけませんよ!」
「…! 誰? アンタ!」
いきなり第三者が割って入れば、動揺して矛を納めてくれると期待したが。女性はよほど怒り心頭なようで、かえって刃先を突きつけてくる。欣秀は「おぅ」と狼狽えつつ、肩越しに男にも声をかける。
「彼氏さんもホラ、謝ってくださいよ。ね! 2次元じゃなくて、3次元の女性も魅力的ですよ〜〜。」
欣秀は初めて男の顔を見る。まぁ、大層整った顔立ちだった。中性的な片目隠しの長髪が、腹の底をくすぶる。
(…なんか……助けたくなくなってきた……)
「いや。私は3次元も好きだよ。彼女らを抱くのは、とても心地がいい。」
「助けたくなくなってきた‼︎!」
もう、帰ろうか。おとなしくこのクズを女性に差し出そう。と、前に向き直った欣秀の目に、突進してくる女性が映る。
「っ!」
とっさに男を押し出しつつ、突き出されたナイフをかわす。バックパックを背負っているせいで、多少よろめいた。
「なに? あんた盗み聴きしてたの? …はぁもうほんっと、男ってそんなんばっか。陰でちまちまちまちまと…。」
本能的に、欣秀は危機を悟る。どうやらあの刃はいま、自分にも向いているらしい。
「…もういいや……どうでもいい。もういい。どうせこんなクソ人生諦めてたし。みんなめんどくさいの、捨てちゃうよ。やっちゃえ私。」
(ああもうなんとかしてみるしかないな)
欣秀は顔を女性に向けたまま、男に呼びかける。
「アンタ、下がってて! 彼女さん、本気で怒ってますよ! ケガするよ!」
「君は怪我をしないというのかい?」
「いーーから! 下がって‼︎」
割って入ってうえで惨事を防げなかったら、自分は悪くないのになんだか罪悪感がすごい。欣秀はこの場を収めてみせると決めた。すると男は
「では……。」
と言って、草を踏み鳴らし下がっていく。そしてその音は遠ざかっていき……やがて消えた。
(……マジかい)
その場からさも当たり前のように去っていく男を、女性もまた信じられないものを見る目眺めていたが。すぐに怒りを露わにする。
「あのクソオタク……あいつもアタシを置いてくんだ……殺す…ほんとにぶっ殺す!」
あとを追おうとする女性の前に、欣秀は再び立ちはだかる。
「まったまった。認めますよ。あの男はヤバいっす。クズっす。だから、そんなんのために罪を犯すなんて、無駄だと思いません? あんなん忘れて、次のー」
「わかったような口聞くな! 説教ヅラしないで‼︎ もームカつく! ほんとにアンタも殺す!」
(泣きてー…)
正直、カッコつけようとしてしまった。その結果がこれだ。欣秀は数分前の自分を殴ってやりたかったが、もうそんなことをしている暇もなさそうである。女性は、切先が震えるほどナイフを握りしめ、こちらを睨んでいる。
未空のおかげで危ない目に遭った、青森の夜を思い出す。やはり刃物を突きつけられるのには慣れない。恐怖心が、欣秀を襲う。
(……だけど。ナマハゲと比べたら、こわかないぞ)
ここで逃げるのはカッコ悪い。ひとまず動きやすいようにと、欣秀はウエストベルトのバックルをリリースし、バックパックを地面に落とす。その時、自然と刀ケースも落ちた。
一瞬、それに気を取られた欣秀に、ナイフが降りかかる。さほど力のない女性の、武道の経験もない、大振りの軌跡。難なく、それは躱される。
(あのナイフをなんとか取り上げてやれば、落ち着くだろ)
ナイフに惑わされるな。それは体の延長上にあるのだから、腕を、体の動きをよく見ていれば、自然と次の斬撃も読める。
2度、3度と軽く下がりつつナイフを避けたところで、欣秀は意を決して女性に飛び込み、腕を抑えようとする。
「っ! イヤぁ!」
と、女性は急にナイフを返し、伸ばされた欣秀の手を切り付ける。
ナイフの軌道が急激に変わった。いや、変わったというよりは、予測不可能になっている。相手が全くの素人だからこそ、セオリーというものが通じないのだ。
よりめちゃくちゃにナイフを振りまくる女性を前に、欣秀はうろたえる。
(まずい……怖気付いた)
切り付けられた手の甲を見る。切り口は綺麗に割れ、損傷した血管から血が流れ始めている。そしてそれが熱を帯び始め、追うように痛みが脳に伝えられる。
(こんな…大したことない相手でも、下手したら死かぁ)
欣秀は唾を飲み込む。そして、大丈夫だ、大丈夫だと自分に言い聞かせた。ついこの間、より強大で、本気の殺意に晒されて、それに打ち勝ったばかりではないか。
(そうだ、あの時を思い出せ……)
あの時は、滅茶苦茶な斬撃が全て読めた。きっと今回だってできるはずだ。と、欣秀目を凝らす。
返されるナイフの角度、タイミングに規則性はないのか。女性の目はどこを意識しているか。息はいつ切れるのか。足元は払えないか。使えるものはないか……。
(…ダメだ、考えがまとまらない。…あの時みたいにできない!)
思考がとっ散らかり、入道崎のように思考が洗練されない。前にできたことができなくなっているもどかしさが、欣秀の焦りをさらに募らせる。
それを顕わすように目を泳がせていると、刀ケースが映る。
(そうだ刀! あれがあれば、ナマハゲの時みたく……ーー)
ーなれるのだろうか。刀さえ持てば、自分は強くなれるのだろうか。
たしかに、よりリーチのある武器を持てば、目の前の素人など簡単に制圧できるだろう。しかし、それは果たして強さなのだろうか。たかだか若い娘一人に刀を持って、ねじ伏せて。その行為に、自分が求める強さは在るのだろうか。
後退りしてナイフを避けながら、欣秀は惑う。
(…そうだ……刀があるから、強いんじゃダメなんだ)
“そんななかで刀を求めるなんて、ナンセンスだと思いませんか?”
脳裏に、ここ数日の言葉がよぎっていく。
(強さは……強さは、いつの時代も必要だ。でも、今は武器が必要な時代じゃない)
“個人的には、強くなるための旅。応援させていただきますよ。
頑張ってくださいね”
(ご先祖たちが創った平和な世で、必要な強さは武器じゃない。
先人たちと同じ、心の強さだ!)
欣秀は後退を止め、眼前へと迫ってくる女性を待つ。
(そう、必要なのはリーチ。脚…! でも、回し蹴りの類はダメだ…交差法で、簡単に切られる…)
「もういい加減どっかいってよ!! じゃなきゃ死んで!!」
ナイフが届く一歩手前から、女性はまたナイフを狂喜乱舞させ始める。それを見切って止めるのは至難。
(師匠が言ってたな。こういう時は、面じゃなく点で攻撃する……! 即ち!)
ナイフが届く距離の寸前。欣秀はおもむろに半身をとると、片足を胸元に引き、すぐさま足裏を向けて放つ。足刀蹴りである。
女性から見れば、映るのは欣秀のブーツ裏のみ。切り付けられる範囲は比較的少ない。とはいえ、ナイフを力任せに振っていれば、多少は欣秀のスネに血は滲むのだが。
(傷を甘んじて受けるのも強さ‼︎)
ブーツのソールの端が、女性の鳩尾にぶち当たる。女性は重苦しい声を上げ、後方へ軽く跳ね飛んだ。すぐに咳き込み始め、腹を抱えて悶えだす。
「しまった…! なんかいつも強い女性とか相手にしてたから…!」
手加減はしたつもりだったが、それでも予想以上にクリーンヒットしてしまったことに罪悪感を覚えつつ、すぐに欣秀は駆け寄る。だが痛めつけた甲斐あってか、ナイフはその手から離れていた。
手を貸そうとすると、本能的な拒否反応からか、それはすぐさま振り払われる。欣秀が地味に傷ついていると、女性の嗚咽は、しだいにわんわんと泣き始めるものに変わった。
「もーやだ〜〜‼︎ なんでみんな思い通りにならないの〜〜⁉︎」
「……えっと……男なんてホラ、星の数ほど…」
「うっさい黙って! 死ね!」
「………」
欣秀なりに命を張ったつもりだったが、その結果がこれかと、自分まで泣き出したくなる。が、上手いこと事は収まったようで、女性も悪態をつく程度には軽症で済んでいるらしい。
「もういい! 帰る‼︎」
急に泣き止み、立ち上がる女性。乙女心と秋の空なのだな、と欣秀が感心している合間にも、その乙女は広場の奥へ歩いていく。
「あっそっちじゃないですよ! 道中ながいから、私と一緒にー」
「来た道ぐらいわかるっつの! こんな時にナンパすんな! サイテー!」
「そういうつもりじゃ……」
ないのだが、近寄るわけにもいかない。それでも不安で眺めていると、巨大な岩の脇に女性は消えていった。欣秀はバックパックなどを拾い、すぐさまその跡を追ってみる。と、どうやら彼女のいうとおり、その先に道は続いているようだった。
これ以上言葉のナイフを受けたら、欣秀のライフがもたない。女性に気取られない距離を保ちながらそれを追うと、程なくして分岐路が見えてくる。立っている看板によると、女性が歩いていった方向は出口。そして他方に、垂水遺跡があるらしい。
「んん……? さっきあの人たちに会ったのが修験場……ってとこだとすると……。マジか。
こっちの出口のほうが、遺跡に遥かに近いじゃん‼︎ ピストン(往復路)だと思ってたのに〜…!」
どうやら欣秀は、二つある入り口のうち、もっとも遠い道のりを選んでしまったらしい。教えてくれなかった茶屋のおばさんを軽く憎みつつも、“まぁ旅人らしい道を通れた”と欣秀は納得する。
出口へ向かえば、あの女性に鉢合わせてしまう。どのみち遺跡を目指していたのは変わらないので、迷わず遺跡方面の道をゆくと、すぐに鍾乳洞のように、水のはたらきで生まれた奇岩怪岩が目の前に現れ始める。
えぐれた岩の中には文字が刻まれた石などが納められ、ここもまた立石寺と同じ修行の地、霊験あらたかな場であると実感できる。
そしてほどなくして、深く抉れた岩壁の中に鳥居が立つ、現世離れした空間に出る。
「ここが……垂水遺跡。」
まさに水が垂れる行程が、何百年にもわたって生み出されたであろう、細かな凹凸が目立つ洞窟。その中に建つ木製とおぼしき鳥居は、こんな山中であるにもかかわらず真っ直ぐに立っており、こちらを見下ろしている。
立石寺と違い、こちらは恐ろしいほど静か。先ほどまで大量にいた、観光客たちなど見る影もない。まさに真の”閑かさや…”である。
鳥居の建っている洞窟まで登ってみる欣秀。ここでかつての僧が修行したのか、内部は人が数人立てるほどの空間だった。
「……。」
欣秀はおもむろに正座し、刀ケースを開け、本差と脇差を取り出す。そして峰を鳥居に向け、並行に並べて置いた。
「…今まで、たくさん…何度も何度も、助けられてきたけれど。
……もう。卒業しなきゃだね。」
旅の仲間に語りかけると、欣秀は左手、右手と手をつき、それに頭を下げる。
「…………っ、ありがとうございました!」
張りあげた欣秀の声が、洞窟にこだまする。刀を通じ、鳥居へと入っていった声が、跳ね返って鳥居をまたくぐり、刀を通って欣秀の耳へ。
それはまた、長い旅を共にした相棒たちからの感謝の言葉でもあり、激励の声のように聴こえたのだった。




