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風来譚  作者: ふちのべいわき
第二章
17/18

第十六話 肩たたかるる津軽の手

青森編


※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係がありません。

 青森県


 津軽半島


 黒ずんでいたり、風化してボロボロになったいくつもの民家を脇目に、ロケットⅢは陸奥湾沿いを北上する。

「あの時とは逆だな…。」

 やや霞みがかった水平線の向こうには、下北半島の陰。半月ほど前は向こう側に居たと思うと、少しばかり不思議な気分になる。

 北海道からの出航。乗船したのは同じく津軽海峡フェリーだが、復路の到着地は青森港としていた。欣秀よしひではそこからやや西へ移動し、津軽半島に至る。

 下北半島でも十分、本州の”最果て感”はあったのだが。向こうは、一応むつ市街があったからだろうか。まだ人気があった気がする。

 津軽の地は、曇り空と合わせどこか寒々しい色の家屋たちと、切り立った海沿いの崖、それに沿って、鬱蒼と頭上から垂れる深緑を以て。欣秀を出迎えてくれた。

 時おり、工事のため舗装もされていない国道も乗り越えながら。傾斜を増していく道路をクリアし、欣秀は津軽半島の突端、龍飛たっぴ岬へと辿り着く。



「ぜぇ……はぁ。…けっこう、堪えますね、この階段は…。」

 駐車場から、『津軽海峡冬景色』の歌謡碑を過ぎると、そこそこな傾きの階段が立ちはだかる。息を切らしながらそこを上り切ると、海風が欣秀の汗を優しく拭う。


挿絵(By みてみん)


「ほんと…なんもないねぇ…。」

 下北の大間崎と比べると、凹凸が激しい地形。岬から見える景色も、1軒だけあるレストランに、先ほど苦慮して通って来た道路、灯台…。そして、北海道。

「…この風は、あそこから吹いてきてるのかな…。」

 青森市街地も観光したりして、本州に戻ってきてからまだ二日ほど。

 それなのに、もう北海道が懐かしく思えてくる。それほど、あの地での体験は忘れられないものだった。


「…いやいや、おセンチになってる場合じゃない。」

 あそこで、あらためて決意したのだ。もっと強くなると。

 まさに龍が飛び立つが如く、坂を駆け上がった先で浴びる北風は、心地いいものであるが。ここで呆けているつもりはない。

 駐車場に戻る欣秀。途中、龍飛名物の”車が通れない国道”、その名も『階段国道339号』が目に留まる。

 せっかく来たのだ、漁港まで下りて、往復して来てもいいのだが。

「………いてえ。」

 いつもの欣秀なら、好奇心に駆られて、喜んで足を動かすだろう。しかし今は二の足を踏み、代わりに苦々しい顔を浮かべるばかり。

 そしてその手は、脇腹を押さえていた。



第十六話

  肩たたかるる津軽の手



「…お?」

 シュラフの中が少しばかり熱をもっているのに気付き、欣秀は目覚める。

 テントを出てみると、野宿した十三湖高原の空には、青色が広がっている。

 昨日は相変わらず雲が厚く、霧が出る竜泊ラインの峠越えにヒヤヒヤしただけに。その天気に、思わず笑顔が綻ぶ。

「…というか、この時間でもうこの明るさなんだな…。」

 相変わらずの6時起床。しかしもうだいぶ視界は明るい。

 梅雨が明け、本格的な夏の到来。バイク乗りの季節。

 ますます口角を上げる欣秀だったが、テントを撤収しようと腰を下げると、その顔を歪ませる。

「…いつ治るんだ、これ…。」



~~



 暖かい日差しを浴びながら、国道339を南下する。

「気を張っていれば、そこまで痛くはないんだけどな…。」

 晴れ晴れとした景色とは裏腹に、目下欣秀が抱えている悩み。それは他でもない、函館で真玲まれいにつけられた傷だった。

 体が吹き飛ばされるほどの一撃を、まともに受けた脇腹。そう簡単に、その傷が癒える筈はなかった。ふとした動作で痛むのはもちろんのこと、体が重くなり、食も細くなる始末である。

 そんなコンディションであるから、欣秀のテンションはもちろん下降気味だった。

 五所川原市に入ったところで公園を見つけ、早々に休憩に入る。



「また会いましょう、ガシ!……ってなカンジで握手して。まさに青春!って感じに別れたのはいいけどさぁ…。」

 ロケットⅢを停めたのは、芦野公園という湖をたたえる自然公園だった。

 木陰に覆われた遊歩道が整備され、静かな湖面スレスレにわたされた橋は、暑くなる昼に向け良い避暑地になりそうである。

が、透明度が低く青空を鏡のように映す、どちらかといえば沼のような様相の水面は、欣秀の濁った心を表しているようで。軽くため息をつく。

「結局はさァ…。負けたってことなんだよなぁ…。けっこう、イケる!と思ったんだけどなぁ…。」

 日本最北端の地で、風に打たれて見出した渾身の一太刀も。同じく死力を尽くした真玲の前では、無力だった。結果としては笑顔で別れられたのだが、勝負に負けたという事実は、悔しくない訳がなく。

「私って…、結局、弱いんだろなぁ…。」

 自信を喪失するには、十分すぎるほどだった。


 ふと見つけた、生誕地に由来する太宰 治の銅像。

『人間失格』『斜陽』を手がけ、自殺によって、38歳でその生涯を閉じた文豪だ。

 どちらかといえば暗い印象が目立つ彼の顔は、やはり気難しい色をしている。

「ふっ…今の私も、同じような顔してんのかね…。」


〝撰ばれてあることの

        恍惚と不安と

    二つわれにあり    〟


「もっともわたしゃぁ、選ばれたもんでもないが…。」


 才能を自覚していた彼のそばは、どうにも居心地が悪い。かといってアクティブに動き回る気分でもない。

「あーあ。今日は、公園巡りでもしてみましょっかねぇ。」



~~



 五所川原市街を抜け、30分ほどバイクで南下。てきとうに地図で調べて次に訪れたのは、廻堰大溜池まわりぜきおおためいけ、別名を津軽富士見湖だった。堤防の長さ、延長4.2㎞。日本最大の長さを誇る、人造湖。

 特徴的なのは、湖面に全長300mとなる、同じく木橋としては日本最長となる三連太鼓橋『鶴の舞橋』が架かっていること。

 白いヒバ材が緩やかにアーチを描く様は、まさに翼を広げた鶴のようで。岩木山つがるふじと合わせて、なかなかの景観である。

 傷心気味の欣秀も、その光景に心を癒やされながら湖畔を散策する。タンチョウヅルが飼育されている自然公園、津軽を代表する茅葺住宅『旧川村家』、そして、広く群生している、アジサイたち。

「あの雨が、今となっちゃあ懐かしいよ。」

 十分に雨の恵みを受けたアジサイたちは、日差しを受け、淡い青紫を存分に輝かせている。その美しい姿は、純粋に美しいと思えるとともに、雨に打たれた北の大地を思い出させる。


 ひととおり湖畔を散策して、鶴の舞大橋を渡る。

 木材の上に足を下ろすたび、コトン、コトンと小気味よくなる木音が心地いい。湖畔で聞こえた、夏らしい蝉の鳴き声も遠くなり、湖上には爽やかな風が吹く。過去に、幾度となく堤防が決壊したという歴史が、嘘に思えるような静けさだった。

 橋の途中にはいくつか広い東屋が設けられており、そこで暑さを逃れることができる。

「……。」

 東屋の中は、それこそ舞ができそうなほどの広さ。欣秀は荷物を置き、漠然と滾勒勢こんろくせいの構えをとる。そして、単劈手たんへきしゅを繰り出そうとするが―

「っ!」

 脇腹の痛みが邪魔をし、不発に終わる。

「…体を動かせば治るかも、なんて。バカみたいな発想か。やっぱ。」


 いつまでも項垂れている訳にもいかない。より研鑽するために、修行をしたい。が、体の養生をせねば、それすら叶わない。

 なんとも歯がゆい状況に、欣秀はたまらず息を吐いて、その場に座り込む。

「………そろそろ昼か…。」

 あまり体を動かしていないから、空腹感もない。

 というより、夏場だからだろうか。もともと食欲がわかない。脇腹の痛みも、それを助長していた。

「…ま、いいか。飯抜いたって。食費が浮いて、かえって良いじゃないか…。」

 ふてくされるように呟いて、欣秀は大の字に木目の上へ寝転がる。

 どうせ今日は平日。しかもこんな田舎。誰か来ることもなかろう。いっそこのまま、寝てしまおうか。

 そう目を閉じていると、歩行のリズムで木音が響いてくる。

(いいや、構うもんか)

 開き直って、欣秀は狸寝入りを決め込む。


 足音は、頭上のそばで止まって。

「あれ、どうすたんだが、こったどごで寝で~。」

 独特の抑揚。津軽弁を話す、女性の声だった。

 さすがに話しかけられては、起きずにはいられまい。欣秀は目を開け、頭上を見る。

 立っていたのは、70歳ほどだろうか。皴が目立つお婆ちゃんであった。少しばかり背は曲がっているが、Tシャツにズボンと服装はカジュアルで、多少白髪も見れるが髪も染めている。

「あ…えと…。」

「変わった服だな~、おっきな荷物も! 旅人さんだが?」

「うん…はい……そうですね。」

(ああ、はいはい…いつものパターンですね)

 奇異な服装を指摘され、何をしているのか尋ねられ。旅をしていると答え、”まぁすごいですね~頑張ってください”と励まされる一連の流れ。

 もちろん、声をかけてもらえるのは嬉しい事なのだ。嬉しい事なのだが、毎度同じ説明をするのが、煩わしく感じることもある。こと、今日のような気だるい日には。

 欣秀は体も起こさぬまま、てきとうに相槌を打つ。

(変質者扱いしてくれていい…どっか行ってくれ…私は今ブルーなんだ…)

 再び、目を閉じようとする。

 と、不意に老婆が、頭上でパンと手を鳴らした。甲高い音が響き、欣秀はビクリとする。

「どうだが、聞ごえだんだが?」

「……な、なにがです?」

「なにって、白上姫の鳴ぎ声だよ。悲恋の末、こごさ身投げだって姫化げだ竜の声、こごで拍手するど聞ごえるんだよお。」

「そ、そうなんですか…。」

 どうやら鳴き龍のような逸話があるらしい。正直、知らない身にとっては、ただの拍手にしか聞こえなかったが。

「なんだ、おべねがったんだが?」

「おべね…?」

「へば、どごが具合がわりんでねんだが? お腹空いで倒れでらんでねんだが。」

「?? よ、よくわかりませんけど、とりあえず休憩をしてるだけで…。」

 同じ日本語とは思えない方言に、欣秀の頭はこんがらがる。

「ウチで何が食っていがねがい?」

「えっああ、いやいや!」

 いつもとは違うパターンに突入していた。

「いいですよそんな。私は大丈夫ですから…―ッ!?」

 さすがに体を起こし遠慮しようとすると、また、不意に脇腹が痛む。反射的にそれを庇う様を、老婆は心配げに見つめる。

「やっぱす具合がわりんじゃねか。えさ寄っていぎなよ。」

「いえ、ほんとにそんな…だいじょぶですから。」

 今は、一人になっていたい気分であった。が。

「何食いで? といってもわっきゃベズタリアンだはんで、お肉どがは用意でぎねばって。」

(ベジタリアンって言葉は、そのまんまなのか…)

 これはあれである。老人特有の、妙にアグレッシブな親切心である。断ろうとしても無駄だと思い、欣秀は根負けする。

「いえ、そんな…食べられるだけで有難いので。食べたいものなんか、考えたこともないですよ。」

 実際、貧乏旅をしていると。選択肢という選択肢は少なかった。

「あら、なんて無欲なんだびょん。」

「びょん…?」



~~



 郊外を抜け、田んぼに囲まれた集落に佇む一軒家は、お世辞にも立派とは言えない、風化した外観だった。表札には、「津久江」と書かれている。

(田舎っぽいな…)

 周りもほとんどそうであるから、見た目なんて気にするだけムダだろう、という潔さ。だいぶご高齢に見えるが、軽自動車を運転できる逞しさ。そしてそれが容認される、地方ならではの交通量のなさ。

 田舎特有のスローライフ感に戸惑いながら、欣秀はロケットⅢを玄関先に駐めさせていただく。

「ちらがってらばって、あがってあがって。」

「おじゃまします…。」

 汚れていると案内された居間だが、しっかり物は整理整頓されており、外とは違って整っている。

大木を用いたのであろう、木目が美しい大テーブルに並べられた、そこそこ上物そうなイスへと腰掛けさせられる。

「すぐ支度するはんで、のんびりすてでね。」

「ほんと、そんなに構っていただかなくていいので…。」

 と言うものの、ここまで来てそれは後の祭りだろう。

 せめて、粗相がないようにと姿勢を正す欣秀だったが、視線は無意識に動いてしまう。

 絨毯の下から覗く、破れていない畳。傷はあるけれど、がっしりした木材でできた鴨居。褪せた漆塗りのタンス、仏壇…。風化こそしているものの、往時は立派な一軒家だったことが伺える。

 ところどころに、家族写真だろうか。若い衆と笑顔で写る、老婆の写真が置いてあった。

「その写真もどんき前のものになるがなあ。みんな、街さ行ってまったはんでね。」

 他人の写真を凝視するのは、あまり礼儀のいいことではないだろう。そう思っていた欣秀は、いつの間にか盆を持って戻ってきていた老婆に、肩を揺らす。老婆はそんなことは気にせず、その目の前に二皿ほど並べた。

「つまねものだげど。どうぞ食って。」

 皿の上に載っていたのは、イカのような半透明の刺身のようなものと、シソやキノコを揚げて作られた天丼。

「おお…、ありがとうございます!」

 たしかに肉はなかったが、皿一杯に盛り付けられた米だけでも、ありがたいもの。それに野菜の天ぷらは、ベジタリアン関係なくご馳走だ。

「…これは、お魚ですか?」

 天丼の箸休めに、刺身のようなものを欣秀はつまむ。

「ああ、それはね。こんにゃぐど海苔で作ったお刺身。お口さ合うがわがねばって。」

「へぇ~~。」

 口に含んでみると、確かにイカほどの抵抗はない。が、しっかりと海苔の風味が沁み込んでいるそれは、なかなかに旨い。

「おいしいです!」

「お~えがったえがったあ。」

 欣秀が感動しているうちに、老婆はもう一皿持ってくる。その上には、トマトやブロッコリー、レタスのサラダと…。


挿絵(By みてみん)


「あれ、お肉載ってますよ?」

 茶色い、コロコロとしたいくつかの塊が盛り付けられていた。

「ああ、それはね。オカラさお肉のように料理すたもんだよ。

若ぇ子はやっぱすお肉がいっきゃ。そったものすか用意でぎねで、申す訳ねばって。」

 咀嚼してみると、焼肉風味のタレが使われているからだろうか。感触もまさに肉のそれで、思わず目を見開く。

「えっ、これ…ほんとに野菜なんですか…!?」

「はは。わんつか手加えぃば、おもへこどもでぎるのよ。」

 そりゃあ、欣秀だってまだ若者の部類である。野菜嫌いとまではいかなくとも、どちらかといえば食べて嬉しいのは肉だった。正直なところ、”ベジタリアン”と聞いて身構えていたわけだが、予想以上の美味、そして興味深い食の深みに触れて、箸が進む。

「けっこう…イイですね! 野菜!」

「それはえがった。お肉くと、やっぱす闘争心がつえぐなるのがな。

この生活始めでがら、20年経づばって。なんだがわ、なも怒らねぐなってね。」

 むしろ、野菜は最近の細くなりがちだった喉にすんなりと通り、欣秀の舌と、胃袋を無理なく潤してくれる。

 先刻は飯を抜いてもいい、とまで思っていたが、やはり体は栄養を欲していた。半ば本能的に、欣秀はがっつく。

 老婆は、仏壇にご飯を置いた後、自分のぶんを持って欣秀の隣に座る。

「…旦那さんですか?」

 仏壇の遺影には、歯を見せて笑う老夫の姿があった。

「うん。もう10年以上前になるがなあ。」

「…あとで、私もお線香あげていいですか。」

「ありがどね。はは、あの時はもぢろん、悲すくてあったげど。今はなもそったごどねじゃ。」


 手を合わせてから、老婆は箸を動かす。皿の盛り付けは、欣秀のそれより明らかに少なかった。

「…あの。すみません。今更ですが、お名前をお聞きしてもよろしいですか?」

「ああ、ごめんごめん。わっきゃ、列子れつこ

わさ続いで、どんどんわらすが生まぃるように~って名付げらぃだんだ。」

「私は、磐城いわき欣秀です。

 列子さん、あらためてありがとうございます。見ず知らずの人間に、こんな贅沢…。」

「ううん、気にすねんで。ダンナ闘病すてら時さ、きっとがっぱ地域のお世話になったんだ。だはんで、今度はわーが恩返すする番。」

 全容はわからないが、会話のフィーリングでなんとなくの内容はわかる。慣れない英会話と同じで、少々不安になりながらも言葉の意図をつかんでゆく。

「…私は、地域の人でもなんでもないのですが…。」

「いや、わ、地域のガイド始めだのよ。そごでぶっ倒れぢゃー旅人さんのお世話するのも、わの務め!」

 こう言われると、まるで物乞いの演技をするために倒れていたようで、欣秀は申し訳なくなる。

「あの、何か恩返しできることとかありませんか。」

「気にすねでいじゃ。わっきゃ、欲すがねようにすてらんだ。ベズタリアンもそうだばって、質素倹約好ぎなの。

 欲すがねごど。感謝するごど。そった生ぎ方、嬉すいんだはんで。」

「いえ! そういうわけには…!」

 前のめりになる欣秀の背中を、列子はポンと叩く。

「はは。磐城ぐんも、感謝がでぎるい子なんだねえ。」

「感謝というか…申し訳ないといいますか…。」

 決して行儀よくしていた訳ではない。ただ、ふてくされていただけなのだから。

「さっきもさ、”食いでものなんか、考えだごどね”って。

あれはきっど、自然ありのままに受げ入れで、何がもらえるごどに感謝すてらふとにすかしゃべれね台詞だよ。」

「…そうなんですかね……。」

 素性も知らない、当人ですらどうしようもないと思っている人間を、諸手で褒め称えてくれる。おばあちゃんならではの…列子の懐の広さに、欣秀は少し照れ臭くなる。叩かれた背中は、じんわりと温もりを帯びていた。


「列子ばあちゃーん。いるー?」

 鍵のかかっていない玄関がガラリと開けられ、そこから金髪の青年が顔を出す。

「おお、アキラぐん、どうすたの。」

 列子は箸を置き、アキラと呼ばれる青年に寄る。

「良いトマト手に入ったからさ。おすそ分け。是非とも食べてよ。」

(おお…標準語だ)

 様子を眺める欣秀と、青年の目が合う。てっきり、知らない顔を不審がられると思ったが。

「あっ、あのおっきなバイクお兄さんの!? すごいねーどっから来たの?」

 警戒されるどころか、興味深々だった。


~~


「へぇ~日本一周! この前は北海道! すごいね~アクティブだね!」

 欣秀より少し年上だろう、やたらとフレンドリーなアキラと共に、いただいたプチトマトに3人でかぶりつく。

「アキラぐんもバイク好ぎなもんねえ。」

「いやいや! 俺なんて全然乗らんし! そろそろあのダブロク、売ろうかなーって考えてるぐらいだし。車のが、いろいろと列子ばあちゃんの手伝いもできるしねー。」

「はは。アキラぐんにはほんと助げらぃでらね。」

 親しげに話す二人に、欣秀は尋ねる。

「あの、お二人は親戚か何かなんですか?」

「んーん、全然。俺、けっこー前にこのへん引っ越してきたんだけどさ。列子ばあちゃんがそんときからいろいろ世話焼いてくれて。そんで、たまに遊びに来てるのよ。」

「大すたごどすてねんだはんで、そったごどすねでいばって。」

「いやいや。列子ばあちゃんは、俺だけじゃなくてみんなの世話してるから。

 面白いよね~。そのお礼にさ、いろいろみんな持って来てくれるの。この机もイスも、あのタンスも、あの壁も直してもらったよね!」

 アキラは、家の中をあちこちと指さしながら説明する。

「ほんと、ありがだぇごどだよ。」

「へぇ~…。」

 列子が無欲であるのは、本当なのだろう。欣秀自身その世話に与っているのだから、それは身を以てわかる。

 その無欲さが、かえって人の善意を集めている。そしてそれを列子もまた有難がって、恩返しをして、感謝のループ…。

 田舎のコミュニティならではの相互関係は、都会育ちの欣秀にとって、どこか新鮮なものだった。


「お兄さんもさ、もうすぐ日も暮れるし。今日はばあちゃん家に泊めてもらえば?」

「いえいえ、さすがに申し訳ないです。」

「そうだなあ。えは散らがってらす…。」

 顔をしかめる列子に、欣秀もうんうんと頷く。

「んだ、竹沢温泉さんのどごに泊めでもらうがな。じぇんこ、わー払ってけるはんで。」

 ガクリ、と欣秀がコケる。結局世話になるのか。

「じぇんこ?ってもしかして…。」

「お金って意味だよ、兄さん。だいじょぶだいじょぶ。あそこの民宿、1,000円で泊まれるから。列子ばあちゃん、ここは俺が払っとくよ。」

「いや、申し訳ないですって…!」

「どうもね。そいだば、竹沢さんにはわー送っていぐはんで。」

「うん。天気悪くなってきたし、車で送ってってもらいなよ、兄さん。あ、すると、バイクにカバーかけてあげなきゃだね~。」

「あの…!」

「すたっきゃ、このトマト、竹沢さんにも分げでけでいがい?」

「うん! ぜひぜひ。俺からもよろしく言っておいて~。」

 口を挟む余地もなく、トントン拍子で話が進んでいく。

(恐るべし、INAKAコミュニケーション…!)

 恩を押し売りされている感じではないので、本当に、ただただ有難いだけなのだが。

 その純粋な有難みを、申し訳ないと思ってしまうのは。都会育ちだからなのか、日本人特有なのか。

 アキラに手伝ってもらい、ブルーシートで簀巻きのようにされたロケットⅢを置いて、欣秀は列子の車で送っていただく。



~~



「そいだば、明日の朝迎えに来るはんで。電話するはんで。ゆっくりすていってね。湯も楽すんでね。」

「ありがとうございました!」

 連れてこられた竹沢温泉とは、同じく津軽弁が達者な老婆が切り盛りする民宿だった。

 切り盛り…とはいっても大した規模ではなく、8畳の和室が襖越しに二つある家屋があるだけで、そこにこじんまりとした浴場が備え付けられただけの小さな民宿。

 アキラの言っていたとおり料金は1,000円で、二つの部屋をどちらも使っていいとのこと。

「ボランティア的な営みなのかな…。」

 採算とれるのだろうか。

 不安に思いながらも、せっかくの厚意。無下にするわけにはいかないと、荷物を放って欣秀は浴場に向かう。


 簡素な木棚が置かれた脱衣所を出ると、同じく8畳ほどの浴室が。浴槽は一つだけで、そのお湯は黒く染まっている。

「薬湯みたいなもんなのかな…?」

〝ここの温泉は大衆浴場ではありません。みんなが体を養生するに来る温泉です。

 皆の温泉だと思ってかわいがって下さい――〟

 なんて文言が、薄汚れた看板に記されている。

 鹿の湯のように、シャワーはない。欣秀は近くにあった洗面器を取り、浴槽から湯をすくって、肩からかける―

「あっっっヅッ!!」

 …鹿の湯と良い勝負な熱湯だった。

「…こりゃあ、浸かるのは無理そうだなぁ…。ほんとに大衆浴場ではないな、これは…。」

 仕方なく、洗面器に湯をすくい、少しずつ体にかけていく。

 単純に熱いからなのか、それとも成分由来なのか。手でゆっくりと摺り込むように浴びると、体が温まってくる。

「ここも…。」

 真玲につけられた傷跡にも、おそるおそる湯をかけてみる。あらためて見てみると、青い痣が浮かんでいた。

 しみるものと思っていたが。思いのほか痛みはなく、湯は馴染んでいく。むしろ、血が通っていなかったかの如く冷えていた箇所に、熱が広がっていき。痛みが、少しばかり和らいでいく気さえする。

(…思いもよらず。良い湯治ができたな…)


 大分やわらいだ痛みにホッとし、客室に戻る。日は暮れ、辺りの田んぼでは、カエルがギャーコギャーコと競い合うように鳴き始めていた。

 久しぶりに使った電気ポットで軽く食事を済ませると、久々に畳の上に布団を敷き、久方ぶりの柔らかい床の上に寝ころがる。

「…明日、ちゃんとお礼言わなくちゃな…。」

 前にも、何度か泊めていただいているが。その度に、不思議に思う。こんなに優しい人が、世の中に居ていいのだろうか。

 人の厚意が信じられないのは、都会育ちだからなのか、自分だからなのか。

 考えがまとまらぬうちに、欣秀の意識は、カエルの大合唱の中に沈んでいった。



~~



「昨日はよぐ眠れだがぇ? 顔色もわんつか良ぐなったんでねがな?」

「ええ。おかげさまでかなり元気になりました。」

 迎えに来た列子と共に、再び彼女の家に戻る。当たり前のように、欣秀の前には朝食が並べられる。白米に納豆、味噌汁、サラダ、目玉焼きだった。

「ウチはなんちゃってベズタリアンだはんで。卵は食のよ。」

「へ~。」

 ベジタリアンといえども、いろいろと加減があるらしい。

 一般家庭でよく見られる、ありふれた朝食メニュー。しかしそのありふれた食事すら、欣秀にとっては心躍るものだった。

 旅人関係なく、一人暮らしをしている者は。忙しいあまり、朝食を抜いてしまう事も多いだろう。そういった生活に慣れてしまったあとで不意に出くわす”当たり前”は、往時の生活。家族との生活を思い出す、思いもよらぬきっかけになる。

(母さんは相変わらずだろうか。久々に、姉さんに電話しようかな…)

「温泉はどうだった?」

「なかなかによかったですよ! 傷もホラ、すっかり色が良くなって!」

 と、湯の効能に感動したあまり、傷跡を見せてしまう欣秀だったが。列子は、傷のことを知らないのを忘れていた。

「あんら。ひどぇ傷だね。どうすたの? ケンカでもすたの?」

「ああ、いえ! ケンカというか…。」

「湿布貼ってける! 湿布! 服脱いで…ああ服も洗ってまろうが。替えの服持ってぎでけるはんで!」

(しまったな…)

 感謝を伝えるどころか、かえってまた世話を焼いてもらうことになってしまった。こうなったときの老人は、止まらない。欣秀は言われるがまま、差し出されたTシャツに着替えるのだった。


~~


「あら、こごも破げでら。直すてけるね。」

「ほんと、申し訳ないです…。」

 洗濯が終わった欣秀の道着を見て、今度はいくつもの破れを見つける列子。縁側に座り込み、それらを一つひとつ、裁縫で補修していく。

「ごめん、でねぐで、どうも、ってしゃべれじゃ。」

「はは、ありがとうございます。」

「その羽織は、洗わねでえがったの?」

 軒先でブラブラと揺らされる長羽織を、列子は指さす。

 もともと漆黒であったそれは、雨に打たれ、日に焼かれ、ところどころが白く染まり始めていた。

「はい。きったないかもしれないですけど。多分、洗濯機使っちゃダメな材質ですし。

 …あの汚れは、旅の勲章みたいなもんなので。残してもいいかな、って。」

「そっかそっか。えらぇえらぇ!」

 用意していただいた茶をすすりながら、欣秀は縁側で日に照らされつつ、針を動かす列子を眺める。庭では、スズメが二羽ほど鳴いていた。

「…こういう…田舎では、よくあることなんですか。こうして、人助けするのって。」

「んー? 他はおべねばって。皆いふとだはんでね。もぢろん、わりふとはいるじゃ。」

「なるほど…。」

 何を言っているかよくわからなかったが、とりあえず頷いておく。

「まぁばって、欣秀ぐんは特別だなぁ。こったらになってまでけっぱってら姿見るど、こっちもけっぱるがな!ってなるす。

 孫にも近ぇ歳だすなあ。」

「息子さんたちは、もうこの辺りにはいないんですか?」

 部屋に飾ってあった、家族写真を思い出す。

「んー、みんな都会さ行ってまったなぁ。わんつか前まで、孫一人、こっちの学校さ居だんだげどね。大阪だがに行ったっきり。顔見せねなあ。」

「……。」

 どうしているのだろうか。元気だといいのだけれど。

 そう、不意に遠くを見やる列子の目は、少しばかり細まっていた。

「よす、こったもんだびょん! 上手でねぐで、ごめんね。」

「いえいえ! とんでもないです!」


 いつの間にやら、あまりにも貧相になっていた欣秀の衣服は、列子の手により、辛うじて見られるまでに復活を遂げる。使われた糸は微妙に色が異なっており、当て布もあるが。その目立ち具合が、かえって愛情を確かめられる。

「修行すてらんだっけ? 男の子だはんで、傷はづぎものがもすれねばってさ。

おばぢゃん、あんまり痛ぇ目には遭ってほすくねなあ。」

 心配しているようで、ケガしたことを怒られるような。ひと言で表せない眼差しは。

(母さんみたいだな……でも、少し違うような…)

 父方の両親はすでに亡くなり、母は勘当同然の欣秀。祖母との触れ合いがあったなら、こういうものだったのだろうか、と考える。

「はは。心配かけちゃいますけど…。多分、まだまだ傷は絶えないかと。すみません。」

「もっと楽さ旅すても、いんでねの?」

「そういうわけには…。自分、まだまだ弱いんで。」

 脇腹に、手を当てる。

「そうは見えねばってねえ。今どぎ、一人旅なんて。つえ子だよ。」

「ありがとうございます。…もちろん! 気持ちでは負けないつもりですよ。ただ…。」

 茶をひとすすりする。妙に熱く感じる。唇が、僅かに冷えているようである。

「ただ、やっぱ気持ちだけじゃダメですよね…。」

 それこそ真玲に、”強い心を持っている”と言ってもらえたが。結局は、負けたのだ。

 北の果てまでいって、自分なりに戦術を工夫もしたし、奥の手ともいえる一太刀も会得した。…つもりだったが、やはり負けてしまった。

 次はどうすればいいのか。わからない。すっかり暗中に陥った欣秀の心は、進まねばという焦燥を抱えながらも、踏み出したところで、かえって自分の無力を知るのではないか、という恐怖とで、沈みこんでいた。

「…なんかこう、答えが欲しいんですよね。気持ちとかじゃない…、具体的な? 自分だけの強さ?って感じの…。」

 お婆ちゃんに対して、曖昧に何をわからぬことを話しているのだろうか。欣秀は我に返り、自嘲する。

「そうがあ。欣秀く、答えが欲すいのが。」

 列子の顔が、真剣に俯かれる。欣秀はその様子に、僅かに違和感を覚えた。てっきり、困惑されるとばかり思っていたのだが。

「だったら、”ジー様”さ聞いでみるがな。大丈夫! わー紹介すてけるはんで!」

「ジー…さま…?」

「ちょうど明日集まりがあるはんで、もう一泊すていぎな! 朝、まだ迎えにえぐはんでね!」

「はぁ…。」


~~


 再び寝転がることになった客室に戻り、欣秀は思案する。

「ジー…様…?」

 ジーってなんだ。

 “様“を付けるということは、偉い人なのだろうか。神様?

「ジー…じい…G…?」

(爺さん…? 黒光りするアレ…? 白い悪魔…? わからん…!)

 思えば、列子はその”ジー様”なる者のことを、かなり買っている様子だった。


〝ジー様はなんでも知ってるから!〟

〝みーんな、ジー様に助けてもらってる!〟


「…! まさか!」

 思わず、飛び起きる。

「……宗教的な…アレか…?」

 しまった、と欣秀は口を覆う。

(そういう、手口だったのか…)

 思えば、完全に気を許してしまっていた。

 以前に何度か人の世話になっているから、忘れてしまっていたのだろうか。

(世の中には、おっかない人もいるってこと…!)

 こうして甘い言葉やおもてなしで気を緩ませたところで、信者に加入させる寸法か。

 人が何を信じてようが基本ノータッチの欣秀だが、何かを押し付けられるのは御免だった。


「しまったな…ロケットⅢはあの家に置きっぱなしだし…。」

 人質を取られているようなものである。

 家から民宿までの、道は覚えている。キーは持っているし、歩いて取ってこようか。

 と、欣秀が民宿の敷地から出ようとすると。不意に声をかけられる。

「あらお客様、どぢらへ?」

 民宿女将の、老婆だった。

「ああ。列子さんの家に、忘れ物しちゃって。ちょっと取りに行こうかな、と。」

「この時間は、猪も出るす。危険だよ。わから、列子さんにお電話するべが?」

「ぐ…いえ! 大丈夫です! 大したものじゃないんで…明日、取りに行きます。」

(この民宿も、グルなのか…!?)

 退路は絶たれていた。


「もうこうなったら、怖いけど…出向いてみるしかないな。”ジー様”とやらのもとへ。」

 逃げ道がなくなってしまったのもあるが。

 もし、列子がその教祖に良いように騙されているのだとしたら。その目を覚まさせてあげたい。

 欣秀は個人情報がわかるもの、貴重品を、バックパックから、肌身離さないホルスターバッグへと移し。

 昨日とは違う、心の底がうすら寒い想いで。明日に備え、目を閉じた。



~~



「いや~まさか兄さんも興味があるとは思わなかったよ!」

「そうですね、好奇心なだけです。ほんと、興味があるだけなんで…。」

 翌日。アキラの運転で、少しばかりビルの見られる郊外部へと出かける。

(アキラさんも…グルか!)

 とことん、最初から術中にはまっていたようである。逃走経路も考えつつ、肩をこわばらせて後部座席に欣秀は座る。

(おかげさまで…だいぶ体は回復してる。万が一力づくになっても、逃げられそうだ)

「きっと欣秀ぐんの力になってけるよ、ジー様は。」

「はい。ぜひぜひ、お会いしたいです。」

(こんな良い老人を騙して…そのツラ拝んでやる!)


 一行を乗せた軽自動車は、塀に囲まれた、広めの平屋に駐車する。公民館のようだ。

(見た目は普通だな…まぁ、新興宗教の拠点はこんなもんか)

 玄関を潜ると、何人かのお婆様、お爺様と目が合う。

「あら、列子さん。いお日和で~。」

「ノリカさん、おはよう~、この間のダリア、どうもね~、たげ綺麗だわ!」

 みな顔見知りのようで、列子たちは歓談を始める。

(他にも…こんなに老人たちを騙して…!)

「あ、兄さん。面倒だけど、ここに名前書いてくれるかな。」

 アキラに促され、受付に備え付けられた名簿に名前を書く。せめてもの抵抗で、欣秀は違う漢字で記入する。

(岩木善秀…と)


 襖を開け、広い座敷の間に入れられると、比較的若い…30代ほどの女性が顔を出す。

「あら。新しいお方ですね。初めまして。」

「先生、今日もよろしくお願いします。このお兄さんは、磐城さん。列子さんに紹介されてきたんです。」

「左様でしたか。お若そうに見えますが…。変わったお召し物ですね。往時の文化を、大切にしてらっしゃる方なのですね。」

「いえいえそんな大層なもんでは。今日はよろしくお願いします。」

(こいつが教祖か…)

 アキラに紹介してもらうと、欣秀は長机が並べられた席の、一番後ろに案内される。

(べつに、着物を着てるからって世間知らずって訳じゃねーからな…! こちとら都会育ちだぞ!)

 詐欺まがいのことには慣れているんだ。とよくわからないマウントを抱きながら、席につく。

 目の前には、1台のタブレットが用意されていた。見ると、他の席にもそれぞれ用意されている。いくつか、ノートパソコンも。

(最近の宗教はこんなものを使ってるのか…効率化しやがって!)

 貸出品のようで、1台1台にステッカーで番号付けがされているタブレットを観察していると、時間になったのか他の老人たちも座敷に入ってきて、各々席に座り始める。


「皆さん! おはようございます! 今日もお集まりいただき、ありがとうございます。」

 教祖の女性がにこやかに挨拶をした後、前方に設置されていたキャスター付きの液晶パネルに、光が灯る。

(ふん、使い回しのスライドショーで講話でもするつもりか…)

「じゃあ、今日も始めましょうか。皆さんお待ちかねの…―」

(いったいどんな、しょーもない神様が出てくるのやら―)

「グー〇ル検索の使い方~!」

 ズゾゾゾゾっと欣秀がコケる。

(メチャクチャ偉大な神様だったーーー!!)


「せんせ、わっきゃこの前見へでけだ、”がぞうげんさぐ”のやり方ばもう一回覚えでよ。」

「わっきゃ地図の使い方がおべでよ。」

 老人たちが、目を輝かせて質問をし始める。

「はいはい。一つずつ、ちゃんとお答えしますからね。まずは、前回の復習から―」

 欣秀は思わず席をこっそりと立ち、後ろで見守っていたアキラのもとに寄る。

「すみませんアキラさん。”ジー様”って、もしかして…」

「ん? あー、そう。グー〇ルのことね。」

「やっぱり…! あーもうメッチャ企業名…!

 なんでそう言ってくれないんですか…! わたしゃてっきり…!」

「あはは。いやなんか、みんな頭文字のGが気に入っちゃったみたいでさ。そんでありがたがって”様”って…。

 …あ。もしかして兄さん、宗教かなんかだと勘違いしちゃってた?」

 恥ずかしくなりながら、欣秀はコクリと頷く。

「あっはっは。そりゃー申し訳なかったね。いや、変だと思ったんだよ。兄さんぐらいの歳なら、グー〇ル検索なんて知ってるだろうなーと思ったからさ。」

「すみません。てっきり、老人を騙す変な輩がいるのかと…。」

「ハハ。違う違う。これはまー、そうだね。ボランティアかな。」

 アキラは手を振って笑いながら、前で講義に励む老人たちを眺める。

「見てのとおり、ここって田舎でしょ? 少子高齢化ってやつのおかげもあって、おじいちゃんおばあちゃんは増えるばかり。

 でも、そんなところにだって文明の波はやってくる訳でさ。スマホとか、インターネットの使い方がわからないと、困っちゃう人も多いのよ。」

「なるほど…。」

「単に話題に置いてかれるだけなら、かわいいもんだけど。最近は行政もオンライン化が進んでるじゃない? 慣れないことができないってだけで、お金を受け取れないとか、権利がなくなるとか。バカみたいじゃん。」

「だから、こうやってパソコンの使い方をレクチャーしてる、と…。」

「そそ。そういうカンジ。」

 ものすごく真っ当な会であった。

 欣秀は先ほどまでの思い込みを洗いざらい流し、あらためて講義のようすを見てみる。


「みなさん…楽しそうですね。てっきり、慣れない機械なんて、すぐ投げちゃうもんだと思ってましたが。」

「俺もそう思ってたよ。でも案外、いくつになっても人間、好奇心は尽きないみたいよ~? ましてや、歳をとっても逞しく生きなきゃいけない田舎だし。みんな熱意があるみたい。

 それにさ…フフ。それこそ、その”ジー様”が、みんな気にいっちゃったみたいでさ。」

 検索エンジンの使い方を学んでいる老人たちは、教祖…ならぬ教師に手助けしてもらいながら、各々気になる単語を打ち込んでいる。

「昔、かがと行ったあの山の名前、なんだったがなあ。」

「孫にせがまぃだ、たぴおかってやづはどう作るんだべ。」

「このあいだ、若ぇ子らが話すちゃー、ぺどふぃりあってなんだびょん。」

「おばあちゃんそれ検索しちゃダメー!」

 どのような言葉を入力しても、光速で返事をくれるジー様に。みな、驚きながら、喜びながら。まるで子供のように、前のめりになって検索を続ける。

 その様子を見て、欣秀は僅かながらに不安を覚える。

「…でも、ちょっと心配です。ネットの知識に頼りきりになっちゃうんじゃないですか?」

 インターネットが確立されてから、生まれてきた子供たちに見られる傾向。”何でもネットで調べればいいじゃないか”、という考え方。

 インターネットには、嘘の情報だって多量に紛れ込んでいる。それに翻弄されてしまうのではないか、と心配になる。加えて、

「お年を召した方たち、って。ホラ、おばあちゃんの知恵袋って言うんです? ネットじゃわからないような、独特の知識も持ってるじゃないですか。それが薄れちゃうのも、なんだかな、って…。」

 欣秀の脳裏に、裁縫をしたり、野菜で肉料理を作ってくれた列子の姿が浮かぶ。


「うん。まあ、もちろんネットリテラシーの勉強もしてるよ。情報の取捨選択が大事ってことも、重々承知してる。ネットで得られる情報が、全てじゃないってことも。今の子らが、学校で教わってるようにね。

 …わかってる。言うのは簡単だよね。多分、何人かは間違った使い方しちゃう、ってこともあると思う。でもさ…。」

 アキラが、ふとスマートフォンの画面を確認する。一瞬垣間見えた壁紙には、祖父母だろうか、年老いた夫婦の写真が映っていた。

「インターネットって。いわば、昔の人たちが積み上げてきた、知識の結晶じゃない? それぞれが、人生を賭して、ようやく見つけた発見や、練り上げた技術。その図書館。

 それを一瞬で検索できちゃうのは、味気ないっていうのもわかるけどさ。…俺は、それを昔の人も望んでると思うんだよね。

 だってさ。なんで膨大な時間をかけてまで、新しい知識を生み出したのかって。そりゃ、他の人の役に立ちたいからでしょう? それなのに、後世の人が、また同じ時間を使って同じ事実を見つけたって、ムダじゃない。だったら最初から、"俺の見つけた知識を使ってくれ"って。言うと思うんだよね。」

 言われながら、欣秀は編集部員だった時代を思い出す。もちろん、裏どり調査はマストだったが。読者へ紹介する技術や知識の大元は、多くはインターネットを介して流れてきたものだった。

 “オタク”文化が広まり、時には暗い印象を持たれ、問題が起きるたびに批判されがちなインターネットだが。自覚していないだけで、享受しているもののほうが、圧倒的に多い。

「それでさ、若い世代が、上の世代の人の知識を学んで。それを発展させて、改良して、また新しいものを生み出す。それをまた次の世代が学んで…ってさ。

 きっと、そんな感じで、世界って進んでくんだよ。少しずつ。」


 もしかしたら、ネットの使い方を覚えた老人たちが、欣秀の言う”おばあちゃんの知恵袋”を、電子世界の片隅に残してくれるかもしれない。

 その人が亡くなってしまえば、霧散して、世界から忘れ去られる運命の知識を。この世に、繋ぎ留めてくれるかも。

 そう思うと、”悪くないかもな”と、欣秀は納得できた。

「それに大丈夫だよ。変なところで昔ながらっていうのかなあ。」

 アキラが、老人たちのようすをアゴで示す。

「うし、ジー様のおがげで、今年の収穫時期も決められるえんた。」

「ああ、孫が大会で優勝すた写真、ででぎだ。ありがどうごぜます、ジー様。」

 時には、大げさに手を合わせてまで。検索エンジンに、感謝を示している姿が見える。

「”様”、なんてつけてるのがその証拠。みんな、情報に感謝してるんだよね。

 みだりに使わないで、いただけることに感謝しながら使う。

 それができているうちは、大丈夫じゃないかな?なんて、思っちゃうんだよね。」

 感謝することが嬉しい。列子が言っていた言葉が、思い出される。

 彼らにとっては、情報とて、他人から与えられる恵みだった。

「……そう考えると、私らもとことん、昔の方々に助けられてるんですね。」

 実感がないだけで。生を授かる出産の智識から、健康に育ち、病を治す手段。着ている服、扱う機械の技術…。

 先人たちの積み上げてきた、あまねく知識のおかげで、私たちは今、ここに立てている。

「ね。この講座を開くまでは、思わなかったよ。そんなこと。

 ほんと、おばあちゃん達に気付かされること、多いよね。」

 不慣れな手つきで、おぼつかないテンポで。叩かれるタブレットや、キーボードの音を聴きながら。

 欣秀は、少しずつ広がっていく、人類の大図書館を眺めていた。




~~




「こぃど、こぃも。あど、このお菓子も持っていって。あ、こぃも記念にあげるじゃ。」

「ありがとうございます、ありがとうございます…! これ以上はもう、入りませんから…!」

 庭から出したロケットⅢに、荷物を積んでいるところで。欣秀の手に、列子からいくつもの餞別が渡される。間際に作ってくれたという5,6個ほどの大ぶりな握り飯に加え、即席で作れる味噌汁、チョコレートやクラッカー…。ついでに渡された、”ggrks”と描かれた謎のキーホルダー。

(意味わかって使ってんのかな…)

「うんうん、がっぱ積んでい子だ。欣秀ぐんのごど、こぃがらもよろすくねえ。」

 ロケットⅢのヘッドランプが、犬猫がされるように、列子の手で撫でられる。

 最低限の荷物を積んで、余裕があったサイドバッグやバックパックが、すでにパンパンになっていた。

「欣秀ぐん、ジー様さ答え聞がねで、えがったのがい。」

「ええ。やっぱりこういうのは、自分で見つけ出さないと。わからないんで。」

「うんうん、えらぇえらぇ!」

 バンバンと、列子に背中を強く叩かれる。

「人間、そのふとすか持ってね答えってのはあるもんだはんでね。それ見づげるのが旅だよね。」

 変わらず、叩かれた背中からは。じんわりと暖かさが広がってきた。

「はい。がんばって見つけてみます。体調も、だいぶ回復しましたし!」

 ガッツポーズをとって、欣秀はそれに応える。

「とはいっても、やっぱす、すげねえ。ほんの数日であったばって、久すぶりに若ぇ子ど話せで。楽すくてあったよ。」

「列子おばあちゃん…。」

 旦那は亡くなり。恐らく、兄弟姉妹もいないのだろう。子供たちは街へ出て、口を開く機会と言えば、”今日もがんばりましょう”と呟く独り言と、”ありがとう”と感謝を伝える、近所との交流だけで。


 列子の姿が、少しだけ小さく見えた。

「なんて、湿っぽぇごどはしゃべらねようにするべね。」

 それが、笑顔を浮かべる。精一杯で作った笑顔だと悟られないのは、長年の経験によるものか。

「辛ぇどぎはさ、あるじゃ。人生だもの。

 でもそれど同ずぐらい、い事もあるはんで。

 暗ぇ中にいるどぎは、それがどった道のりになで、どった風に転げで、明るぇどごろに出でいぐが。想像すて、げえむ感覚で楽すんで。な?」

 ロケットⅢにまたがった欣秀の肩が、また、別れを惜しむようにポンポンと叩かれる。

 その手が触れるたび、欣秀の瞳が揺らいだ。


「…おばあちゃん、また、来ますから。絶対! 来ますから!」

「うん。気付げでな。無事、またばあちゃんとご帰ってぎでおぐれ。」


 クラッチを放し、発進。

 ミラー越しに見えていた、手を振るその姿は。路地を曲がると、当たり前のように見えなくなる。

「ああ…もう……。」

 いつまで経っても、何度味わっても。

 慣れないものである。この感覚は。

「…また、帰る場所ができちゃったな…。」

 北の外れで、初めて話せた”おばあちゃん”に。

 感謝の気持ちをいっぱいにしながら、青稲ゆれる田んぼ道を、どこまでも走り抜ける。


 その景色は、その感情は。

 画面越しでは得られない。旅人だけの特権であった。




挿絵(By みてみん)

ビジュアルノベルにしたものを作ってみました↓

https://freegame-mugen.jp/adventure/game_12857.html

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