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風来譚  作者: ふちのべいわき
第一章
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第一話 黒い旅人

埼玉編


※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係がありません。

挿絵(By みてみん)






「ねえーやっぱりスクランブルスクエアに行ったほうがよかったんじゃない?」

「イヤイヤ、あそこならいつだって行けるでしょ! 見てよこの天気! 絶好のバイク日和じゃない!?」

 仰々しく空を仰ぐ僕を横目で見ながら、彼女はコンビニで買った暖かいレモンティーを傾け、喉に流し込んでいる。

「シブヤスカイだって、良い天気に行きたい場所なんだけどなぁ~…。」

 舌の上には柑橘系の香りが押し込まれたハズだけど、その顔色は不機嫌そうだ。


 とはいえ、今日は僕にとって、人生最高の日である。


 大学に入学して約1年。僕は、念願成就してお付き合いさせていただくコトになった彼女と、今日! じつに! 3度目のデートを敢行するに至っている!!

 そう、彼女ですよカ・ノ・ジョ! 人生で初めてだそんなん手に入れたの!

 栗色の腰まで伸びたサラッサラのストレートヘアからつながる、細長い脚の曲線美! スッと整った鼻に、リンゴのように赤い唇…! ああっ、そんな切れ長の瞳で流し目をされたら、もう…たまりませんよ!!


「なにジッと見てんの…? キモい…。」

「あっ、ご、ごめん…。」

 あまりにも綺麗だから、平々凡々な僕とのギャップに、時折悩まされるのがキズだけど…。友達からは、「おまえ絶対遊ばれてるw」って言われるし…。でも、あの冬休み前の一世一代の告白は、絶対上手くいったと思うんだよなぁ…。


~~~


〝絶対幸せにするんで、僕と付き合ってください!〟

〝えっ! メッチャ安泰そう! とりあえずいいよ!〟


~~~


「即答だったな…えへへ…。」

「なにニヤけてんの…? ヤバ…。」

 彼女の眉が不快感を示す形に寄ってきたので、慌てて視線を移し、彼女と僕の間にある1台のマシンに視線を移すことにした。


 そう、なんで今日が人生最高の日なのか。それは彼女に加えて、コイツが傍らにいるからである。

「ニンジャ400R…。」

 日本が誇る4大バイクメーカーが一つ、カワサキのスポーツバイク。鎧のようにまとっている、風を切るカウルがカッコいい! ガ〇ダムみたいな二つ目がカッコいい! 目立ち度バツグンのライムグリーンペイント…カッコいい!


 …ついに、ついに自分のバイクを手に入れられたんだ…! 高校の終わりごろから頑張ったバイトと、学生ローンで買った念願のマイバイク。今日は、それで彼女と初タンデムをする日だったのだ。

「いくらでも見ていられるよ~、やっぱレンタルと違って愛着が湧くなぁ~!」

「車を買ってもらったほうが、よっぽど助かったんだけどね~。」

 しゃがみこんでエンジンやタイヤまわりを眺めている僕の背中に、愛しの彼女は非情な声をかけてくる。でもこれだけは譲れない!

「なに言ってんの! バイクはロマンだよ! 若いうちわね、便利さよりロマンを追い求めるモノなんだよ!」

「ロマンね…。それで食ってけるんならいーけどさぁ…。」

「ちょっとぉ、僕らまだ大学生だよ? チサトちゃんマジメすぎるって…。」

 半笑い気味に声を投げかけてみるけど、彼女はそっぽを向いて、いかにも〝来てソンした〟とばかりにため息をついている。

 …やらかしちゃったかなぁ。


「だいたいさァ、そのロマンだって、もうちょっとお金かければ、新型が買えたんでしょ?

 それなのにアタシ用の服だのヘルメットのだのも買ってさ、計画性がなさすぎんのよアンタは。」

「え~だってそれは…。……チサトちゃんと一緒に乗ったほうが、面白いと思ったから…。」

 語気を強める彼女についつい俯きがちになって、消え入るような声で答えてしまう。

 そうだよなぁ…。僕ばっかりテンションが上がってたのかも。さっきコンビニに着いて感想を聞いた時だって、「チークがヘルメットについて落ちちゃった」って不満そうだったし…。

 もしかして僕って、自分勝手な男ってヤツ…?


 頭を上げ、冷え切った表情であろう彼女を覗き込んでみる。と、そこには予想に反して、目を開いてこちらを見てくれている顔があった。

 それから目を伏せて、今度はふっと短くため息をついて。

「もう、いいよ。それよりその…、せい、てん…? なんちゃらってとこに早く連れてってよ。」

「あ、うん…。」

 よくわからないけど、デートは続行してもらえるらしい。相棒のニンジャが、トトトトト…と軽快な二気筒音を奏で始めた。




 小江戸で有名な埼玉県・川越から北上して、荒川にぶつかったら少しずつ西へ進む。

辺り一面には畑が敷かれているけれど、まだ3月のそれらには何も植えられてない。ただただ土の茶色と空の青が続くばかりで、この時期だからわかっちゃいたけど、殺風景な景色だった。

「ちょっと~、けっこう寒いんだけどー!」

 おまけにここら辺は『吹上』なんて地名があるほど風が強い場所だから、パッセンジャーの不満は募るばかりのようである。

「ゴメンゴメン、もうちょっとだから!」

 風に煽られ転ばないように注意しながら、信号の少ない田舎道を快走する。向かい風だろうと二人乗りだろうと、400㏄のエンジンはグングン進んでくれて、頼もしい。そりゃあ、新型と比べれば馬力諸々は及ばないけど…。

 この旧型にしかないアップライトなハンドルは、後ろに人が乗っていても扱いやすいなぁ…。


「ホント、乗れば乗るほど好きになっちゃう…。」

 さっきの反省はどこへやら、彼女そっちのけでバイクに惚気ていると。視界が畑から一転して、農家と木々で埋まってくる。風は遮られるけど、道は細くなっていよいよ田舎道ってカンジになってきた。

〝なんもないんだけど…〟なんてため息が後ろから聞こえてきそうなあたりで、木々の間からキラリと金色に光るものが見える。。

「あった! あれだよあれ!」


 まったくもって、こののどかな農村に相応しくない建造物が、そこにはあった。

 2mぐらいの真っ白な長い塀で囲われた敷地。それが途切れる正面には、綺麗に切り取られた石柱の上に、いくつもの黄金の瓦が載せられた門がそびえ立っている。その黄金瓦のまわりには赤青緑と目が忙しい装飾が施されていて、竜を象った像までもが何体も飾られていた。

「スゴーイ。こんな場所にエライもんがあるじゃない…。これが…えっと?」

聖天宮せいてんきゅうだよ。」

 埼玉出身埼玉育ちの僕だけど、知人に台湾のお寺があると聞くまで、こんなものがあるなんて知らなかった。


 門の脇に何台かバイクが停められていたので、そこにニンジャを停車させることにする。

 うんうん、YZFに、CB400SF、これはST…じゃなくて250TRかな? おお、ハヤブサもある~!

 〝みんなカッコいいなぁ〟と横目に眺めていくと。その端に、異様な雰囲気の黒い塊があるのが目に留まった。ニンジャを停めて、チサトちゃんが髪を整えている間にそれに近寄ってみる。


「なんだ…この……バイク…?」

 何が異様だったのか。一言で言わせてもらうと、デカすぎる。アメリカンタイプ…に見えるそれの全長は2mをゆうに超えていて、幅も太い。タンク、タイヤ、ラジエーター…何からなにまで、規格外のデカさだった。

 その巨躯はハーレーを彷彿とさせるけど、それとはまた異質なカンジ。ハーレーはどちらかといえば荷物入れのラゲッジが付属してデカくなっている形だけど、この車体は基礎というか、本体そのものが巨大ってカンジがする。その核たる重厚なエンジンから伸びた、銀に光る3本のエキゾーストパイプが、メタリックブラックの車体によく映えていた。

「ロケット…すりー……?」

 サイドカバーに刻まれた文字を見るに、そんな名前のようだ。知らないなぁ…。


「重くて高そうなバイクだねぇ。」

 未知の機体に見入っていると、身支度を整えたチサトちゃんが声をかけてきた。

「デカいだけで、実用性皆無ってカンジ。そういうの乗るのって、定年退職後の、暇を持て余した恰幅のいいおっさんが相場ってところよね。さ、早く入ってみよー。」

「うん…。」

 なんだろう。リヤ部に積まれたキャンプバッグやサイドバッグの膨らみからは、そんな〝気楽な〟人が乗っている雰囲気はしない。

 地面を傍観して主人を待っている丸目二灯を肩越しに見ながら、入場口である門へと向かった。



挿絵(By みてみん)


「うわぁ~! ナニコレ!」

 門の先は石畳が敷かれた広大な空間になっていて、その先には入場口よりさらに巨大な門がそびえ立っていた。25mプールが余裕で入りそうな幅の門の瓦は、当然の如く金で、その集合体がこちらは3段重ねになっている。それを支える石柱や石壁も彫像が彫られまくってて、さらにその両脇は多角形の鐘楼が囲む…と、とんでもないラインナップだった。

「沖縄の首里城みたいだね。」

 映画に出てきそう…とチサトちゃんに声をかけてみたけど、意外にも彼女はスマホを握り嬉々として写真を撮っていた。

 一緒に感動を分かち合ってくれる余裕はなさそうである。…ま、楽しんでくれてるならいっか…。


 機嫌を取り戻してくれたと胸を撫でおろしていると、「よろしければ、ガイドしましょうか?」と名札を提げたおじさんが横から提案してくれる。

「あ、ぜひぜひ。お願いします。

 えっと…なんで台湾のお寺が、この埼玉にあるんですか?」

「ここはですね、康國典こうこくてん大法師様という台湾の方が建てた場所なんです。あるとき法師は不治の大病を患ったそうなのですが、三清道祖さんせいどうそ様とご縁をもたれたことをきっかけに病を克服なさいまして。

 法師はなんとかそのご恩に報いたいとお宮を建てることにしたそうなのですが、その折に〝日本の坂戸に建てなさい〟というお告げを受けたことから、ここでこの姿が拝めるようになったというわけなんですよ。」

「へぇ~~。」

 なんでわざわざ海の向こうに建てろってお告げが…? よくわからないけど、なんだか神秘的な紆余曲折があって、台湾のお寺が日本に来てくれたってことらしい。

「ちなみにお寺ではなく、正しくは道観どうかんといいます。建材も建築士も、ほぼすべて本場台湾・中国のもの。15年かけて完成したのは1995年と、割と最近のものなんですよ。」

「ほー。」

 たしかに、建物はピカピカで比較的新しげだなぁ。

「あー! だからあそこでカンフーしてる人もいるんですね!」

 相槌を打っていると、満足のいく写真を撮れたのか、チサトちゃんが笑顔で会話に混ざってきた。


「カンフー?」

「ホラ、あそこでやってるじゃない!」

 彼女の指さした方を見てみると、たしかに門の下で、黒い服装の人物が体を動かしまくっているのがわかる。門が巨大すぎて、人がいることに気が付かなかった。

「たしかに…なんか空手とかとは違うっぽいね。」

 詳しくはないけど、腕が鞭のように曲線を描いて叩きつけられたり、風車のように振り回されている。あんな動きは見たことがない。なんかの運動なのかな?

「このお寺…じゃなくて道観には、武術サークルみたいなのもあるんですか? カッコいー。」

「いえ、そのような方はいらっしゃらない筈ですが…。たまに、健康太極拳を練習されてる方がいるぐらいで。」

 え、じゃああの人誰なの…。ガイドのおじさんも、ちょっと訝し気な表情になり始めた。

「あ。わかった。アレじゃない? "くねくね"ってやつ。コワ~! 目合わさないどこ!」

 チサトちゃんが茶化す。

「まぁ、お気になさらず。ささ、あの前殿の先にも、見どころがいっぱいですよ!」

「はぁ…。」

 言われるがまま、目の前にそびえ立つ門をくぐる。その時一瞬だけ、カンフーをしている人と目が合った…気がした。


 正門だと思っていた建造物は前殿といわれる屋根付きの空間だったみたいで、その中にも朱塗りの柱や金の彫像など、豪華絢爛な物が多く陳列されていた。

「これは観音山で採れた5mもの一本岩を、まるごと彫り抜いて小指ほどの細さの彫刻を施した双龍柱でして…。」

「スゴーイ!」

「ここには柱や絨毯の絵や彫刻も合わせて、五千頭の竜がいるんですよ。中国において、竜は神の使いの中では最も力が強い生き物とされてまして。皇帝の時代には、無許可で建造物に竜を用いると死罪にされるほど厳格な扱いだったんです。」

「カッコイー!」

 …なんというか、ガイドさんの独壇場で参ったな。彼女を取られたみたいで、ちょっと悔しい。

 でも。神社やお寺とは違って、色彩豊かな飾りつけをふんだんに使った道観。

 日本に居ながら、本当に台湾を散歩している気分になれる。本殿にある、七色の螺旋木組み細工なんかは、圧倒的な造形美でため息モノだ。

 でも、僕にとってそれ以上にため息モノだったのは。

「ねぇ! あの六角形の塔、のぼっていーんだって! 行ってみよーよ!」

「あ、うん!」

 ガイドさんの話に一つひとつリアクションをとりながら長い髪を揺らしている、僕の彼女だった。クールな子だと思ってたのに……カワイイ…ギャップ萌え…。

「やっぱ付き合っていたいなぁ…。」

 今日のデート、こっから巻き返すぞ!と、僕はひそかに拳を握ったのだった。



 それぞれ鐘と太鼓が供えられた鐘楼と鼓楼に上ったあと、前殿の前へと戻ってくる。

「意外だった。チサトちゃんこういうの好きだったんだ。」

「ん? いや、あんま詳しくはないんだけどさ。神社とか回んのってけっこー好きなんだよね。あー、ご朱印帳もってくればよかったなー。」

「ご朱印は…ここにはあるかな…。」

 駐車場に戻る前に、振り返ってもう一度前殿を眺めてみる。

「あっいま人いないじゃん! 写真撮ろ! 写真!」

「おっいいよ!」


 しめた。こんなこともあろうかと、今日は写真部の友人からミラーレス一眼を借りて来ていたんだ。ちゃんと絞りだの露出だのも簡単に予習してきたし、ここはバッチリ良いのを撮って、いいとこ見せるぞ!

「もう少し右…、そこそこ! いいよーポーズ決めて!」

「ポーズって何よ笑わせないでよ!」

 口先では怒りながらも、彼女は笑ってくれている。素材は文句ナシ、今だ!


 シャッターボタンを押し、液晶に映った作品を見てみる。

「あれ…?」

 なんか映えない。おかしいな…彼女と前殿を真ん中に収めて、目の前で撮ってるのに。なんかこう、バランスがおかしいというか…。前殿は傾いて見えるし、彼女もなんか寸胴に見える。

「ゴメン、もっかい!」

 ともう一度撮影してみるけど、やっぱりなんか変。あれー? カメラがおかしいのかな…。

 ヤバイ。このままじゃまた機嫌を損ねちゃう…。と顔が青ざまていくのを感じていると、

「あの、よろしかったら撮りましょうか?」

「えっ」


 背後から聞こえた声に振り返ると、そこには黒い服…和服?に身を包む、少し小柄で、髪が長めの男性が立っていた。あれ…? さっきのカンフーの人…?

「ほら、急がないと人が来ちゃいますから。」

「あっは、はい…。」

 色々気にはなったけど、この際それは、いい。どうせ変な写真なら、この人に撮ってもらった方が彼女に怒られなくて済むだろう。

 促されるまま、男性にミラーレスを渡して脇に避けた。

「…なにしてるんです? ほら、あなたも彼女さんのとこに行って。」

 心底不思議そうに言われてしまった。そりゃそうだ。この人は、〝撮り手がいないとツーショットが撮れないだろう〟と気を遣って、声をかけてくれたのだろう。カップルと見なされた気持ちが嬉しい反面、自然と僕は写らない流れになっていたことに悲しくなった。


 そそくさとチサトちゃんの横に並ぶと、男性はさっきカメラを渡した位置より後退し、僕らから離れ始める。〝まさか盗まれる…?〟と思ったけど、8、10歩ほど下がったあたりで彼は中腰になり、カメラを構えた。

「ハイ、じゃー笑顔でお願いしまーす!」

 …ええ…。そんなカメラマンみたいに言われても…。チサトちゃんも困惑したようで、〝笑顔になれんわ〟という気持ちが横から伝わってくる。

「え、えぇーと―」

「ちょっと! 表情硬いですよー! 特に彼氏さんのほうー! 緊張しまくってんでしょー! 初デートですかー?

 彼女に見とれてたんですかー!? そんなんだからガイドさんに彼女とられちゃうんですよー!」

「なっ違っ…!」

「ぶっ……!」

 僕が顔を赤らませ、チサトちゃんが破顔したとき。シャッター音が、カシャリと鳴った。


「確認お願いします。」

 男性は僕らのもとに寄ってきて、カメラを返してくる。写真を確認してみると、僕とチサトちゃんがキレイに前殿の中央に収められていた。彼女のボディラインもいつも見ているとおりだし、前殿の屋根も水平。…僕の顔が情けなくなっているのだけ、納得いかないけど。

「あっキレイに撮れてるー! ありがとうございますー!」

 チサトちゃんも満足げなようで、ホッとした。

「すごい…どうやったんですか?」

「圧縮効果っていって。レンズをできる限りズームインさせると、キチッとした写真が撮れるようになりますよ。逆に広角だと、写真が歪んじゃいますから。」

 ズームするために、あんなに退がってたんだ…。


 チサトちゃんと同じぐらいの背だろうか。165㎝ぐらいの細く低い体格に、ちょっと不釣り合いな肩まで伸びた後ろの髪。そんでもって和服なんて恰好だから、てっきりズレている人というか、ぶっちゃけヤバい人なのかな、って思ったけど。

 出てきたのは、割と丁寧な言葉で解説された、写真撮影の知識だった。

「ありがとうございます…。」

 そのギャップに混乱して、感謝の言葉が小さくなってしまう。えぇっと何か話題は…あ、そうだ。

「えと、どうして知ってたんですか? …ガイドさんの…ホラ。」

「え? ああ、やっぱり気付かれてなかったんですね。

 私、ガイドさんの話が聞きたくて、あなた方の割と近くにいたんですが…。いやぁ、全然振り向いてもらえませんでしたね。どうもそちらの彼女さんに夢中だったようで…。」


 ヤバイ。本当に気付いてなかった。この異様な出で立ちの人の存在に。

 言われたとおり、チサトちゃんにかなり見入っていたみたいである。彼女を茶化すかと思いきや、意外と普通で。

「あの、さっきカンフー?してましたよね。それは制服かなんかなんですか?」

 と、良い質問をしてくれた。そうそう、それだよ聞きたかったのは。

 男性は衿が分かれた典型的な着物を着ているのだけど、下は袴ではなくズボンに見える。着物には石結びにされた帯が巻かれていて、その上からヒザまで届く長い羽織を纏っている。

 特徴的なのはそれら全てが真っ黒で、背中に成人男性一人分の幅はあろう大きなバックパックを背負っていること。おまけに手には、鎖でグルグル巻きにされた、1m半ほどの細長い革製のケースを握っていた。何者なんだこの人は。


「あ、やっぱりさっきの套路とうろ見られてました? お恥ずかしい。ええ、下はカンフーパンツですが、着物は居合用でして。この羽織はまぁ、付け合わせです。」

「へぇーすごいですね…。」

 言ってはみたものの、用語が多くてなにがすごいのかわからない…。多分チサトちゃんも、よくわからず頷いているのだろう。

 意を決して、正体を尋ねてみる。

「武術家の方ですか? それともカメラマン!」

 よく見てみると、バックパックのショルダーベルトにはミラーレス一眼がマウントされていた。

「いえいえ、カメラは趣味です。カンフーも…趣味ですね。どっちも未熟なもんですよ。」

「えっと。じゃあ、一体ナニモノ様なんでしょうか…?」

「くねくねじゃないの?」

「チサトちゃん、人外扱いはちょっと…。」

「あはは。…うーんそうですねぇ……。」

 男性は緊張感のない中性的な顔を、わざとらしく歪ませる。顎に手を当てて俯き始め、眉の下まで伸びた前髪が、その目を隠す。

 数秒後、顔が上げられて再び見えたその瞳には、〝これだ!〟という確信の光が宿っていた。

「旅人、ですかね。」


~~


「変なヒトだったね~!」

「うん…何者なんだろうねー。」

「何者…って、だから旅人って言ってたじゃない! 旅人だよ、旅人!」

「いや、そうだけどさぁ…!」

「アハハ、ヤバいね~。」

 リヤシートのチサトちゃんが、笑いで揺れているのがわかる。ヘルメットの通話機器―インカムから聞こえてくる彼女の声は、来る時よりだいぶ明るかった。おかしな旅人のおかげもあって、チサトちゃんが楽しめたようで何よりである。

「そーいえばさ、なに? アンタ、あのガイドのおっちゃんに妬いてたの?」

「なっ! それは違うって! 誤解だって!」

「ハハ、ウケるわーもう観光地とか行けないじゃん!」

「行けまくるから! も~!」

 前言撤回。やっぱりあの男の介入は、余計だった。


 快晴とはいえ3月はまだまだ寒いし、今日は日が高いうちに川越まで帰ってしまう予定。だけどその前に、一つだけ寄り道したい場所があった。

 聖天宮から北に出て、再び土一色の畑風景を5分も走っていると。その地平線の向こうに、横一直線に並ぶピンク色が見えてきた。

「見てアレ、桜!?」

「そう! 今日はアレみて帰ろーよ。」


 畑の合間に敷かれたアスファルトを辿っていくと、ピンクの群体は段々と木の形になっていく。小さく見えたそれらが目の前を覆い尽くすころには、風にゆらゆらと揺れる、かわいらしい花弁がハッキリと確認できた。

「キレイだねぇー…!」

「うん…!」

 小川沿いの土手に、いくつもの桜が立ち並んでる。『すみよし河津桜』と呼ばれるここは、いろんなとこにある千本桜ほどのスケールはないけれど。そのぶん人も少なくて、ゆったりとした時間が流れていた。


「今年初めての花見じゃない?」

「あー。そういえばそうかもね。」

 前にテレビで見たことがあるけど、河津桜は比較的咲くのが早い品種で、ソメイヨシノとかより色がピンクっぽいのが特徴らしい。いつも見ているのとは違う色あいはなんだか新鮮で、寒空で春を感じさせてくれるその姿が……よく彼女に似合っていた。

「あっ写真撮っていい? チサトちゃんの!」

「ん? …いいよー。どの木にする?」

「それにしよ、その近いの。」

 桜並木を横切る道路に近い一本を指さして、ウェストバッグからカメラを出す…前に停車させていたニンジャに手をかけ、桜の下へと押していく。

「バイクも一緒に撮んの?」

「いーじゃんいーじゃん、記念に!」

 なるべく邪魔にならないよう歩道と桜の間にバイクを置いて、その傍らにチサトちゃんを立たせる。そしたら、あとはあの人がやったように距離をとって…。

「おお…イイかも。」

 思わず、自分に才能があるのかもと思ってしまう。聖天宮のときとは打って変わって、画角には彼女とバイクと桜が、バラけずギュッと圧縮されている。

「じゃ、笑顔でお願いしまーす。」

「さっきの人かい!」

 カシャリ。

 いい感じにチサトちゃんも笑顔になってくれて、割と自信のある一枚が撮れた。これなら…、バイクが似合っている写真なら、チサトちゃんもバイク好きになってくれるかも。

「どう?」

「おーいいじゃない! カッコいいわアンタのバイクも~。」

「へへ、でしょ? でしょ?」

 今日初めてのお褒めの言葉に、頭を掻いてしまう。良かったぁなんとか楽しませられたかな。

「ね、次はさ―」

 と彼女が言いかけたとき。

「すんませーん、そこどいてもらっていいすかー。」

 と、気怠げな声が浴びせられた。


 振り返って見ると、道路と歩道の境目に、ネズミ色のジープが鎮座していた。その運転席から、サングラスをかけた30代後半くらいのおじさんが顔を出している。

 たしかに、さっきからエンジン音は聞こえていたけど…。ずっとそんなとこに居たんだ。

「あ、すみません…。この歩道に入ってくるんですか?」

「そー。花見したいんでー。」

 …マジで言ってるのか…? たしかに歩道は砂利道で車も通れそうだけど、軽自動車が許されるレベルの細さだぞ? 少ないけれど通行人もいるし、ちょっと心配になる。

「あの、見た感じこの先に駐車場もなさそうですし。止めておいた方が―」

「だいじょぶその桜の下に停めるから! 早くどいて後ろ詰まっちまうから!」

 言いながらジープは前輪を歩道に乗り込ませ、圧をかけてくる。

 これは…恐い人だな。


「素直にどかしとこーよ、メンドくさそうだし。」

 チサトちゃんも耳打ちしてくるし、不服ながらもここは従っておくことにしよう。彼女になにかあったら嫌だし…。

 わかりましたとニンジャのハンドルを握って、道路へと押し進めようとしたけれど。

「…すみません。ちょっと車下げてくれませんか? それだと出られないので…。」

 ジープの前面が歩道と道路のつなぎ目を塞いでしまっているせいで、ニンジャを出せない。

「は? そっちから出りゃいーじゃねーか。」

 ジープの男は砂利の歩道から外れ、桜の植えられたデコボコの土の上を通れと言っているけれど。バイクって、どんな路面でもホイホイと押していけるものじゃないんだよね…。

「いや、ちょっとそれはキツくて…」

「あぁもうメンドくせぇ!」

 舌打ちをするなり、男はジープから降りてドアをバンと閉める。そこそこ引き締まった褐色のふくらはぎと前腕が、アウトドアウエアの端から覗いた。

「おら俺が動かしてやるよ。」

 その恐そうな四肢が、僕のニンジャへと伸びていく。ゆっくり丁寧に、その筋肉でバイクを脱出させてくれる…なんて淡い考えは微塵も浮かばない。

 僕のニンジャが傷つけられる!

「ちょっやめてくださいよ!」

 勇気を振り絞って男の両肩を抑えるけど、男はそれをすぐに振り払って、逆に僕の胸ぐらをつかんでくる。

「うっせ邪魔ンだよ!」

 そのまま乱暴に僕を引きずり、もう片方の手で袖をつかむと、細っこい僕の体を、いとも簡単に道路に放り投げてしまった。

 全身がアスファルトに打ち付けられた瞬間、「痛い!」とも言えない衝撃に悶絶する。その刹那、

「ケイ! 危ない!!」


 ここにきてやっと名前で呼んでくれた彼女の声が、耳をつんざく。

 が、それもたちまち違う音でかき消されてしまった。

 さっきまでなんで気付かなかったんだろう。ジープとは違う、バカデカいエンジンの駆動音が、耳のすぐそばで聞こえていた。

 反射的にそちらを見ると、目の前に迫るのは黒い鉄の塊につながれた、一本のタイヤ。問題なのは、そのタイヤが回ってることで…!


〝轢かれるッッッ〟

 叩きつけられた体をすぐに起こせる筈もなく、無意味とわかっていながらもとっさに両腕で顔を覆い、目をつむる。


「死にたくなっ!!」


 情けない声は、誰にも聞かれずに済んだだろう。言うのとほぼ同時に、〝キィー"!と、ブレーキパッドが鳴く音が辺りに響いたからである。

 恐る恐る目を開けてみると、タイヤは、目と鼻の先、30㎝前で静止していた。途端に、摩擦で霧散されたゴムの香りが鼻をつく。


「生きてる…。」

 と、言葉になったかどうかわからない安堵を吐いてから、チラりと周りを見てみる。

 チサトちゃんは両手で顔を覆い、ジープの男も歯を噛みしめて顔をこわばらせている。見えないけど、辺りに居た通行人も絶句しているようで、一帯は静寂に包まれていた。風に揺れている筈の河津桜も止まって見えるような、時間の止まった世界。


 だけどその中で、一つだけ聴こえるものがあった。



 車…じゃない。かといってバイクだとしても、こんな音は聴いたことがない。二気筒の小気味良い音とも、4気筒の細やかな駆動音とも違う。〝ドルルルルルル"と、まるでシリンダーの爆発感覚がないかのような、整えられすぎた不思議なエンジンの音。上体を起こしながら、頭上で打ち鳴らされるその音の元を見てみると、そこにあったのは。

 黄色く光るハロゲンバルブの丸目二灯。

 幅のデカすぎるメタリックブラックのガソリンタンク。そ

 してシートに跨った…黒い人。

 黒いズボンに黒いブーツで包まれた脚でしっかりとアスファルトを踏みしめ、黒いヘルメットはこちらを見下ろしていた。そしてその背中からは、黒い羽織がヒラヒラと伸び、吹上の風に煽られてバタバタと舞っている。


「あ、あのときの…バイク……。」

 呆然としていると、ライダーはサイドスタンドを下ろしてバイクを停車させる。セーフティが作動して、エンジンが静まり返った。

 荷物満載の車体に足を引っかけないようにその人は降りると、システムヘルメットのチンガードを上げて、

「あれ! また会いましたねーカップルさん!」

 と、この緊張感にそぐわない気の抜ける笑顔をのぞかせた。

「あっ…! た、旅人の!」

 逆光でよく見えなかったけど、その黒い衣服はさっき見たあの着物だった。

 巨大なバイクにそぐわない小柄な旅人は、ヘルメットと指ぬきグローブを脱いで積み込んだ荷物の上に置き、背負っていた革ケースをバイクに立てかけ、「ふー」と一息つく。


「まったく危ないですよー、急に道路で後ろ受け身の練習なんかしちゃーいけないじゃないですか! 桜を見ながら、ゆ~っくり走ってたから良かったもののー…。」

 わざとらしく眉をひそめながら、冗談めかして話す旅人だったけど。周囲を見て、普通じゃない事態であることに気付いたらしい。

「えぇっと……、どういう状況で?」

 チサトちゃんはじめ周りの人々が僕の無事を確認し、ようやく時が動き出すと。ジープの男が旅人に近寄った。

「コイツらがよ、バイクどけてくんねーからこっから動けねーんだよ。」

 背中の痛みをこらえつつ、立ち上がって反論する。

「あなたがどいてくれないから、こっちが出られないんでしょーが!」

 もうこうなりゃヤケだ。こっちだって強気に言ってやる。ジープ男は、ムッとしてこちらを睨みつけてきた。

「お、おぉ…まぁまぁ。」

 そんな僕らを見比べて、旅人はどうどうと手を上下させる。

「えっと…車さん、どいてあげたらどうでしょーか。私もライダーの端くれだからわかりますけど、バイクってけっこう動かしにくいんですよ。ここは大人らしく、譲歩して―」

「んなマトモに動かせねーくせにバイクなんか乗ってんじゃねーよ! ヒトに迷惑かけるやつが道路走ってんじゃねぇ!」


 ……なんだコイツ…! もうイライラがマックスだった。見た感じバイク乗りでもないくせに、上から目線で言って…!

「たしかに、完全に乗りこなせない乗り物を公道で使うのは、迷惑かもしれません。」

 僕が口を開こうとしたそのとき、旅人が先ほどより低いトーンで話しだした。顔からは、先ほどの笑みが消えている。

「この状況にしたって、〝ここに車が入ってくるかも〟と想定できなかったその彼氏さんが悪いのかもしれません。」

「だろ? だから詫びの一つでも入れて―」

「でも、あなたはどうなんでしょう?」

「…は?」

「あなたは、迷惑をかけていないんでしょうか。」

 旅人は向き直り、正面からジープ男を見据えた。

「そのトランクに入ってるの、見た感じですが、多分デイキャンプの用品ですよね。まさかとは思いますが、それをこの桜並木の下で広げる気じゃないですよね。

 通行人がのんびりと散策を楽しむこの場で、我が物顔で酒をあおることは、どう考えたって迷惑でしょう。車、バイク云々以前に、あなた、人として成ってないんじゃないですか?」

「んだと…。」

 ジープ男は旅人に一歩詰め寄る。対して旅人は左足を一歩下げ、右肩を前に出し半身をきった。


「そりゃあ、バイクはイメージほど便利な乗り物ではないですよ。悪路に強くないし、Uターンだって難しい。なにより簡単に転ぶし。

 でも、どんなに上達した人だって、それらのリスクをゼロにすることはできないんです。それは車だって同じでしょう。

 そんな完璧な人間を求めるより、お互いに免許を持っている以上、思いやりをもって道を譲ってやるのが、上手な大人ってやつじゃないんですか。それができないあなただって、ハッキリ言ってヘタクソなのでは。」

「…てめぇ。言わせておけば何様のつもりだよ…。」

 ジープ男が拳を握りしめている。マズイ!

「酒は積んでねーよ! 飲酒運転で母ちゃんに叱られちまうだろーが!」

 え、えぇ…!?


 骨が皮から浮き出た見るからに痛そうなゲンコツが、旅人の顔面に叩きつけられようとする。その瞬間、

 〝バァン!〟

 と音を立て、旅人の右手がジープ男の額に叩きつけられていた。

「…っ! ってぇ…!」

 ジープ男のサングラスが、衝撃で無様にズレている。ゲンコツに対して、旅人のしたそれは……ジャブのような、チョップのような…、手刀っていうんだっけ? よく見えなかったけど、そんなようなものだった。

 踏み込むと同時に、下げられていた右腕が鞭のように一気にしなり、目にもとまらぬ速さでゲンコツより先に相手の顔面をとらえたのだ。聖天宮で見かけた、あの動きだ。

(強いじゃん旅人…!)

 思わず息を呑んでしまう。


「暴力を振るうなら、こっちだって抵抗しますよ。」

 若干ドヤ顔に見える旅人が台詞を吐き終わると、またジープのドアがバンと鳴った。

「アニキ、だいじょーぶかい?」

 後部座席から二人、同じく体格のよさそうな男性が出てくる。

「い! まだいたんだ…。」

 1対3なんて卑怯じゃんかよ! どうしよう、加勢に行った方がいいのかな…いやでも僕なんか…。

「ねぇお兄さん、あんま調子乗んないほうが良いよ? 今すぐ謝れば、まだ許してあげるよ?」

 ジープ男たちは旅人の三方を囲み始める…だけど、旅人は平然とした顔をしていた。

「あいにく、平謝りは社畜時代に懲りたので。」

 あ、あれはきっと大丈夫な顔だ! そーだよ見た感じ武術の達人っぽいから、チンピラ3人なんか簡単に倒せちゃうよね!

 僕は見守る(投げ出す)ことを決意する。


 囲まれてまだ間もない一瞬、旅人は足を浮かせ一気に前の相手との距離を詰め、とっさに構えられた男の腕を跳ね上げるやいなや、足を地面に叩きつけると同時に、拳を相手の腹に真っ直ぐ打ち込んだ。

「決まった!」

 思わずガッツポーズをとってしまう。

 が、直後、旅人の後ろからもう一人の男が駆け寄ってくる。「危ない」と言いそうになったけど、旅人もそれに気付いているようで。

 上体を頭ごとグイっと下げると同時に、方足を一気に後方へと振り上げる。ちょうど片足を立てた、海老反りに近いポーズの後ろ蹴りだ。

 よしっ、これで背後の敵も撃退!

 …と思ったけれど。


「ありゃ。」

 振り上げられた足は、まさかの空振り。駆け寄った男はすんでのところで体をそらして、気の抜けるような旅人の声だけが、戦場にこだました。

 途端、もう一人の男…サングラス男が片足立ちの旅人を、横から足の裏で蹴り抜く。旅人は成す術なく態勢を崩し、それを更に後ろ蹴りを避けた男が蹴り上げる。

 最後に、腹パンを入れられた男がヨロヨロの旅人の顔面にアッパーを決めると、旅人はグシャリと仰向けになってしまう。

「きゅぅ…」

「弱っ!」

 一緒に隣で見守っていたチサトちゃんが、思わず非情な声を呟く。

 うん…言っちゃあなんだけど………

 こんな展開ってアリかよ!?

 普通ここは通りすがりの助っ人が、華麗に悪党をやっつけてくれる展開でしょ!!


「さて、どーするよ。なんだかわけわからん奴に殴られまでしちゃってさー。もう詫びじゃすまないねぇええ。」

「ひええ…。」

 ジープ三人組の矛先が、僕らに向けられる。もーなんだよあの旅人ー! 火に油注いだだけじゃないか! 今日は人生最悪の日かも…。

「すすすみませんお金なら今…えーと2万ありますから御三方で分けられるとなると、一人当たりえーとロクロクロクロク…」

「待ちなさいや。」

 完全に混乱していると、聞けるはずのない旅人の声が。


 3人組含め全員でそちらを振り返ると、頬を赤くした旅人がそこには立っていた。

「まだ私は負けちゃあいませんよ? ほれ、かかってきんしゃい!」

 出せる筈のない張りのある声で、旅人は手でチョイチョイと3人組を煽っている。

「…カッコつけてんじゃねーよ、ザコ!」

 サングラス男が旅人に詰め寄り、拳を振り下ろす。脳震盪でも起きているのか、旅人は一撃目は避けられても、続くボディブローを避けられず、また地面に突っ伏してしまう。

 それから念入りにサッカーボールキックを数度叩きつけられ、旅人は土手の下へゴロゴロと転がっていってしまった。

「ぎゃーーーー………。」


「ったく…なんなんだアイツは……。で? いくら出せるって?」

「ひええすみませんすみません…。あっ、ポケットに千円入ってました! これで3人で分けられますね…。」

「おめぇさっきからなにカツアゲの取り分気にしてんだよ!」

 もう、頭の中は恐怖でグチャグチャ。恫喝してくるサングラス男を涙目で見上げると、その向こうに…黒い人影が見えた。

「あ…。」

「っ!?」


 その気配に気づいたようで、3人組は再び振り返る。

「だーーかーらーーー…。まだやられてませんってばぁ………。」

 痣を浮き上がらせ、泥で汚れたフラフラの旅人が、また立っていた。

「てめーー! いい加減に…!」

サングラス男はつかつかと旅人に詰め寄り、胸ぐらを両腕で掴む。そのまま旅人のみぞおちにヒザ蹴りをかます…と同時に、至近距離になったサングラス男の鼻に、旅人の頭突きが炸裂していた。

「~~~~っ! っかぁ…!」

「ううう…、おええ~。」

 両者ともに悶絶し合う展開になる。…なんというか、あまりにも締まらないグダグダの光景になってしまった。

「お、おいアニキ…もうメンドくせーよ。帰ろーぜ? 人も集まってきてっし、傷見られたらママに怒られちゃうしよ…。」

 僕と同じく口を開けて見ていた残り二人のチンピラが、鼻をおさえるサングラスをなだめて、ジープに乗り込んでいく。そのままこちらをチラリとも見ずに、三人組は畑の向こうへと走り去っていってしまった。



 えぇっと………、助かった……? あっそうだ旅人!

「大丈夫ですか?」

「ゲホッ…うぇ……お昼ごはん食べてなくてよかった…。」

 ひととおり嗚咽を走らせた旅人は、ふぅっとあぐらをかいてその場に座り直す。

「対多数の練習は、できなかったからなぁ…。御二方、おケガはないですか?」

「おかげさま(?)でまったくないですけど…旅人さんは絶対大丈夫じゃないですよね? ホラ、青アザだらけじゃないですか。」

「だいじょうぶですよ。関節とか、急所はだいたい無事ですから。」

 言いながら見せてくる体のアザは、たしかに二の腕やふくらはぎなどに集中していた。

「でも切り傷もありますよ。僕カットバン持ってます、あげますよ。」

「アンタ女子力高いわねー。」

 チサトちゃんに茶化されつつも、ウェストバッグから取り出したカットバンを何枚か手渡す。旅人はそれをありがたそうに両手で受け取って、

「おお…! 旅の中で誰かから物をもらうのは、これが初めてですよ…! ありがたや…。」

 …目を輝かせていた。


「旅人サン、あんた弱いんですねぇー。」

「ちょっ本人の前でそれ言う!?」

 チサトちゃんの容赦ない指摘に肝を冷やすが、旅人はハハハと笑う。

「あはは、いいんですよ。未熟なのは事実なんですから。…それに、結果的には勝ちましたからね。」

「…ええ? 勝ってました? 一方的にやられてたじゃないですか…。」

「それでも、今この場にいるのは私たちで、あの人たちは逃げ帰った。あなたたちも無事! 完全勝利じゃないですか!」

 よいしょと立ち上がると、着物に付いた汚れを払って、旅人は顔を上げる。

「…まぁ、たしかに鮮やかとはいえませんけどね…。でもどんなに無様でも、目的を果たした者が勝者なんですよ。ボロボロでも、カッコよくないですか?」

 満足げに微笑む旅人の髪を、そよ風がふわりと揺らす。

 その姿は悲惨だけど、確かに…なんともいえない風格があった。



「…さて! じゃあ私はここらへんで…。行田のゼリーフライを食べに行かねば…。」

「えっもう行っちゃうんですか?」

 旅人はそそくさとヘルメットをかぶり、巨大なバイクに跨ってしまう。

「あの、よかったらお昼とかどうですか? お礼しますよ!」

 このカッコ悪くてカッコいい奇抜な旅人が、行ってしまう。

 咄嗟に口から出た自分の言葉を聞いて、僕はこの人に、どこか惹かれていることに気付く。

「いーですよいーですよ! バイク乗りの悪口言われて、勝手にカチンときてただけですし。

 だってそうでしょ? バイクは漢のロマンなんですから!」

「ロマン……!」


 旅人はニッと腫れた顔で笑うと、バイクのイグニッションスイッチを押す。再び重低音が響き渡り、もう、何を話しかけても聞こえない状態になる。

 言葉の代わりに、合わせた人差し指と中指を振って旅人が挨拶をすると。彼の黒馬はうなりを上げ、土色の荒野を駆け出す。

 長羽織をはためかせながら、轟音はしだいに遠くなり、その陰はあっという間に小さくなっていく。

 …そして程なくして、消えてしまった。



「…変なヒトだったわねぇ。」

「うん……でもなんか、カッコよかったかも。」

「……アタシもそう思う。」

「えっ?」

 てっきりチサトちゃんは、また茶化すのかと思ってたけど。

「あ、そうそう。写真さ、一緒に撮ろーよ。」

「えっ、いいの?」

「別にいい…というか、カップルなんだから一緒に写るのがフツーじゃない?

 アンタさっきのお寺でも勝手に私だけ撮り始めてたケドさ…。もっと自分に自信持ちなよ。アタシばっか楽しませようとしなくていーから。」

「…ああ………。アハハ、たしかにそうだね。自信持たなきゃね…。でもチサトちゃんが楽しめりゃ、僕もいいかな、って思っちゃうからさ。」

 チサトちゃんはまた少し目を大きくしてから顔を下げ、ポツリと何かを呟く。

「…ま、そーいうとこが、アンタのいいところだよ。」

「ん?」

 促されるまま、記念撮影をする。今度はミラーレスじゃなくて、スマホの自撮りで。チサトちゃんと、ニンジャと一緒に。


「次は、スクランブルスクエア行こっか。」

「んー? いや、次もバイクでいっかな。」

「…いいの? まだ寒いよ? 行きたいとこがあるなら、レンタカー借りるよ?」

「バイクでいーの! 次は海! 海行ってみたいな~。」

 ニンジャの頭に両手を当て、眩しい笑顔でそうねだってくる、僕の彼女。


「…ただ、さ。バイク乗りのロマン…ってやつ? アンタも追い続けてね。妥協したら許さないから。」

「……っ、うん!!」

 今日はやっぱり、人生最高の日だ。

 笑顔をほころばせる僕らの脇を、一陣の風が吹き抜けた。



第一話

 黒い旅人


挿絵(By みてみん)

ノベルゲーム風にしたものを作ってみました↓

https://freegame-mugen.jp/adventure/game_12408.html

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