ギルおじさん
まくし立てられたユーリは唖然としていたがそういえばと俺に問い返した。
「お前のところのギルおじさんが帰ってくるって噂は本当か? メアリおばさんが大丈夫だといいけど」
ギルおじさんはメアリおばさんの夫で物心ついたときによく褒めてくれたことぐらいしか覚えていない。海外で暮らしていると聞いていたのに何で今頃帰ってくるのか?
メアリおばさんはさぞ喜ぶだろうと思ったが、気になることもある。二回目のループのときにうちの窓際から見えた人影。あれはもしかしてギルおじさんなのではないか?
もう一度確かめよう。駆け足で家に着くとメアリおばさんは洗濯物を取り込む前に小さな庭の花壇に水をやっていた。家の周囲を見回すが男の影は見当たらない。
「どうしたの血相変えて」
俺は単刀直入に攻めてみた。
「ギルおじさんは?」
メアリおばさんは怒るだろうか? ほとんどおばさんを捨てて出ていったようなおじさんだ。メアリおばさんの頬は少し引きつっているが怒りではなく信じられないという驚きと僅かながらの寂しさが覗いている。
「おじさんが帰ることなんて、ないと思っていたのに。あなたが言うのなら帰ってくるんでしょう」
ウォーデンの町は小さいから誰かの嘘でない限り、噂は本当に起こり得ることだ。ユーリはメアリおばさんを期待させてしまったことに罪悪感を覚えているようだ。その証拠に目を合わせないでいる。
メアリおばさんが洗濯物を取り込む間、俺はユーリにも頼んで家の周りの見張りを一緒にしてもらった。窓際に現れた男がギルおじさんかどうか確かめなければ。
先程のループとだいたい同じ時刻が近づいてきて俺はあくびをしているユーリを小突いて部屋に戻った。相手が逃げてしまわないように気づいていないふりをしなければ。
俺は奥のタンスに移動して窓際に目線を送った。いた。黒い影だ。あれは人ではないと本能が告げている。だが、男性か女性かを見極めるのは難しい。
ギルおじさんをイメージすれば俺よりも一回り大きく見え、メアリおばさんの女性の姿をイメージすれば長髪にも見える。その人影は風にたなびいて、外の風に吸い込まれる。
慌てて飛び出して追いかける。早い。人の足ではない。直立したまま地面を滑ってゆく。まるで幽霊。すぐに追いつけなくなった。影は森へと消えていった。
息を切らしてユーリが追いついてきた。
「ったく今日は急に走り出して、何なんだよお」
「お前見えたか? さっきの人影」答えを求めるのは少し怖いので、声が上ずって情けない。
ユーリは案の定何のことかと聞いてきた。俺にしか見えないのか。謎は深まるばかりだ。流れ星、隣町、帰ってくるはずのおじさんと、黒い人影。
「ユーリは、ここで待っててくれ」
あえて流れ星までには戻るとは言わなかった。
「ほんとに今日は何なんだよ」ユーリが怒るのも無理はないがあの影を追いかけて森に行くしかない。
どんな危険が待っているのか。下手をしたら今度は自分一人だけで死を迎えなければならない。さっきユーリと一緒に死んだときのことを思い出すと震えが止まらない。
死とは平等に訪れるものだが、何度も死ななければならないなんてことはないはずなのに。
鬱そうと木の影を落とした森に踏み入ると、カラスが悲鳴に似た声で歓迎した。日の光が遮られ足元にはキノコがたくさん生えている。
人影は木立に隠れて今しがた走ってきた俺を警戒するようにたたずんでいる。
ふと人影が霧の中へ消えた。見失ったかと辺りを見回すと、小さな小屋を見つけた。人が住んでいる気配のない廃屋だ。ここに入ったのか。
汗がひかないままドアに手をかけるとナメクジの這った跡でねばねばになった。最悪の心地で押し開けると、暗い部屋から埃と木の臭いがした。土砂が窓を破って入っていて中は、やはり人が住める状態ではない。
何も手をつけず引き返すこともできると臆病風に吹かれて今しがた開いたドアを見返すと、俺を見下ろす大きな影が覆いかぶさってきた。
「オマエガヤレ」
影が喋った。心臓が飛び上がって窓に向かって一目散に逃げた。だめだ、土砂はかきわけられそうにない。裏口から外に飛び出た。影が逃げ帰る俺を見届けている。
ふと立ち止まると、影は消えていた。森も抜けたし、もう安全かと思ったとき突然横から大男となった影が現れた。
「オマエガヤラナイナラ、オレガヤルシカナイダロゥ」
酷く怒った影は俺の首を締めるとずっと喚いている。抵抗するも力ではとても及ばない。こいつがギルおじさんなのか?
顔は真っ黒で、口のような凹凸があるだけで判別がつかないまま意識が薄れていく。
何だ流れ星じゃなくても死ぬのか。
じゃあ確かにユーリの言うとおり今夜のペルセウス座流星群は、本物の流れ星じゃないのだろう。