ここは地獄だ
俺が泥だらけのまま走り出したので、ユーリは仕方なく従ってくれる。メアリおばさんの居場所は質屋だと思ったが時間が早かったのでまだ来ていないということだった。
泥塗れで来店したので質屋はどこか心配そうな目で俺を見た。
「ころんだのかい?」
これは遊んでて汚れたんだと説明する。質屋は少し安堵した表情で今夜は流れ星が見れるよと教えてくれた。そんなことはもう知っている。
メアリおばさんは家で洗濯物を取り込んでいるところだった。俺とユーリが泥だらけの姿を見るなり笑って早く洗ってらっしゃいと井戸を指差した。心配しすぎなのだろうか。ユーリと桶で水をかけあってユーリに全てを話そうかと思案した。
「さっきから変な顔してる。気持ち悪いんだけど」
「わ、悪かった」
ユーリはため息をついて人が死ぬわけじゃあるまいしとぼやいた。
そこなんだよユーリ。人が死ぬんだ。このウォーデンの町の住人は今夜流れ星で死ぬんだ。
つぎはぎだらけのぼろぼろの服に着替える。ユーリには少しはまともな穴の空いていない俺の服を貸してやろうと奥のタンスをひっかき回して探していると、窓際に人影が見えて身震いしそうになった。
背格好は俺よりも一回り大きいおじさんに見えた。だがすぐに黒い影になって、そのまま風にたなびいて消えた。何だ今のは幽霊か? まだ日も落ちていないというのに。慌てて戸口の外へ飛び出したが先程の窓辺には人影の一つも見えない。
メアリおばさんが市場に買い物に出かけると言って身なりを整えはじめ、ベルガモットの香料をつけた。どこかでかいだことのある匂い。これは、花の甘い匂いだ。
質屋とは口に出さないが行くつもりなのだろう。小箱からお金に変えられそうなものがないか探している。メアリおばさんが市場で遊んでらっしゃいと俺たちを促した。
「晩ごはんはカボチャスープよ。予め用意しておくからね」
カボチャを並べてメアリおばさんと俺とユーリは市場へ向かった。日も落ち始めている。メアリおばさんは質屋に行くので別れた。
すっかり夕方になった市場には見覚えのある品が並んでいる。しなびたキャベツ、いびつなピーマン。光るリンゴ、真っ青なナシ。ああ、ここは地獄だ。俺はとんでもない空間に迷い込んでいる。赤い太陽が雲に追われ夜へと駆り立てられている。このままでは同じことが繰り返し起きてしまう。
このままではいけない。先程と同じ状況であることを改めて胸に留めた。てらてらと赤い光を反射している干しブドウが俺に何かを告げようとしている。干し物屋の店主が俺にさっきと同じ声をかけた。
「コリーじゃないか。またメアリおばさんのお使いか?」
「違うよ。それより今夜の流れ星、あれって無理にみんなで見なくてもいいんじゃないかな。何か嫌な予感がするんだ」
店主は怪訝そうな顔をして星は流れてくるんだから仕方ないだろと呟いた。
「メアリおばさんとは一緒に見ないのか? まあ俺が口出しすることじゃないが」
星が墜落するぐらいでは人々を動かす動機を作れないことに落胆した。メアリおばさんとユーリだけでも逃さなければ。
ユーリは俺がペルセウス座流星群のことに興味を持っていると思ったのか、興奮した様子で俺の手を引いた。
「あの草原で見に行くだろ?」
手を引っ込めつつユーリを説得した。
「今夜は危険なんだ。何か手を打たないと。この町を出るぞ」
俺はユーリの手をつかみなおして全力で走った。メアリおばさんを説得する時間はない。できることを全て試すのだ。