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午前

 私は彼-道野羽理-とある種の同質感を形成してしまい、次の日の日程を彼と送ることにした。東京を紹介してあげる、という名目だった。私は紹介なんて途方のないことはご遠慮だったけれど、どうせライブ以降は私の単独行動で、ほかに考えておいた目的などなかった。

 それに、韓国語と日本語どっちもできるガイドがただでつくと思えば、あえて断る理由もなかった。何より、―彼のソロ作は聴いてないと吐いてしまったが―彼は私の好きなバンドのメンバーではないか。

 もちろん私ごとき内向性人間はそんな客観的な得を目の当たりにしても独りを選ぶ種族なのだが、その日は何の風が吹いたのやら。


「宇宙迷子の四集アルバムはいつ出ますか?」

 電車ががたんごとん揺れる中、いきなり訊いてみた。

「青山君が戻ったら、ですね」

 青山(あおやま)流水(りゅうすい)。宇宙迷子のリーダー兼プロデューサーで、バンドの独特な音楽性の全般を担う。有名エレクトロニックバンドを導き、様々な映画音楽に参加したプロデューサーの父親と、往年のジャズ・ディーヴァだった母親の間で生まれ、なんと中学時代からニューヨークでDJとして名声を積んだ彼は、まさに「天才」という修飾が似合うミュージシャンだ。今更だが、そんな青山流水の名が電車の隣の人物の口から軽々しく出てくるところから、あ、ここ日本なんだ…、と思った。

「最近青山さんの動向をあまり見られないんですけど、何かありました?」

「あ、それが…」

 道野さんが言い迷った。そして別に隠すこともなかろうと思ったかため息をついて言った。

「引きこもりました」

 ああ。

 敏感な話題だと思ってもう訊かないでおこうと思ってたら、彼が勝手に話を進めていった。

「引きこもったというか、海外に逃避したんですよ。結婚して」

「ええ、なーんだ、いいことじゃないですか。代わりにおめでとうございます」

「代わりにありがとうございます。まあ、新婚旅行を兼ねてですけど、それ以降全然戻ろうとしなくて」

「オンラインとかで作業しないんですか?」

「しようとすればなんでもするだろうけど、そもそも連絡をあまり受けないんですよね。安藤ちゃんに訊いてみたら、彼、現地で時々レッスンとかする以外何もしてないそうで…。今まで頑張ってきたんですし、このタイミングで休ませるのもいいことだとは思うんですよ」

「ちなみにその『安藤』って方はどんな…?」

「ああ、青山君の奥さんです。もう結婚して安藤の苗字も『青山』になったはずなのに、あまり口に馴染まないな…」

「元々みなさん親しかったんですね?」

「マネージャーでしたよ。デビュー時から」

「デビュー!」

 私が激しく反応すると、彼が驚いてビクッとした。

「私、デビュー作大好きで、当時の話、聞かせてもらえますか?」

 この時、私の瞳が一番輝いた―と、いつか出くわした彼は言った。

「なら、そこを行かなきゃ」

 電車が駅に停まり、開いた扉がもうすぐ閉まろうとする瞬間、彼が突然気づいたように急いで私を起こして、ギリギリ電車から出た。もしかすると国際迷子になるところだった。


 平日の午前にも渋谷駅は騒がしかった。その日はやけに空が曇り蒸し暑かった。魅喜(ミヒ)がくれたミニ扇風機で汗を冷やしてみるが力不足だ。魅喜(ミヒ)は今朝、次のスケジュールのためにすぐ帰国した。少なくともここよりは湿度が低い(ことを願う)半島に。駅を出ても人ごみはそのままで、もう少し歩けばいいという彼の励ましのおかげで、やっとストリートの真ん中に孤高と建っているとあるビルに着いた。そこに入ってからやっと人波から少しは解放できた。

 噂のタワーレコードは、スケールから格が違うCDショップだった。そうとしか言いようがなかった。ただ単に、CDのための建物。空間が広く、CDが多い。本屋みたいに並んだ書架にCDがぎっしり積もっている光景は、ストリーミング時代の長女で、レコードを集めるなどそんなブルジョアな(?)趣味など持っていない私でさえ圧倒するものだった。トラックメーカーとして一度は訪れるべき場所とは思っていたし、そんな漠然とした義務感の負債を一つはらした点でもよい選択だった。

 彼はさっそくエレベーターに乗り、降りたとたんに慣れた足取りでCD書架に到達した。そして鼻歌まで歌いながら書架を指でなぞって、宇宙迷子のレギュラーアルバム三枚をぐいぐい取り出した。三枚ともディジブック形態の音盤で、ほかのジュエルケース音盤に比べて目立ったからもっと素早く選べた感じではあるが。

「デビューアルバムの時、ここに直接入庫しに来たの、今でも覚えてますね」

「直接ですか?」

「ここ、インディーズの聖地でもあるんですよ? その時も安藤ちゃんが契約とか全部解決してくれて、僕たちは『東京見物だー!』とはしゃいでましたね」

「確かファーストアルバムの時、年が…」

「高校一年生でした。安藤は中三で」

「えええ?!」

 伝説のデビューアルバム発売当時、彼らが高一だったのはよく知られた事実だった。が、こうやって直接聞くとやはり驚くものだ。それに初めて聞く安藤マネージャーの話はさらに驚かされて…。地方の学校バンド部で大型CDショップと入庫契約を結ぶ中学生マネージャーか…。

 宇宙迷子のCDを渡された。前面に印刷された絵はこれまで500*500ピクセルのJPGアルバムアートで常に見てきたものだったが、それが立体的に拡張したものは慣れないものだった。

「ずっしりしてますね」

「小説を同封してるもので」

「ああ、その、メンバーの方々が直接書かれた?」

「読んだことありましたか?」

「Bandcampの特典でもらったのを、友達に訳させて読みました」

「林と僕でリレーで書いたんです。このアートと、ライナーノートにある絵も全部彼女の作品で」

 へえ、と感嘆を吐いた。音楽を音だけに留めず、総合芸術として積極的に融合する試みに敬いの気持ちを持った。ただ音の側面ばかり考える私は、芸術人ではないのか? という疑心暗鬼さえ生まれる。

 三枚のアルバムに気持ちのいい支出をして、裏面に道野のサインを小さく残した。なんでそんなに小さいのか訊いた。

「残りの三人にももらわないと」

「え、三人組バンドだから、あと二人ですよね?」

「天才マネージャー、安藤美春(みはる)のサインまでがフルコースですよ」


 フルコース、か。

「メイフードさんの本名は何ですか?」

 私たちは二階のカフェに入ることでタワーレコードのフルコースを満喫しようと思った。今度はそちらからの質問だ。

「あ、すみません、まだ言ってなかったですね。徐由賢(ソ・ユヒョン)と言います」

 私が答えると、彼が「ソ・ユヒョン…、ユヒョンさん…」と小さく名前を口にして少し恥ずかしかった。

由賢(ユヒョン)さんも昨日一緒に共演した魅喜(ミヒ)さんとアルバム出した時に高校生だったんですよね?」

「え、知ってました?」

「もちろん。ヒップホップコミュニティーサイトでどれだけ話題になったか。いつも見てますし、だから出演したんですよ」

 うわあ、うれしい! ミュージシャン同士、結局みな動向を確認するために、割とあらゆる音楽を聴き入れているので知り合っている場合も多いのに、そうと知っててもうれしくなるのはしょうがない。

「道野さんはじゃあ韓国の本名があるのですか?」

「『都羽理(ド・ウリ)』だから道野羽理なんです。ま、『ド』の漢字が元々北海道の『道』じゃなくて東京都の『都』なんですが、祖父が移る際に『道』の方が使いやすいという理由で、『道野』でずっと下ってきたんです」

「へ、へえ…」

 半分以上理解できなかった。が、学生時代に歴史の時間で教わった植民地時代の内容が浮かび上がった。

 彼からこんな話を聞くのは意外だった。なんにせよ、日本のミュージシャンとして知っていたバンドのメンバーから、韓国語で在日の歴史を聞くとは想像もしなかった。

「あの、失礼だとは思うのですが、韓国人でありながら日本の名前を使うのに、拒否感とかはないのですか?」

 私が訊いた。

「ううむ、どうでしょうね」

 彼は少し考えてから答えた。

「僕はずっと日本で生きていたから、この状態が自然なんです。別に民族愛とかもありませんし。この国でずっと生きていた環境と、他国籍者として生きてきた家族の背景が、いろんな形で混じり合った状態が、そのまま僕ですから」

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