前日
ライブで熱情的に舞台をリードした道野羽理は、意外と打ち上げではぎこちなく座ってつまみを待っていた。しかもその透明なコップに入っているのは酒ではなく、なんとバナナジュースだったのだ。アルコールの代わりに糖分を選ぶその心理…。さすがにヒップスターの中のヒップスターは何かが違う。あんな草食男子みたいな姿も、彼の100の自我のうちの一つに間違いないはずだ。
「ハ、ハロー…?」
うまくもない英語で接近してみた。どうも日本語はわからないので。
「あ、こんにちは」
彼が流暢な韓国語で返事した。
「あれ、韓国語うまい…」
「そりゃー、韓国人ですから」
へえ、そうなんだ。
「あっ、す、すみません…。その、名前もあれですし、日本語で歌ってらっしゃる場面しか見てなくて…」
「あ、いえ、別にあらわにしてないですからね。かといって隠してるわけでもないですが…。あはは」
どうするんだ、この雰囲気。
日韓関係が相当気まずい中、わざわざ日本に来た理由は、友達の魅喜の公演があったからだった。現地のDJが企画した小さなヒップホップフェスタに魅喜が渉外されたのだ。その件で魅喜の所属事務所から私にディージェイングを依頼した。私にとっては最近学業に疲れて忘れた本業の音楽に対する情熱を再び想起させる機会でもあった。公演は夏休み期間にあって、どうせ入隊前の最後のお休みなんだし、このまま長く旅してこようと思った。
ライブが開かれたのは代官山のライブハウスで、割と広い空間が人でぎゅう詰めになった。
道野羽理はそのオープニングゲストで、私の実の狙いはここにあった。
彼は「宇宙迷子」という三人組バンドのメンバーで、高校時代にYouTubeで偶然聴いた彼らの音楽は、もう人生にかけてとても忘れられない衝撃だった。現地の危うくて神秘に編まれた演奏は心を繊細にくすぐり、そしてメンバー全員参加するボーカルは各自良い魅力と実力をもってキャッチ―なメロディーを駆使することで、その神秘さをなじみのあるポップの領域に再誕生させる。宇宙迷子という名のように、とある不思議な宇宙の真ん中を徘徊しつつも、まるで自分の石で迷路に飛び込んだ少年少女たちのように好奇心深くていたずらっけな感覚があった。
彼らは学校で出会って自然に共になって音楽を作り出したと言われている。特にその学校の音楽室で録音し、発売したという伝説のデビューアルバムは、到底そうだと信じられないくらい素晴らしいクオリティーを誇る。学校の部活支援費を使って、文房具屋で焼いた少量のCDがマニア層に知り渡って、果てには一時期の国民的歌手が代表にいるレーベルと契約を果たして、「スクールバンド伝説の復活」みたいなテーマで注目を浴びて一躍スターになる。
しかし、メジャー契約の前に彼らが直に作ったコンセプトアート、そして世界観小説に至るまで、「部活・インディペンデント・時期」もすべてが圧倒的だった。
今、目の前にいる彼、道野羽理は、ソウルフルでロッキングなボーカルから、リズムをもてあそぶラップに至るまで、幅広いスペクトラムのパフォーマンスの所有者である。
そんな伝説的なミュージシャンと酒場で向かい合って韓国語で(!)会話できるとは夢にも思っていなかった。
「『宇宙迷子』のファンでしたよ! 私」
「あ、はい、ありがとうございます」
「でも今日はそこで聴いたのとだいぶスタイルが違ってて驚きました。失礼ですがソロの作業があるのは知らなくて…」
「ですよね。まだサウンドクラウドに載せたミックステープくらいしかないですから…」
「え、サンクラあるんですか? 知らなかった…。あ、あの、フォローよろしいでしょうか?」
「あ、どうも、こちらこそ喜んで…」
道野はぎこちなく笑った。
「宇宙迷子では主にR&Bボーカルしてましたよね」
「初めはもともとラップだったんですよ。でもさすがにそこでもラップばかりするのは難しくて…。はは」
まだぎこちなく笑う道野。
「ラップをしてたんだろうなあ、とは思ってました。普通、ヒップホップに毒されてない人のラップってダサいじゃないですか」
「そう思いますよね!」
彼が急に興奮した。そして会心の一撃みたいな台詞を叫んだ。
「聴いたか! このワック・MCどもめ!」
テーブルの周りには日本人しかおらず、だれも聞き取れなかった。