幸せの扉
「あのぉ~」
「え?はい?」
上原遥は辺りをキョロキョロ見回しながら上の空で返事をした。
「もう少し静かなところ、行きませんか?」
僕は周りの雑音に負けないように少し大きな声で言った。
「あっ、いえ、私、このツリーの前で・・人待ちしていて」
クリスマスツリーがまた輝きだして、人々が一斉にスマートフォンを同じ方向に向けた。
「人待ちって・・・もしかして?橘・・・あきら、ですか?」
僕はMISIAの歌声に負けないように声を張り上げた。
「え?どうして?どうしてその名前・・・高橋さんが?」
彼女も大きな声でそう言った後、言葉をなくして僕の顔をじっと見つめた。
「え?うそ、うそ、うそでしょ!高橋さんが?橘・・・あきら先生・・・なの?」
彼女の瞳からボロボロ涙がこぼれ落ちて、近くにいたOLが不思議そうな表情で足を止めた。
「あのぉ、上原さん?ここじゃあれだからどこか・・・どこかお店でも・・・なにか飲みませんか?」
彼女の涙を見た僕は、慌てふためいて咄嗟に彼女の肩を抱いてその場を離れた。
「すみません、私・・・驚いちゃって、橘先生が・・・」
「いやぁ、その先生ってのは・・・」
「あっすみません、じゃあ・・・なんて?」
「ふつうに・・・高橋じゃだめ?」
「はい、わかりました!すみません、私・・・嬉しくて」
彼女は涙を拭いて嬉しそうに微笑んだ。
ふたりは近くのMarunouchi Cafe に入って席に着いた。
「なにか?飲み物でも?」
「はい・・・じゃあ、アップルジンジャースカッシュを・・・」
そう言ってライトベージュのコートを脱いでカヌレの入ったVIRONの真っ赤な袋をテーブルに置いた。
ノルディック柄のニットワンピース姿の上原遥は僕の知っているビルメンテナンスの彼女ではなく、まったくの別人の様だった。
「ごめん、驚かせちゃって・・・」
「いえ・・・私の方こそ・・・」
そう言ってアップルジンジャースカッシュにストローを差し込んだ。
「でもなんで?こんなことって・・・私、ビルメンテの仕事午後2時には終わるんです・・・」
「うん、そっか・・・」
「そのあと夜まで時間空いちゃうから・・・ネットで小説とかよく読んでいて、それで見つけたんです『桜色の涙』」を」
「夜まで?って 夜も仕事を?」
「はい、同じ・・・ビルメンテの、ひとり暮らしって結構お金もかかるし、病院とかも・・・いろいろと、だから小説読んでいるといろんなこと忘れられて、現実逃避できちゃうでしょ?」
そう言って、少し寂しい目をして笑った。
「それで感想を・・・ごめん、こんな・・・なんか期待を裏切ったみたいで」
「そんなことないです・・・正直どんな人 書いているのかなぁっていろいろ想像して、きっとめちゃくちゃ優しい人なんだろうな~って勝手に、それでどうしても作者の橘先生に逢いたくて、てっきり女性の方なんだと・・・」
そう言ってチラッと僕の顔を見た。
「あっ、すみません」
「あっいやぁ・・・」
「高橋さん・・・覚えています?前に、エントランスの床のなかなか落ちない汚れをなんとかしようとしていた時、若い社員がそれ見て言ったんですよ。きったねぇ、早くなんとかしろよ!仕事遅いんだよって。それ聞いていた高橋さん、顔真っ赤にして言ったんです・・・おまえらに、この仕事の大切さが分かんのか!他人の仕事を馬鹿にすんな!この人たちはお前らより立派な仕事してんだよ!バカヤローって」
「そんなこと・・・よく覚えてたな~」
「私たちその後、控室で大声出して泣いたんです、私たちのことちゃんと見ていて、認めてくれている人がここにはいるんだって、だからこの小説の作者が高橋さんでホント嬉しい」
彼女はそう言って美味しそうにアップルジンジャーを飲んだ。
「聞かせてください、この小説のこといろいろと・・・橘先生」
そう言って笑う上原遥の頬には涙の跡があって、頬が少し赤くなっていた。
その瞬間、僕は目の前にいる読者に心を惹かれていた。
「でも・・・なんで小説なんて?」
「そこからか・・・話すと長くなるよ」
そう言って僕も笑った。
「私、柴咲亜美さんのお母さんのことがとっても好きで、娘のためにここって時のロールキャベツ!あれ読んだ次の日はロールキャベツ作っちゃいました、私の母のローカルキャベツも美味しかったんですよ~」
彼女は本当に嬉しそうに小説の感想を話して、それを僕が頷きながら聞いていた。
「このお土産って堤さんからのラブレターじゃないのってセリフ!私も同じこと思っていたんですよ!」
「僕もあのセリフ好きなんだ、堤は自分でも気づかない内に亜美にラブレターを送っていたんだ・・・亜美もそれに気づいていた・・・」
「堤さんって高橋さん自身でしょ?あっごめんなさい」
「いいんだ、その通り、あれは僕の一部かも知れない」
「亜美さん、亡くなって・・・孤独じゃないんですか?高橋さん会社じゃ全然そんな素振り見せないけど・・・」
「確かに、孤独を埋めるためにこれ書いていたのかもなぁ・・・」
「でも、セクハラの誤解も解けてよかったですね」
「そんなことまで?知ってるんだ!」
「私たち朝早いから、なんかその人の本質みたいなの見える時もあるんです」
「そんなもんか・・・」
「あの派遣さんも、最初からちょっと変だな~って」
「も、もしかして、あの匿名のって」
「はい、私です・・・告発したの、だって見ちゃったんですもん、封筒を引き出しから抜くの、あとセクハラだって・・・私たち、高橋部長があんな女に惚れるはずない!って言っていたんです」
「惚れる、そんなこと・・・」
「だから・・・誤解が解けてホント良かったです!またこうして会えました」
「ありがとう・・・本当に助かったよ」
「今度、鎌倉・・・行ってもいいですか? 」
「えっ?」
「あっゴメンナサイ、小説の鎌倉の街ってどんな街なのかなぁって」
「僕も・・・鎌倉きてまだ2年だけど・・・小説の舞台になった場所なら一緒に回れると思う」
「ホント?ですか?」
「ぁあ、いつでも」
「それは・・・橘あきら先生として?高橋篤人さんとして?」
「・・・高橋じゃダメ?」
「いえ、高橋さんがいいです、高橋篤人さんでお願いします」
そう言って上原遥は少し顔を赤くして微笑んだ。
「わかった、待っているよ」
店を出ると日が暮れて、丸ビルのクリスマスツリーは一層輝きを放っていた。
「ごちそうさまでした、高橋さんお仕事戻るんでしょ?」
「上原さんも?」
「はい・・・じゃあまた明日」
「また明日」
「あっ!」
「なに?」
「もう、小説書かないんですか?」
「そうだな~また気が向いたら・・・」
「そうですか・・・出来たら次回作は孤独を埋めるためじゃなくて・・・自分のために」
「ぁあ、そうするよ」
「もし書いたら一番に読ませてくださいね!」
「わかった、絶対! 約束するよ」
僕たちは、MISIAの曲が流れるクリスマスツリーの前で別れた。
鎌倉にまた桜の季節がやってきて、段葛の若い桜たちは思い思いに花を咲かせていた。
その桜は行き交う人たちのコロナで弱った心を癒やしていた。
僕はそんな中、新しい小説を書きあげた、今度は孤独を埋めるものじゃなくて・・・僕の小説を待っていてくれる人のために。
「篤人~ご飯できたわよぉ」
少し伸びた髪を後ろで結んだ遥がキッチンから声をかける。
「わぁ~書き終えたぁ」
「書けたの?おつかれさま~それで?題名は?」
「『届け!ブルーモスクへ』 にしようと思うんだけど」
「ブルーモスク?」
「そぉ、マレーシアの首都クアラルンプールにある寺院なんだぁ」
「ふぅ~ん じゃあ、約束通り、私に一番に読ませてよね!」
遥はそう言ってキッチンから出来立てのロールキャベツを持ってきた。
おわり
ドロドロ難しかったよ(笑)~ありがと~