ショコラ・ショコラ9
「俺、ご飯作ります。
掃除とか、洗濯とかします。
だから、仕事の休みの日とか来ていいですか?
俺の友達になって下さい」
水野さんは箸を止めて、俺を見て、笑い出した。
「友達ですか?」
水野さんは笑いが止まらない様子だ。
あさましいと思われたのかもしれない。
金も家族もない子供が、これからも遊びに来たいと言っている。
この家で食事を作るから食べさせろと言っている。
図々しいにもほどがある。
俺は恥ずかしくなった。
顔が熱い。
すき焼きの鍋のせいじゃない。
言うんじゃなかった。
かも。
「その事なんですが、君、このままうちでアシスタントやりませんか?」
水野さんの思いがけない言葉だった。
「前も言いましたが、田舎でアシスタントを探しても見つけられないんです。
漫画家志望でもない人を拘束するのも気が引けるんですが、君の事情なら交渉の余地があると思いました。
君が泊まってる部屋に住んでもらって、家事をしてもらう代わりに大学の学費を私が出すのでどうでしょう。
生活費は私の負担。
それにアシスタントのバイト料があれば、金銭的な面では進学に問題ないでしょう?」
この家に住んで、大学に通う?
「でも、大学の学費って高いですよ?」
「そこの市立大学でしたよね。
ネットで検索しました。
あそこの学費くらいなら家政婦さんを雇う事を思えば妥当です。
むしろ安上がりです。
この数日で君の家事能力はわかりました。
君が居てくれたら快適な暮らしができそうです」
「俺、ここに住んでいいんですか?」
「この数日で同居に問題はないと思いましたよ。
お互い嫌な思いはしてないと思います」
俺は「はい」と言おうとしたが、口から出た音は「ヒャイ」だった。
水野さんは笑いながら箸を置いて、俺のそばに来て、俺の頭を抱えて彼の肩に乗せた。
彼は子供が泣いたら抱っこして撫でればいいと思ってるらしい。
彼は笑ってた。
俺は目から吹き出す水が止まらなかったけど、18歳男子をあやそうと抱っこして撫でてる水野さんがおかしくなって、笑ってしまった。
「合格発表は昨日だったみたいですが、確認しましたか?」
知りません。
どうせ合格でもいけないので、合格発表なんて見てません。
「ネットで調べられるのかな。
受験番号とか持ってますか?」
持ってません。
呆れられながら、食事が終わったら一緒におばさんの家に行く事にした。
合格してたら自宅に通知が郵送されてるんじゃないかと水野さんが言ったので。
「うちで暮らすなら、保護者の方にご挨拶はしておかないと後々面倒な事になるかもしれません。
一般的な手順は手間に思えても踏んでおいたほうが後で面倒が起きずに済むものです」
水野さんが電話して、おじさんが出たようだ。
「夜分にすみませんが、日中はお仕事でお忙しいかと思いまして」
水野さんがそう挨拶して、バイトに雇った俺が有能なのでこのまま住み込みで雇う事になったと経緯を告げた。
「つきましては、ご挨拶しておきたいですし、広太君の荷物を取りに行かせていただこうかと思います。
今からお伺いしてよろしいでしょうか?」
あの家はまだ夕食前くらいの時間だ。
水野さんとおばさんの家へ。
おばさんは嬉しそうだ。
既に玄関の外に俺の荷物の入った段ボールは置かれていた。
玄関前で嬉しそうな洋子おばさんが水野さんに愛想よく挨拶していた。
「安心しましたよ。
うちの子じゃありませんけど、今まで育てた子ですから、これからどうするのか心配で。
うちも余裕があれば居候させてやりたいところなんですけどねえ。
でもまあ、高校も出させてやって一人前になったんだから、独り立ちの頃合いでもありますしねえ」
後ろから拓也兄ちゃんも出てきた。
「住み込みのバイトが決まって良かったなあ。
そんなコネがあるなら早く言えよ。
行くアテないんじゃないかって心配したんだぞ。
こいつ、よく働くんで拾いもんですよ。
頼れる親がいないってちゃんと自覚してるんで、他人様の迷惑にならないように働こうって思ってるらしいんで。
食わせてやった分は働くのは保証しますよ。
な、母ちゃん!」
「そうそう、私が言って聞かせたわけでもないんですけど、食わせてもらう恩って物がわかってる子なんですよ」
二人は俺を褒めてくれてるようだけど、俺はそんな言い方されたくなかった。
「玄関先でやめなさい」
家の中からおじさんの声がした。
「広太がお世話になる方なんだ、家の中に入ってもらってお茶くらいお出しした方がいいんじゃないか。
どうぞ中へお入り下さい」
いえ、ここでと水野さんが辞退するがおじさんはひかなかった。
「失礼だが、私はあなたのご職業も伺ってませんし、広太がお宅で何の仕事をするのかも聞いてません。
電話番号は妻が伺ってるようですが、ご住所も存じ上げない。
子供の事です。
引き取ります、はいどうぞってわけにはいかないでしょう。
何日か泊まりでバイトするだけの事なら口を出す事もないと思いますが、この先広太がご厄介になるという事でしたら、何も聞かないわけにもいかないでしょ。
どうぞ」
洋子おばさんと拓也兄ちゃんは面倒そうな顔をした。
水野さんはごもっともですと言って、俺たちは家の中に入った。