ショコラ・ショコラ7
俺は自転車を借りて夕方一度おばさんの家に帰る事にした。
バイトの許可をもらうためと、泊まり込むなら着替えが要るから。
それまで時間があったので、台所を片付けたり猫の世話の仕方を教えてもらったりした。
漫画のアシスタントというのは、漫画家の作業が進まないと仕事があまりないものらしい。
待機してる時間も時給をくれるから漫画でも読んでればいいと水野さんは言うけど、バイト代が出るならその時間はせめて家事をしますと申し出た。
家に帰ると、1日いない間に俺の荷物はダンボール箱二つにまとめられていた。
その中から下着の替えと寝間着兼室内着の拓也兄ちゃんのお古のスウェットを取り出す。
おばさんはリフォームに浮かれて機嫌がよかった。
大おじさんの残したお金でかなり大掛かりなリフォームが出来るんだそうだ。
「リフォーム会社の人が見積もりに来る前に片付けたくてね。
泊まり込みのバイト?
いいじゃないの。
アパート借りるとしたらお金かかるからね。
あんたもう高校卒業したいい大人なんだから、保護者の許可なんて気にしなくていいのにねえ。
行ってらっしゃい。
バイトもいいけど、就職先も早く見つけるのよ。
頑張ってね」
夕方の台所。
惣菜のトンカツが3枚あった。
おじさんとおばさんと拓也兄ちゃんの分だろう。
この家で、ご飯を作らない俺には、食べるご飯はない。
何の連絡もしなかった俺の夕食はそもそもないので、食べて行くかと聞かれる事もなかった。
おばさんはこのままダンボール二つ持って俺に消えてもらいたそうだった。
俺もそうしたかったけど、水野さんの家にダンボール二つ持っていくのはまるで「ずっとこの家に置いて欲しがってる見たい」に見えそうで恥ずかしくてできなかった。
水野さんの家に戻ると、モロタがすり寄ってくる。
モロタのまだらに茶色の柄はサビと言うんだそうだ。
猫と暮らした事はないけど、こんなにすり寄って来られると悪い気はしない。
灰色の毛並みが銀色に見えるコウタは姿を見た事はあるけど、俺を見かけると逃げてしまう。
ただいま、と水野さんに声をかける。
おばさんの許可が出た報告。
3.4日の間お世話になります。
「今日の夕食もカレーの予定ですが、台所にあるもので味噌汁と卵焼き作れますか?」
カレーに味噌汁?
飲みたいならそれくらい作れるけど。
「私はそのつもりでいたからいいんだけど、毎食カレーじゃ美味しくないでしょう。
それに私は足りるけど君くらいの歳の子には足りないんじゃないかな」
足りないわけじゃないですけど、気にしてもらえたのが嬉しくて味噌汁と卵焼きも作った。
食材は好きに使っていいと言われたので大根でサラダも作った。
前の日から3回目のカレーだけど、美味しかった。
水野さんが一人で一週間かけて食べる予定だったというカレーは二人で食べてたら三日で無くなったので、食事の支度は俺がした。
ハンバーグを作った時に、ずいぶん喜ばれた。
家で作るハンバーグが食べたいと思っていたけど、作るのが面倒で食べられずにいたんだそうだ。
「店で出てくるのは家で作るのとちょっと違いますよね」
そう言われても、よくわからない。
自由になる小遣いのあまりない俺は外で食事した事があまりないから。
喜んでもらえてよかった。
漫画の仕事は素人の俺にできる事はあまり多くなかったので、水周りの掃除をした。
風呂とトイレとシンク。
そんなに無理をしなくていいと言われたが、おばさんの家では普通にやってた掃除だと答えた。
この家は、失礼だけど掃除のしがいがある。
水野さんは掃除をしない人のようだ。
掃除用品や洗剤の在り処を聞いたら、領収書をもらって適当に買ってきてほしいとお金を渡された。
家一軒の掃除というのはやり始めたら時間がいくらあっても足りないものだ。
俺は罪悪感なく時給をもらえるだけの掃除をした。
水野さんが謎のお金持ちで、俺を拾ってくれたらいいのに。
俺は水野さんに聞いてみた。
「ショコラは謎のお金持ちに出会わなかったらどうなってたんでしょうね」
「あの漫画、最後まで読んだんですか?」
はいと答えると、彼は言った。
「ショコラは他にも色んな人と出会ったじゃないですか。
その人に出会っただけで人生が変わる出会いはあると思いますよ。
でも人生で出会うのは一人だけじゃない。
何人もの人に出会って色んな考えや生き様に出会って、どんな人生を歩くかは本人次第。
誰に出会っても出会わなくても歩く道が違っても、その人らしい人生を歩く事に違いはないと思いますよ」
空いてる時間に、もう一度ショコラ・ショコラを読んだ。
親のいない少女。
少女漫画の主人公と俺とでは何もかもが違う。
比べものにならない。
それでも俺は、その漫画を読んで親が居ても居なくても、自分で生きていく力を身につけて自立しなければならない事に何の違いもないんじゃないかと思った。
親がいなくても、気にかけてくれる人がいるだけで、子供は大人になれる。
俺がお腹いっぱいなのか、寒くないのか、夜眠れているのか聞いてくれる大人と暮らすのは十何年ぶりだろう。
こんな人と出会えるのなら、一人で世の中に出て行くのも前よりは怖くなくなった。