ショコラ・ショコラ5
話終わって、泣くのをこらえて全身に力を込めて、俺は黙ってた。
彼は何か言うだろうか。
ありふれた慰めの言葉を彼はくれるだろうか。
「大変だったね」
「可哀想にね」
「辛いだろうけど頑張ってね」
そんな優しい言葉をくれないだろうか。
俺は誰かに優しくして欲しい。
「仕方ないね。
誰も守ってくれる大人がいないんだから、幸せになれなくても安心して生きていけなくても、それが君の運命だよ」
なんて、わかりきってる事は言わないで欲しい。
彼は何も言わない。
どうにか涙をこらえた俺は彼に視線を向ける。
「泣けばいいのに」
彼はそう言った。
「我慢しないで、怒って泣けばいいのに。
そんな酷い目にあって我慢して笑ってたら、その内ストレスで胃に穴が開くよ」
「酷い目……?」
「大学進学の予定だったのに、突然進学させないし家も出てけって言われるなんて相当酷いんじゃないかな。
最初から進学させないし家から出ろって言われてたら、それなりの準備も出来てたでしょう。
身寄りのない子供を進学できるつもりにさせておいてから、仕事も住居もない状況で放り出そうなんて、かなり酷いと思うよ。
泣いて怒って当然でしょう」
そうか。
やっぱり、知らない人が聞いても酷い話なのか。
そうだよね。
酷いよね。
そう思った瞬間目から水が流れ出てた。
溢れるように涙が出る。
視界が滲んでくるので、袖で涙を拭うけど、溢れる涙のほうが多くてどうにもならない。
そうしてると誰かがタオルで顔を拭いてくれた。
誰か、って水野さんだけど。
「家出でしたか?」
顔を拭いて僕にタオルを持たせてくれて、彼は言った。
抱き寄せて俺の頭を彼の肩に乗せて、そうしながら俺の背中を撫でてくれてる。
俺は今、あやされてる?
泣いてる子供をあやすように、彼は俺の背中を撫でながら、優しい声で語りかけてる。
「誘ったらうちに来たって事は、他に予定なかったみたいだし。
その割にリュックは中身詰まってて荷物多そうだし。
母親の形見の本なんか持ち歩いてたし。
もしかして君、おばさんの家に居たくなくて家出してたんじゃないですか?」
僕は「はい」というつもりだったけど、声に出したら「ヒャイ」としかならなかった。
「じゃあ、泊まって行きますか?」
彼は僕の頭を撫でながら言った。
「私は仕事があるのでお構いできませんが、泊まりたかったら布団はありますよ。
漫画が好きなら好きに読んでくれていい。
ただし、家に電話はして下さいね。
もうちょっと時間をおいて、泣き声じゃなくなってから。
あなたの保護者と揉めたり警察沙汰になるのは嫌です」
驚いて、俺は泣き止んでた。
「……なんでですか?
初対面の人間を家に泊めるのって防犯上よくないんじゃないですか?」
「おっしゃる通りですね。
じゃあ帰りますか?」
帰る、べき、かもしれない。
けど、帰りたくない。
「私も早くに親を亡くしました。
私には年の離れた姉がいたので天涯孤独ではありませんでしたけどね。
親のない子供に世間が冷酷なのは知ってます。
泣いてる子供を一晩家に置くくらいの事は大した面倒でもありません。
むしろ、今君をおばさんの家に帰す方が後味が悪くて気がかりです。
何のお構いもしませんが、君にはおばさん家族から一晩離れる時間があった方がいいように思っただけですよ。
ただし、おっしゃる通り私たちは初対面です。
子供が初対面の他人の家に泊まるのは危険です。
帰るなら送りますよ。
その泣き顔がどうにかなってから送らせて欲しいですけどね。
独身で一人暮らしの男としては身の潔白を疑われるような危険は犯したくありません」
「泊めて下さい。
俺、今帰ったら、おばさんを刺し殺したりはしないと思うけど、おばさんを怒らせるような事言っちゃうかもしれないから」
食い気味に水野さんに返事して、俺は泊めてもらう事にした。
「刺し殺すまでは考えてなかった。
君は今夜うちに泊まるべきだと確信しましたよ」
彼はまた俺の頭を撫でながら言った。
安心したように笑いながら。
俺は本当に、彼の目には子供に見えているようだ。