ショコラ・ショコラ3
「うちまで歩いて30分くらいです」
着いていくと決めてからそう言われて驚いた。
この町は田舎なので、車を持ってる人が多い。
20代か30歳超えてるか迷う年齢に見える男性が30分の距離を歩いてるのは珍しい。
彼は運動不足なのでなるべく遠くまで歩いて移動する事にしていると言った。
俺は普段は拓也兄ちゃんのお古の自転車を使っている。
拓也兄ちゃんはもう使ってない自転車だけど、家出するのに自分のじゃない自転車を持って出るのも悪い気がして今日の俺は徒歩。
「考え事をしてるので、話かけないでいただけるとありがたいです」
そう言われてしまったので、俺は黙って彼の後をついて歩いた。
着いたのは古めの一軒家。
家に上がると猫がいた。
すり寄ってきたので撫でてやると嬉しそうにしている。
「聞いてませんでしたね。
猫、大丈夫でしたか?」
「はい」
「ショコラ・ショコラは今持ってきます。
すいません、私は急ぎの仕事があるので、飲み物が欲しかったらご自分でお願いします。
台所の目につく所にあるものなら、適当に飲み食いしていただいて構いませんので」
俺には友達がいないから、友達の家に遊びに行くなんて事もない。
遠い昔の小学生の頃には何度かそんな事もあったような気もする。
そんな浅い知識で言うなら、よその家の台所って入り込んじゃいけないんじゃないかな。
少なくとも、初対面相手にそれはないんじゃないだろうか。
水野さんは変わった人だ。
水野さんは台所の横の部屋に漫画を置いて、ヒーターのスイッチを入れて行ってくれた。
ヒーターの前に座布団が置かれてる。
ここで漫画を読めと言う事なんだろう。
水野さんは急ぎの仕事だと言っていた。
俺は台所に行って湯を沸かす。
あの人はドーナツ屋ではコーヒーを飲んでいたけれど、コーヒーは見当たらない。
何種類かのお茶のティーパックがあったので、紅茶を淹れた。
ミルクと砂糖はいるかどうかわからないから、ストレートのままで水野さんが入っていった部屋にカップを持っていく。
「紅茶をいただこうと思って、水野さんの分も淹れたんですけど入っていいですか?」
「どうぞ」
返事があって引き戸を開けると和室の中が仕事部屋のようだった。
和室に事務机と椅子が並んでる。
「そこにお願いします」
彼に言われて机の上にカップを置く。
「ありがとう。
今急いでるのでお構いできなくてすいません」
ドーナツ屋でやってたように、白い紙にシャーペンで何か書いている。
邪魔になるといけないので、俺はすぐに部屋を出た。
リビングというには何もない、台所の横の部屋。
俺はヒーターの前に座布団を持ってきて漫画を読み始めた。
家に入った時に出迎えてくれた猫がヒーターの前で寝転がる。
初対面の人間に警戒感はなさそうだ。
撫でてやると気持ちよさそうだ。
ショコラ・ブラックと名付けられた孤児の少女が謎の金持ちの養女となる波乱万丈のSF物語は面白くて俺は夢中で読んでいた。
謎の金持ちの養女となりお嬢様とかしずかれる立場になった主人公。
謎のおじさまを慕いながらも、一人で生きていこうとお嬢様の立場を捨てて秘境の宇宙へ旅立っていく。
読んでる最中に水野さんが台所で料理を始めてるのに気がついた。
何か話しかけるべきかとも思ったけど、どう話しかけていいかわからないので俺は読書に戻った。
漫画を読んでいる。
料理している音がする。
野菜が煮える匂い。
俺は何もせずに漫画を読んでいる。
親と一緒に暮らしてる子供なら、晩御飯前はこんな感じなんだろうな。
洋子おばさんは働いていて、小学校の高学年の頃から食事の支度は俺の仕事だった。
おばさんは料理も掃除も洗濯も教えてくれて、俺が家事ができるようになる度に
「ああ、これでちょっとは楽になれる。
子供引き取った分しんどい事も多いけど、広太がいい子になろうと頑張ってくれてると、おばさんも我慢のしがいがあるわあ」
と笑ってくれた。
褒められると嬉しくて、引き取ってよかったと言ってもらえると安心できたので、俺は家事を頑張った。
俺が料理してるとテレビを見たりゲームしてたりする拓也兄ちゃんが視界に入って羨ましかった。
本当の親に育てられてる子供は家で何もしなくても居心地が悪くなったりしない。