表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/54

ショコラ・ショコラ2


 慌てた男性が本を持ち上げてテーブルの上の紙ナフキンで拭ってる。

 店員の女性は中身をぶちまけたポットを片手にうろたえている。


「何か拭くものを」


 俺が声をかけると、はいと頷いて何かとってきた。

 カフェオレは服にもかかったみたいだけど、男性は本の方を気にしてる。

 服は洗濯すればいいけど、本はそうはいかない。


 大事な本だったのかな。

 古そうな少女漫画。


 一番上にあったそれは、一瞬の事だったのにカフェオレを吸い込んだようで、修復不可能に見えた。


 小柄な店員さんが青ざめて謝っている。

 男性は笑って大丈夫ですよと答えていた。

 ちょっと驚いた。


 これが洋子おばさんだったら、すごい勢いで被害者アピールしながら店員さんを責めてたと思う。


 店側に落ち度があったら、ゴネた方がいいと教えられた。

 どんなに弁償しても店が損するだけで店員は損しない。

 店員は客に何か言われるのもコミで給料をもらってるんだから、何を言ってもいい。

 どうせ、給料もらって働いてる人間なんて客に何を言われても仕事場から離れたら言われた事なんか忘れてる。


 ずっとそう教えられてきたけど、俺はどうしても店員さん相手にゴネたりできなかった。

 広太は気が小さいと洋子おばさんにも拓也兄ちゃんにも笑われてた。


 男性は「気にしないで下さい」と優しそうに笑って恐縮してる店員さんに声をかけて、荷物を手早くカバンに入れて店を出て行った。


 俺より前からいたんだから、かなり長い時間いたんだろう。

 目立ってしまって居辛くなったのかな。


 俺も店を出る。

 見回すと、歩いている彼はすぐ見つけられた。

 早足で追いかける。


「あの、すいません」

 声をかけると彼は振り向いた。

 俺は急いで、カバンの中から本を出す。

 一冊だけ持ってた古い少女漫画。


「よかったら、差し上げます。

 古くて綺麗じゃないけど、この本は絶版だって聞いてるから」

 俺が持ってたショコラ・ショコラというタイトルの古い漫画本。

 カフェオレを浴びてしまった彼の漫画と同じショコラ・ショコラの一巻。


 いかにも古そうな少女漫画。

 同じ本ををドーナツ屋で隣に座った男性が持っていたので、俺の目を引いていた。

 

「どうして?」

 彼に問われて答える。

「この本、最近もらったんです。

 一巻だけしかなくて、続きはもう買えないけど、きっと俺が欲しいんじゃないかって。

 でもこれ一冊しかないし、続きも読めないし。

 捨てたくはないけど、持ってたいわけでもなくて。

 だから、あの」


 彼は黙って俺の話を聞いている。

 見ず知らずの人に古い漫画をあげようだなんて、失礼だったかな。

 俺はこの人に話しかけた事を少し後悔し始めていた。


 彼は俺が差し出した本を手にしてくれた。

 安心した。

 大事な本だけど、持ってると少し悲しい気持ちになる本だったから。


 彼は本をめくって、最後のページに書いて有る名前を声を出して読んだ。

「道上由美子……?」

 訝しげな声。


 彼は俺の顔を凝視している。

 何だろう?


 ああ、と思い至った。

「あ、それ、母の名前です。

 俺は道上広太って言います。

 それ、母の本だったんです。

 母は亡くなってて、母の従姉妹のおばさんが最近片付けしてたら出てきたからってくれたんです」


 彼は俺の名前を口にした。

「みちのうえ、ひろた、くん?」

 不思議そうな目で俺を見てる。


 まだ説明が足りてないんだろうか。

 ああ、そうか。

 子供の字で書かれた母の名前。

「母の子供の頃と今の俺の名前が同じなのは、母が離婚した時に俺も母の旧姓になったからです。

 あの、えっと」


 ダメだ。

 今の俺はとても怪しいと思う。


 困ったな。


 俺はただ、親切そうなこの男の人の本がダメになったので、俺の持ってる本をあげたいと思っただけなのに。

 俺は人と話すのが上手くない。

 友達がいないせいだと思う。

 言葉に詰まっていると、彼の方から話しかけてくれた。


「私は水野成と言います。

 この本、うちに来れば続きがありますよ。

 読みにいらっしゃいますか」

「え?」

「全9巻。

 おっしゃる通り絶版で入手困難なのでお貸ししたくはないんですが、うちでなら読んでもいいですよ。

 いらっしゃいますか?」

「……はい」


 俺は初対面の、見ず知らずの男の家に少女漫画を読みに行く事にした。


 漫画の続きが気になる気持ちはわずかで、家に帰りたくないのが主な理由だった。

 家に帰りたくはないが、俺には行くあてがなかったから。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ