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ジモリベ  作者: 海道熊
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六 美酒

六 美酒


 母娘のSNSは繫がりが強い。()()と母親もそうだ。

 東京で働く彩智を父親は許していない。

 父にとって、何の取り柄もない娘が就くべき仕事は、大企業のOLか、公務員だ。

 そのどちらも失敗した娘を見て、今どきの大学生の就職事情を知るのであるが、よりによって、青葉市場のエージェントなる、訳の分からない仕事で東京へ行くなど考えられないことだった。


 父親とは緩い絶交状態。

 父娘の間に立つ母親も彩智の仕事に賛成していないが、娘を応援していた。

 彩智が東京へ出発する日、母は寂しそうに言った。

「まるで駆け落ちみたいに送り出すのは親として寂しいけど、結婚のときはちゃんと送り出させてね」

「お母さん、今どきはお嫁に行ってもフレンドブック(SNS)で繫がっている時代よ。

 お母さんとはフレンドブックで話せるじゃない。寂しそうに言わないで」

 母を慰めつつも、心の中では母に詫びた。

 母も父と同じような期待を寄せていたのだろうが、成功して恩返しすることを自分への誓約とした。


 東京駅に着いた、アパートに入った、荷物は時間通りの届いた、と彩智は母を安心させるように細かにフレンドブックで伝えた。

 初めて青梅へ行った、初めて日高へ行った、やっぱり筑波はすごい、今日は五社訪問した、移動の時間が長くて一社だけだった、……。

 訪問先の会社名は明かせないが、初めて行った場所や一日の訪問社数を、母親だけが閲覧できる設定でフレンドブックにアップしていた。


 それがある日、仕事を辞めて家に戻ります、とフレンドブックで伝えてきた。

「彩っちゃん、帰ってくるの?」

 仕事を辞める。

 理由はさておき、母にとってそのことが無性に嬉しく、すぐさま電話してきた。

「整理がついたら帰るわ」

「いつ頃?」

「三日後に引き払って、少し旅行してから帰る予定だから、来週の火曜日に家に着くわ」

「結局、一週間後、なのね」

「ひょっとして、会社から電話が入るかも知れないけど、浅倉っていう人。

 旅行中って言っておいて」

 浅倉とは彩智が勤めていた会社の社長だ。

 結局、会社から連絡が入ることもなく、彩智は旅行から帰ってきた。

 彩智の実家は共働き家庭だ。

 中学生の頃から夕食の準備をしていた。

 だから、あり合わせの食材で料理することに慣れている。

 母が一時間以上残業する日は彩智が作る。

 両親は同じ会社に勤めている。

 生産台数で世界トップを競う自動車メーカーの企業グループに名を連ねる部品メーカー、ジソーだ。

 母は生産ラインで働いている。

 厳格な生産計画に基づく稼働カレンダーによって、残業はあらかじめ分かっている。


 小学校までは母方の祖母が面倒を見てくれた。

 母の実家は車で十分ほどの距離である。

 幼稚園に通うまでは祖母と一緒にいたといっていい。

 彩智はこの祖母にとって最初の孫、弟は二人目の孫だったので、内孫のごとくかわいがられた。

 幼稚園も祖母の家からスクールバスに乗った。

 小学校は自宅から登校し、下校で祖母の家に帰るか、近所の小母さんが開いているプリント式学習塾に通った。

 中学生になると彩智の夕食当番は会社のカレンダーを軸にした当番表に組み込まれていった。

 この生活パターンは受験のヤマ場を除き、大学まで続いた。


 冷蔵庫には、母の残業予定カレンダーが貼ってある。

 母の帰りが彩智の予想よりも遅かったのは、どっさりと段ボール三個分の買い物をしてきたからだ。

「お母さん、わざわざ買ってきてくれたの?」

「逃したくない特売があったからね。

 北海道へ行って来たの?」

 バターサンドや生チョコレートのお土産が空港名の入ったポリ袋のままテーブルに置いてある。

 北海道へ行ってきましたと主張しているようなものだ。


「気ままな一人旅よ。

 パック旅行より割高かも知れないけど、やっと北海道上陸ってとこね」

「疲れたでしょ」

「仕事してきたお母さんほどじゃないわ。

 晩ご飯は作ったけど」

「ありがとう。急ね、仕事を辞めるなんて。私は嬉しいけど」

「潮時かなぁって。

 それなりに頑張ったけど、長く続ける仕事じゃないって思うようになったから」

「そうなの?」

「それなりに沢山の会社を見てきたし、その経験を活かしてコンサルタントにでもなろうかなぁって。

 地元で」


「コンサルタント?まだ諦めていないの?」

「MBAなんて、野心、とっくに諦めたわ」

「少しなら援助してもいいって、お父さんが言ってたのよ。

 彩っちゃんが東京へ行ってから」

「へぇ、初耳ね。あんなに反対してたのに」

「あんな風に東京へ行ったでしょ。

 ショックだったのよ。お父さんなりに」

「目指しちゃおうかなぁ、MBA」

「冗談はその程度にしなさい」

「そう。冗談。

 結局、学費を貯められなかったし。

 それはそうと、折角、会社辞めたから、今度は沖縄でゆっくりしてくるわ」

「また旅行?いつから?」

「あさって。九時発よ。

 それにしても、これ、開けてないの?」


 東京から送った酒が化粧箱に入ったままだ。

 初めて成約した記念に自分へのささやかな褒美で買った。

 百貨店のレストランで昼食した後で、上の階の物産展で見つけたレアな酒だ。

 ネットで三倍の値で取り引きされているので幻の酒と呼ばれる。

 製造者は小さな蔵元なので量を増やせない。

 それでいて買い手は沢山いる。需給のアンバランスが幻を生んだ。


 蔵元はこの銘柄に限って直販しない。

 かつて蔵元の経営が苦しかったときに商品を買い支えた地元の酒屋だけに卸しているそうだ。

 幻の酒となった発端は、同じ県出身の人気ミュージシャンがラジオ番組でリスナーからの質問に答えたことだ。

 これを聴いていた雑誌の編集者が彼の特集のインタビューでも同じ質問をし、その銘柄が活字になった途端、話題の銘柄になった。

 その経緯をビジネス番組で見た覚えがある。


 目の前の銘柄がその酒だった。

 知る人ぞ知る酒として十本並べた中の一本が彩智の手に渡った。

 一人一本、十人限定販売である。

 転売目的の購入を防ぐため、物産展のチラシに掲載していないサプライズ商品だった。

 秋田出身の父は、日本酒党。自分のアイデンティティとして秋田の地酒を愛飲している。

 大晦日に帰省した際、仲違いしている父に渡した。

 父も銘柄は知っていたようで、照れくさそうに笑って、喜んでくれた。


 本当に喜んだのは弟、剛だ。

 喜ぶよりも驚いた。

 酒豪の遺伝子を受け継いだ弟は、アルコール類の雑飲系男子。

 かつて蔵元の近くへ行った際に、酒屋を訊ね回ったが、生憎の在庫切れとかで手に入らなかった。

 飲みたそうだが、除夜の鐘を聞く前に、スキーに出かけたのでおあずけ。

 正月をスキー場で過ごす剛が帰ってくる前に彩智が東京へ戻ったので、開封するタイミングを逸したお酒だ。


「四人揃った時って、お父さんが我慢しているのよ」

 父が帰ってきた。

「お父さん、お帰りなさい」

「おう、彩智か。仕事、辞めたのか」

 仲違いは彩智の思い過ごしだったのか?

 父はそんなことがなかったように接するが、仕事を辞めたことを喜んでいるのだ。

「期待どおり、辞めて帰ってきたわ。

 ところでお父さん、あの酒、飲んでないね」

「剛がいないのに開けられるか。

 これからは家にいるんだろ?」

「東京で疲れたからね。

 ちょっとは家で大人しくしてるわ」


「玄関、入ったら、いいにおいがしてきたぞ」

「大アサリを浜焼き風にしたから。

 もう一度焼いてアツアツにするから、ちょっと待ってて」

「酒、入れるの忘れるなよ」

「このにおいで分かるでしょ。ちゃんと入っとるよ」


 夕食の大アサリで酒が進み、父の口が滑らかになった。

「帰ってくる度に聞とるけど、俺にはようわからん。彩智の仕事って何やってんだ」

「何度も行ったけど、中小企業をお金の面で助ける仕事よ」

「金貸しか」

「違う、違う、株式の公開。

 つまり会社の株を発行して、いろんな人に買ってもらって、そのお金で事業を広げるの。

 その手伝いをしてたの」

「おまえが株を売ってたのか?」

「私は、株の発行とか売買とかには関わってないの。

 こういう方法があることは知られてないから、中小企業に説明して、手を挙げる会社がいれば、契約するところまで持っていくの。

 契約してからも、社長の相談にのったり、面倒を見てるわ」

「社長の相談にのる?おまえのような小娘の相手をしてくれるのか」

「もうそんな歳じゃないわ。

 でも、私一人じゃ無理ね。

 商談の要所要所では公認会計士や税理士、経営コンサルタントと一緒だわ」

「でも契約の後の相談は、私一人のことが多いわ」

「酔いが回ってきたな。話が飲み込めん」

 彩智は分かっている。

 技術・技能一筋の父には、財務や会計のことは別世界。理解できないのだ。


 半分残っている一升瓶があった。

 疲れているけど、眠気はない。

 ゆっくり湯船に浸かった後で一升瓶からコップに半分だけ注ぎ、一気に飲み干して眠りについた。


 午前二時。

 彩智は神経が高ぶって眠れないままだ。

 台所へ降りて、コップ一杯の酒をあおって横になるのだが、やはり眠れない。

 眠れないまま朝を迎え、市役所で転入の手続きをした。

 健康保険はここでも国民健康保険だ。


 東京でも会社勤めだったにもかかわらず、健康保険協会でなく国民健康保険だった。

 大企業に勤める両親は、会社の健康保険組合の保険だ。

 市役所へ行った足で、母の実家へ行った。

 彩智が帰ってきたことを祖母がとても喜んでくれた。

「よお帰ってきたのう。

 彩智は東京の会社に就職しとっただら」

「辞めて帰ってきたよ」

「ほんでも長いこと会っとらんで」

「正月には遊びに来たじゃん」

「んー、覚えてとらんなぁ」


 義理の叔母によると、軽い認知症で要介護一の認定を受けている。週二回デイサービスに通っているが、デイで偶然、若い頃の友達と一緒になって、それが楽しみになっているらしい。

 最近、祖母は昼夜逆転気味とのことだ。

 夜遅くまで目が醒めていて、朝、家族がリビングに行くと、祖母が椅子に腰掛けたままウトウトしていることが多い。昼間もそのままウトウトするそうだ。


 それは彩智にも当てはまる。

 眠れない夜とその反動で日中はウトウトする。

 だからといって、家でぶらぶらするつもりはない。

 明日から沖縄。

 気持ちを整理する大切な時間が待っている。

 それから職探しだ。


 雇用保険に入っていなかった彩智は失業給付を受けられない。

 青葉市場のエージェント、つまりは開拓営業に携わっていた彩智は、最低限の固定給と成功報酬を組み合わせた給料を会社からもらっていたが、形式上は個人の自営業者だ。

 あんな待遇で就職したことを、今、思い返せば忸怩(じくじ)たるものがある。

 若気の至りと片付けてしまえばそうだが、新卒での就職という人生でも重大な決定に、思い込みで誤った判断をしたのは、若気の至りというにはお粗末だ。

 後悔しても始まらないのだが、詮無(せんな)いことに心を奪われた。

 それを払拭できた北海道旅行で一人旅の味を占めた。

 クールダウンが北海道なら、沖縄はウォームアップ。

 ウェイクアップかな?


 沖縄から帰ってきてネットで働き口を探していると、ある求人募集が目に留まった。

 とりあえずの収入源。

 連絡先、狩宿(かりやど)商工会議所の飯島から、来所して欲しいと言われた。

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