6話
シグルはその後、庭から室内に戻ろうと呼びかけてきた。マリアナは頷いて中に彼と入った。
既に、夕刻が近くなっており、シグルは別れを惜しみながらも玄関へ急いだ。両親と姉のマルグレーテと共に扉をくぐって外でお見送りをした。
馬車に乗る前にシグルはふと、振り向いてマリアナの足元に跪いた。
皇太子である彼がこんな体勢をとるだなんて。しかも、大公家の人間でもないのにだ。
マリアナは驚きながらもシグルをじっと見つめる。ゆっくりと彼は自分の左手を握ってきた。
手の甲に軽くキスをした。柔らかくて温かい感触がして一気に体温が上がり心臓がバクバクと鳴り出した。
シグルは上目遣いでこちらを見てくる。マリアナは振り払おうとした。
「…な、何をするんですか?!」
上擦った声で言い、手をブンブンと振る。だが、シグルの握る力は強く、離してくれない。
「…何って。君だってレデイである事には違いない。だから、挨拶をしたまでだけど」
にっこりと笑いながら、手を離してはくれたが。今日、出会ったばかりの自分にいきなり、キスを仕掛けてくるとは。といっても、手の甲にだが。
姉と両親はそれを生温かい目で見守っていた。立ち上がったシグルはじゃあ、またの機会にと手を振りながら玄関口に停めてあった馬車に向かう。
御者が扉を開ける。中にシグルが乗ると扉は閉められ、馬車は動きだした。顔を真っ赤にしながらも見送るマリアナであった。
それから、一週間が経った。何故、シグルがマリアナの元へ来たのかを父の公爵が後日に説明をしてくれた。それによると、こうだった。
現大公から、シグルとマリアナとの婚約を王宮で父は打診されたらしい。その後、父公爵は了承して娘を王宮へ来させようかと言った。だが、妻の大公妃や妹の現シンフォード公爵夫人が王宮に婚約で挨拶に訪問した際に反大公派などが仕掛けてきた事が何度かあったそうだ。
命に関わる程に危険な目にも遭った事から、大公は高位貴族同士の婚約が整ったとしても書類で申請さえすれば、王宮に婚約した子息や令嬢達が挨拶に来なくても良いという法律を作ったらしい。
その法律により、シグルが公務や皇太子としての勉学の合間を縫って公爵家を訪問して顔合わせとなったのである。
別に皇太子殿下に来ていただかなくてもと言ったが。父は苦笑いして、マリアナが目立つ外見をしているから、殿下にこちらに来ていただきたいとお願いしたのだと言った。
そしたら、殿下は快く、了承してくれたので安心したとのたまった。それには驚いて唖然としてしまう。
そんなこんなでマリアナは皇太子妃候補となったのであった。